表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/15

act 7

その男は、その場に立っているだけにも関わらず、その場に居る、全ての人間の視線を集めた。


キャストである女達は、仕事中だと言うにも関わらず、接客と言う言葉を忘れ、その男に魅入っている。

客である男達でさえも、その男の醸し出すオーラが、あまりにも自分達と違うのに言葉も出ないようだった。


そんな中で、目を見開いていた季菜は、我に返ると自分の心臓が信じられない程、早く音を刻んでいるのに気付いた。

男から視線を離し、言葉を失っている客の肩を叩き、いつも通りの接客をする……。

しかし、そんな季菜の肩を、今度はボーイが叩いた。


新からの、指名。


季菜は思わず、新の方へと視線をやった。

その視線は、意図も簡単にかちあった。


立つ事さえ忘れている季菜の名をもう一度ボーイが呼ぶと、季菜は、やっと頷き立ち上がった。


席につくために歩く。

たったそれだけだというのに、その足が震えた。

らしくない。

そんな事を、頭の隅で考えたりもした。


足が震える理由を考える余裕もない。

キャストの視線が、自分に注がれているからか、それとも、その間も、新がずっと自分をみているからか……。

新の席に着いたというのに、季菜は座るという事も忘れた様に、その場に立ち尽くしたままだった。


いつもの季菜らしくない。

茜や莉亜達も不自然に思っていた。

そんな中、沙柚だけは納得が言ったと、しかしやっぱり信じられないとでも言う様に双方を見ていた。


「よう」

あの時と、何も変わらない新の言葉。

まるで、何もなかったの様だった。

新の言葉に、返す事も出来なければ、座る事もしない季菜の手を、有無を言わず新は引き、体勢を崩すように季菜は座った。


「い、いらっしゃい……ませ」

それだけ言うのに、いっぱいいっぱいと言った感じだった。

そんな季菜の様子を、おもしろそうに新は観察をし、口を開いた。


「寝癖は直ったかよ?」

「なっ! こんな所でっ……」

新と季菜の会話は、店全体が聞き耳を立てているようだった。


新が季菜を指名した事で、女の子達は、接客どころではないらしい。

一体、この二人の関係はどんなものなのか? 気になって仕方ない所にくわえ、今の会話。

客もキャストも一緒になって、二人の会話に聞き入っている……。


「て言うか、一体なんで……?」

「何でって……此処の店だって言ってただろ?」

「そりゃ言ったけど……。何で来たの? 何か用……?」

季菜の口から出てくる台詞を、新は鼻で笑ったあと、様子を伺いながらイタズラな笑みを向けた。


「用がなきゃ……来ちゃいけねーのか?」

「べ、別に……」


季菜は、沈黙してしまった。

やっぱり、この男の前では、自分らしさが出せない……。

そんな季菜の様子を、操達は見ている。

普段の季菜なら、こんな風には絶対にならない。

客との会話を途切れさすことなく、かつ退屈させるような事は絶対せず。

自分の世界へとひっぱりこむのが上手い季菜だったはず、しかしどうだろう、其処には季菜らしさが、ひとつだってなかった。


男にふりまわされている感を、その場にいる誰もが感じ取っている。

その雰囲気が、さすがに季菜にも伝わったらしく、気まずそうに季菜は口を開いた。


「あ、あのっ……と、とりあえず、せっかく遊びにきたんだもの。No1でも呼ぶ? 沙柚って言うんだけど――――」

「俺はお前に逢いにきたんだよ。別に他はいらねー」


自分の言葉を遮断した新の台詞に、とうとう季菜は言葉を失くした。

あわあわと口を震わせ、頬を染めている。


頭の中は、色々なものがぐちゃぐちゃと入り混じっている。

何でこんな所に来たのか、何をしに来たのか、全然分からない。

そして、接客の仕方も、忘れてしまった様だった。


そんな中巡った沙柚の言葉……。

「好きになった……?」

ありえないと首を振った。

けれどこの胸の音は、どんどんと音を増していく。

客に胸を高鳴らせても、客に胸を鳴らすなんて、もうずいぶん経験していない。

それどころか、初めてかもしれないとさえ思えた。



口を開いても、言葉は出てきてくれない。

自分は、この店の、No2だと、こんな失態、許されない。そう考えれば考えるほど、頭は真っ白になっていった。


一度、パニックに陥ると、中々其処から這い上がるのは難しい。

耐え切れない様に、季菜は席を立った。

「ちょ、ちょっとゴメン……」

新は、意地悪そうに笑ったまま、季菜を促した。


つかつかと季菜が行く先。

沙柚の席に行き、客を一切見ずに、その腕を引き上げ、ずるずると奥へと引っ張りこんで行ってしまった。

唖然……。皆唖然……。そんな中、新一人だけは、クックと笑っていた……。








「どどどどうしようっ! どうしようっ!」

沙柚の肩をグラグラと揺すりながら、言葉をまくし立てる季菜を、どうにか落ち着かせようと沙柚はしていたが、中々それも難しかった。


「おっ、季菜ちょっと落ち着いてっ」



何度めかの沙柚の言葉に、やっと季菜は落ち着きを取り戻した様だった。

これだけ季菜が取り乱すのは珍しい。自分の言った事も、あながち嘘ではないかもしれないと沙柚は思った。

季菜はすがる様な視線を沙柚に向けている。


「ってか、あの新だったなんて、衝撃的だわ」

沙柚の言葉に、困惑を残しつつ、季菜は首をかしげた。

「あの有名な新、知らない方がおかしいでしょ」

続く沙柚の言葉に、季菜はいよいよ頭を困惑させた。


「有名? そりゃ格好いいとは思うけど。てか新の事知ってるの?」

「多分、皆知ってる。【loop】のオーナーじゃない。本当に知らないの?」


「……知らない」


沙柚は呆れる表情をさせた。

ioop。ホスト業界では、知らない人は居ない。

日本で、頂点にたった新が、自身で店をオープンさせたのは、ニュースにだってなった。


あらゆる事を勉強し、客に応える事が出来る季菜だったが、唯一ホスト業界の事は、どうでもよかったらしく、知ろうともせず、また情報を耳に入れるという事もしなかった。

ゆえに、何処の店では誰がNo1だ、などと言う事も知らなかった。


「まぁ、いいわ。とにかく、季菜ってば、本当にあの新とシちゃったの?」

控え室の向こう側、マネージャーが、早く出て来いと合図をしている。

しかし二人はそれをことごとく無視し、会話に没頭していた。

「し、シちゃったみたい……。何? それって大変な事なの? 私殺されちゃうとかっ?!」

本気で表情を蒼白させ季菜は沙柚に聞いてくる。

何をとんちんかんな事を言っているんだと沙柚は思いながら、口を開いた。


「違うわよっ! 今まで新が誰かと噂になった事なんて一度だって無かったの! たった一度だってよ? 新は皆のモノ。それが彼のキャッチコピーだったんだからっ。そんな彼と、季菜から誘ったからって、Hしちゃうなんて……。信じられない……」


次から次へと、信じられないのは私の方だと季菜は思った。

ホスト業界の頂点?

だったら、そんな男が何故自分に話しかけたのか?

と言うより、本当にそんな彼と自分は体を重ねてしまったのか?

それは考えずとも体が、記憶が覚えていた。


大体にして、そんな男ならば、女が放っておかないだろう。きっと、誰も知らないだけで、何人も手をつけて居るはず……。


そう思った所で、その中の一人に自分が入ってしまったと、そしてそんな男相手に、可愛らしく頬を染め、意識している自分に気付いた。


(冗談じゃない……)


思った時には、沙柚を一人放置し、つかつかと新の方へと、そして目の前に立ったかと思えば、冷ややかな視線を送った。

「お帰りください」


店内は騒然とした。


あ、も言えない男が入ってきて、季菜を指名したかと思えば、その季菜はその男に頬を染めて、そして立ち上がって中へと消えていった。かと思えばいきなり出てくるなり、うってかわって男に浴びせた非道な台詞……。


「客に対してスゲー言い草だな」

そう言った新は、あくまで楽しそうにしている。

その表情は、更に季菜の神経を逆撫でしてしまう。

青筋が立ったのを必死に隠すように、季菜は笑みをつくり、極上のスマイルを作った。


「お帰りください」


相変わらず言葉は冷たいに変わりはない。しかしその声だけは、男をうっとりとするほど甘かった。


しばらく新は季菜を見続けていたが、一瞬だけ笑うと、腰をあげた。


「ナンか知らねーけど、嫌われちまったみてーだな」

新は季菜の頬に触れようとした。その手をやんわりと季菜は阻止すると、微笑みながら口を開いた。


「そんな、嫌いになんてなってません。だって、最初から、何も思ってないんですから」


美しい笑みだからこそ、冷たく見える時がある。

今がそれにピッタリだった。


季菜の後をついて出て来た沙柚は、ハラハラとしながら二人の行方を見守っている様だった。

店内は、シンと静まりかえっている。


軽く新は息をついた。

「今日の所は帰るわ」

言うと、季菜の頭の上に手をポンっと置いた。


本当は、まだ心臓がいつもより早く音を刻んでいるのに気付いてる。

けれど、オモチャの対象になる気は、さらさらなかった。

別に付き合ってる事もない。たった一度だけ体を重ねただけ。

うぶな女なんかじゃない。今まで何度だってそうやって好きな男の下では鳴いてきた。


なのに、あの夜すべてを、汚されてしまった気がした。


悔しいのか、せいせいしたのか、分からないけれど、季菜は下唇を強く噛み締めながら、新の背中を見送った……。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ