『星の涙』 最終日
ベッドの上でデニスは目覚めた。傍らにマエナ・ロッサ大使がいた。
「お目覚めですか? 殿下」
「会議のほうはどうなっている? 俺はどのくらい気を失っていた」
「十二時間くらいでしょうか。今日は会期の最終日です。星系連合軍の結成をとめることができるかの瀬戸際です。陛下とマテイトス大統領の一騎打ち状態で、関心のすべてはそこに集まっています」
ここは国際宇宙会議センターから三十分ほど離れたところにあるベルカルチャ大使館の一室だ。ワゴン車でここに辿り着き、門をくぐったところでデニスの記憶は途切れていた。
「シエラ嬢は死んだことにされて、ESAはそれを餌に〈星系連合軍〉の結成を押し進めているってところか」
「ご明察です」
デニスはベッドの上に体を起こした。
「ご無理をなさらずに」
「いや大丈夫だ。シエラはどうしている?」
「別の部屋にいます」
「案内してくれ」
デニスはベッドから下りると、揺れる体を何とか支えて歩き出した。
気がついたら、シエラは柔らかなベッドに寝ていた。
着ている物は清潔なパジャマで、体も誰かが拭いてくれたようだった。
「まさか……デニスさん?」
まだ半分寝ぼけた状態で、シエラはまだ見たことのないデニスのことを考えた。
「あらぁ、起きたの?」
「?」
ベッド脇からシエラを覗き込んだのは、ピンクのレディススーツに身を包んだボーイッシュな女性だった。くるくると瞳がよく動く。
「あの、ここは?」
「ここはベルカルチャ大使館」
「ベルカルチャ?」
「そう。もう大丈夫ですよぅ」
大丈夫──その言葉が少しずつ心に染みていく。もうだめだと思ったのに──
「それでぇ、シエラさん。あなたに質問があります!」
「?」
「副社長と、どんなことがあったんですかぁ?」
「副社長?」
「そう。デニス・ローデンスキー、ベルカルチャ惑星開発会社副社長」
「デニスさんは……」
「エッチなことされなかった?」
「あ、あの……」
「やめろ! ディーア!」
シエラがしどろもどろになっているところに、ここ数日慣れ親しんだ声が割って入った。
「まったく、お前はいつもそんなことばっかり言ってるな」
「だってぇ、副社長が何も話してくれないんですもの」
「何もなかったって言っただろ」
「本当ですかぁ? シエラさんの反応を見ているとそうとは思えないんですけど」
シエラはぎくっと肩が上下するのを自覚した。ディーアと呼ばれた女性がこちらをじっと見つめている。
「あ、あの……デニスさん?」
「おはよう。シエラ」
「おはよう……ございます」
初めてその姿を見るデニスは、想像していたよりずっと優しそうな風貌だった。ふわふわとした金髪と碧い瞳。自分とは不釣り合いだ、という想いがすぐに頭をもたげてきて、シエラは慌てて頭を振った。
「体はどうだい?」
「だ、大丈夫……」といったところで、シエラの腹がぐぅと鳴った。
シエラは真っ赤になってうつむいた。
「ははははは。うん、元気そうだね。ディーア、オートミールでも用意してくれ。胃に優しいものな」
「はーい」
ディーアが出て行くのを目で追って、それからデニスはベッド脇に腰を下ろした。
「シエラ。君はいま、死んだことになっている」
「え?」
デニスは、現在の〈星系代表者会議〉のことを語った。シエラ・ストームの死をきっかけに〈星系連合軍〉結成の機運が高まっていること。テロはベルカルチャが仕掛けた事になっていること。しかし、その黒幕はおそらくESAであること。
「君は犠牲者だ。〈星系連合軍〉という城を築くための生け贄にされたんだ」
「それはベルカルチャも同じなんじゃ……」
「俺たちは覚悟を持って政治をやっている。どちらかといえば、俺たちは君よりESAに近い人種だ」
「……」
「だから、君にひとつお願いがある。君を政治的に利用するお願いだ」
「ずるいです」
「え?」
「やっぱりデニスさんはずるいです。そんな風に言われたら、断れないじゃないですか」
「……」
「わたし、わかっちゃいました。デニスさん、自分が悪者みたいに言ってるけど、でもそれって、ソラ陛下のためなんでしょ?」
シエラはベッドの上に上体を起こした。そしてデニスの瞳を覗き込む。
「星の女王ソラ・ベルカルチャ陛下のためなら、デニスさんはどんな悪者にもなれるんでしょ?」
「ソラは周りのひとを惹き付けてやまない何かがある。俺はもう随分前に、彼女に絡め取られてしまったんだよ」
シエラはしばらく下を向いていた。小さな手で毛布をギュッと握りしめて。
「……わかりました。デニスさんのお願いを聞きます」
「そうか、」
「でも! でも、ひとつだけわたしからもお願いがあります」
「できることならなんでもするよ」
「歌を……歌をつくってもいいですか?」
「歌?」
「デニスさんとソラ陛下の歌です。それを作ってもいいですか?」
デニスは小さく頷いた。それから、シエラにお願いの内容を説明する。
「わかりました」
「じゃあ、頼むよ」
デニスがベッドの前から離れる。その背中が、シエラにはとても遠く見えた。
「あの!」
「ん?」
また会えますか? 連絡先を教えてください? こんど一緒に──
「……歌のタイトルは決まっているんです」
「ほう。どんなタイトル?」
「……「星の絆」です」
「お前たち、デトナ星系での仕事はどうなった?」
ベルカルチャ大使館の応接室で、デニスがスティーとディーアに質した。
「え? 結局受注はできませんでした、けど……」
怪訝そうなスティーにディーアが続ける。
「一応、資材の発注はいくつか受けました。大気組成改良剤と土壌改良剤」
「受注書類を見せろ」
「いまはそれどころでは……」
「いいから見せろ」
なにがなにやらわからないふたりを後目に、デニスはスティーが差し出した携帯端末に目を凝らす。
「マスドライバーで緊急発送? ディーア。この打ち出し座標を確認しろ」
「え? 惑星ペルキスですよ」
「いいから、到着時間の宙域座標を確認しろ。至急だ」
「? ええと……あれ、これは……惑星ポルキア? ……あれ?」
ディーアが困惑顔をあげた。
「この到着座標は、惑星ポルキアになってます。え? あれ? どういうことですか?」
デニスは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「これがESAの奥の手だ。惑星ポルキアとペルキスは双子惑星だ。太陽を中心に交転軌道の両端に位置するという非常に珍しいケースなんだ。お前たち、この座標をよく確認しなかっただろ?」
「……」
もし、スティーとディーアが自分たちで惑星ペルキスのことをちゃんと調べていたなら、こんな簡単なデータの改竄にひっかかったりはしなかっただろう。観測データはすべて事前に用意されていて、ふたりはそれを鵜呑みにしてしまった。
「相手が一枚上だったんだな。公転軌道は間違いなく惑星ペルキスのものだが、同一軌道上には有人惑星ポルキアも回っている。そして、ほんの一部の数値をかえただけで、その目標はペルキスからポルキアへと差し変わる。マスドライバーで打ち出したコンテナが、誰にも受け取られずにポルキアに到達したらどうなる?」
スティーとディーアが蒼くなった。
「有人惑星に大気組成改良剤がばらまかれれば……」
「立派なテロだな。発注はベルカルチャ。デトナはしらばっくれるって寸法だ」
レゼットのひとを食った態度とオンボロ惑星調査船。すべては仕事をおざなりにさせ、このことをお膳立てていたということか。直後のテロ騒ぎで、荷物の発送にストップがかからなかった。既にマスドライバーから荷物が打ちだされてしまっている。
「コンテナが到達するまでの残り時間は?」
「……八時間です」とディーア。
「なんとしても止めるぞ」