『星の涙』 脱出
スティーの肩を借りて、デニスはかろうじて部屋の外に出た。狭い埃っぽい通路を進むと、突き当たりの扉の前でディーアが待っていた。
「あの昇降装置は落成以来一度も使われていません」
「なぜだ?」
「答えはこれです」
ディーアが扉の電子ロックに暗証番号を打ち込んだ。軽い電子音がしてロックが解除される。音もなく扉が横に開いた。
「なんだこりゃ?」
デニスが声をあげ、スティーは呆気にとられていた。
目の前にあったのは壁。扉の向こうが壁でふさがれていた。
「この向こうは、会議棟と管理棟を結ぶ通路です。国際宇宙会議センターを作るとき、会議棟と管理棟を別の業者が施工したようなんです。突貫工事だったらしく……出来上がってみたらこんなことに」
「……」
「直そうって話はあったらしいですけど、予算とか、申請とか、責任問題とか……結局そのまま。奈落は使わないというか、使えないって事に」
「あの女は、ここからどうやって出るつもりだったんだ?」
「たいした壁じゃぁありませんから、ちょっと時間をかければナイフでも崩せるかも知れませんし、誰か仲間が外に来る手はずになっていたのかもしれません。でも、いまはそんな暇はありませんので……うふふふ」
ディーアがこういう風に笑うときはろくな事を考えていない。
「先輩、副社長を負ぶってください。一気に行きますよ」
デニスは、不本意ながらもスティーに負ぶわれた。体力が激減している現状ではいたしかたなかった。
「それからこの覆面で顔を……いいですか? 危ないから離れてください!」
どこに隠していたのか、ディーアは指向性爆弾を壁に貼り付けた。そして、ケーブルをひいて距離を取ると、一気に爆破ボタンを押す。
轟音とともに壁が外に吹き飛び、白いライトに照らされた通路があらわれた。
「そりゃあああああああああ!」
ディーアがシエラを負ぶったまま通路に飛び出す。それにスティーたちが続く。一団は、通路の先にある裏口と思われる扉を一気にぬけた。
暗闇に慣れたデニスの目には、屋外の光は強烈すぎた。思わず目をつむる。
「うりゃあああああああああ!」というディーアの叫びに続いて、周囲で怒号が渦巻く。
鋭いタイヤの音が響いたか思うと、金属がぶつかり合う嫌な音がひびく。耳元でひゅんひゅん聞こえる風切り音は銃弾か。
「早く乗って!」
どこかで聴いたことのあるような声がして、デニスを負ぶったスティーが方向転換するのを感じる。そして、デニスの体は革製の椅子らしきものの上に放り出された。なんとか車まで辿り着いたようだった。
「出して!」とディーア。
ぐん、とからだに重力がかかり、車が発進した。そこでデニスはようやく目をあける。大型ワゴン車の後部座席だった。席が向かい合わせになっていて、後部座席だけで六人は乗れるサイズだ。
「これでも喰らえー!」
覆面をつけたままのディーアが窓から乗り出すと、車を追ってくる会場警備隊に向けて催涙弾を三つほど投げ込んだ。
警備隊の怒号が遠ざかっていく。
しばらくタイヤを軋ませて右に左に走っていたワゴン車だったが、大通りに出るとようやく落ちついて走り出した。
「もう大丈夫。覆面もとって大丈夫ですよ」
運転席の男が大きな声でいった。
「お久しぶりです、デニス殿下」
「君か。手間かけるな、ロッサ大使」
「いえ、お役に立てて光栄です」
豪快に笑ったのは、ベルカルチャ王国の駐ネオ・ニューヨーク大使マエナ・ロッサだった。
* * *
「次の荷物、打ち出しちゃっていいですか?」
小惑星リュエスに設置された大型マスドライバーの制御室で、オペレーターのエリルは上司に訊ねた。
「受け取り側からの連絡はきているか? 良く確認しろ」
「は~い」
既に勤務終了時間はまわっている。緊急だとかで突然飛び込んで来たこの荷物のお陰で、エリルは不本意な残業を強いられていた。
「ねえ課長? 今日って残業代つきますよね?」
「残業代は一時間単位だ。三十分ではつかん」
「ええ~? なんですかそれ、信じらんない」
「何が信じられないんだ。就業規則にそう書いてあるだろ?」
「だって、あの荷物、超特急便じゃないですか。特急料金に私の残業代も入っているってことでしょう?」
「いやなら、さっと仕事終わらせろ。座標の確認はおわったのか?」
「ちぇーっ」
マスドライバーとは、大型の投擲機である。資材やコンテナそのものを大型のレールで打ち出してしまう装置で、仕組みはかなり荒っぽいものだが、移動物そのものにエンジンや燃料を搭載する必要がないことが費用の圧縮につながっている。安いことが最大のメリットなのだ。
惑星開発の現場などに資材を送る場合、輸送船を使うより手っとり早い。
いま、小惑星リュエスのマスドライバーが打ちだそうとしているのは大型のコンテナだ。依頼元はベルカルチャ惑星開発会社。届け先はデトナ星系の惑星ペルキス衛星軌道。受け取りはデトナグループとなっている。中身は大気組成改良剤と土壌改良剤だ。
「毎回毎回座標の確認って……なんかあったことなんてないじゃない」
マスドライバーは荷物を投げるだけなので、一度放り出したら軌道修正がきかない。当然の事ながら、打ち出し前の確認には万全を期す必要がある。
「はい、座標確認完了。惑星ペルキス……? どこだそれ? ……確認しました。打ち出し準備完了。いいですか?」
「うむ」
「発射!」
エリルの操作にあわせて、涙滴型のマスドライバー用コンテナがゆっくりと加速を開始する。まるでミサイルのような形だが、これは大気のある場所からマスドライバーを使用するときのことを考えてつくられたデザインだ。真空から打ち出すリュエスのマスドライバーの場合、荷物の形は問わないのだが──規格の統一が経費を抑えてくれるのは世の常だ。
そうこうしているうちにコンテナは加速し、小惑星の重力を引きちぎって星空に飛び出していった。
「さーて、終わった。課長、私のタイムカード、一時間残業したことにしておいてください」
「おいおい。勝手なこと、」
エリルが右手を上げて上司の言葉を遮る。
「秘書課のラータとのこと、言いふらしちゃおっかなあ……」
「な……あれはっ……」
「あれは?」
「……わかった。気をつけて帰りなさい」
「はーい。お疲れ様でーす」
ここでもし、エリルか課長かのどちらかがもう少し仕事熱心だったなら──事態は違っていたかもしれないのだが、そんなことは誰も知るよしもなかった。
* * *
ESA所属の広域宇宙観測所。
三六〇度全方向へ向けて用意されたアンテナで、宇宙のあらゆる現象を観測している。学術目的がほとんどだが、ESAに益する情報を収集する場所でもある。
壁面をモニターが埋め尽くしたメイン観測室で、観測員がひとり立ち上がった。部屋を出ると、観測室の隣に並ぶ一人用の通信ボックスへ入った。てきぱきと何処かへ通信を繋ぐ。繋がった先からは映像は来ず、低い男の声のみが応答した。観測員は声を潜める。
「……たったいま、小惑星リュエスからの打ち出しが確認されました」
「到達にはどのくらいかかる?」
「途中問題がなければ約二十一時間です」
「ちょうど声明発表のころか……」
「なんです?」
「いや……ところで、打ち出した荷物が途中で宇宙船にぶつかったりしないものなのか?」
「マスドライバーで打ち出す荷物にはビーコンが仕込んででありますからね、船のほうで避けます。それに、宇宙って以外と粗ですから。確率としては低いですよ」
「ひとが乗ることもあるのか?」
「エンジンを積んだ宇宙船を打ち出すなら乗れますよ。でもコンテナにひとは乗りません」
「わかった。ご苦労だった」
「でも、あんなコンテナひとつをこんなに大げさに観測するなんて、いったい何なんです? 命令コードがこんなに高いなんて」
ある日、観測員宛に送られてきた観測指示の命令書は、署名がなかったにもかかわらず、ほぼ最高ランクの命令コードだった。
「好奇心は猫をも殺すぞ。他言は無用。今後の観測もやめておけ」
低い男の声がわずかに笑った気がした。観測員が絶句しているうちに、通信は切れてしまった。




