『星の涙』 救出
シエラは、目を閉じているのか開いているのか、それすらわからなくなっていた。いったいどのくらいの時間が経過したのだろうか。
デニスと会話を交わすことも減ってしまった。話題が尽きたという以上に、体力が尽きてしまっている。
こうしていると、昔のことをよく思い出す。これが走馬燈ってやつなんだろうか。
シエラは惑星ポルキアの農家の三女に生まれた。姉がふたり、兄がふたり。可愛がってもらったが、家はまずしかった。羊飼いのアルバイトをして家計を助けたものだった。羊たちを引き連れて草原で歌った歌、それがシエラの歌の原点だ。
六歳のとき、デトナ音楽祭のジュニア部門で最優秀賞を受賞した。これで自分は歌手になれるんだと思った。農家の三女は、いずれ家を出なければならない。ポルキアの一般的な感覚でいうなら嫁に行くのが普通だった。でも、歌手になれば、もっともっと世界が開ける。シエラの夢は大きく広がった。
しかし、ありふれた話だが、世の中はそんなにうまくはできていなかった。歌唱力抜群のシエラだったが、作る歌はありきたりだった。結局、学校を卒業する十四歳までは自由にやらせてくれた両親も、それ以降、歌を続けることを許してはくれなかった。
そんなときに出会ったのが、十歳年上の作曲家を自称する男だった。男はシエラに、歌を提供するから一緒にバンドをやらないかと言った。その男のつくる曲は、凡庸から抜け出せないシエラの曲とは違って、とても魅力的だった。シエラは夢中になった。そして、男の仲間たちとともに作ったバンドは一躍、惑星ポルキアのアマチュアバンドの頂点に立った。
これで、やっと歌手への道がひらける──そう、シエラは有頂天になっていた。
そして、音楽以上に、男にものめり込んでいった。
しかし──破局は突然に訪れる。
「デビューできないってどういうこと?」
つめよるシエラに、男は視線をそらしながら答えた。
「俺たちがやっているのはすべてコピーだからだよ」
「な……」
田舎娘のシエラは知らなかったのだ。広い宇宙には、訊いたことのない音楽がたくさんある。地元のライブハウスで演奏している分にはそれでもいい。いや、むしろ下手なオリジナル曲よりその方がよろこばれる場合すらある。
でも──
「あなたが作曲してるっていったじゃない!」
「ほんの冗談だったのさ。有名な曲だったし、すぐに気付くと思ったんだよ。結局言い出せなくなっちまってさ」
シエラは男のもとを飛び出した。惑星ポルキアは、町中からちょっと行けばすぐに草原地帯に出る。満点の星空の中を息が上がるまで走ったシエラは、草地の真ん中に身を投げ出した。
降るような星の光──そのすべてが泣いているように思えた。
こんなに密集しているように見える星たちなのに、お互いに手が届かないほど離れているなんて──どれほど、寂しいことだろう──
そうして、惑星ポルキアと対になる惑星ペルキスのことを思う。
太陽を挟んだ向こう側にいるポルキアの双子星。
永遠に交わることのない──哀しい宿命の兄弟──いや、恋人か──
♪悠久の星空で 星たちは今日も手を伸ばし
そして、切なく あふれる輝きが
星の──星の涙
結局──わたしの手は、どこにも届かなかったのかな。
シエラの意識が、深い暗闇に落ちかけたその時──
鈍い衝撃とともに、暗闇が避けた。
実に六十時間ぶりに光は、たいした光量でなかったにもかかわらずデニスの瞳にきりきりと染みた。
「副社長!」
上から降り注ぐ声はディーアのものだ。
「なんとか無事だよ。ずいぶんと遅かったな」
「すいません。色々手間取っちゃって」
天井に大きな穴が空いていた。天井──それは、大会議場の演壇の床だ。軽い音を立ててロープが上から振ってくる。すぐにスティーとディーアが下りてくるだろう。
「ディーア。目が明りにまだ慣れないんだ。ライトをこちらに向けないでくれ」
「は~い」
ディーアの声があっという間に目の前までやってくる。
「副社ちょ……」
デニスは人差し指を口に当てると、黙っていろというジェスチャーをした。ディーアが無言を答えとして返してくる。
「そっちがシエラ・ストームだ」
「うわっ、なんてエロティックな格好。ちょっと副社長。手ぇつけてないでしょうね?」
「……」
「なんで無言なんですかぁ?」
「疲れてるからだよ」
シエラは無言だった。天井から入ってくる光におびえている。
「もう大丈夫ですよぅ。シエラさん」
ディーアは、シエラの背後にある壁に手をついた。そして、壁に携帯端末をかざす。小さな電子音がして、ゆっくりとその壁が横に動いた。ドアだった。
「裏の搬入口に通じた通路です」
「自動開閉装置が生きてたのか?」
「いえ……来る前にハッキングして復活させておきましたぁ」
ディーアが得意そうに指でVサインをつくる。
「行く先の算段はあるのか?」
「搬入口にベルカルチャ王国駐ネオ・ニューヨーク大使館の車がくる手はずになってます。今回の爆破用の火薬とか、全部大使館にお世話になりました」
「そうか……シエラを連れてちょっと先に行け」
「はい。待ってますよぅ」
「ああ」
ディーアがシエラを抱え上げると通路の中に消えた。
ふうっ、とデニスが大きなため息をついたところに、ロープを伝ってスティーが下りてきた。手にしたライトをデニスに向けて、そして絶句する。
「副社長……それは……」
「ん? ああ、シエラを襲って殺そうとしていた奴だ」
デニスの後ろには、ロゼ・ファルディの付き人だった女の死体が横たわっていた。