『星の名前』 宇宙ステーション〈ミヤコジマ〉
「服を買いに行こう」
宇宙にあがってまず、僕は彼女にそう言った。
とある理由で地球から宇宙に逃げる必要ができた僕は、ボストチヌイ宇宙港からシャトルに乗り、ここ宇宙ステーション〈ミヤコジマ〉へと辿り着いていた。とある理由というのは借金取り。親父の会社がつぶれて、僕まで借金取りに追われるハメになったのだ。僕は、手元に唯一残された田舎惑星の権利書を手に、宇宙へと飛び出して来たのだった。
で、目の前にいる彼女は誰なのかというと──誰なのだろう。そう言えば名前を聞いていない。ありていに言ってしまえば、ボストチヌイ宇宙港でナンパした行きずりの関係だ。
正直なはなし、ひとりで宇宙に旅立つのは淋しかったのだ。両親はもちろん、大学の友人達にも付いてきてくれとは言えなかった。
でも、ボストチヌイ宇宙港の片隅で、獲物を狙うような眼をして何かを待っていた彼女に、僕は魅せられた。捕食されたと言っても良い。いっしょに宇宙にいかないか、と声をかけ、そして契約は成立した。
時間もなく、ぼろぼろの服装のまま、僕の上着を羽織っただけの状態でシャトルに乗ってきた彼女だったが、さすがにちょっとまずいだろう。
「お金がないわ」
「ああ、もちろん買ってあげるよ」
「いくわ」
彼女が立ち上がる。それじゃあ、と僕は彼女の手を取ろうとして──顔を歪めた。
「いや、まずはホテルにチェックインしよう。で、シャワーだ」
「シャワー?」
「そう。女の子にこんな事を言うのは心苦しいけど、君、ちょっと臭いよ」
予算に余裕があるわけではないので、僕は彼女とツインの部屋をとった。次に乗る予定の宇宙船は明日出発する。
女の子とふたりでホテルに泊まる。本当ならもっとドキドキするはずなのだろうけど、彼女の汚れ具合に気が回ってしまった今、そんな気分にはさらさらなれない。
「あの」
バスルームに押し込んだはずの彼女が僕を呼ぶ。
「何?」
「使い方を教えてくれる?」
「何の?」
「ここの機械」
「機械って、バスルームのこと?」
「ええ」
──いったい、どんな田舎で育ったのだろう。
はやまったか、と思いながらバスルームを覗いた僕は、一糸まとわぬ姿の彼女を見て慌てた。
「ちょっ、何か羽織ってくれ」
「……バスルームって裸で使うものでしょう?」
「……そうだね。悪かったよ」
彼女のあっけらかんとした振る舞いが逆に僕の羞恥心を駆逐する。僕はバスルームの操作パネルに近づくと、簡単に使い方を説明した。
「いいかい、ここがシャワーの設定で、ここが湯張りの設定だ。これはボディーソープとシャンプー。プログラムオートを使うと、立ってるだけでそれ相応に洗ってくれるけど、君は一度手でしっかり洗った方がいいね」
「分かったわ。ありがとう」
おずおずと操作パネルにタッチする彼女。一回の説明でちゃんと理解できているようだ。
僕はひとつため息をつくと、バスルームを後にした。
それから、テレビを眺めながら一時間ほどが経過した。女の子は長風呂だな、などとのんびり構えていたが、いくらなんでも長すぎるような気がしないでもない。それでも自信がもてず、さらに十分ほど時間を費やして、僕はなぜか忍び足でパスルームに近づいた。
「ちゃんと使えてる?」
「……」
返事がない。
「ちょっと、失礼するよ」
僕はゆっくりとバスルームに入る。微かなシャワーの音。ひとが動く気配はない。
あわててシャワーカーテンを開けると、湯船の中に彼女が倒れて──というか──寝ていた。
「ああ、このままじゃ風邪ひくよ」
僕はシャワーを止めると、彼女の肩を揺する。よほど疲れているのか、彼女が眼を覚ます気配はない。
しかたなく僕はバスタオルで彼女を包むと、なんとかかんとかベッドまで運んだ。眠っているひとひとり運ぶのは、それが小柄な女の子であっても難しい。
しかし、なんと痩せこけているのだろう。
あばらの浮いた彼女の裸体は、なんだか見ていて切なかった。
服の前に食事か、いや、服がなければ食事は無理か。などと、とりとめのない思考が頭の中をぐるぐる回る。
さらに一時間ほどして、彼女はゆっくりと目を覚ました。
「あ……私……眠って」
「疲れていたんだね。起きられる?」
彼女は頷いて上体を起こした。そして、裸の状態で寝ていたことに気付いてわずかに恥じらいをみせる。どうやら、寝ぼけている今の方が素のようだ。
「これから食事に行こう」
「服は……」
「ああ。とりあえず、女性ものの下着とワンピースをフロントに届けて貰った。気に入るかどうかはわからないけれど、ぼろぼろのあれよりはマシだろ?」
バスルームから持ち出してきた衣類籠には、彼女がさっきまで着ていた服が放り込まれている。
僕は彼女に真新しい衣服を渡すと、視線を窓の外へと逃がす。
「ありがとう」
彼女の言葉に振り向くと、そこには清楚なワンピースを着た彼女がいた。まだ痩せこけて痛々しくはあるけれど、それでも見違えてしまった。
「あの、ここのホテル代は……」
僕は手で彼女の言葉を制した。
「いちいち、お金のことを気にするのはなしだ。僕が君に出した条件は、僕と一緒にあの星まで旅をしてくれることだ。そこには、全ての代金は僕が出す、という条件も含まれているんだよ」
彼女の瞳が僕を見つめていた。
「それは、あなたの女になれということとは違うのね?」
「違う」
「そう」
「ああ、実際にはお願いしたい案件はいくつかあるんだけどさ」
「案件?」
「そう。ちょっとしたビジネスさ。そうだな、君は僕のビジネスパートナーだと思ってくれたらいい」
「ビジネスパートナー」
彼女の瞳が、なにがしかの力を得たように見えた。
「僕の名前はデニスだ。デニス・ローデンスキー」
「私はソラ」
「ソラ……」
「ええ。ただ、ソラ、とだけ」
ソラ。透き通った良い名前だと思った。
「なら、僕のことはデニスと呼んでくれ」
「デニス」
わずかにソラが微笑んだ。出逢ってから、初めて見る笑顔だった。
「さて、食事に行こう。ここのホテルは海産物が美味しいらしいよ」
「宇宙なのに海産物なんておかしいわ」
「ちがいない」