『まなざし』
その眼差しは──
どんな小さな星明かりも通すほど透徹で、
どんな小さな嘘も見逃さないほど怜悧で、
どんな小さな祈りも聞き届けるほど慈悲深い、
宇宙の星々の間から、広がり、覆い、包み込む──
1、現在
「ねぇ、社長。前々から訊きたかったことがあるんですけどっ!」
移動中の宇宙船のなかで、ディーアがソラににじり寄った。
「なに?」
「いくつまでいけますか?」
「いくつ? 質問の数のこと?」
「いえすです」
「三つまで」
「了解です」
今回は2時間ほどの移動距離だ。長距離ならば専用の個室を押さえることもあるが、この程度ならビジネスクラスで十分。ベルカルチャ惑星開発会社のソラとディーアは、特になにをするでもなく寛いでいるところだった。
「まずひとつめ。社長は副社長と肉体関係はありますか?」
「また随分唐突ね」
「いえ、この間副社長に訊いたらはぐらかされちゃって」
「あら。はぐらかしたんだ」
「スティー先輩の説によると、あれは何もできてないからはぐらかしたんじゃないかって、そう言ってました」
「ディーアの説は?」
「私は……逆なんじゃないかと思います」
「つまり、私とデニスは肉体関係があると?」
「はい。……どうですか?」
「ひ・み・つ」
「ええ──? 社長らしくないですよぅ。いつもスパッと切って捨てるように答えてくれるじゃないですか。〈金剛の薔薇〉のふたつ名が泣きます」
「泣かせておけばいいわ、そんなもの」
「ヒント!」
「ひんと? ありません」
「うぅぅ。じゃ、ふたつめの質問です。こないだ惑星ルテボボで一緒だった男の子」
「ああ、ルード?」
「はい。あの子とは肉体関係に発展しましたか?」
「……ディーア、あなたそんなことばっかり考えているの?」
「だってだってぇ」
「うーん、確かにルードには迫られたわ」
「おお!」
「でも振った」
「ありゃ。なんでですか? 可愛い子だったじゃないですか」
「なんでって〈赤の大陸〉に放り出されてそれどころじゃなかったのよ?」
「でーも、でーも、映画とかではそういう時にアバンチュールがあるものでしょう?」
「……ディーア、ちょっと耳貸して」
「?」
「あの時はね……」
ソラの耳打ちに、ディーアは眼を丸くした。
「うぁ、それは無理ですね。しかし、そんな準備まで?」
「まあね。それがなくても、あんな坊やは願い下げ」
「くぅ、相変わらず女王様ですね。んじゃ、最後です」
「今度は誰を持ってくるの?」
「違います。あの、社長は常々、星の女王が見てくれているっておっしゃいますよね」
「ええ」
「それを実感したのはいつの事なんですか?」
ソラはちょっと不意を突かれたような顔をしたが、ふうっと身体の力を抜くと、宇宙船のシートに身を沈めた。
「ディーアには話したことなかったかしら。あれはね──」
2、過去
惑星ベルカルチャにベルカルチャ王国を建国して1年。
惑星は未だ地球型惑星改造が始まったばかりで、王国といっても惑星軌道上の宇宙ステーションが一機あるだけだった。
ベルカルチャ王国──
女王はソラ。
地権者はデニス。
国民は二十五人。
「言うほど簡単じゃないわね」
宇宙ステーションの自分の部屋で、ソラは開発進行表をながめながらため息をついた。
こんこん、と扉をノックする音がする。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは王室付き侍従長のゲレン。王国なのだからと体裁を整えるために雇ってみたが、どこぞの王国で長年勤めてきたとかで、未だにドアをノックするクラッシックさだ。
「ゲレン。インターフォンを使ってもらえる?」
「いえ。これが王室というものです。女王陛下」
「そう。で、用件は?」
「はい。先月の収支報告書ができ上がりました」
「ああ……ありがとう」
予想通り、紙の報告書が提出される。
「これもデータでまわしてくれればいいわ」
「いえ。そうはまいりません」
「……」
恭しいお辞儀を残して、ゲレンが部屋を出て行く。残ったソラはため息をついて、収支報告書に目を落とした。
収支は完全に赤字だった。
「まいったわね……」
王国を立ち上げる前、ソラにはいくつかの壮大な計画があった。
まず、いまだ地球型惑星改造をほどこしていない惑星ベルカルチャに早急に惑星改造を実施する。
つづいて、ソラ自身は惑星改造を請け負う会社を作り、他の惑星の実情などを見て回る。
もうひとつ、将来の為に国民を確保する。
地球型惑星改造については、融資をしてくれる銀行もあり、早々に手をつけることに成功した。いくつかの近隣の惑星国家の協力をとりつけ、建国宣言も行った。
しかし、ふたつめ以降が頓挫している。
ベルカルチャ惑星開発会社なる会社自体は立ち上げた。登記上はソラが社長、デニスが副社長だが、ほかの社員がいない。加えて、女王の業務が忙しく、ソラが他の惑星へ出向いている暇がない。実績がなければ仕事も来ない。
三つ目は言わずもがな、だ。二十五人の住人の実態は使用人や関係者たちだ。
世界と対峙して、すべてを自分の力で切り開くと決めたのに、自分は世界の何かに絡め取られてしまっている。
ソラはため息をつくと、自分の部屋からふらふらとさまよい出た。
ベルカルチャの宇宙ステーションには〝星見台〟と呼ばれる広場があった。
全天を透明度の高いクリスタルガラス貼りにした広場だ。
もともとひとの少ないベルカルチャ王国だから、ソラ以外には誰も見あたらない。
ゲレンに見つかったら何と言われるか判らないが、ソラは広場の中央に大の字に寝っ転がると、星々の宇宙を見上げた。
じっと見上げていると、まるで宇宙空間に放り出されたような気持ちになってくる。
私は何をしているんだろう、ソラはそう自問した。
やらなければならないことが一杯ある。そういう焦りが身を焦がすのに、身動きがとれない自分がいる。
ソラは大の字になったまま目を閉じた。
ちょっと考えをまとめる必要が──
雨が降っていた。
雨を見るのは地球以来だ。
雨は容赦なく降り続く。
私を責めているの?
辺りを見回してみる。
ああ、そうか。ここはベルカルチャの大地だ。
降る雨は、惑星改造の結果。
星は今、人が住めるように生まれ変わろうとしている。
変体の苦しみにもだえている。
そう。
私を責めているのはお前なのね。
女王だなんだと気取って、椅子にしがみついている私を責めているのね。
ああ、雨が降っている。
力強い雨。
やがてこれが河になり、大地に緑をはぐくむ。
この大地に多くのひとの幸せが根付くことを夢見て、星はいま苦しみに耐えている。
なのに、私は──
はっと気がつくと、目の前には変わらぬ星空が広がっていた。
「夢?」
上体を起こそうとしたその時、ソラの視線の中を流星が走った。
それは幾重にも重なり、天を横切っていく。
「あぁ……」
その流星群の向こうに、ソラは確かな視線を感じた。
透徹で、怜悧で、それでいて慈悲深い眼差し。
人間ごときでは手が届かない、絶対の女王の視線。
自分は何にとらわれていたのだろう。
女王という形にとらわれる余り、身動きができなくなっていた。
でも、私は本当の女王なんかじゃない。
本当の女王は星々の彼方にいるではないか。
あの眼差しが見守っていてくれるなら、私は、私のやりたいようにやればいい──
「陛下! こんなところで何を!」
大の字に寝転がったソラを見とがめて、ゲランが駆け寄ってきた。
「ゲラン。明日朝一番に出掛けます」
「どちらへ? お戻りは?」
「さあ。どうしようかしら」
「公務はどうなさいますか?」
「そうね。なら、あなたに代行を命じるわ」
「は?」
ゲランの驚いた顔をみて、ソラは笑った。
星々の彼方で、星の女王も笑っている気がした。
3、現在
「へえ。社長にもそんな時期があったんですね」
「そうよ。いままで通ってきた道すべての上に私はなりたっているの」
「その時のゲラン宰相の顔、見てみたかったですっ」
「まあ、その時はまだ侍従長だったわけだけどね。彼がとんでもない実務家に変身したのには驚いたわ。ひとは立場が替われば変わるものね。本人が一番驚いていたみたいだけど」
「星の女王って、わたしにも見られますかね?」
「さあ。何をどう感じるかは人それぞれだから。私には女王様と感じられたけど、ひとによってはそれは神様かもしれないわ」
「最近では、社長ご自身が〈星の女王〉と呼ばれることがありますけど」
「ああ、それは困っているのよね」
「〈金剛の薔薇〉、〈銀河の雌豹〉、〈星の女王〉……社長のお気に入りはどのふたつ名ですか?」
「どれも気に入っていないわ。だいたい、ふたつ名を自分でつけるひとはいないでしょ?」
「……だめですか?」
「つけたのね?」
「はい。当ててみてください」
「神速の酒樽」
「ひどいです。社長、それはひどすぎますぅ」
「ごめんごめん。じゃあ、ディーアのふたつ名はなにがいいの?」
「桃色の雌豹」
「……」
珍しくソラが爆笑し、ディーアは残りの時間をふくれっ面で過ごした。
《まなざし 了》