『赤と青の星』 海沿いの町 2
惑星ルテボボは、地球型惑星改造を施した有人惑星である。赤道半径は約五五〇〇キロ。一日は地球標準時間で22時間。惑星の四分の三を海が占める水の星である。
大陸は二つ。人類が入植している〈青の大陸〉と、いまだ手つかずの〈赤の大陸〉。二つの大陸は、ほぼ赤道上に位置しており、惑星上でちょうど裏表の位置関係にある。ここルテボボは、惑星発見当初、水が豊富だったにもかかわらずほとんど生物の痕跡が見つからなかった。そのため、惑星改造にあたっては完全地球型の植物相が人工的に持ち込まれた。二つの大陸を同時に改造するには手間も予算も限られていたため、選ばれたのが〈青の大陸〉だったといういことになっている。ちなみに、それぞれの呼び名は入植が開始されてからつけられたものだ。惑星軌道上から見ると、植物が豊かな青々とした〈青の大陸〉と、砂岩が中心の赤い大地〈赤の大陸〉の対比は非常に印象的である。
惑星ルテボボに入植が始まって三十年。国としてのこの星は非常に若い。正確を期すならば、ルテボボはチョルココ星系国家の一惑星という扱いで、単一の国ではない。さらには、星系は銀河に拡がる広大な人類の生活圏でもかなり端に位置している。乱暴に言ってしまえば、ルテボボは田舎の惑星、なのであった。現在、首都ラグタタにはチョルココ星系政府ルテボボ支府が置かれていて、この星の行政を一手に担っている。
そんなルテボボの主産業は農作物の輸出だ。なぜか標高の高い山岳地帯がほとんどない広大な〈青の大陸〉は、地球産の農作物の根付きも良く、入植を初めて数年で、一大穀倉地帯となった。まるで誰かがならしたかのような地形についての謎は、現在でも解けていないが、多くの人間にとってはそれはどうでも良いことだった。実際問題として農作物が良く育ち、収穫から大きな利益が得られるならば、それで良いのだから。
現在の惑星ルテボボは、田舎ながらも、新興の農業国として少しずつその勢いを増しているところだった。
「ちょっと、あんた……」
不意に背後から声をかけられて、ソラは無意識に飛び上がり身体を反転させた。一瞬腰にまわった手が、冷たい金属の塊を握って身体の正面に戻ってくる。
「待った! 待った! ちょっと待った!」
「……」
ソラの目の前には、若い男が両手を肩の高さに上げて立っていた。歳の頃は十六~七。日焼けした顔は、どことなくドンドに似ていた。
「とりあえず、その拳銃を下げてくれ。自分とこの事務所で、寝ぼけた女に撃ち殺されるなんて冗談にもならねえよ」
「背後から突然声をかけるからよ」
ソラは男に向けていた銃口を下げると、小さく息をついた。どうやらルゲナ小型飛行商会の事務所で眠ってしまったらしい。首都ラグタタから丸三日をかけた長距離バスでの移動は、予想以上に彼女の体力を奪っていたらしい。事務所の外は暗くなりかけている。いったいどのくらい眠っていたのだろうか。
「あんただろ?〈赤の大陸〉へ行きたいってのは」
「ええ。あなたにならお願いできるの?」
ソラの眼差しが、ひたと男に据えられる。まるで肉食獣のような光をたたえている。
「そんなに恐い顔しないでくれ。とりあえず座ろう。俺はルード。ルード・ルゲナだ」
「私はソラ」
ソラは拳銃を腰のベルトにはさむと、ゆっくりと椅子に腰かけた。昼間ドンドが座った位置に、今度はルードが腰を降ろす。
「ソラ……か。美人だね」
ルードはソラを上から下までなめ回すように見た。その瞳には、年上の女性への憧憬が見て取れる。
「ありがとう」と答えたソラの言葉は素っ気ない。
「親父が言ったことは本当だ。〈赤の大陸〉へは誰も行ったことがない。いや、政府の調査団とかは別だろうけど、俺らは行こうなんて思わない」
「なぜ、と訊いた方がいいのかしら?」
「……まあね。ええと、何の利益にもならないからだ」
「あなたのお父さんは、危険だと言ったわ」
「危険なのは危険だけど、行けないことはない」
「なら、利益が出るならば行くこともできる、ということで良いのかしら」
「よほどの利益が出るならば、ということだよ」
ルードは横を向き、少し考え込むように頭をかいた。そして、ゆっくり向き直る。
「例えば、新しい飛行機が一機買える程度とか……」
「いいわ。商談成立。金額を提示してちょうだい」
ルードが鉛を飲み込んだような顔をして固まった。「……本気?」
「なあに? 冗談だったの?」
「い、いや。そんなことはない。ちょっと待ってくれ」
慌てて椅子から飛び出したルードは、事務所の奥から通貨カード読取り端末を持って戻ってきた。恐る恐る端末に数字を打ち込み、それをソラに提示する。
ソラは上着の内ポケットから通貨カードを無造作に取り出すと、読取り端末に近づけ、端末の指紋認証窓に指を近づけた。小さな電子音が認証したことを告げると、続けて端末にパスコードを入力する。待つこと数秒、決済が終了したことを示す電子音が鳴り、ソラは顔を上げた。
「はい。これで良いかしら」
ルードは端末を無言で見つめている。新しい飛行機が一機買える金額、それはルゲナ小型飛行商会の一年分の利益にも相当する。ルードはゴクリとつばを飲み込んだ。
「あんた、何者だ?」
「それは飛行に必要なことなの?」
「いや……」言いよどんだルードは、思い出したように付け足した。「あのさ、今更何だけど、ちょっとした交換条件で割り引きも考えていたんだ」
「あら、そう」
「……」
「どんな条件? と訊いた方がいいのかしら?」
「……いや、訊かないでくれ」
ルードはしばらく、端末の金額とソラの顔を見比べていたが、小さくため息をつくと、諦めたように首を振った。
「出発は明日早朝。今夜は……」
「この事務所に寝かせてもらえるとありがたいけれど」
「……そう。わかった」
なぜかがっくりと肩を落としたルードは、「あとで食事くらい持ってくるよ」と言って事務所をあとにした。事務所を出る直前、「ぜんぜん隙がねえなあ」と聞こえよがしにつぶやいたルードの言葉を、ソラは聞かなかったことにした。