8話
豊臣方は攻めあぐねていた。幾度も突撃を繰り返したが、忍城は落ちない。そこで石田三成は決断した。城を囲む堤を築き、利根川の水を引き入れて水攻めにするのだ。
「長親殿、敵は堤を築いております」
正木丹波守が報告する。広間に緊張が走った。
栗田は心の中で呟いた。
――映画で見た通りだ。石田堤が築かれ、水攻めが始まる。だが現実に目の前で土が積み上げられていくのを見ると、恐怖しかない。
――もし土木工事用の重機があれば、あっという間に堤は完成するだろう。逆にこちらにショベルカーやポンプ車があれば、堤を壊し水を排出できるのに。現実は人力で土を積み、桶で水を汲むしかない。
――もし気象予報システムがあれば、雨量や水位を予測できるのに。現実は空を見上げ、雲の色で判断するしかない。
やがて水が流れ込み、田畑が湖のように変わっていった。民衆は悲鳴を上げ、家財を抱えて逃げ惑う。
「長親、民をどう助けるのです!」
甲斐姫が叫ぶ。怒りと焦燥が混じった声だった。映画ではこの場面で彼女が自分に心を寄せるはずだった。だが現実の彼女はただ必死に民を守ろうとしている。
酒巻靱負は水に足を取られながらも槍を振るい、敵兵を迎え撃った。
「のぼう様を守れ!」
その声は必死の誓いであり、鬨の声ではなかった。
栗田は城壁の上から水に沈みゆく田畑を見下ろした。
「……排水ポンプがあれば、こんな惨状にはならないのに」
場違いな呟きが、濁流の音にかき消された。




