10話
水攻めは失敗に終わった。忍城は沈まず、浮かぶように耐え続けていた。豊臣方の兵は苛立ち、石田三成の顔には険しさが増していた。
「長親殿、敵は攻め手を変えるでしょう。持久戦に備えねばなりません」
正木丹波守が冷静に告げる。彼は敵の動きを読み、次の戦術を練っていた。
「兵糧は日に日に減っております。民の口をどう養うか、早急に決めねばなりません」
柴崎和泉守が厳しい声で言った。彼の眼差しは現実を突きつけ、殿に責任を迫っていた。
栗田は心の中で呟いた。
――映画では、この場面で民が自分を慕って結束した。だが現実の民は疲弊し、疑念を抱いている。
――もし冷蔵庫や真空パックがあれば、兵糧を長持ちさせられるのに。現実は湿気で米が傷み、虫が湧く。
――もし電灯があれば、夜でも作業ができるのに。現実は松明の炎が揺れ、影ばかりが濃くなる。
――もしインターネットがあれば、外の状況を一瞬で知れるのに。現実は伝令が泥にまみれて走るしかない。
甲斐姫は民を励まし続けていた。
「恐れるな!この城は沈まない!」
その声は凛々しく、民の心を支えていた。映画ではこの場面で彼女が長親に寄り添うはずだった。だが現実の彼女はただ民を守ることに全力を注ぎ、殿を振り返る余裕はない。
酒巻靱負は槍を磨き、次の戦いに備えていた。血と泥にまみれながらも、彼の声は力強かった。
「のぼう様の城はまだ持ちこたえている!」
その叫びは鬨の声ではなく、必死に自分を奮い立たせる誓いだった。
正木丹波守は戦術を練り、柴崎和泉守は兵糧を守る。二人の現実的な声が、頼りない殿を支えていた。
栗田はただ立ち尽くし、夜の闇に呑まれていた。
「……懐中電灯があれば、少しは安心できるのに」
場違いな呟きが、虫の声にかき消された。




