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第31話

「ねぇ、もういっかい!」


反対側にある黒い大きな球形の筐体からむくれ面を覗かせて、アスカが言った。


自分の座る筐体に取り付けられた大きなスクリーンにはWINNERの文字。

これは〈ネメシス〉のコックピットルームを再現した訓練用筐体(ゲーム機)で、自分とアスカは、その対戦モードで遊んでいた。


「えー、また?」


わざと機嫌悪そうに答えてやる。


「また!勝つまでやるから」

「アスカが?」

「そう」


プラチナブロンドの綺麗な髪を揺らして顔を引っ込めたアスカ、スクリーンに視線を戻すと、すでに次の戦闘の準備画面になっていた。


「はやくおして!」

「わかったって」


コントロールスティックのトラックボールを押し込んで、戦闘が開始。


この訓練モジュールでは主にふたつのモードがあって、今アスカと遊んでいる〈ネメシス〉対〈ネメシス〉の完全お遊びモードと、協力して〈天使〉に挑む実戦想定モードがある。


最初こそふたりで、実戦を想定した〈天使〉へ挑戦するモードを楽しんでいたはずだった。

アスカがこの対戦モードの存在に気づいてからは___ちなみに自分は最初から気づいていた___もっぱらこれでしか遊んでいない。


最初の一戦で()()、彼女をボコボコにしてしまったことが原因で、アスカの負けん気に火をつけてしまったのだ。


「もうっ!また負けた!」

「ほんとに勝つまでやるの?」

「やる!」


肩を竦める、アスカからは見えていないが。


この対戦モードでアスカに負けたことは、誇張を抜きにして、ただの一度もない。


アスカが弱いという訳ではない、いや、ある意味で弱いから負けているのだけれど、むしろ、細かな機体捌きは自分なんかよりはるかに上手だ。

なら何が勝敗を分つのか、単純だった、あの子はすぐに熱くなるのだ。


単調な攻め、分かりやすい機動、直情的な突撃。


〈天使〉というあの怪物にどこまで戦略的な機動や攻撃が通用するのかはわからないが、対戦ゲームで勝ちたいなら相手の裏をかく必要があるということだ。


「こらこら、ふたりとも。一度休憩しなさい」


次の戦闘への準備画面、トラックボールを押そうとしたところで、優しい声色の日本語が筐体の外から聞こえた。


「もう何時間も続けているじゃないか」


短く刈った黒い髪に、分厚いレンズのメガネ、少し痩せ型だけど背の高い大きな肩幅で白衣を着るこの男の人は、熾ヶ原正嗣(マサツグ)

自分と、アスカの父だ。


「でもパパ、わたしまだ(ミコト)に勝ってない」

「そもそもこれは対戦ゲームじゃ……」


父は困ったように、少しヒゲの伸びた頬を掻いた。


その脇に、アスカと同じプラチナブロンドの髪の女性が立つ。


「あまり我儘を言ってパパを困らせてはだめよ、アスカ。熱心なのは良いことだけど、休憩もちゃんと取ること」


英語でそう言ったこの女性は、イヴ・アストレア、母だ。


父と同じ白衣を着ていて、同じように、アルファベットで綴られたネームプレートを胸ポケットに引っ掛けている。

ネームプレートには、コジマ・エレクトロニクスの社名とマークがあり、保安管理部開発研究課の文字もあった。


「……わかったわ、ママ」


実の母にそう言われ、渋々といった様子でアスカが筐体を出る。


この訓練筐体は父と母が開発したものらしく、〈ネメシス〉のパイロットとしての素養を持つ子どものために作ったそうだ。

まだまだ試作段階だそうだが、アスカと自分には、学校を終えた後の遊び道具だった。


「尊はお姉さんなんだから、たまには負けてあげなさい」


筐体を出ようと、モジュールのメインシステムの終了手順を進めていたら、覗き込んできた父がそう言った。

アスカには聞こえない程度の小さい声だった。


「でも、おんなじ歳でしょ?」

「……まあ、そうなんだけど」


父はまた困ったように頬を掻いた。

差し出された父の手を取って、筐体を出る。


「遊んでくれてありがとう、ミコト」


母はそう言って微笑んだ、聖母のような柔らかくて優しい笑顔だった。


彼女は日本語がわからない訳ではないらしいが、喋り慣れてはいない。

そのせいか、自分は母と話すときは自然と彼女の言語に合わせるようになっていた。


「ううん。姉妹だから」

「ねぇママ。休憩おわったらまたつかっていい?」


母の白衣の裾をアスカが引っ張る。


「うーん……」


少し考える母、その視線が父へ向けられる。


「だそうよ、マサツグ」

「その前に、ふたりは学校の宿題を終わらせること。いいね?」

「えー!」


妹をいじめて楽しむような趣味など断じてないが、一生懸命で真っ直ぐなアスカを見ていると、どうしてもからかってあげたくなる。

アスカだって、お姉ちゃんにかまってもらえて満更でもなさそうなのが、余計に、自分に拍車をかけるのだ。


実の姉妹のように心を通わせた。

いや、お互いにとって、それ以上の存在だった。


かけがえのない存在、アスカさえいれば、求めるものは他になにもなかった。


彼女こそが世界の中心。

自分の命なんて二の次だって思えてしまえるくらい、大切な存在。


私は、アスカが好きだった___





鈍い痛みが体の中で響く、どうだっていい、この戦いの代償が、あの子の命でさえなければ、なんだってくれてやる。


自分自身を投げ打ってでも、アスカを守る。

それだけが、この体に穿たれた使命。


出力を上げる、噴き上がるエキゾーストが、まるで機体の悲鳴のようだった。

だが大丈夫だ、この〈ネメシス〉ならまだやれる。


ブースターペダルを思い切り踏み込み、熾天使級へと一直線に突っ込む。

〈天使〉が腕を持ち上げ、掌をこちらへ向けた。


その掌が光る。


素早く軌道を真横へ逸れて熱線を回避、一瞬前まで自分のいた場所が爆発し、土と瓦礫が噴き上がって機体に降り注ぐ。


構わず突進。


熱線を数発撃たれたが、全て回避して、彼我の距離を詰める。

ほとんど滑り込むようにしてその巨躯の懐に入る、踏ん張り、上半身を捻って左腕を鋭く突き出した。


パイルバンカーが〈天使〉の脇腹を捉え、(パイル)先端の炸薬によって血と肉をぶち撒ける。


すぐさま左腕を引っ込めようとしたが、〈天使〉の手が伸びて来てパイルバンカーを掴んだ。

とてつもない腕力が、そのまま左腕兵装を握り潰す、紙細工も同然に粉々になった。


その腕に、ナイフを突き刺す。

引っ込めようとした腕を追いかけ、しがみつき、無茶苦茶な姿勢から膝蹴りを入れてへし折る。

折れ曲がった骨が肉を突き破って、血が迸った。


〈天使〉に機体を蹴飛ばされる、内臓を無理やり引きずり出されるような真後ろへの凄まじい加重、12トン超の金属の塊が浮き上がって、瓦礫を巻き込みながら地面を転がった。


間髪入れずに熱線が追ってくる、素早く機体を起こし、全力で地面を蹴って横っ飛び。

次々と炎の弾幕が押し寄せる中、機体を翻す。


掠めた一発が機体の左肩の装甲を剥がした、別の一発が背中のエクステンションを持って行った。

大した損傷ではない、無視して機体を走らせる。


あの怪物を確実に仕留めるのなら、生体核を破壊するのが最適解だ。

胸を貫いてハズレだった、腹はアスカが一度撃ち抜いている。

あとは___


全力で地面を踏み締め、飛び上がる。

従来機ではおよそ再現不可能な高い跳躍、追いかけてきた炎の弾丸はどれも自分には届かない。


両手でナイフを頭上に構え、自重による自由落下の勢いで、ナイフを〈天使〉の左肩に叩き付ける。

柄の部分まで深く沈み込ませてナイフを手放し、着地、〈天使〉がこちらへ向けた右の掌が熱線を放つよりも早く、もう一本のナイフを腰のラックから抜きざまに一閃、怪物の大きな右手が真っ二つになる。


さらに、肩に突き刺したほうのナイフを遠隔操作で爆発させる。

そのまま腕ごと吹き飛ばしてくれるほどの威力はないが、それでも、〈天使〉は僅かにたたらを踏んだ。


振り抜いたナイフを構え直し、〈天使〉の胴体、その下腹部へと突き刺す。


身の毛もよだつような壮絶な絶叫が響いた。


間違いない、ここだ。

短い刃の切先に硬質な何かを捉えた、僅かながらも確かな手応えが返ってきた。


ナイフを抜き、もう一度突き刺そうとしたところで、〈天使〉が翼を広げ火の粉を振り撒いた。


爆炎、熱風。

何もかもを灰燼に帰するほどの業火が機体をなぶる、装甲が剥がされ、脱落した部品が吹き飛ばされていく。

熱さを通り越してもはや痛いほどだ。


それでも体は動く、機体はまだ命令を受け付けている。

力強く踏み出す。

渦巻く炎を抜け出すと、その先にいた〈天使〉は顔を覆う翼を開いて、こちらへ熱線を吐き出そうとしていた。


その顔面を、一発の砲弾が貫いた。


『あとは……お願い、します。先輩……』


〈天使〉の姿勢が崩れる、ナイフを構え直して、生体核のある下腹部へ突き刺す。

そのままブースターを噴かして、肩から機体をぶつけ力技で〈天使〉を押し倒した。


四肢を投げ出して仰向けになった〈天使〉の下半身へ馬乗りになって、両手でナイフを掲げる。

容赦などなく、思い切り振り下ろした。


一度では足りない、こんなナイフでは怪物の分厚い肉を断てない。

ナイフを引き抜き、同じ高さから再び振り下ろした。


続けて二度、三度。

灰白色の表皮から血が噴き出し、肉がぐちゃぐちゃになる。


刃だけでなく、それを握る〈ネメシス〉の手まで真っ赤になっていた。


まだだ、まだ足りない。

確実に生体核を破壊しなければこいつはまた動き出す。


だから、何度でも___!


『やめなさいっ!』


その声に、我に返った。


スクリーンには、血溜まりの上に粉々になった生体核が映し出されていた。


「あれ……僕……」


僕。

ぼく……?


()とは誰のことだ。


今こうして、ここにいる自分は、わたしは___


「うぅ……っ!?」


激しい吐き気と頭痛が突然襲ってきて、たまらず口元を覆った。

意識が混濁する、視界が激しく明滅し狭まっていく。


感覚が遠のいていく、目を開いているはずなのに暗闇しか見えない。


誰かの声がずっと呼びかけてきている気がしたが、まるで引きずり込まれるように、真っ黒な闇の中に全て呑み込まれてしまった。




〈天使〉に覆い被さった〈ネメシス〉は、予備兵装であるコンバット・ナイフを両手で頭上に掲げた姿勢のまま、動かなくなった。

機体全体を包むほどの眩い金色の輝きは、〈ネメシス〉の停止と共に消え失せた。


その様子を、アスカは予備動力で点灯させたスクリーン越しに呆然と眺めていた。


「……真……くん」


黒崎真。

自分のせいで一度死なせてしまったあの少年は、自らの意思で〈ネメシス〉に乗ることを選んだ。


そう思っていた、本人がそう言うままの言葉を信じ込もうとしていた。

しかし、今の戦いを見てアスカは確信せざるを得なかった。


あの体には、あの機体には、やはりまだ残っているのだ。

()()の意志が。


彼を駆り立てていたのは、彼を突き動かしていたのは、他ならぬ彼女の遺志だったのだ。


『アスカ……』


専用回線から深雪が呼びかけてきた。

その声は少し震えて聞こえた、おそらく自分と同じことを思っているのだろう。


『また……助けられたのね、あの子に』

「……うん。そう……なんだと思う」

『……』


深雪はまだ何か考えていた様子だったが、そのまま何も言わずに回線を閉じてオープンチャンネルから本部への報告を始めた。


『聞こえますか、本部』

『カエデだ、聞こえている』

『Revenantが〈天使〉の生体核を破壊しました、目標の完全沈黙を確認しています。帰還命令を』

『……よくやってくれた、〈ヴァルキリーズ〉。すぐにヘリを向かわせる』


その後も深雪が被害状況の報告をしたりと、いくつか事務的なやり取りが続いたが、聞き終える前に、アスカは〈ネメシス〉の主動力を切った。


暗闇に包まれるコックピットルームで、抱えた膝に顔を埋める。


「姉さん……」


口の中で小さく呟く。


保安管理部の大人たちが迎えに来たのは、それから数十分も経った頃だった。





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