第12話
真は〈ネメシス〉を走らせた。
いく乃や深雪の銃撃が〈天使〉を牽制し、アスカがチェーンソーと背部武装の滑腔砲を駆使して確実なダメージを蓄積させていく。
〈天使〉の位階は大天使級、先日戦った力天使級に比べれば力は遥かに劣る相手、だが油断するような者は〈ヴァルキリーズ〉にはいない。
真も然りだ。
脚を踏み込んで、跳躍。
飛び乗ったビルからさらに隣のビルへと飛び移り、建物を足場にしてアスカが注意を引きつける標的の死角へと回り込む。
目一杯の機体性能で飛び上がった。
ブレードを逆手に持ち、落下の勢いを使って〈天使〉の背に突き立てる。
力天使級の体躯は通常の〈天使〉とそう変わりがないが、〈ネメシス〉の倍近い大きさはある。
真は振り落とされる前に突き立てたブレードの刃部分を射出、腰部ハードポイントに装備した予備刃を素早くセットし、抜刀の勢いで、耳障りな雄叫びを上げるその首を切り飛ばした。
『まだよッ!』
アスカの声がスピーカーから響いた。
反射的に、〈天使〉の背中を蹴って退避する。
獣は首を失ってなおその腕を振り回して暴れた。
飛び去った真の〈ネメシス〉の胸部を〈天使〉の腕先が掠める。
文字通り間一髪のところで無事に着地、無茶苦茶に動き回る〈天使〉へ再び斬りかかろうと真はブレードを構えた。
『はなれていて、ください……』
めくるがそう言った数瞬の後、砲弾が〈天使〉の胴体へ直撃して爆ぜた。
悲鳴を上げることもなくよろめく〈天使〉、そこへアスカの機体がチェーンソーを前面に構えて突撃する。
『ナイスよ、めくる!』
がなるチェーンソーを構えたまま、アスカは巨獣へと体当たりしてそのまま建物の壁面へと押しやった。
血と肉片が飛び散る。
壁とチェーンソーに挟まれ身悶えのたうつ怪物へと、アスカはさらに背部滑腔砲を残らず叩き込んだ。
『終わったわよ』
血溜まりの上に、首どころか胴体の上半分ほどを失った〈天使〉が崩れ落ちた。
『みんな、お疲れ様』
『おつかれー』
深雪といく乃の〈ネメシス〉が真の近くに着地する。
『全機へ。帰還命令があるまではその場で待機』
「了解しました」
『はあ……もどったら補習だよぉ』
『のんきね、まったく……』
格納庫へ〈ネメシス〉を戻し、機能を停止させる。
仕事を終えた巨人は再び瞑目した。
ハッチを開けて高所作業車に乗り移ると、下で真を待つパイロットスーツ姿のいく乃が見えた。
「おつかれ、まこっちゃん」
降りて来た真へ、チャームポイントの八重歯を見せていく乃が微笑む。
とうてい、凄惨な戦闘の後とは思えない屈託のない笑顔だ。
ムードメーカーである彼女の存在は、この〈ヴァルキリーズ〉というチームにおいて大切なのだと真は実感していた。
「いく乃も。おつかれ様」
「今日も大活躍だね」
ウインクしてみせるいく乃、前衛を張る真やアスカは確かに決定打を与える役割を担うが、それはミッドフィルダーとしてのいく乃や深雪の支援があってこそだ。
「ううん、みんなだよ」
そう返すと彼女は嬉しそうに笑う。
「お疲れ様、ふたりとも」
〈ネメシス〉から降りて来た深雪がいく乃の肩を叩いて通り過ぎる。
隣にいためくるも真を見て小さく頭を下げていった。
ふたりともいく乃と同じ操縦服に身を包んでいる。
「おつかれ……さまです。真先輩、いく乃ちゃん」
「今日はダンスレッスンは休みよ、補習、頑張りなさいね」
深雪は後ろ手にひらひらと手を振って、めくるとともに格納庫を出て行った。
「いく乃たちも着替えに行こっか」
「うん」
整備担当の社員に〈ネメシス〉の世話を任せて、真たちふたりも格納庫を出る。
「出撃のあとくらい補習メンジョしてくれてもいいのにねぇ」
スーツの袖口を緩めながらいく乃がぼやく。
「あはは、そうだね」
いま真も着用しているこのパイロットスーツは〈ネメシス〉搭乗の際に着用が原則とされているもので、様々な機能と役割がある。
先日、真が初めて出撃した際にはそのまま制服で搭乗したのだが、本来はこの搭乗服を着なければならないと後に春華から教えられた。
訓練を含めてもこのスーツを着用してまだ数回だが、真はこのパイロットスーツが苦手だった。
伸縮に優れた特殊素材でできているらしく、ボディラインをほとんど完璧にトレースするからだ。
お尻の割れ目すらくっきり見えるこのスーツを着用するのは多大な心理的ハードルを超える勇気を真には要求したのだが、対G性能だの同調率がどうだのと熱心に説明をする春華を前に、着るのが恥ずかしいですとは口が裂けようと言えるはずもなかった。
他のみんなはもう慣れてしまっているのかもしれないが、真は今でも密かに目のやり場に困っている。
「またあとでね」
「うん」
更衣室に入ったいく乃に倣って、真も自分に割り当てられた更衣室の扉を開けた。
決して広くはないが、〈ヴァルキリーズ〉にはひとり一部屋更衣室が与えられていた。
スーツを脱いでハンガーへかける。
ロッカーから下着を取り出し、ショーツに脚を通して、ブラのホックを止める。
制服のブラウスに袖を通し、プリーツスカートのファスナーを上げた。
ロッカールームに備え付けの給水機から水を汲んで飲み干すと、真は廊下へ出た。
「補習、補習……」
覚えたルートを通って、コジマ社の地下施設から青海ヶ丘中学の校舎へと出る。
堕天が観測された際に〈ネメシス〉のパイロットが少しでも早く出撃できるよう、この施設と校舎は直接行き来ができるよう繋がっていた。
学校でこの通用口を使えるのは、無論、春華や〈ヴァルキリーズ〉のメンバーなど限られた者だけだ。
特別教室に戻ると、春華が既にいて窓の外を見ていた。
真に気づいて振り返ると労いの言葉をくれた。
「ご苦労だった、良い働きだ」
「ありがとうございます」
真が席に着くと、いく乃が戻って来た。
「はぁ、あっつー」
開け放した襟元をぱたぱたと仰ぎながら彼女も席へ座る。
着替える時に髪を解いたのか、いつもはツーサイドアップのヘアスタイルも今は頭の後ろで一つにまとめていた。
「春華先生〜、補習休みにしてよぉ……いく乃つかれてねむくなっちゃうよ〜」
ノートの下敷きで顔を扇ぎながら机に項垂れるいく乃。
「安心していい、難しい範囲は避けてやる」
「いく乃は休みにしてほしいんだけど」
「さあ授業を始めよう」
ぶつぶつと不満を溢す彼女だが、ちゃんと体を起こして教科書やらを机に広げ始めた。
真にとっても戦闘の後の授業はなかなかの難敵だ。
完全に集中力も切れているし、当然、疲労もある。
夏休みもそろそろ終盤、9月から始まる2学期から本来の教室へ復帰するのなら、この補習の卒業試験をクリアしなければならない。
頑張って重たくなる瞼に抵抗するが、春華の淡々とした話し方にさらに眠気を誘われる。
結局、真はそのまま眠ってしまった。
鋭い西陽が網膜に焼き付く。
オレンジが染めるリノリウムの床に靴音を響かせながら、あの子がいるであろう場所を目指す。
特別棟の最上階、誰もいないはずのこの場所だが、さらに奥のほうから柔らかなギターの音色と優しい歌声が聞こえてくる。
その音を目指して、廊下をまた進んだ。
突き当たり、木製の白い引き戸には音楽室の文字。
音色と歌声はこの中からだった。
「姉さん?」
引き戸を開けると、それに気づいた彼女がこちらを見た。
白いブラウスに、赤いネクタイと赤いプリーツスカート、膝を組んで座るその太ももの上には古びたクラシックギターを乗せていた。
「やっほー」
「……なにしてるの?」
この学校の生徒ではないはずの自分がいることに、怪訝な顔をされてしまう。
「遊びに来ただけ。ね、続き。聴かせて?」
そう言うと、少し照れた顔をしながらも再びギターピックで弦を弾き始めた。
音楽の心得なんて自分にはないけれど、この子の歌が好きだった。
それだけじゃない。
どこか色っぽい歌声、英語の歌詞を口遊むたびに形を変える口唇、弦を押さえるしなやかな指。
音楽に打ち込むこの子の姿は、自分の中の何かを沸き立たせる。
演奏を終えた彼女が私を見た。
「素敵。ずっと聴いてたいくらい」
彼女の視線に小さく拍手で応える。
「もう。調子いいんだから」
椅子を立って、傍らのギターケースへと仕舞う彼女。
態度は素っ気ないが、満更でもなさそうだ。
使い込んだ楽器を丁寧に片付けるその背中に、そっと抱きつく。
「あなたの歌声、ほんとうに大好き」
「……知ってるから」
「ねぇ、こっち向いて」
腕に抱きすくめた細い肩が、ぴくりと震えた。
教室の床に座り込んで、腕の中の彼女がおずおずとこちらへ顔を向ける。
彼女の頬に手を添えて、真っ直ぐにその瞳を覗き込む。
「ちょっと……ここで?」
「だめ?」
「だめ……じゃない、けど……」
自分よりずっと白くて綺麗な肌、目の色も髪の色も違うけれど、この子は世界でいちばん大切で愛しい妹。
「姉さん……」
戸惑いがちに、けれど期待に揺れる彼女の瞳。
絡めた指先から伝わる熱が互いの距離を溶かしていく。
鼻先が触れ合う。
瞼をまつ毛がくすぐるような距離で、ふたりぶんの吐息が重なる。
晩夏の音楽室。
夕日に彩られた、彼女と自分だけの空間。
そして静かに、唇を重ねた。
目を開けると、教室はすっかりオレンジに包まれていた。
自分が瞬きをした間にどれほどの時間が経過しているのかを真は察した。
隣の席にいく乃の姿は既になく、教壇を離れ窓の外を眺める春華が真に振り向いた。
「ごめんなさい……僕、寝ちゃって……」
「構わんよ、叱るつもりもない」
「いく乃は……?」
「天衝寺君なら先に帰った。起こすのが悪いとのことだ」
結い上げたポニーテールを揺らして、春華が教室のドアへ向かう。
「本日の授業は終了している、帰ってゆっくり休むといい」
教室にひとり残された真は寝起きでぼうっとする頭を揺すって席を立った。
頭の中が少しくらくらする。
唇に残る感触、体が熱い、下着はじっとりと濡れていた。
鞄を肩に担いで教室を出る。
夕闇に沈みつつある静かな校舎に、先ほど見た夢の情景の断片が脳裏をよぎる。
真の足は音楽室へ向いていた。
特別棟の最上階、踊り場を過ぎた辺りで、柔らかなギターの音色と優しい歌声が聞こえはじめた。
「アスカ……?」
歌声に誘われるまま、廊下の突き当たり、音楽室の白い扉を開ける。
「真くん?」
真に気づいたアスカが、ギターを弾く手を止めてこちらを見た。
今日はダンスレッスンは休みだと深雪が言っていた、補習の必要もないアスカがここにいるのは、おそらく彼女の個人的な理由によるのだろう。
学校にいる手前、制服姿だ。
「あ、ごめん……邪魔するつもりじゃ……」
「いいわよ。どうしたの?」
「えっと……なんとなく……」
夢で見たから、とは言わなかった。
「アスカは?」
「私は……」
アスカはその白い膝に乗せた、古びたギターに視線を落とした。
「部屋じゃ弾けないから、いつもここに来てるの」
「僕にも、聞かせてもらっていい?CDでしか聞いたことないけど、僕も、アスカの歌声、好きだから」
「そ、そうなんだ……まあ、聞かせてあげても、いいけど」
アスカは少し照れた様子を見せたが、咳払いをして姿勢を直すと弦をはじき始めた。
形のいい彼女の唇が歌を口遊む。
どこか切なくて、ゆえに透き通るような、けれど、芯の通った歌声。
また夢の断片が頭によぎった。
美しい彼女の歌声に、自分の中の何かが沸き立つ感覚を覚える。
夢の中で、自分は、彼女と___
「……どうだった?」
「すごく、素敵だった」
素直な感想だ。
〈ヴァルキリーズ〉としての楽曲はラウドロックの激しい曲調を主としているため、アスカの歌い方もそれに相応しい力強い表現をしているが、いま聴いた彼女の歌声はとても繊細で儚さがあった。
「そっか、なら、いいんだけど」
素っ気なく視線を逸らすアスカだが、真の称賛には満更でもなさそうだった。
「ねえ、真くん」
「うん」
「あなたも〈ヴァルキリーズ〉に入ったのだから、文化祭のステージ、参加してみない?」
「えッ?」
膝に抱えたギターに胸を乗せるように身を乗り出して、アスカがそう誘いをかける。
真にはあまりにも想像していなかった言葉で、思わず間抜けな声を出して驚いてしまった。
「そんなに驚くの?」
「いや……でも僕……音痴だから」
「そんなのどうとでもしてみせるわよ。……まあ、嫌なら無理は言わないけど」
昔の自分、数ヶ月足らず前の自分なら、きっとこんな話を持ちかけられることすらなかっただろう。
例えその機会に恵まれたとしても、応じることはなかったはずだった。
その自分と今の自分の何が違うのか、何が変わったのか、この体になってからいろんな変化が真には訪れたが、えてしていずれにしてもその訳について真自身が説明のつけられるものではない。
〈ネメシス〉に乗ることだってそうである。
「僕……」
アスカの青い瞳を見つめる。
クラスメイト、憧れだったアーティスト、共に戦うチームメイト。
自分にとってのアスカを形容する言葉は様々あるが、真は、彼女との間になにか特別な繋がりを感じている。
アスカに気に入られたいとか、意気地のないやつと思われるのが癪だとか、そんな理由からではない何かが、真の心を動かす。
「……やってみる」
「文化祭当日までには、必ず仕上げてみせるわ。やるって言ったからには、ついてきてみなさいよね、真くん」
「あはは、お手やわらかに……」
引きつった笑顔でアスカに答える。
その真の反応を楽しむように、アスカは嬉しげに笑ってみせた。




