表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

#3 「好き」の定義でバトルが始まる

カラオケボックスの中は、薄暗い照明がオレンジ色の光を落としている。

どこか夕暮れのような、落ち着いた空気が漂っていた。

テーブルの上では、飲みかけのメロンソーダの氷が、カランカランと小さく音を立てて溶けている。


室内には、ひとしきり盛り上がったあとの、少しだけ落ち着いた空気が流れていた。

その空気を、不意打ちのように破ったのは――


「ねぇ、ふと思ったんだけどさ」


マイクも使わず、自然な声でそう言ったのは、千歳だった。

手にはマラカスを持ったまま。視線は誰にも向けられていない。どこか宙をぼんやりと見ていた。

それだけに、その言葉は意外とよく響いた。


「“好き”って、どこからなんだろうね?」


一瞬で、全員の動きが止まる。

ひまりはマラカスを振ったままの体勢で固まり、目をぱちぱちと瞬かせた。

タッチパネルで次の曲を探していた美咲は、指を浮かせたまま静止し、画面をじっと見つめている。

ストローを口にくわえていた音羽は、ぴくっと眉を動かし、顔を上げた。

目には、あからさまな「面倒なテーマきたな」の気配がにじんでいた。


「え、それ哲学? それとも今日のテーマ?」


最初に反応したのは音羽だった。

軽く眉を下げ、冗談まじりに笑いながらも、その声には明らかな警戒が混じっている。

雰囲気を壊さないように笑ってはいるが、頭の中では「これ、長くなるやつだ……」と本能的に察している様子だった。


「んー、どっちかっていうと……爆弾?」


千歳はいつものいたずらっぽい笑顔を浮かべながら、手に持ったマラカスをシャカッと軽く振る。

その音がやけに響いて、まるで彼女の言葉を強調しているようだった。


「だってさ、“好き”の定義って人それぞれじゃん?

誰かが“それはもう好き”って言っても、別の人は“いや、それ虫に好かれてるだけだよ”みたいな。

そろそろさ、決めといたほうがよくない? 部活的にも?」


「部活的ってなんだよ」


音羽が即ツッコミを入れる。

とはいえ、完全な否定にならないのは、話題の重さと妙な説得力のせいだった。

なんとなく笑って流すには、ちょっと考えさせられる話題――それが“好きの定義”というやつだ。


そんな空気のなか――


「え、じゃあウチのターンいっていい? わたし的“好きの定義”、あるんだけど!」


元気な声とともに、勢いよく身を乗り出してきたのは、あかねだった。

ソファから転げ落ちそうな勢いで前のめりになり、目をキラキラと輝かせている。

その顔には、「きたきたきた〜〜〜!!」という全力の“出番待ち顔”が浮かんでいた。


「えっとね、“3回目の挨拶で、笑顔になってくれたら、それはもう好き!”」


あかねが勢いよく言い切った。

目をきらきらと輝かせながら、椅子から前のめりになりそうな勢いで身を乗り出す。

その断言ぶりに、一瞬の間を置かず――


「軽いな!? いや、挨拶に意味乗せないで!?」


音羽が思わず肩をすくめ、立ち上がりかけた勢いでツッコんだ。

声のボリュームがいつもより上がっているのは、内心の動揺の表れだ。


その横で、ひまりがそっと手を握りしめる。

声を震わせながら呟いた。


「でもちょっとわかる気がする…!」


うるうるとした目で頷くその姿は、もはや感動の一歩手前。

“恋バナフィルター”が完全に発動していた。


すると、美咲がすっとストローをくわえ直し、

軽く息を吸ってから、冷静な口調で突っ込む。


「てか、それだと近所のコンビニ店員、全員好きになるわよ?」


その一言で、場の空気がパッと弾けた。

笑い声があがる中、あかねは必死に反論する。


「だって! 一回目は無表情、二回目でちょっと頷いて、三回目で笑ったらさ……なんか、心通じ合った感あるじゃん!?」


懸命に言葉を繋ぐあかねだったが、焦れば焦るほど説得力は下がっていく。

顔もどんどん赤くなり、声のトーンもやや裏返り気味。


他のメンバーは、もう完全に“笑うしかない”モードに入っていた。


「いやいやいやいやいや!」


音羽が両手をばたつかせながら、立ち上がりかけの勢いで全力のツッコミをかます。

目を見開き、肩を上下させながらまくし立てた。


「それは恋じゃなくて、ただの“慣れ”だから!」


ビシッと断言されたその瞬間――


「うっ……」


あかねは、小さくうめいて黙り込んだ。

頬を真っ赤にしながら、手元のドリンクに視線を落とす。

ストローで氷をコツコツとつつきながら、まるで叱られた子どものように口を閉ざしてしまう。


あれだけ自信満々に語っていた“3回目の挨拶理論”だったが、どうやら本人にとってはかなり本気だったらしい。


そんな微妙な空気を、パーンと破ったのは、ひまりだった。


「私もあるよー、好きの定義!」


ぱっと手を挙げて、ぱあっと笑顔を見せる。

その目は、夢見る乙女モードに全力で切り替わっていた。


「その人の声、聞いたときに“あ、落ち着く…”って思ったら、それ!」


言い終わった瞬間――


「来た来た〜、“耳から恋に落ちるタイプ”〜!!」


千歳がすかさず割り込む。

マイクなしでもテンションは高く、実況風のノリで肩を揺らしながら笑いをこらえていた。


「てかそれ、好きな声優の話じゃないの?」


音羽が、やや呆れたように首をかしげながらツッコミを入れる。

どこか「またか」といった表情で、コップの氷をストローで軽く回す手が止まった。


すると、ひまりがビクッと反応し、勢いよく立ち上がった。


「違うもんっ! 生の声っ! リアル男子のやつ!!」


両手をぶんぶん振り回しながら、全身で全力否定。

まるで、全校集会で叫んでいるかのような迫力だった。


その気迫に押されて、他のメンバーも思わず顔をそらして笑う。

ツッコもうにも笑いが先にこみ上げてきて、何も言えなくなる。

空気は一気に、ぐちゃぐちゃにあったかい「ひまり劇場」モードへ突入していた。


そしてその空気を、スッと切り裂いたのは、美咲だった。


「じゃあ私も言っていい?」


静かに、でも妙な存在感を持って声を発する。

その表情はどこか得意げで、ソファにもたれたまま姿勢を崩さずに背筋を伸ばしている。


「“目が合ったあと、1秒だけ沈黙したら好き”」


……その瞬間、空気が固まった。

唐突な論理すぎて、誰もすぐには反応できない。


「……え?」


音羽がぱちぱちとまばたきをしながら、美咲のほうを振り返る。

明らかに「どういうこと?」という顔。


「1秒って、なんか意味あるの?」


「あるのよ。“言葉が出なかった”ってことだから」


美咲は自信たっぷりに頷くと、腕を組んでどや顔を浮かべた。


「で、沈黙のあとに“えっと”って言ったら、もう告白一歩手前」


さすがにそれは飛躍しすぎじゃないか――と思った瞬間、音羽が食い気味に身を乗り出す。


「どんな世界線の話それ!?」


鋭くツッコむ声に、笑いがパチッと弾けかけたそのとき。


「ちょ、待って!」


ひまりが急に真顔になり、神妙なトーンで問いかける。


「じゃあ、目が合ってから“ごめん”って言われたら……?」


その予想外すぎる質問に、場が一瞬しん……と静まり返った。


そして――


「あっぶな! それ失恋ルート! スタートすらしてないやつ!!」


今度はあかねが体を乗り出して全力で叫んだ。

言い終えるなり、どっと笑いが爆発する。


「それ正論すぎる……!」「ひどすぎる世界線……!」


ドリンクの氷がカランカランと跳ね、ソファにひっくり返る子まで現れる。

まるで部屋じゅうが「恋バナ笑撃波」に巻き込まれたかのようだった。


「みんな、好きの定義、軽すぎ問題!!」


音羽が両手で頭を抱えて嘆くが、その声すら笑いに飲まれていく。

千歳は膝を叩きながら笑い転げ、ひまりは口を押さえて涙目になっていた。


やっとのことで笑いが一段落したころ、千歳が息を整えながら言った。


「次あたり、“歌詞に共感したら恋”とか言うよ、絶対」


まだ笑いが残る声でそう言いつつ、タッチパネルに手を伸ばす。

パネルに浮かんだ検索ワードは――「ラブ・ソング」。

それを見た瞬間、全員が「あー、やっぱり」みたいな顔になる。


そんな中、音羽がふいに口を開く。


「……じゃあさ」


声は小さい。でも、それだけで十分だった。

誰もしゃべっていない今、その一言は部屋のどこまでも届いていく。


目線はまだテーブルのメロンソーダに落ちたまま。

そのグラスの中では、ストローの先で溶けかけた氷がカラン……と鳴る。


「“好きじゃない”って、どういう状態なんだろうね?」


ぽつりと放たれたその問いに――また、空気が止まった。


まるで、さっきまで流れていたBGMのリズムまでもが、一瞬息をひそめたような静けさ。


ふわりと、一同の視線がじわじわと音羽に集まっていく。


「……え?」


最初に反応したのは、ひまりだった。

ぽかんとした顔のまま、ストローを口にくわえて音羽をじっと見つめている。


「なにそれ、逆から攻めてくスタイル?」


千歳がソファの背にもたれながら、体をゆらりと揺らして口を開いた。

笑ってはいるけど、その瞳にはどこか素の真剣さも混じっている。


「定義、ひっくり返してくるとはね」


続けて、美咲が紙コップを指でくるくると回しながら、苦笑まじりにぼそっと言った。

何気ない口ぶりだけど、ちゃんと音羽の言葉を受け取っているようだった。


音羽は、少しだけ肩をすぼめるようにして、言葉を探した。

自分の中でもまだ形になりきっていない感情のかけらを、そっと言葉にしていく。


「さっき、“好きの定義”っていろいろ出たけどさ……」

「じゃあ、それに当てはまらなかったら、“好きじゃない”ってことになるのかなって」


言い終えると、音羽は手元のソーダをぼんやりと見つめ、小さく息を吐いた。


その問いに、誰もすぐには返せなかった。

部屋の空気がふっと静まり返る。

それぞれが、少しずつ噛みしめるように、その言葉を受け取っていた。


やがて――


「……うーん……」


あかねが、スカートの裾を指先いじりながら、小さく唸った。

斜め下に視線を落とし、眉間に軽くしわを寄せて、何かを探るように口を開く。


「逆ってむずいな……。好きじゃないって……たとえば、“名前わかんない”とか?」


真剣に考えているのか、ふざけてるのか、判断に困るようなトーン。

でも、その絶妙な曖昧さに、すかさず美咲が返す。


「いやそれ、むしろ好きの始まりフラグじゃない?」


グラスを軽く揺らしながら、肩をすくめて呆れたように笑う。

美咲らしい冷静なツッコミに、ソファのあちこちからクスッと笑いがこぼれた。

張り詰めそうだった空気が、ふわっとほぐれていく。


「でも……ある意味わかるかも」


今度は、音羽が静かに声を出した。

視線はまだ、自分の目の前のグラスに落ちたまま。

ストローを指先でくるくると回し、その動きに目を預けるようにしながら言葉を続ける。


「たとえばさ。朝、駅でたまたま同じ電車に乗った人と目が合って……。ちょっとだけドキッとしたとしても……それって、好きじゃないよね?」


その言葉に、ひまりが食い気味に反応した。


「えっ、それ恋じゃん! 始まりのやつじゃん!」


ソファから勢いよく前のめりになって、手をばたばたと振る。

目をぱっちり見開き、完全に“全肯定モード”に突入している様子だった。


しかし、音羽は小さく首を横に振った。


「でもさ、相手の名前も知らないし、話したこともないし……たまたま目が合っただけなんだよ?」


その言葉に、間髪入れず――


「えっ、それ恋じゃん!」


ひまりが、まったく同じセリフをもう一度叫んだ。

まるで録音を再生したようなタイミングに、思わず笑いがこみ上げる。


千歳はソファを叩きながら「また言った!」とツッコミ、

あかねは手で口を押さえながらくすくすと震えている。

美咲は肩をそむけたまま、目元を拭うふりをして笑いをごまかしていた。


部屋は、ゆるやかな混乱に包まれていた。


……けれど。


音羽だけは、なぜかその笑いの波に乗れなかった。


「いや……だから、それはただの偶然で――」


言いかけたところで、ふっと言葉が途切れる。

手にしていたストローをグラスから離し、両手を膝の上でそろえたまま、視線を落とした。


(……でも。あのとき、なんであんなふうにドキッとしたんだろう?)


名前も、声も、何も知らない相手。

それでも、心臓だけが一瞬だけ、跳ねた。

自分でも説明できない小さな引っかかりが、胸の奥に残っている。


「“ドキドキしたら好き”って言うならさ、私……今日だけで5回くらい恋してることになるんだけど」


冗談めかして、ふっと笑いながら口にしてみる。

自分でも、あまりに暴論すぎて、吹き出しそうになる――はずだった。


けれど。


その場にいた誰一人として、笑い飛ばすことはなかった。

少し間をおいて、声が落ちてくる。


「……恋の定義、ゆるいよね」


マイクを膝の上でくるくると転がしながら、千歳が呟いた。

表情にはあまり感情が出ていない。

けれどその視線は、どこか遠くを見ているようで――

声のトーンも、ふざけた調子ではなかった。


「“なんとなく気になる”を恋って言う人もいれば、“相手のこと何でも知ってからじゃないと”って人もいるしさ」


言葉のひとつひとつは淡々としていたけれど、それが逆に妙にリアルに響く。

まるで、どこかで何度も考えたことがあるような、そんな口ぶりだった。


その言葉に、音羽は小さくまばたきをし、ゆっくりと視線をテーブルに落とした。

グラスの中では、残った氷がカラカラと小さな音を立てている。

ストローの先を指でくるりと回しながら、ゆっくりと呟いた。


「……じゃあ私たち、今何やってんのかな……?」


声は静かだったが、その場にいた全員の耳にしっかりと届いた。

独り言みたいでいて――確かに投げかけられた問いだった。


「恋の話、いっぱいしてるけど。誰も恋してないのに、ずっと“好き”について語っててさ」


少しだけ口元に苦笑を浮かべながら、音羽は続ける。

バカみたいって笑いたいわけじゃない。ただ、ふと不思議になったのだ。

この空間で、自分たちは何をしているんだろうって。


誰もすぐには答えなかった。

カラオケのモニターには、別の曲のエンディング映像が流れ続けている。

BGMは淡々とループし、誰も次の曲を入れようとしない。

それぞれが、グラスを見たり、天井をぼんやり見上げたりしていた。


そのとき――


「……でも、なんかさ」


ぽつりとした声が、空気をそっと撫でた。


ひまりだった。

少しうつむいたまま、指先を膝の上で組んでいる。

顔を上げずに、それでもしっかりとした声で続けた。


「話してるとき、ちょっとだけ……心が温かくなる気がするんだよね」


その言葉に、誰かが少し息を呑むのが聞こえた。

重くはない。でも、まっすぐで、どこか胸に残る言葉だった。


「何それ、詩人?」


千歳がすかさず返す。

茶化すような言い方だったけど、その顔にはいつものいたずらっぽさじゃなく、優しい笑みが浮かんでいた。

からかうというより、照れ隠し――そんな感じだった。


ひまりは、照れくさそうに小さく笑いながら、うつむいたまま肩をすくめた。


すると、今度は美咲が口を開く。

ドリンクのストローを軽くくわえたまま、どこか得意げな表情で言い放った。


「つまりこれは、“恋”じゃなくて、“恋の会話に恋してる”ってことかしら」


一瞬、誰も何も言わなかった。

でも、それは呆れたわけじゃなく、妙にしっくりきてしまったからだった。


「会話に恋って……どういう状態よそれ」


音羽が思わず苦笑しながら、肩をすくめてぼやく。

だけど、完全には否定できなかった。

どこか、ほんの少しだけ――わかる気がしたから。


だからこそ、ふと、こんな言葉がこぼれる。


「でも――それって、“恋バナに恋してる”ってこと?」


音羽のその一言に、場が静まり返った。

笑いも、ツッコミも、茶化しもなかった。

まるで全員が、同じものを見つめて立ち止まったような空気。


沈黙は数秒続いた。けれど、それは気まずいものではない。

むしろ、その問いがちゃんと届いた証――誰の心にも、静かに落ちたような、そんな間だった。


(……私は、誰かに恋してるわけじゃない。でも)


音羽は、自分の胸の奥にふいに湧いた感情を、そっとなぞるように見つめていた。


(でも、“恋バナ”が楽しくて、なんか……ドキドキしてる)


そのドキドキは、特定の誰かに向かっているものじゃない。

ただ、“こうして誰かと恋について語っている時間そのもの”に――心が動いていた。


指先で、自分の胸をやさしく押さえるようにして、音羽はもう一度呟く。


「好きって、なんだろうね……」


それは誰かに聞いてほしいというより、自分自身に問いかけるような声だった。

でも確かに“音”として部屋に届いたその一言は、不思議と誰の耳にもすっと入っていく。


ちょうどそのとき、パチン、とBGMが切り替わった。

タイミングを測ったかのように、リモコンの操作音が響き、空気が一度ふわりと揺れたように感じられる。


モニターに映し出されたのは、見覚えのあるアニメのタイトルロゴ。

王道中の王道、誰もが一度は観たことのある、あの少女アニメの主題歌。


イントロが流れ始めると、スピーカーからのメロディがやさしく空間を包みこみ、

部屋全体に、まるで波紋のように広がっていった。


「これ……あれじゃん。ラストで主人公が覚醒するやつ」


千歳が、マイクをひょいと片手で持ち上げながら言う。

いたずらっぽい笑みを浮かべ、軽く肩をすくめるようにして、その場の空気にすっと乗った。

まるで「さあ、第二ラウンドの始まりね」と言わんばかりのテンションだった。


「♪運命さだめを越えて〜〜♪」


――突然。


ひまりが、まるで感情を爆発させるような声で歌い出した。

立ち上がりそうな勢いで体を揺らしながら、魂ごとぶつけるような熱唱。

その姿は、まさにアニメのクライマックスで覚醒する主人公そのものだった。


「早い早い! いきなりサビ入った!?」


「助走ゼロじゃん!!」


あかねと音羽が、ほぼ同時にツッコミを入れる。

その直後、美咲もストローを外して、くすくすと笑いながら一言。


「イントロは消滅したのね」


ツッコミが次々に飛び交い、部屋の空気が一気に跳ねた。

くだらないけど、それが心地いい。

そんな中で――音羽はふっと笑う。


(この人たち、本当に誰も恋してないのに……)


それでも、恋の話になると目を輝かせて語って、照れて、叫んで、ときどき泣いたりする。

まるで、誰かを好きになったことがあるかのように。

不思議とそれが嫌じゃなかった。

むしろ――ほんの少しだけ、心地よかった。


やがて、ひまりの熱唱が終わると、拍手と歓声が自然と湧き起こった。

弾けるような拍手の音が、カラオケルームの乾いた壁に反響して明るく広がる。


なかでも誰よりテンションが高かったのは、あかねだった。

立ち上がらんばかりに両手をバンバン叩いて「はい優勝〜!!」と叫ぶ。


美咲が肩を揺らしながら笑い、それに乗るように千歳が声を上げた。


「てか、今日の“好きの定義”バトル、誰が一番やばかったか選手権やろーぜ」


タッチパネルをポチポチしながら、軽口混じりに提案する千歳。

画面にはすでに次の曲候補がずらりと並び始めていた。


「それはもう、1秒の沈黙にすべてを賭けた美咲でしょ」


音羽が即答する。

呆れと笑いが半々混ざった声で、頬にはうっすら赤みまでさしていた。


「おかしいわねぇ……時代が私に追いついてないだけなのに」


美咲は髪をかき上げながら、ドヤ顔を決める。

その表情は完全に“異端の天才”気取りだったが、言ってることは普通にズレていた。


「追いつけなくていいからなっ!!」


あかねがテーブル越しに身を乗り出しながら、勢いよく叫ぶ。


その一言を皮切りに、全員が一斉に吹き出した。

笑いの渦が、まるで連鎖するように部屋いっぱいに広がっていく。


けれど――


その笑い声も、やがてひと波のように静かに引いていった。


ソファに座っていた音羽が、ふとぽつりと漏らすように言葉を落とす。

その声は、まだ笑いの余韻が残る空間に、ほんの少しだけ真面目な色を添えた。


「……もし、“ドキドキしたら恋”なんだとしたらさ」


手に持っていたストローを指先でくるりと回しながら、視線は自分の手元に落ちたまま。

でも、その言葉には妙な静けさが宿っていた。


「ん?」


千歳がソファの背もたれに腕をかけ、首を傾ける。

軽く返す声には、探るような気配がありつつも、詮索するほどではない。

いつもの調子のまま、それでいて少しだけ真顔だった。


音羽は、ふっと照れたように笑う。

頬がほんのり赤くなり、指先をそわそわといじりながら、言葉を続けた。


「今の私は……この部活に、ちょっと恋してるのかも」


その瞬間、空気が一拍だけ止まった。


自分でも思っていなかった言葉だったのか、音羽は我に返るように目を見開いて、すぐに両手をぶんぶん振る。


「ち、違うの! 変な意味じゃなくて! その、空気とか、話してる感じとか……なんか、うまく言えないけど、心が勝手にドキドキしてる感じっていうか……!」


慌てて弁解するその様子を見て、千歳がすかさずマイクを手に立ち上がる。


「はーーーい、そういうのが一番やばいやつですね〜!!」


マイク越しに全力のツッコミが炸裂。

部屋中に跳ねる声、パチンと弾けるように空気が再び熱を帯びる。


「“恋バナに恋してる”選手権、音羽優勝で〜す!!」


「なにその称号!? やだ、返上したい!!」


音羽は顔を真っ赤にして首を振り、両手で顔を覆ってソファにうずくまる。

その背中に、笑い声がどっと押し寄せた。


「いやいや、もうそれプロポーズの域じゃない!?」


あかねが勢いよく乗っかりながら、テーブル越しに声を張る。

その頬もほんのり赤くなっていて、誰より照れていたのは、たぶん彼女だった。


「わぁ〜〜〜!!」


ひまりは両手で頭を抱え、そのままソファに崩れ落ちる。

感情があふれすぎて、泣きそうで、でもうれしそうで、忙しい顔で叫んだ。


「音羽ちゃん……その言葉、歌にしてもいいですか……!」


「やめてー!! 本気でやめて!! これ以上はもう死ぬ!!」


音羽がうずくまったまま必死に叫ぶと、全員の笑いが一段と大きくなった。

誰かがマラカスをシャカシャカ鳴らし、誰かが手を叩いて笑い転げる。


部屋いっぱいに響くその笑い声は、ただの冗談以上の何かを含んでいた。

まるで、胸の奥にじんわりと広がっていくような――そんな温かさを持っていた。


「……でもさ」


ふいに、あたたかい笑いの余韻をほどくように――

美咲がソファの背にもたれかかりながら呟いた。


「そうやってドキドキするのも、恋に含めちゃっていいんじゃない?」


視線は天井の方へ向けたまま。

誰に向けたわけでもない、ただふわっとこぼれたその声は、不思議と部屋の空気を静かに染めた。


あれだけ賑やかだった空間に、すうっと風が通ったような感覚が走る。

ふざけていたはずの会話が、ふと、本当のことに聞こえてしまうような――そんな一瞬の静けさが生まれた。


「うん、そうかもね」


その静けさの中で、音羽がゆっくりと頷いた。

誰に向けるでもなく、でも確かに“みんな”に届くように。

その声には、自分自身に言い聞かせるようなやわらかさがあった。


頬には、まださっきまでの照れがほんのり残っていた。

だけど、その表情はどこか誇らしげでもあった。


“恋バナ”って、不思議だ。


言葉にした瞬間、それっぽくなってしまう。

誰も本気じゃないのに、誰も完全にウソをついていない。

笑いながら、ふざけながら――それでもどこかで、ちゃんと真剣だった。


そんな会話の中に――

たしかに、青春の匂いがしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ