第五話 アビスの森Ⅱ
「人を殺した? 冒険者ならよくあることじゃない」
「そうなのか?」
レームは特に驚く様子もなかった。
「冒険者って、魔物とだけ戦う仕事じゃないのよ? 利権で動かされ、人間と対峙することも多々ある」
「お前も冒険者なのか?」
「前はね、もう引退したけど」
なぜかレームが黙り込む。
「何だよ、急に黙って」
「あなたの理解促進のためにインターバルを設けてあげてるの」
「こいつはホントに……」
とはいえ、彼女なら、このチュートリアルのことを何か知っているかもしれない。声に出そうとして、喉が締め付けられる感覚に襲われた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
レームの視線が注意深く俺を探った。
「あなた魔法は使えるの?」
「『発火』のスキルだけだ。多分一番基本的なやつ」
「ショボっ……下着一枚で出歩いてるようなもんだから、恥ずかしいって自覚した方がいい」
発火のスキルってパンツ一枚だったのか……。
「それ以外に表示はされない?」
「もう一つあるが、発動できないようになってる」
「それは固有スキルね。でもスキルの発動条件を達成してないのかも」
レームは顎の下に手をあてて、考え込む仕草をした。
それから俺に視線をやった。俺の顔に文字でも書かれていて、読み取ろうとするみたいに。
「あ、そうそう。炎って便利よね」
「何だよ、急に」
「その昔、巨人は森を燃やして文字を書いて、隣の山にいる巨人に伝言をしたっていう言い伝えもあるし」
「何の話をして……」
そこでようやくレームの意図を汲み取った。発火のスキルで地面を焼き、焼け跡で文字を書けということなのだろう。
ただ、この世界の口語は操れるが、文字はどうなのだろう。一抹の不安を抱えながら、直観的に文字を書いてみる。
『チュートリアルから抜け出せない』
レームの反応を待ちながら、さらに具体性を付与した。
『冒険者とやらのプロセスを強制的に行わされている』
「なるほど、そういうこと」
どうやら伝わったようだ。レームも指先に炎を灯す。
『これもスキルなのか?』
『おそらくね。誰かの』
レームは冷静だ。それから考え込むような仕草をした。彼女の癖なのかもしれない。
筆記の途中で、がさがさ、と葉の揺れる音がした。
背後の茂みの中からだ。振り返ると、魔物がいた。全身の皮膚は青白く腐食したような色合いで、所々剥がれ落ち、血肉が見えていた。顔に相当する部分も、腐って崩れ落ちている。
ちょうど成人男性くらいの大きさだが、服も着ていないし、性器に相当する部分も腐ってて、確認できない。
まるでゾンビみたいだ。
「あれは『ネクロ』って呼ばれる新種の魔物よ。この森に出現するって噂を聞いて、調査してたの」
「そうだったのか」
「攻撃してくれる? 倒さない程度に」
「自分でやれよ」
「私が戦ったら跡形もなく消滅しちゃうでしょ」
「へいへい……」
しぶしぶ了承した。右手を突き出し、ネクロと呼ばれる魔物に発火のスキルを使用する。地面から炎が沸き上がるようにして、魔物の全身を包んだ。あとは動かなくなるのを待つだけ。
と思ったが、魔物がダメージを受けている様子がない。
「……効かない?」
魔物は燃えず、先に炎が尽きる。
魔物が俺たちに突進する。
小走り程度のスピードだが、木々に突っ込むと、頭の形に樹皮がえぐれた。空気を裂き、大地を震わせる。とんでもないパワーだ。衝突すれば、ひとたまもりもない。
「どうやら、遠距離攻撃はないみたいね」
レームが呟いた。
「スピードもそんなに速くないし、距離を詰めたがるだけ」
「おい」
俺は逃げ回りながら、助けを求めように腕を振るが、応答はない。顎下に手をあて、思索に耽っていた。
ぐるぐると魔物から円形に逃げ続けた。その脇で、レームが俺たちの様子を観察していた。
いつまで続くのか、と思った矢先、魔物の踏み込みが強くなった。蛇行しながら、逃れようとする。一瞬の加速で、素早く肩を掴まれた。
振り向くと、魔物が大きく口を開いた。グロテスクな口内が覗いている。
「やむを得ないわね、本当は倒したくなかったけど」
パニック状態の中で、レームの声がわずかに聞こえた。間断なく、頭上から光の矢が降り注ぐ。まるで、浄化の光だった。
それは魔物の体を貫き、完全な消滅を招いた。まるで、最初からそこにいなかったみたいに。
「危なかったわね」
力が抜け、その場に倒れ込む。
「でもおかげで、ネクロの生態が少しわかった気がするの。私たちを攻撃しようっていうより、追いかけて来たわよね」
「そうだな」
「まるで距離を詰めることが目的のように思えた」
「俺たちを食べようとしてたんじゃないか」
ゾンビなら、と思い、そんなことを口にした。
「食べる……?」
レームの目が大きく俺を捉える。
「それにしても何者なんだ、お前って」
俺は立ち尽くし、彼女を眺めた。
「そんなことはいいから、まずこの森を抜けて、それからあなたのチュートリアルを解除する方法を探りましょう」
「解除できるのか?」
「ええ。魔法である以上は」
レームが微笑んだ。
「ところで、あなた名前は?」
「累」
「何か意味があるの?」
「次々と、重ねるっていう意味だ」
「へぇ、それってまるで」
レームは息を吸い、続けた。
「人生みたいね」
彼女は何者なのだろう。信用すべきか分からない。それでも今は彼女を頼るしかなかった。この悪趣味なチュートリルを解き、この世界で生きるためには。