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アレッサンドラ 第3章①:特別な場所

 巨木のうろの秘密基地の中、アレッサはぼんやりと開いた本を眺めていた。

 しかし、目は活字を追わず、指先で紙の端をなぞるだけ。

 心ここにあらずといった様子だ。


 ヴィトは、木の枝を削りながら彼女をちらりと盗み見る。

 いつもなら「なにそれ?」「見せて!」と食いついてくるのに、今日は妙に静かだ。


「なぁ」


 ヴィトは手元の枝を放り、木くずを払いながら立ち上がる。


「なによ?」


 アレッサはわずかに顔を上げるが、その声には張りがなかった。


「なんか……今日、元気ねーな」

「別に。気のせいよ」


 あっさりと返すアレッサ。

 だが、ヴィトはその言葉を受け流さなかった。


「へっ、オレ様を騙そうったって無駄だぜ?」


 生意気な口調はいつも通り。

 だが、緑の瞳はいつになく真剣だった。


「生意気ね」


 アレッサは苦笑しながら、視線をそらす。

 けれど、ヴィトの目がじっとこちらを見つめているのを感じた。


「なぁ、アレッサ」


 ヴィトは、秘密基地の壁に並べられた「宝物」たちの中から、深い青色の石を手に取る。


「お前さ、この石に歌いかけた時、森の音が聞こえたって言ってただろ?」

「ええ、確かに聞こえたわ」

「じゃあさ……もっとすげーの見せてやろうか?」

「え?」


 アレッサは思わず顔を上げる。

 ヴィトはいたずらっぽくニヤリと笑った。


「あの時言った滝、覚えてるか? お前、まだ見てねーよな」


 アレッサは初めて会った日のことを思い出す。

 確かに、ヴィトは自慢げに語っていた。

 水が光の花びらみたいに散るとか、何やら大げさな表現で。


「まさか、本当にあるの?」

「なっ!? お前、まだ信じてなかったのかよ!」


 ヴィトは真っ赤になって飛び上がる。


「オレの言うことを疑ってたってのか!?」

「だってヴィト、大げさなことばかり言うから」

「てめぇ……」


 ヴィトは歯ぎしりしながら、アレッサの手をぐいっと引っ張った。


「今日こそ見せてやる! お前の目で確かめろ!」

「ちょっと! そんなに急に引っ張らないでよ!」

「うっせー! お前がオレのこと疑ってっから、こうなったんだろ!」


 巨木から出ると、ヴィトは森の奥へと歩き出す。

 振り返りながら、意地悪く笑う。


「ほら、のろまは置いてくぜ?」

「もう! 待ちなさいよ!」


 文句を言いながらも、アレッサの顔には少しだけ笑みが戻っていた。

 ヴィトの不器用な優しさが、沈んでいた気持ちを少しだけ軽くしてくれる。


 森を進むにつれ、空気がひんやりとしてくる。

 頭上の葉が生い茂り、木漏れ日が揺れながら地面を照らしていた。


 やがて、どこからともなく水音が聞こえ始める。


「おっ、もう聞こえてきたぜ!」


 ヴィトの足取りが軽くなる。

 でも時折、後ろを確認するように振り返る。

 本当は置いていく気なんてさらさらないことが、その仕草でよく分かった。


「どうした? 怖くなっちまったか?」


 からかうように言うヴィトの声には、どこか期待と緊張が混じっている。

 誰かを自分の「特別な場所」に連れて行くのは、きっと初めてなのだ。


「ふふ、あなたの方が緊張してるんじゃない?」

「な、なんだと!?」


 真っ赤になって抗議するヴィト。

 その素直な反応に、アレッサはくすっと笑う。


 茂みの向こうから、水音がより鮮明に聞こえてきた。


「ほら、もうすぐだ」


 ヴィトの声が、不思議な響きを帯びる。

 茂みをくぐり抜けると、そこには——


「……っ!」


 アレッサは息を呑んだ。


 そこには、光の帳のような滝が流れ落ちていた。

 水しぶきが虹を作り、周囲の空気が淡く輝いている。

 陽光を受けた水滴は、確かにヴィトの言った通り、光の花びらのように舞い散っていた。


「で、どうだ?」


 ヴィトは緊張した面持ちでアレッサの反応を窺う。


「へへっ、オレの言った通りだろ? すっげーだろ?」


 強がる声の裏に、驚いてほしいという期待が透けて見える。


「ええ……本当に、美しいわ」


 アレッサが滝に近づこうとすると、ヴィトが慌てて袖を引っ張る。


「お、おい! そんな近づくと濡れるぞ!」

「平気よ」


 水しぶきが頬を濡らす。

 不思議と冷たくない。

 むしろ、優しい温もりを感じる。


「なぁ……」


 ヴィトが、珍しく恥ずかしそうに声を絞り出した。


「ここはオレの……特別な場所なんだ」

「特別な場所?」

「う、うん。なんつーか……」


 言葉を探るように、ヴィトは空を見上げる。


「辛い時とか、寂しい時とか……ここに来ると、全部忘れられんだ。嫌なことも、つらいことも」


 ふと漏れた本音に、自分で驚いたように、慌てて付け加える。


「べ、別にオレは寂しくなんかねーけどな!」


 その言葉に、アレッサの胸が熱くなる。

 この場所を見せることが、ヴィトなりの精一杯の優しさだったのだと分かった。


 滝の音を聞きながら、アレッサは遠い記憶に思いを馳せる——

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