アレッサンドラ 第2章④:密かな決意
15歳の誕生日を迎えた夜のこと。
アレッサンドラは執務室の前を通りかかった。
中からは、父王と継母の声が漏れ聞こえてくる。
立ち止まってはいけないと分かっていながら、足が動かなかった。
「陛下、私もアレッサンドラのことを大切に思っております。ですが……」
継母はわずかに言葉を切り、計算されたためらいを見せる。
「私の子供たちの将来を考えますと、第一王女という存在が気がかりでなりません。無用な争いは避けたいものですわ」
「王位継承権のことか」
「はい。子供たちがまだ幼いうちに、問題は片付けておくべきかと」
父王が深いため息をつく気配がする。
「息子には王位を、娘にも相応しい処遇を約束してあげたいのです。アレッサンドラを遠国に嫁がせることで、全てが自然な形で収まりましょう」
その言葉は、凍てつく刃物のように、アレッサンドラの胸を貫いた。
城は、次第に檻と化していく。
華やかな宮廷行事も、豪華な宴も、仮面の下の打算に満ちていた。
貴族たちは継母の意向を忖度するように、アレッサを遠ざける。
かつて母の白薔薇が咲いていた庭には、今は継母の好む赤薔薇が植えられ、その傍らで異母妹が遊んでいる。
弟は既に若き王子様として扱われ、妹は愛らしい王女様として重臣たちに可愛がられていた。
その二人が城中を駆け回る様子を見るたび、アレッサンドラの胸は締め付けられる。
かつての自分のように、母に愛される子供たち。
けれど今は、彼らの母が彼女を追い詰める張本人なのだ。
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16歳の誕生日。
各国からの使者が招かれた。
表向きは祝宴だが、実際は花嫁としての品定めだと、アレッサンドラには分かっていた。
継母の子供たちは、無邪気に祝宴を喜ぶ。
宴の裏で、策略が着々と進められていることを、アレッサンドラは知っていた。
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17歳のある日。
アレッサンドラは図書館の古い書物の間で、一冊の魔道書を見つける。
薄れかけた文字、傷んだ革の装丁。
誰も手に取らないような、忘れ去られた一冊。
その中には『生命の森』についての記述があった。
『生命の森は、あらゆる命が宿る神秘の場所なり。
魂の真実が明かされ、運命の糸が紡がれる。
されど、そこに至る者は稀なり。
森は、相応しき者のみを招き入れる』
アレッサンドラは、何度もその本を読み返した。
母の白薔薇が燃やされた日から、ずっと探していた何か。
それは、この本の中にあったのかもしれない。
かすかな希望の灯火が、心の中で揺らめく。
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アレッサンドラ18歳。
運命は、新たな展開を彼女にもたらした。
「北の国から、縁談が届いております」
継母は、勝ち誇ったような微笑みを浮かべる。
「鉄鉱山が豊富な国と聞きます。昨今、西方で騒がしい噂もございますし、良質な鉄を確保できる同盟国は貴重かと」
表向きの理由としては完璧だった。
確かに西方では小国同士の争いが絶えず、この国でも鉄の需要は年々高まっていた。
城壁の補強から、農具、生活の道具まで、あらゆるものに良質な鉄は不可欠だ。
その供給元を確保することは、国として理にかなっている。
「辺境とはいえ、大変有益な同盟になりましょう」
継母の言葉には、もっともらしい響きがあった。
けれどアレッサンドラには分かっていた。
北の国は、早馬でも二週間を要する僻地。
王族の行列となれば、雪深い山道と凍てつく峠を越え、ゆうに一月以上はかかると聞く。
その国土のほとんどは極寒の雪原が占め、年の半分は吹雪に閉ざされる。
そんな過酷な土地にある鉄鉱山こそが、北の国唯一の価値なのだ。
継母は縁談を利用して自分を遠ざけようとしている。
辺境の雪国に追いやることで、アレッサンドラが二度と王都に戻れないよう、実子の将来への障害を完全に排除しようというのだ。
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その夜、アレッサンドラは図書館で『生命の森』の記述を、もう一度読み返していた。
母の『生命の歌』が、心の中で響く。
白薔薇の香りが、記憶の中で甦る。
『生命の本質を知るものは、森に導かれん』
アレッサンドラは、そっと本を閉じる。
13年前、母を失った時とは違う。
もう、ただ黙って運命を受け入れるつもりはない。
「本当の生命とは何か、この目で確かめたい」
密やかな、けれど強い決意が、彼女の心に宿る。
継母の策略という檻から逃れ、自分の手で運命を切り開くために。
父王には悪いと思った。
けれど、いずれ北の国に押し込められるまでの間は、せめて悔いなく生きたい。
自分で選び取った道を歩んでみたい。
アレッサンドラは城を抜け出して『生命の森』を目指すことを決意した。
それは彼女にとって、人生で最初の冒険だった。