アレッサンドラ 第2章③:変わりゆく城
新しい王妃の入城の日。
城下町から城門まで、色とりどりの花が道を彩る。
行列を見ようと、通りには民衆が詰めかけていた。
アレッサンドラは、大広間の窓から、その様子を見下ろしていた。
黒を基調とした豪奢な馬車を先頭に、随行の馬車が十余りも連なる。
儀仗兵の槍が陽光に輝き、従者たちの纏う衣装も鮮やかに映える。
次々と運び込まれる嫁入り道具は、その量と贅を尽くした装飾で、見る者を圧倒する。
行列全体が、新しい支配者の到来を告げているかのよう。
「姫様、お時間でございます」
侍女たちの手によって、アレッサンドラは正装を整える。
儀礼用のドレスに身を包み、母の形見の真珠のブローチを胸元に留めた。
大広間には、重臣たちが勢揃いしていた。
父王は玉座に座り、アレッサンドラは階段の一段下に立つ。
誰もが正装に身を包み、華やかでありながら厳かな空気が満ちている。
そして、その時が来た。
重厚な扉が開かれ、そして——
コツ、コツ、コツ。
まるで城全体を支配するかのような、黒檀の杖の音が響き渡る。
漆黒のドレスに身を包んだ女性が、威厳に満ちた足取りで大広間に歩を進める。
真っ直ぐに伸びた背筋、微動だにしない表情、そして冷たく光る瞳。
完璧な立ち居振る舞いの中に、絶対的な支配者の風格が漂っていた。
「陛下、私めにこのような盛大な儀式を賜り、誠に光栄に存じます」
張りのある声が、大広間に満ちる。
丁寧な挨拶の言葉でありながら、どこか威圧的な響きを持っていた。
「アレッサンドラ、来なさい」
父王の声に促され、アレッサンドラは一歩前に進み出る。
「まあ」
新しい王妃の目が、アレッサンドラを捉えた瞬間、僅かに細められる。
その視線に、アレッサンドラは思わずたじろぎそうになる。
「これが私の新しい娘となる子ね」
王妃は、ゆっくりとアレッサンドラに近づく。
黒檀の杖が、一歩ごとに冷たい音を響かせる。
周囲の貴族たちが、その一挙手一投足に息を呑む。
「これからは、私があなたの母として、しっかりと躾けてあげましょう」
その言葉に、アレッサンドラは小さく頷いた。
王妃の口元に、一瞬だけ浮かんだ微笑み。
それは、獲物を捕らえた蛇のような、冷たい笑みだった。
その日から、城の空気は一変した。
廊下を行き交う侍女たちの足音が、妙に慎重になる。
庭師たちは、これまで以上に几帳面に植え込みを整える。
城中の誰もが、背筋を正して立ち振る舞うようになった。
黒檀の杖の音が響くたびに、人々は静かに道を譲る。
王妃の冷たい視線を避けるように、誰もが目を伏せる。
まるで影が城全体を覆い尽くしていくかのようだった。
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新しい王妃の入城から三日目のこと。
「アレッサンドラの教育について、話し合いたいことがあります」
王妃は、父王の執務室で長い時間を過ごした。
そこで決められた新しい取り決めは、アレッサンドラの人生を大きく変えることとなる。
まず、侍女たちが総入れ替えとなった。
幼い頃から世話をしてくれた優しい侍女たちは、どこかへ去っていった。
代わりに現れたのは、王妃の出身国から連れてこられた厳格な侍女たち。
彼女たちの目は、常にアレッサンドラの一挙手一投足を監視していた。
「その歩き方は、王族の品格を汚すもの。やり直してください」
「その目線の泳ぎ、大変お見苦しゅうございます。しっかり前をお向きになられますよう」
「黙って座っているときも、常に美しい姿勢を保つことです」
一日中、指導の声が飛ぶ。
しかし、これは始まりに過ぎなかった。
王妃本人からの制約は、さらに深いところまで及んだ。
「身分の低い者と直に話をするなど言語道断。王族の威厳が落ちるではないの」
「自分で本を取ろうとするなどとははしたない。侍女を使いなさい」
「城内を一人で歩き回るのは王族の品格に関わります。これからは必ず侍女を二人は従えなさい」
コツ、コツ、コツ。
黒檀の杖の音が近づいてくるたび、アレッサンドラの心臓は早鐘を打つようになった。
最も辛かったのは、母の思い出に関わることだった。
「まさか、白薔薇の手入れなど、自分でするつもりではないでしょうね」
王妃は、アレッサンドラが庭に向かおうとするのを見咎めた。
「王族が土を触るなど、見るに堪えないですわ。これからは一切の世話を禁止します」
冷酷な笑みを浮かべながら、王妃は容赦なく言い放つ。
「それにあなたの弱さは、その白薔薇への執着が生んでいるようですね」
アレッサンドラは、反論することもできず、ただ黙って頭を垂れる。
次の日、丹精こめた母の白薔薇は全て引き抜かれ、燃やされた。
アレッサンドラは密かに涙を流した。
母との大切な絆が、一つずつ断ち切られていく。
そして、最後の一線も破られた。
「生命の歌、ですか?」
図書館で小さく口ずさんでいた歌を、王妃に聞かれてしまったのだ。
「王族がそんな下賎な歌など口にするものではありません。もう二度と口にしないで頂戴」
その声は凍てつくように冷たかった。
アレッサンドラは、深々と頭を下げる。
完璧に教え込まれた、従順な態度で。
けれど、心の中では確かに響いていた。
母との約束の歌が。
誰にも消せない、深い絆が。
継母の黒檀の杖も、届かない場所で。