アレッサンドラ 第2章①:生命の歌
「おーい! 今日も来たのかよ!」
巨木の上から、からかうような声が降ってくる。
この挨拶は、もう習慣になっていた。
「まったく、相変わらずね」
アレッサは呆れたように首を振る。
けれど、その表情は自然と柔らかくなっていた。
「へへっ、今日はすっげーもの見つけたんだぜ!」
ヴィトは枝から枝へと飛び移りながら、得意げに宣言する。
「また? この間も『すっげーもの』って言ってたじゃない」
「あれはあれ、これはこれだ!」
木から飛び降りたヴィトは、アレッサの手をぐいっと引っ張る。
「いいから、早く来いよ!」
「ちょっと! そんなに急かさないで」
「のろまは置いてくぜ?」
いつものように意地悪く笑いながら、ヴィトは森の中へと駆け出す。
そんな日々が続いていた。
アレッサは隙を見ては城を抜け出し、この森を訪れるようになっていた。
時には巨木のうろの中で、城から持ってきたお菓子を分け合う。
「なんだよ、これ?」
「クッキーよ。食べてみて」
「うっま! もっとくれ!」
「ほら、口の周りにクッキーの粉が付いてるわよ」
「うっせーな!」
時には本を読み聞かせることもあった。
「なんだよ、その紙切れ」
「本よ。お話が書いてあるの」
「……読めねーよ」
「だから、私が読んであげるの」
「ふん、子供扱いすんなよ」
口では文句を言いながらも、ヴィトは物語の世界に夢中になっていく。
毎日のように、少年は新しい発見を見せてくれた。
小鳥の巣や、珍しい花、キノコの群生地。
時には森の奥深くまで冒険に出かけることもある。
「見ろよ! この鳥の巣、すげーだろ?」
「まあ、本当に! こんな高いところに」
「へへっ、オレ様の発見にビックリか?」
「……調子に乗らないの」
森の中の小さな命との出会いが、アレッサの心を豊かにしていく。
城での生活も、少しずつ変わっていった。
継母の冷たい視線は相変わらずだった。
けれど、それも気にならなくなっていた。
ヴィトと過ごす時間が、全てを癒してくれる。
ある日、二人が巨木のうろで過ごしているとき。
突然、空が曇り始めた。
「あー、また雨か」
ヴィトは不機嫌そうに空を見上げる。
「雨は嫌いなの?」
「別に嫌いじゃねーけど……」
やがて雨が降り出す。
ポツポツと、やがてしとしとと。
木の葉を伝う雨の音が、静かな音楽のように響いていく。
「雨の音、綺麗」
アレッサはぽつりと呟く。
「へっ、雨の音が綺麗だなんて、変わってんな……」
意地の悪い言葉が、途中で止まった。
アレッサが、自然と歌い始めたからだ。
優しく、しっとりとした歌声。
雨音に溶け込むような、森に寄り添うような旋律。
——小さな芽が、土から顔を出す
春の雨に、濡れて輝く
夏の太陽を浴びて、大きく育つ
秋の風を受け、色を変える
冬の雪に耐え、静かに眠る
そしてまた、春が来る
生命は、巡り巡る
終わりなき旅
小さな命が、光を灯す
愛と希望を、胸に抱いて
悲しみを乗り越え、喜びを知る
苦難を乗り越え、強さを得る
そしてまた、光を灯す
生命は、輝き続ける
終わりなき夢——
歌声は、森全体を包み込んでいくかのよう。
その瞬間、ヴィトは息を呑んだ。
雨音が、まるで歌に応えるようにリズムを刻む。
木々は静かに揺れ、鳥たちはさえずるのをやめた。
森そのものが、アレッサの歌に耳を傾けているかのようだった。
ヴィトは思わず手を握りしめた。
普段なら「つまんねー歌」とか「子守唄かよ」とか言いそうなものだが、今は違う。
ただ、黙って聞き入っていた。
まるで、自分の心の奥にしまっていた何かを、そっと呼び覚まされるような感覚。
胸がじんと熱くなる。
そんな気持ち、初めてだった。
静かに、優しく、歌声が響き渡る。
ヴィトは、アレッサの横顔を見つめていた。
「……それ、何の歌?」
歌が終わってしばらくして、ヴィトが小さな声で尋ねる。
アレッサは、優しい笑顔で答えた。
「これはね、『生命の歌』っていうの。母が教えてくれた歌よ」
ヴィトは、その言葉を何度も何度も心の中で繰り返した。
雨は優しく降り続け、二人は静かにその音に耳を傾けていた。