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アレッサンドラ エピローグ①:新しい生命

 崩れゆく王都からの脱出は、まるで悪夢のようだった。

 アレッサンドラは瓦礫を抜け、焼けた森を越え、さらに先へと逃げ続けた。

 背後では、王城が炎に包まれている。

 振り返れば、赤い空の下で黒煙が立ち昇るのが見えた。


 数日間、彼女は水も食事も取れず、着の身着のままで逃げ続けた。

 豪華なドレスは茨に引き裂かれ、素足は石に傷つき、幾度となく転びながらも、立ち上がり続ける。

 かつて王女として生きた日々が、まるで遠い夢のようだった。


 そうして辿り着いた裏社会は、想像を絶する場所だった。

 凶器を持った男たちが抗争を繰り広げ、瓦礫の影では誰かが誰かを襲っている。

 強者が弱者から奪い、弱者は生きるために盗みを働く。

 子供たちまでもが、刃物を手に争い合っていた。


 アレッサンドラ自身もまた、何度か危険な目に遭った。

 ある夜は道端で酔った男たちに絡まれ追いかけられ、また別の日は食事にありつこうとしたゴミ捨て場で少年たちの集団に襲われかけた。

 逃げ回る度に彼女は、母から教わった「生命の尊さ」と現実の過酷さの狭間で苦しんだ。


---


「名前は?」


「アレッサンドラ……です」


 ジャンカルロと出会ったのは、そんな日々の中だった。

 彼との最初の出会いの後、アレッサンドラは彼の隠れ家で過ごすことになる。

 そこは今にも崩れそうなボロアパートの一室だった。


「ここなら誰も入ってこない」


 その部屋には小さな窓があり、そこから差し込む光が、かつての白薔薇の庭を思い出させた。


---


「なぜそんなに落ち着いてるんだ?」


 ある夜、ジャンカルロが尋ねた。

 彼は血まみれの服を脱ぎながら、壁に寄りかかっていた。

 組織の抗争の帰りだろう。


「あなたが帰ってきてくれたから」


 アレッサンドラの言葉に、ジャンカルロは一瞬、動きを止めた。


「俺の帰りを待つ必要などない。俺はいつ死んでもおかしくない身だ」

「でも、帰ってくると信じていたわ」

「……勝手な女だ」


 その夜、ジャンカルロは珍しく饒舌だった。

 組織の抗争、裏切り者の始末、自分の強さを示すために人を殺めたことなどを滔々と語った。

 アレッサンドラは黙って聞いていた。


「なぜ黙って聞いている? 普通なら恐れをなして逃げ出すだろう」

「あなたはその目で、私を見つけてくれた。そして助けてくれた」

「……何を言っている」

「この裏社会で、私を人として見てくれたわ」


 ジャンカルロは口を閉ざした。

 その夜以来、彼は時折アレッサンドラに、自分の内なる闇を語るようになった。

 それは彼にとって、初めての経験だったのかもしれない。


---


 ある日、闇市場で買い物をしていたアレッサンドラは、ジャンカルロを狙った犯罪組織の抗争に巻き込まれた。

 銃声が響き人々が逃げ惑う中、彼女もまた銃弾の的になろうとしていた。

 ジャンカルロは彼女を守るように立ちはだかり、全ての敵を徹底的に痛めつけた上で皆殺しにした。


「お前に死なれては、寝覚めが悪い」


 それは彼なりの愛情表現でもあり、同時に内なる恐怖の表れでもあった。


 別れを告げられた日、アレッサンドラは自分の中に宿った命のことをジャンカルロに告げられずにいた。

 彼の決意の裏に、自分を守ろうとする確かな想いを感じていたから。


---


 アレッサンドラは、さらに過酷な日々を送ることになった。

 裏社会は、一人の女に優しくはなかった。

 食事を得るのも、安全な寝場所を確保するのも、全てが命がけだった。


 無法者たちから必死で逃げ回り、寝場所もなく路地裏を歩き続けた。

 体調の悪化と相まって、日に日に生きることが困難になっていく。


 それでも、彼女のお腹の中の命は、たくましく育っていった。

 まるでジャンカルロの強さを受け継いだかのように。


 裏社会での生活には、思わぬ発見もあった。

 古い薬屋の老婆は、妊婦に効く薬を分けてくれた。

 闇市場の魚屋は、時折食べ物を恵んでくれた。

 裏社会の全員が全員、犯罪者というわけでもなかった。


 アレッサンドラは生き延びた。

 ジャンカルロから学んだ、裏社会での生き方を守りながら。

 時に人を疑い、時に逃げ隠れ、そうしてその日を生き抜く。


---


 満月の夜。

 アレッサンドラは古びた建物の一室で産気づいた。

 窓の外では、また抗争の銃声が響いていた。

 彼女は『生命の歌』を口ずさみながら、陣痛に耐えた。


 ——小さな芽が、土から顔を出す

 ——春の雨に、濡れて輝く


 その時、不思議なことが起こった。

 窓の外で響いていた銃声が、まるで遠ざかっていくように消えていく。

 代わりに、どこからともなく清らかな風が吹き始めた。


 窓辺に咲いていた一輪の白いクローバーが、風に揺れる。

 その揺らめきは、まるで森で出会った少年の笑顔のようだった。

 月の光を受けた花びらが、不思議な輝きを放ち始める。


「ヴィト……?」


 アレッサンドラは、かすかにその名を呼んだ。

 すると部屋全体が、白薔薇の滝で見た光の粒のように輝き始めた。

 痛みさえも、不思議と和らいでいく。


 そして——


 力強い産声が、部屋に響き渡った。


「男の子じゃ」


 産婆の声が、遠くから聞こえてくる。

 その瞬間、月明かりが一層強く差し込み、新しい命を祝福するかのように部屋を包み込んだ。


 アレッサンドラは、我が子を抱き締める。

 小さな体からは、不思議なほど温かな生命力が感じられた。

 その瞳には、ジャンカルロの強さと共に、どこか懐かしい純粋な輝きが宿っていた。


「ロイ……」


 その名には『王』という意味が込められている。

 けれどそれは、権力や富を表す王ではない。

 生命の尊さを知り、全ての命を慈しむことのできる真の王者。


 赤子は力強く泣き続けていた。

 その生命力は、この裏社会の只中にあっても凛とした輝きを放っていた。


 窓辺の白いクローバーは、優しく光を放ちながら揺れ続けている。

 その光は、まるで新しい命への祝福のようだった。

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