アレッサンドラ 第4章④:生き抜く誓い
白いクローバーの王冠が、ふわりと宙を舞う。
陽を受けて輝く白い花びらは、最後の光を放つように美しかった。
時が止まったような、永遠に続くかのような、ゆっくりとした落下。
白薔薇の滝の水しぶきが光を砕き、花びらとなって舞い散る。
ヴィトが見せてくれた特別な場所で、最後の別れを迎えるなんて。
「ヴィト!? どこなの!?」
アレッサの叫びが、滝の音を突き抜けて響く。
水しぶきは光の花びらのように美しく舞い続け、まるで何事も起きないかのよう。
でも、すべてが変わろうとしている。
「戻ってきて! お願い!」
返事はない。
いつもなら「うっせーな!」と意地の悪い返事が返ってくるはずなのに。
木の上から意地悪く笑いかけてくるはずなのに。
最初に出会った日から、いつも彼がいたこの森で、アレッサは必死に叫び続けた。
——その時、世界が砕け散った。
凄まじい爆発と共に、天が裂けるような光が森を包み込む。
「ヴィトーーー!!」
叫び声と共に、アレッサの視界が真っ白に染まる。
体が宙を舞うような感覚。
意識が遠のく直前、目に映ったのは、滝の傍らに落ちた白いクローバーの王冠。
その一瞬の光景が、永遠に続くような気がした。
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「うわっ! 人間が来たぞ!」
初めて出会った日の光景が、まぶたの裏に浮かぶ。
陽に輝く金髪に、若葉のように鮮やかな緑の瞳。
擦り切れた半袖シャツに短いズボン、裸足の姿は、まるで森の精霊のようだった。
「へへっ、面白れー奴」
軽やかに枝から枝へと飛び移る姿
意地悪な言葉の奥に、どこか愛らしさを感じる少年。
その瞬間から始まった、二人だけの特別な時間。
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巨木の中の秘密基地で過ごした時間。
色とりどりの石、鳥の羽、珍しい形の枝。
一つ一つに、ヴィトの物語が詰まっていた。
「これはな、鳥がくれた羽なんだ。でも普通の鳥じゃねーぞ?」
「なに? また自慢話?」
「違うっ! これは、虹色に光る鳥なんだ!」
嬉しそうに宝物を見せる姿は、まるで純粋な子供のよう。
その無邪気な表情が、今でも心に焼き付いている。
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目を開けると、世界は一変していた。
見渡す限りの瓦礫。
崩れ落ちた建物。
燃え続ける街並み。
白薔薇の滝も、美しい森も、跡形もなく消え去っていた。
遠くの空で、巨大な光が消えていく。
この世のものとは思えぬ怪物が封印されてゆく。
その中に、人影が見えた気がした。
「ヴィト……まさか」
アレッサンドラの胸を、激しい痛みが貫く。
森から出るなと言ったヴィトの言葉の意味が、今になって痛いほど分かった。
彼は最後に、自分を守ってくれたのだ。
よろめく足取りで、アレッサンドラは立ち上がる。
焼け焦げた木々の残骸の中、膝から血が滲むのも気にせず、森から走り出す。
瓦礫の山の中でそこかしこに横たわる人々は、誰一人として動かない。
絶望的な光景の中、アレッサンドラの目に見覚えのある人影が飛び込んできた。
「ソニア!?」
かつてのアレッサンドラの侍女は、瓦礫の下敷きになり、かろうじて上半身だけが見えていた。
使用人の制服は埃と血で汚れ、整えた髪も乱れていた。
アレッサンドラは急いで駆け寄ると、ソニアの体を覆う瓦礫を必死に取り除いていく。
「ソニア! しっかりして!」
アレッサンドラの呼びかけに、ソニアがかすかに目を開く。
「姫……様……」
微かな息遣い。生きている。
アレッサンドラは、ソニアを優しく抱き起こした。
「大丈夫よ、私がついているわ」
あの日自分の体調を気遣ってくれた侍女が、今は逆の立場で横たわっている。
アレッサンドラは、ソニアの髪を優しく撫でる。
「もう大丈夫。すぐに助けを……」
「いいえ……もう……私は……」
ソニアは、力なく首を振る。
「そんなこと言わないで!」
アレッサンドラは叫ぶように言った。
けれど、ソニアの体は次第に冷たくなっていく。
「姫様……お仕えできて……本当に……嬉しゅう……ございました……」
その言葉に、アレッサンドラの胸が締め付けられる。
ソニアが騙されてくれたからこそ、城を抜け出すことができた。
そしてヴィトに会うことができた。
「あなたは最後まで、私の味方でいてくれたわ、ソニア」
アレッサンドラは、ソニアの手を強く握る。
その手から、少しずつ温もりが失われていくのを感じながら。
「姫様……どうか……生きて……」
「ソニア!!」
その言葉を最後に、ソニアの瞳から光が消えた。
アレッサンドラの頬を、熱い涙が伝った。
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指に嵌めたクローバーの指輪が、朝日に輝く。
最後のヴィトの微笑みが、まぶたの裏に焼き付いている。
アレッサンドラは、焼け焦げた大地に膝をつく。
一滴の涙が、乾いた土を潤す。
「ヴィト、あなたは自分のことを『絶望』だと言ったけれど、違うわ」
アレッサンドラは、空へと向かって語りかける。
「私にとってあなたは、世界で最も輝かしい『生命』だった」
朝日が昇り始め、焼け野原に新しい光が差し込む。
まるで、希望の種を撒くように。
アレッサンドラは、『生命の歌』を口ずさみ始める。
小さな声が、次第に力強さを増していく。
——小さな芽が、土から顔を出す
——春の雨に、濡れて輝く
歌声が廃墟に響き渡る中、アレッサンドラの足元で、一輪の白いクローバーが顔を覗かせた。
まるで、新しい生命の誕生を告げるように。
「私を守ってくれた、あなたのために」
アレッサンドラは、その小さな芽に優しく触れる。
「私は命の限り、この世界で生き続けてみせるわ」
その誓いは、新しい物語の始まりだった。




