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アレッサンドラ 第4章②:クローバーの冠

 白薔薇の滝が、美しく水を落としている。

 光を受けた水しぶきは、まるで無数の花びらが舞い散るよう。

 その景色は一ヶ月前と同じように神秘的で、そして儚かった。


「オメェ、ずっと……ずっと来なかったじゃねーか……」


 木々の間から姿を現したヴィトの声が、震えていた。

 いつもの尊大な態度も、意地の悪い笑みも見せない。

 ただ、震える声で、一ヶ月分の寂しさを吐き出すように。


「なんで来なかったんだよ……」


 緑の瞳が、潤んでいるように見えた。


 その言葉に、アレッサの胸が締め付けられる。

 きっとヴィトは、いつものように木の上で佇んでいたのだろう。

 約束の場所で、一人静かに。


「ごめんね」


 アレッサは、今までにないくらい優しい声で言った。

 心からの謝罪の言葉。

 一ヶ月もの間、ヴィトを待たせてしまったことへの。


「べ、別に謝らなくていいけどよ……」


 強がった言葉とは裏腹に、ヴィトの声は上ずっていた。


「待ってたわけじゃねーし……」


 その言葉に、アレッサは思わず微笑む。

 相変わらずの強がり。

 でも、その裏にある本当の気持ちが、痛いほど伝わってくる。


「お前、顔色悪いぞ」


 ヴィトが、心配そうにアレッサを見つめる。


「なんかあったのか?」


 その問いに、アレッサは答えられない。

 代わりに、そっと膝をつく。

 森にそぐわない豪華なドレスの裾が、露に濡れた草に触れる。


 足元には、可愛らしい白いクローバーが咲いていた。

 朝露を帯びた白い花びらが、陽を受けて輝いている。


「なっ……な、何してんだよ」


 アレッサが一輪一輪、丁寧にクローバーを摘んでいくのを、ヴィトは不安そうに見つめる。

 まるで、何かを予感しているかのように。


「お前さ、いつもみてーに偉そうなこと言わねーし、変な服着てるし……なんか、おかしいぞ」


 ヴィトの声には、不安が滲んでいた。

 いつもならからかい返してくるアレッサが、今日は違う。

 その違和感が、彼の心をざわつかせる。


 白薔薇の滝は、変わらず水を落とし続ける。

 水しぶきは光を砕き、虹色の粒となって舞い散る。

 二人の沈黙を、滝の音だけが優しく包んでいた。


「ほら」


 白いクローバーで編んだ小さな王冠が完成する。

 アレッサは立ち上がり、ゆっくりとそれをヴィトの頭に載せた。


「似合うわ」


 ヴィトの金色の髪に、白いクローバーの輪が優しく重なる。

 まるで光の冠のよう。

 その姿は、まるで森の王子様のようだった。


「な、なんだよ、急に……」


 ヴィトは慌てて王冠に手を伸ばすが、触れることはできない。

 その仕草が、どこか幼い子供のようだった。


 周囲の木々が、優しく揺れる。

 光の粒が、二人の間を漂うように舞う。


「ヴィト」


 アレッサの声が、滝の音に重なる。


「私ね、遠いところにお嫁に行くの」


 ヴィトの動きが、はたと止まる。


「もう、この森には来られない。ヴィトにも、会えなくなる」


 水しぶきが、光の粒となって降り注ぐ。

 白薔薇の花びらのように、儚く、そして美しく。


「は……」


 ヴィトの緑の瞳が、大きく揺れる。


「はぁ……?」


 その声には、まだ状況を飲み込めていない混乱が滲んでいた。


「な、なんだよそれ……」


 ヴィトは必死に笑おうとする。


「お前、また意地悪な冗談言ってんだろ? いつもみてーに……」


 アレッサは、ヴィトの頭に載せたクローバーの王冠を、そっと直す。

 陽を受けて輝く金色の髪に、白い花が優しく寄り添う。


「冗談……だろ?」


 ヴィトの声が、かすれていく。


「お前、また来るんだろ? いつも通り……」


 アレッサは、静かに首を振る。

 その仕草に、どれほどの悲しみが込められているか、ヴィトには分からない。

 けれど、何かが終わろうとしているということだけは、確かに感じ取っていた。


「嘘だ……」


 ヴィトは後ずさる。

 頭のクローバーの王冠が、揺れる。


「お前、約束しただろ! また来るって!」


 突然の叫び声に、小鳥たちが驚いて飛び立つ。


「約束……破るのか?」


 その問いに、アレッサの胸が痛んだ。


「ごめんね」


 優しく、でもしっかりとした声で告げる。


「私には、果たさなければならない役目があるの」


「役目? なんだよそれ……」


 ヴィトは困惑したように、周囲を見回す。

 まるで助けを求めるように。


「なんでだよ……オレ、悪いことしたのか?」


 その言葉に、アレッサの目に涙が浮かぶ。


「違うわ、ヴィト。あなたは何も悪くない」


「じゃあなんで! なんで行っちまうんだよ!」


 ヴィトの叫び声が、森中に響き渡る。

 白薔薇の滝の音さえ、かき消されそうなほどの。


 アレッサは、ゆっくりとヴィトに近づく。

 逃げようとする彼の腕を、優しく掴む。


「ヴィト、聞いて」


 近くで見上げると、ヴィトの目に涙が溜まっているのが分かった。

 必死に堪えているその瞳は、陽を受けてより一層鮮やかな緑色に輝いていた。


「私ね、あなたと過ごした時間が、本当に楽しかった」


「う、うるせー! そんなこと聞きたくねーよ!」


 ヴィトは腕を振り解こうとするが、アレッサは離さない。


「この森で、あなたが教えてくれた景色は、きっと一生忘れない」


「やめろよ……」


 声が震える。


「白薔薇の滝も、あなたの秘密基地も、全部大切な思い出」


「やめろって……」


 ヴィトの声が、掠れていく。


 水しぶきが、二人の間を漂う。

 光の粒は、まるで涙のようだった。


「だから……」


 アレッサは、精一杯の笑顔を作る。


「最後に、この王冠をプレゼントしたの。私からの、お別れの贈り物」

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