表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/18

アレッサンドラ 第3章④:継母の策謀

 城に帰ったアレッサンドラは、図書館の秘密の通路を通ってそっと自室に戻った。

 白薔薇の滝の光景が、まだ鮮やかに心に残っている。

 あの水しぶきは、本当に母の白薔薇の花びらのようだった。


「姫様、お加減はいかがでしょうか?」


 しばらくして、ノックの音と共に侍女のソニアが心配そうに入ってくる。

 朝、頭痛と称して部屋に籠ると告げていたのだ。


「ええ、一日休んで楽になったわ」


 寝台に腰掛けながら、アレッサンドラは疲れた表情を演じる。

 この演技にも、もう随分と慣れた。


「それはよろしゅうございました……ですが」


 ソニアの声が、急に沈む。


「王妃様が、どうしてもとおっしゃいまして」

「お継母様が?」


 その言葉に、アレッサンドラの背筋が凍る。


「北の国との婚儀についてお話があるとかで、至急お呼びです」


 アレッサンドラは、静かに目を閉じた。

 いつかは来ると覚悟していた時が、とうとう訪れたのだ。


「分かったわ。準備をして、すぐに参ります」


---


 王妃の間に、黒檀の杖の音が響く。


 コツ、コツ、コツ。


 その音は、まるで運命の時を刻む鐘のようだ。


「まあ、アレッサンドラ」


 継母の声には、いつもの冷たさの中に、意味ありげな響きが混じっていた。


「今日は体調が優れないと聞いていましたが……随分とお顔の色がよろしいようですわね」


 アレッサンドラは一瞬、息を呑む。

 継母の口元には、薄い笑みが浮かんでいた。


「朝の空気は心地よかったかしら?」


 背筋が凍る。

 まるで全てを見透かしているかのような口ぶり。

 継母は、ずっと自分の行動を把握していたのだろうか。


「近頃は、お部屋で休まれる日が多いと思えば……」


 黒檀の杖が、ゆっくりと床を叩く。


 コツ。


「実は、城の外で過ごされていたとか?」


 コツ。


「特に、裏手の森のあたりで」


 コツ。


 アレッサンドラは、必死に平静を装う。

 けれど、指先の震えを止めることができない。


「さあ、あなたの婚儀についてお話ししましょう」


 お継母様は、まるで獲物を前にした蛇のように、ゆっくりと微笑む。


「北の国との婚儀の日取りが決まりましたわ。次の満月の日です」


 アレッサンドラの心臓が早鐘を打つ。

 たった一月。

 全てが終わるまで、たった一月しかない。


「北の国は鉄鉱山だけでなく、豊かな森もあるそうですわ」


 継母は、意味ありげな笑みを浮かべる。


「もっとも、あちらの森は凍てつく寒さで、年の半分は雪に閉ざされると聞きます。貴女のように朝な夕なに散策を楽しむことは難しいでしょうね」


 その言葉には、明らかな皮肉が込められていた。

 アレッサンドラは唇を噛みしめる。


「そうそう。北の国から、花嫁付きの侍女たちが明日にも到着するそうですわ。あなたにあちらでの作法を教え込むため、四六時中付き添うことになります」


「……!」


 アレッサンドラは、思わず継母の顔を見上げた。

 継母の声は蜜のようにねっとりと、そして氷のように冷ややかだった。


「それと、あなたの身辺警護のために、見張りの衛兵を増やすことにします」


「…………」


「あら、何か都合の悪いことでも?」


「……ご配慮、感謝します」


 やっとの思いで、アレッサンドラは返事をした。


「お部屋に戻って、今後の支度のことを考えなさい」


 黒檀の杖が、冷たい音を響かせる。


 コツ、コツ、コツ。


---


 部屋に戻ったアレッサンドラは、重たい身体を寝台に預ける。

 窓の外には、継母の赤薔薇が鮮やかに咲いていた。

 かつてそこにあった母の白薔薇は、もう影も形もない。


 これからは、異国の新しい侍女たちが四六時中付き纏い、城の衛兵たちまでもが辺りを巡回することになる。

 今までの手段で抜け出すことは不可能だ。

 図書館の秘密の通路も、きっと閉ざされてしまうだろう。


 それでも——


 最後にヴィトに会わなければならない。

 別れを告げなければならない。

 あの意地っ張りで、寂しがり屋の少年に。


 アレッサンドラの胸が痛みで締め付けられる。

 名前をつけたばかりの『白薔薇の滝』の景色も、もう二度と見ることはできない。


「……ヴィトに会う約束、破ることになるわね」


 アレッサンドラは、掌を強く握りしめる。

 もう二度と会えないと、ヴィトに告げなければならない。

 そう思うだけで、悲しみに胸が張り裂けそうだった。


 北の国。

 雪と氷に閉ざされた土地。

 そこにも森はあるのかもしれない。


 けれど、ヴィトのいない森など、ただの木の集まりでしかない。

 もう二度と、あの意地悪な笑顔も、照れ隠しの強がりも、あどけない喜びの表情も見ることはできない。


 アレッサンドラは、静かに目を閉じる。

 耳に響くのは、継母の黒檀の杖の音。


 コツ、コツ、コツ。


 そして、もう一つの音が重なる。

 白薔薇の滝の、清らかな水音。

 光の花びらが舞い散る、神秘的な景色。

 ヴィトが誇らしげに見せてくれた、二人だけの特別な場所。


「母様……」


 か細い声が、部屋の闇に溶けていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ