ある少女の、やっと。
何となく家に帰りたくない気分になり、近所の森の中にひっそりと存在する湖へと向かった。ここに来るのは一周目の人生以来だ。あの頃は見つけたのも気に入っていたのもラテルで、私は数回連れてこられただけだった。
けれど、人があまり訪れず静かなこの場所は今の自分が来るのに丁度良い場所だった。夕日が綺麗に水面に映し出されている。茜色に染った景色に囲まれながら、私は湖の近くに座り込んだ。
母さんや父さんが心配してるかも、ラテルはもう試験終わったのかな。そんな事を考えながらぼんやりと湖を眺めていた。
家族に心配を掛けてしまうという事は分かっていたけれど、どうしても腰を上げる事が出来ない。家に帰る勇気が出ないまま、黄昏れているといつの間にか日が沈み、夜空が浮かび上がっていた。
流石にそろそろ帰らなければ、と思いかけたその時後ろからいきなり声をかけられた。聞き慣れた声では合ったけれど考え事をしていた事もあり、一瞬驚いてしまった。
振り返って見てみると、案の定ラテルの姿が合った。焦ったような表情をした後、私と目が合うと安心した様な表情になったが、次の瞬間には此方へと走り出してきた。そのまま私の目の前まで着くと、その勢いのままがっ、と肩を掴んできた。
「姉ちゃん!こんな時間まで何で帰ってこなかったの!!」
その表情からは怒りが伝わってくる。当然だろう。少し息が切れている事からここまで走ってきたのだろう。それだけでも心配させてしまったこ事がわかる。
「⋯うん。ごめん。」
それでも直ぐに返せた言葉は短い謝罪の言葉だけだった。少しの静寂が生まれた。
「⋯ごめんって!、こっちがどれだけ心配したとっ!」
怒った声でそう叫びながらも、ラテルは泣いていた。だが我に返った様に目を見開いた後、掴みかかっていた肩から手を離し、涙を腕でゴシゴシと拭い始めた。
「⋯いや、ごめん、怒りすぎた。」
「何でラテルが謝るのさ。⋯私が悪いんだから、ラテルが謝る事なんて何もないよ。」
少し顔を合わせながら話すのを気まずく感じ、湖の方へと姿勢を戻した。するとラテルも私の横に腰を下ろし、湖の方へと身体を向けた。
「⋯ここって昔、僕達が見つけた場所だよね。よく来てたのは僕だけだったけど。」
少しの静寂の後、ラテルがぽつりと話し始めた。
「そう。母さんや父さんに怒られたり時とかよくここに逃げてた。」
「ははっ、そんな事もあったっけ。」
声だけ聞くと笑い話の様に聞こえるけれど、横目でチラリと見てみると少し耳が赤くなっていた。その視線に気付いたのかラテルもこっちを見て、「見ないでよ!」と非難の声を上げた。
「⋯ぷっ、あっはは!」
いつも通りの照れ屋なラテルを見て笑いが溢れてしまった。そんな私を見てラテルは「笑わないでよ!」と言いながらも私と同じ様に笑い始めた。
風や木が揺れ、葉が擦れる音だけが響いていた森の中に一際明るい笑い声が響き出す。悩んでいた事が馬鹿馬鹿しく思えてきた。笑いを抑える為に息を整える。
「⋯今日、帰りにお嬢様の屋敷が合った街を通ったの。」
ぽつり、ぽつりと話し始めた私にラテルは笑いを止め、静かに話しを聞く姿勢になった。
「それで、ちょっと決心が揺らぎそうになって。⋯お嬢様や魔族の問題を止めるって決めたのは私なんだけど、やっぱり時々、不安になるの。」
私が死んだのは累計二回。二回死んだだけでなれる事なんて無く、やっぱり恐ろしい事だ。自分の首がくっついているか、離れてはいないか、それを確認するように首を触ってしまう事が癖になってしまっていた。
「失敗したらまた同じ様に死ぬんじゃないかって。今度は家族まで巻き込んじゃうんじゃないかって。⋯私が始めるって決めた事なのにこんな、悩んで。私のこういう所、大っ嫌い。」
視界が歪む、また涙が出てきたのだろう。泣き虫な所も嫌いだ。先程まで笑い声が響いていたのに今度は自分の嗚咽を漏らす音だけが響いた。
必死に涙を止めようと腕で拭うけれど、余計に溢れて止まらない。昔の自分ならこんな事で泣くことなんて無かっただろうに、こっちの世界に来てから一体何なのだ。
そんな事を考えながらも必死に涙を止めようとしていたその時、視界いっぱいに布が広がった。否、ラテルに抱きしめられたのだろう。
「そういう、不安な事あるんだったら言ってよ。一人で抱え込もうとしないでよ!それとも僕ってそんなに頼りないの?魔法だって姉ちゃんより、他の奴らよりずっと強いのに!」
そう言いながらもまたラテルは泣きだした。⋯私は何をやっているんだろう。決めた事をうだうだと悩み、挙句の果てには弟まで泣かせて。
その時、私の心の中では考えが固まった。今までは何の為にお嬢様や魔族を止めたいのか、明確な理由が固まっていなかった。そんな中で上手くいく筈が無い。
そう、私はこの子の為に平穏を守りたいんだ。一周目のあの時、私が死んでしまったあの時、最後に見たラテルの顔は酷く歪んでいた。そうだ、あんな顔二度と見たくない。させたくない。
大事な弟だ。家族だ。巻き込んでしまう事は今でも懸念の材料ではある。だけど、
あんなに溢れていた涙はいつの間にか止まっていた。ラテルの身体を出来る限り優しく私から離し、目を合わせた。
「⋯やっと決心出来た。ありがとう、ラテル。」
「⋯へ?」
未だに涙を溢しているラテルは理解できずになのか、きょとんとした顔をしている。この事は言わない。伝えない。守りたい、だなんて言ってしまっては自分が頼りないのでは、と考えてしまうだろうし。
「それと、ラテルは頼りなくなんて無いよ。いつも助かってるもん。」
「へ?ありがとう?」
未だに話に着いてこれていない様子のラテルに笑いが溢れてしまう。驚いた顔をしたラテルに「帰ろっか。」と伝えると、一旦思考を放棄したのか、「うん!」といつも通りの返事が返ってきた。




