ある少女の、忘れていた事。
「それじゃあ、これを着てね〜。」
そう言われ手渡された物は、シンプルな緑のエプロン、胸元に店の名前である『ラルカル食堂』という文字が刺繍されている。刺繍の文字の癖から母が作ったとわかる。
「わかったよ。」
そう伝えると「先に店の準備してるから着終わったらこっちに来てね〜。」と言い残し店がある一階へと階段から降りていった。
その様子をラテルと一緒に見送り、その姿が視界から消えた直後、ラテルはグルンっと言う効果音が付きそうな動きで首を回しこちらに振り返った。
「姉ちゃん本当に大丈夫!?⋯今ならまだ辞めれるよ?」
心配そうに手を握りしめてそう言うラテル。この会話は昨日から既に十回以上している。何回聞くんだ⋯とは思ったが私自身も心配ではあった。とはいえ自分以外にここまで心配されると少し冷静になっていた。
「大丈夫だよ。私だってあの頃よりは成長してるんだから。」
フンッと胸を張りながらそう言うとラテルは「そっか⋯」と言いつつ心配そうな顔をしていた。少し心配性過ぎる様には感じたが母や父を待たせるわけにはいけないと思い、エプロンを着始めた。
シンプルなエプロンだったので過度に似合わない、という事はないのだろうけれど少し似合っているか不安だ。因みにラテルは可愛く着こなしている。
「ラテル、似合ってるよー。」
思っている事をそのまま伝えてみると、
「姉ちゃんも似合ってるし可愛い!」
という言葉と笑顔が返ってきた。これは成長したら女の子にモテモテだろうなと思った。既にお世辞すら言えるのだから。
「私はそんなに似合ってないよ〜。」
実際にそう思っていたので、苦笑交じりにそう言うと、
「⋯姉ちゃん昔から自己肯定感低いよね。特に容姿の事なんて、」
クドクドと呆れ混じりに説教らしきものを唱えられた。実際私の容姿なんて普通なのに何故怒られなければならないのだ。
そう考えていると溜息と共に「取り敢えず母さん達の方に行こう、時間そこそこ経ってるし。」という言葉が返ってきた。
言われるがままに一階へと降り、店の中へと入った。一周目を含めてもこの食堂に入った回数は両手で数えられるほどだ。
最初の手伝いの時のトラウマもあり、私は店に寄り付こうとしていなかった。知らない間にこの場所も私にとっての苦手な場所に入るようになってしまっていたらしい。
今回店の手伝いを始めた理由はその事をつい忘れていたことだった。こう考えると時間と共に忘れてしまう事もたくさんあるんだな、と実感した。
ラテルが過度に心配していた理由はこの事をわかっていたから、なのだろうか。それとも単純に心配していただけか。真相は本人にしかわからない。
それでも私を案じて心配し、何度も止めようとしてくれたのだ。
「ありがとう。」
心の底から思っている言葉をそのまま口にした。その言葉を聞いたラテルはきょとんとした顔で数回パチパチと瞬きをした後、頬を緩ませて笑った。




