召喚された聖女の祈り
聖女ものに初挑戦。設定など緩いのでサラッと読んでいただけるとありがたいです!
それは、なんということもない昼下がり。
農業系の新規事業の資金相談で行った銀行が混んでいたせいでお昼を食べそこねた私、天海聖良は、上司の『今日は特別に昼休みは2時半までとっていいよ』という一言で、いつになく豪華なランチを食べることになった。
並ばなくては入れないと評判のカフェ、『ルゥルゥ』でAセットを注文し、サラダが運ばれてきたところで
『今どきわざわざ銀行に直接行かなきゃならないなんちゃって外資勤めなんてやっぱりもう辞めようかなと思ったけど、こんな日があるなら、まあもう少しいいか』
とウキウキでミニトマトを口に…と、突然身体が光に包まれた。
眩しさに閉じていた目を開けると、そこは円形の台座の上で、周りには白い服を着た人々が立っている。彼らを見下ろす形になっているのは台座がちょっと高いから。椅子に座ったままでも見下ろせるのだからなかなかの高さなのでは。
「あら…」
フォークの先にミニトマトが刺さったままで、私は人々を見る。年齢は様々なようだが、一様に服は白くゆったりとしていて、みんな髪が濃淡はあれど金色だ。目の色は茶色や青や緑だが総じて淡く薄い。
「ええと…ここは…」
「やった!聖女様が来てくださったぞ!!」
「バンザイ!」
「聖女様!」
喜んでいる人々に驚きつつ、私はとりあえずフォークの先のミニトマトを食べた。多分ここから先はゆっくり食事をしている時間なんてなさそうだから。
その姿を見ていた人々は、ここに呼ばれた私よりも驚いた顔をしていた。そんなに?
*****
「で、私はなんのために呼ばれたのですか?」
口の中のミニトマトを飲み込んでから、私は1番前に立っていた体格の良い人に聞いた。
「私どもの国では、今、幸福を感じる人々が少なくなっているのです」
彼は見た目に反してちょっと弱々しい声で答えた。
「幸福を感じる人々の減少…って、ぼんやりした答えですね。それって、人口そのものも減っているんですか?それとも総数は変わらないけれど、幸福を感じている人の割合が少なくなっている?または幸福を感じていないわけではないけれどもその度数が低いとか?昔は90だった幸福度が今は65とか、そういう?そもそも幸福度の測り方はどんなものですか?尺度は。あ、それから…」
「ま、待ってください聖女様」
私の質問に答えてくれた体格の良い人が青くなっているのに気付いたのだろう、彼の隣にいた年配の男性が遮った。
「…」
「…」
「…」
「あの、聖女様?」
「え?待ってくださいって言いましたよね?」
「あ、ああ…そう、そうですね。ええと、その…」
「…」
年配の男性が遮った割に口ごもっていると、彼の後ろにいた女性…こちらはだいぶ若い感じがする…が、その彼を引っ張って円形のこの部屋の向こう側の隅に行った。
「…ちょっと、神官長、アレ、本当に聖女様なんですか?」
「いや…でも召喚の儀式で現れたから…」
「あんなに平然として…普通もっと戸惑ったり…」
「いや、でも…そこは聖女様だから…?」
「この状況で物を食べるとか、待てって言われたからって黙ったままでいるとか、変わってません?」
うーん、部屋の構造のせいもあって、遠いのにしっかり聞こえているのだが、だいぶ疑われている感じだ。
確かに今の私は黒髪黒目というここの人達とはかけ離れた容姿。でも身だしなみは整えているし、仕事中だったからそこそこ良いスーツを着ているのに。
あ、このスーツがまたダメなのかもしれない。黒いし、確かに神々しくはない。
その他の人々も怪訝そうな顔をしているから、みんな多かれ少なかれ疑っているのだろう。この状況なら仕方ないかもしれないけど、このまま万が一軟禁なんてことになっても困るので口を開く。
「ええと、まあ幸福度の定義や測り方やなんかはよくわかりませんが、とにかく、人々に幸せになってほしいので私が呼ばれたということですね?」
誰にというわけでもなくそう言うと、体格の良い男性を含む数名がコクコクと頷いた。
「なるほど、では、ここに呼ばれた私が何かをすれば人々の幸福度が上がる、そう考えていらっしゃると?」
「はっ、はい!そうです!」
「ふーむ…まずは話を聞いてみましょうか」
「!」
「あ、でもそれができるとは限りませんよ?とりあえず聞いてみるってことで」
「…あ…はい…」
皆は目に見えてしょんぼりしてしまったが、私だって安請け合いはできない。
ここの今の状況はわからないが、聖女を呼ぶほど切羽詰まっているのだから、良いはずがない。期待が大きければ大きいほどガッカリさせてしまった時のダメージが大きくなるだろうし。
「で、ここの責任者は…」
「私です」
先ほど部屋の隅に連れて行かれた人が戻って来て答えた。
「ああ、神官長さん」
「なぜそれを!」
「いや、さっきその女の人が話してましたから」
「こんなに遠いのに、聞こえていたのですか?」
「ええ、まあ」
「やはり聖女様だ!」
「いや、部屋の構造上、反対側の音が天井を伝わって中央に降りてくるんでしょう。立派な建物ですね」
ドームの上に取り付けられている丸い傘の形のものを指す。多分周りの音が上に集まり、中央に降ってくる仕掛けだろう。
「なんと博識な!」
聖女補正なのか、みんな、特に神官長は私をすごい人だと思い込んでいるようで、何を言っても感心されそうだ。まあいいけど。
「ええと…呼ばれた理由を説明してもらっていいですか?まずは名前からどうぞ」
「ああ、はい、もちろんです。私が神官長のアンドレ、彼がウィリアム、彼女がケイトです」
ふむ、老人の割に元気な声のアンドレさん、体格の良いウィリアムさん、懐疑的なケイトさんか。
*****
なんとか説明してもらったところによると、この「ファイン国」は人々の幸福度、人口に対して「自分は幸せだ」と感じている人の割合、が高いことが有名で、そのために多くの観光客が訪れるのだという。…どこか前の世界で聞いたような国だなと思う。
なんだろう、幸せな国に行けば、自分もその恩恵にあずかれるとか、一時でも幸せを感じられるとか、幸せを感じる秘訣に気付けるとか、そんなふうに思うのだろうか。まあギスギスしたところよりニコニコしてるほうが一緒にいて気分がいいものだから、わからなくはない。
しかし聞いたところによると、近年その割合が減っており、幸せの感じ方も「とても幸せ、どちらかと言えば幸せ、どちらかと言えば幸せでない、不幸」のうち、「どちらかと言えば幸せ」が増えており、昔のように「とても幸せ」と答える人が少なくなっているのだそうだ。
「『普通』を許さない四件法…」
前の世界では会社勤めをしていたので、それなりに知識のある私。うんうん、『どちらでもない』って本当に厄介よね。
「え?何とおっしゃいましたか?」
「いえ、なんでも。で、私が何をすれば幸福度が上がると?」
「聖女様には、この国の『幸福の塔』で人々のために祈っていただきます」
「…それだけ?」
「え?それだけって?それこそが聖女様のお役目です!」
ああ…それだけならルゥルゥのランチ食べたかった。もう1時間後に呼んでほしかった。そこでハッとする。
「あっ…もしかして、幸福度が上がったら、元の世界に戻すつもりとか?ここでの時間は無かったことになって、喚ばれた時の状態に!」
「…申し訳ありません、それには私どものもつ力が足りません」
「あ…そうよね〜」
どうも人間が自分たちの力で喚んだようだから無理だろうとは思っていたけど一応聞いてみたわけだが、そんなに言い切るくらい無理なのだとはっきりした。そうだよねぇ。
「うーん…納得いかないところもあるけど、仕方がないか。確認ですけど、私に危害を加えるとか騙そうとするとかは無しで頼みますね」
「はいっ!もちろんです!!」
神官長のアンドレさんと私のやり取りを聞いていた他の人たちはワッと歓声を上げた。納得のいかない表情の女性、ケイトさん以外は。
台座から降りると、私が座っていた椅子も降ろされた。
「椅子はどうなるの?」
「聖女様と共に来たものは全て神具となりますので、塔にお運びします」
「え、じゃあこのフォークも?」
「はい」
「さっき食べたミニトマトは…」
「ええ、あれも本当は取っておいてほしかったのですが」
「それは…ちょっと申し訳なかったですね。ごめんなさい」
「そんな、いいのです!聖女様はお腹がすいていらしたのでしょう?」
「ランチの途中って言うか、さあ食べようって時だったから」
「…申し訳ありません」
「まあいいです。良かったら塔とやらに着いたら何か食べさせてもらえないでしょうか」
「はい、もちろんです」
*****
アンドレさんに先導されて私は馬車に乗せられ、そのまま『幸福の塔』に連れて行かれた。途中で見る街は活気がなく、道も建物も薄汚れていた。というか、ここ数年で寂れたという感じではなく、もっとずっと前からこうだったのではないかと感じさせる町並みだった。
人々の服も古びていて、何をするわけでもなく建物の前の石段に座っている人や、来ない客を待っているのかボンヤリと店先に座っている人などが目についた。子どもの姿もチラホラと見える。ということは学校に通っていない子がいるということだ。
なるほど、これは良くない。神官たちが私を召喚したのも頷ける。そんなことを考えているうちに塔に着いた。
「こ、こんなに高いの建てて…他のことに使った方が良かったんじゃないの?」
私は塔を見上げて、その高さとこれから挑むだろう階段に慄いた、が仕方なくフォークを片手に上がった。
一番上に着くと、ゼーゼーしている私に、アンドレさんはすぐに部屋の中のものを説明し始めた。ウィリアムさんなんて椅子も運んだのにすごい。神官職でも体力があるってことは、怠けてる訳ではなさそうだ。
「これが祈りの水晶です。これに手を当てながら人々の幸福を祈っていただくことになります」
「はあ…まあ何と言うか。こんなものがあるとは」
部屋の中央のテーブルに置かれたフカフカのミニ座布団に乗せられた水晶玉はキラキラしている。美しい球体のそれはどれくらいの期間大切にされてきたのか。
「こちらは聖女様のお休みになる寝室です」
水晶玉を見て感慨にふけっていたが、アンドレさんに促されたので移動する。
案内された扉の向こうの続き部屋は落ち着いた色合いで、ベッドの他にもミニテーブルや椅子、ライティングデスクなどがあった。なかなか好ましい。
「衣服もすぐに準備いたします」
「ありがとう。ところで、この塔から出ることはできるの?」
「はい、護衛はつきますが、基本的には自由にお過ごしいただけます。祈りの時間は聖女様が『今日はここまで』と感じられたところでおしまいですので」
「えっ、そうなの?それはまた随分と…」
「随分と?」
「…私に任せてもらえるのね。しっかりやるわ」
「あっありがとうございます!」
嬉しそうなアンドレさんには言わなかったが、あまりに聖女任せなので少々心配になったのだ。そもそも祈ることが仕事ならそれを頑張るのは当たり前だと思うので私はサボったりはしないが、もし召喚された人が怠け者だったらどうするつもりだったのだろう。
それにしてもだ。
「アンドレさん、ここに来る時に見た町だけれど」
「どうぞ、私のことはアンドレと」
「…私は人に敬称をつけずに呼ぶのは苦手なの。アンドレさん、本当にこの国は幸福度が高かったの?」
「ええ、本当です。そう豊かではない国ですが、人々は幸せを感じながら生活していました」
「ええと、それって、その、『幸せだと思いますか』って聞いた結果よね?」
「はい、そうです」
「みんなにその質問をするようになったのは、いつ頃のこと?」
「前に聖女様が来て予言してくださったので…20年くらい前です」
「えっ、そんな近々で聖女が来たの?そしてその人がアンケートを取れって言ったわけ?」
「アンケート?」
「国民に幸せかどうかを聞けと言ったってことよ」
「ああ、はい、そうです。聖女様は私たちの幸福を願い、そしてその成果がどれほどか確かめましょうとおっしゃいました。結果、予想もしていなかったのですが多くの人々が幸福を感じていることがわかり、いっきにファイン国は世界中から人々が訪れる場所になったのです」
「…観光客はみんなお金を使ってくれたでしょうね」
「はい、そのおかげで国は豊かになりました。人々の幸福度もますます上がりました。その頃はこのお部屋も以前はもっとずっと豪華だったのですが、ここのところはそうもいかず…」
「部屋は十分立派だと思うから気にしないで。まあ、でも、最近は観光客も減り、幸福度も下がってきたと」
「そうなのです。ですから、またこうして来ていただいた聖女様に人々の幸せを祈ってもらいたく」
「…」
これは、アレだな。前に来たっていう聖女はおそらくアンケートの結果を操作して、「『ファイン国は幸せな国』プロモーション」を展開したってことだ。
その結果、世界中で「幸せな国」見学ツアーが組まれ、しばらくはそのインバウンドによる収入で国が潤った。当然人々の生活もちょっと良くなって幸福度は上がった。
でも、その良い時期に国のインフラや産業の整備は行われず、思ったほどではないと感じた観光客はリピーターにはならず、徐々に状況は悪化した。
変にインバウンドでの収入があったために人々は努力しないようになり、その波が引いたせいで以前よりも怠惰な生活を送っていた人々は生活水準が元に戻っただけなのに不満を感じるようになった。
『全く、問題を先送りにして詐欺みたいなもんじゃないの』私は心のなかでため息をついた。
「ねえ、前の聖女はどうなったの?」
「前の聖女様はお年を召していらしたので、2年前に…」
「そう、それは残念ね。きっとその頃から人々の幸福度も急激に下がっていったのでしょう」
「そうなのです。本当に、もうどうして良いのかわからず」
今も生きていたら締め上げてやりたかったわよ。きっと生きている間ずっと何かしらプロモーションをし続けて、だましだまし国を保たせていたんだろう。
でも聖女が亡くなって、アンケート結果の操作も出来なくなって、人々はドンと幸福度が下がったように感じた。その頃には人々は自分たちがどんなふうに生きてきていたのか忘れてしまった。たった20年。されど20年。
人々が自立して生きていく、国を作っていく力を奪いながら、聖女ともてはやされていたのかと思うと腹が立つ。呼ばれて困って何とかしたっていうのはわかるけど。うん…まあ同情しなくはないけど。でも詰めが甘かったのは確かだわね。
それで神官長を含む国の行く末を案じる人々は慌てて聖女として私を呼び出したってことだ。それにしてもだ。
「ねえ、聖女を呼び出すっていうのは、よくあることなの?」
「いえ、そんなによくあるわけでは…ただ、昔から時折どこか他の世界からやってくる人がいたようです。そのうち、そういった人たちが来る条件がわかってきて」
「ほう、条件…それはどんな?」
「何でも、この国の春が来る日の正午に、神殿で神官が…」
「フムフム」
「…祈ると、どこかの世界から聖女がやって来ると」
「えっ、そんな簡単に?」
「あ、いや、その際必要となるのがとても珍しい『ファーガの冠』と言われる大変凶暴な鳥の頭にある羽で」
「鳥のトサカ」
「羽です」
「鳥の頭の羽…それを使って私はここに呼ばれたの?」
「…はい、その、何か?」
「…」
何か?ではない。そんな鳥の頭に生えてる羽でこんなところに呼び出されたと聞かされた身になってみろと言いたい。が、仕方ない。ため息をつきつつ話を聞く。
「ああ、まあいいわ。これまでの聖女の話を全部聞きましょうか」
「はっ、はい」
アンドレさんの話によると、最初は200年ほど前、古びた教会に突然現れた女性が『この土地はとても良いので、人々が一生懸命働けばきっと実り多く幸福な生活が送れるだろう』と言った。また、『人々が困った時には、また私が来る』とも。
実際にその頃、農業がさかんになり、人々の暮らしは豊かになって国ができた…建国の物語だ。
次は120年ほど前、これまた突然現れた女性が、『他の国と仲良くしなさい』と言ったのでその通りにしたところ農作物を買ってもらえるようになったし、他の国からもいろいろな物が入ってくるようになった…ふむふむ、交易の始まりね。
次は100年ほど前。この頃になると記録も残されるようになっており、どうも聖女が現れるのが『教会で、春の来る日の正午に』ということがわかったそうだ。そして聖女の保護や世話をするのは教会が、ということに決まった。
この時は『羊を飼って、その毛で温かな服を作りなさい』と言われたのでその通りにしたところ、北の国が大量に買ってくれるようになったのだそうだ。貿易と主力産業が明らかになったというわけだ。
その女性はそうした予言めいたことを伝えて努力する人々を献身的に支え、共に働き、ある程度国が発展するといつの間にか姿を消し、人々はその不思議さに聖女様と呼び信仰の対象になったということだ。
その後はしばらく聖女は現れず、みんな一生懸命、農業と羊毛業に取り組んでいたが、しかし、50年前に久しぶりに現れた聖女はそれまでの聖女とは違ったそうだ。
確かに春の日だったが、儀式の準備に神官たちが教会を訪れると、台座の上に美貌の聖女が倒れていたのだという。
『え、それって怪しくない?なのに信じちゃったの?素直すぎませんか。聖女崇められすぎでは』
心の中でいろいろ突っ込んでみたが…とにかく、その聖女は領土拡大をとなえ、自分が直接交渉して他の地域を少しずつ自国に取り込んでいった。景気が良いので、吸収されることを喜んだ地域も多かったようだ。
しかし、着るものから食べるものまで大変贅沢を好み、教会は難儀したそうだ。そうこうするうちに吸収された地域の中から、『こんなはずではなかった』と離反するところが出てきた。
『ちょっと、国が傾くほど散財したの?聖女なのに?疑う人はいなかったの?そもそも聖女が直接交渉って、出来レースなのでは?他の地域から送り込まれた女スパイ的なものだったのでは?』
心の中のツッコミはますます激しくなったが、我慢した。話は続く。
そして衰退の兆しが見えていた20年前に召喚され現れた聖女は、データの改ざんで『幸せの国』を作った、ようだ…。聞いていたら、何となく神官たちが気の毒になった。
「水晶玉は最初の聖女様が現れた時に持ってこられたと言われています。そしてこれまでの聖女様は水晶玉に祈りを込めるとともに、どこからかお持ちになった物を通じて、私どもがなすべきことを教えてくださるのです」
「じゃあ、他の聖女は何を持って来たの?」
聞けば、2番めは語学に関する知識、3番目は柔らかな毛織物、4番目は美貌、5番目は何かの書類とのこと。それぞれが繁栄に関するものを持ってきたようだ。へーそうなんだ。美貌って何でしょうか。
「120年前は他の国とのやり取りができるように、国をあげて外国語を覚えたようです。100年前は毛糸を使って複雑な編み方の服や毛織物の開発に力を入れ、様々な国が買ってくれたと」
「今はそれは続いていないの?」
「…50年前の領土拡大の時に多くの職人が他の国へ行き、そのまま帰って来なくなりました。国内に残っているのはわずかな人数です」
「そう…でも、失われたわけではないのね?」
「ええ、まだ国境近くには職人がいて、羊の飼育も続いています」
それを聞いて少しホッとした。
「4番目の聖女の『美貌』っていうのは?」
「…当時の国王の寵愛を受け、お礼にと領土拡大の助言をなさったと」
うーん、聞いたところ、やはり4番目の聖女は偽物っぽい。大方儀式のことを聞きつけ、先回りして召喚された聖女を装ったというところだろう。そして儀式の前に既にいたことを受け入れたということは、内部に籠絡された神官がいたな。残念だ。
では5番目は?
「そう…ところで、前回の聖女が持ってきた書類って見てもいい?」
「はい、こちらにございます」
ウィリアムがか細い声で本棚から取り出したノートを持って来てくれた。中には思った通り、イメージ戦略でまちおこしや私立高校の入学希望者の増加や道の駅の改革をなんとかしようという企画が山のように記録されていた。
「…広告代理店の人だったのかもね」
いずれにせよ、5番目は本当に召喚されてこの国に来たようだ。何とかっていう鳥の頭の羽は侮れない。今回の私の召喚もそれが使われたようだし。きちんと調べてみなくては。
とにかくだ、アンドレの情報から、私は、これまでの実のない取組が今のファイン国の窮状につながっていることを理解し、このままではいけないと考えた。
急にここに呼ばれてどうすれば良いかわからなかった5番目の聖女には同情もするけれど、やはり国作りはイメージ戦略だけではダメで、地道な努力も必要だ。特にデータの改竄なんてダメですから。
観光客が増えて収入があった時にインフラの整備と産業の継続と創出をすべきだった。国として観光産業だけに頼ってやっていくのは危険だ。もし感染症などで人々の移動が途切れたら?他の産業も育てていかなくては。
「はぁ…大体はわかりました。アンドレさん、一緒に来たものをどうするかはとりあえず、一回祈っておきたいわ」
書類を読むのを一旦やめ、水晶玉は…と、ひょいと顔をあげると、アンドレさんがパンにいろいろ挟んだバゲットサンドのようなものを持っていた。あら、嬉しい。
どうも彼の後ろにいるケイトさんが持って来てくれたようだ。彼女は私に懐疑的な感じだったけど失礼ではないようだ。ふむ。
「それって」
「はい、聖女様、お祈りをしていただけるのは、とても、とても!ありがたいのですが、まずはお食事です。簡単なもので申し訳ありませんが、どうぞ」
「ありがとう!」
私は神官長からパンを受け取ると片手で持ち、一口齧り取った。美味しい。お腹がすいていたことを思い出した。食事というのは良いものだ。自分の身体を意識し、慈しむことの大切さを教えてくれる。
「んん〜美味しい。このパンはどこで作られているの?」
「南の地方で修行したパン屋が近所で店を出しているの。観光客は減ったけど、普通に街の人は買っている。南から来た人たちにとっても懐かしい味だし人気があるわ」
「ケイトさん」
ぶっきらぼうのきらいがあるが、ケイトさんの説明は簡潔でわかりやすい。
「さっき、神官長に話していたことは聞こえていたのでしょう?陰口みたいなことを言って悪かったわ…聖女様」
「…いいのよ。急に現れた人に注意をするのは大切なことだし」
黙っているケイトさんに聞く。
「中のハムや野菜はどこのもの?」
「近隣で作られたものです。あの領地では農業を頑張っています。近隣と言っても馬車で運ばなくてはならず…もう少し道が整備されれば良いのですが」
「そう。ケイトさんは、産業について詳しいのね」
「…そんなことないです。知ってたって、私なんて、何の力もないの」
「ケイトさんはこの国をどうしたいの?」
「…聖女様に言うのは間違っているかもしれませんが」
「ケイト!やめなさい!」
アンドレさんが彼女をとめようとする。でも、私は彼女の言葉が聞きたい。
「いいのよ、アンドレさん。私は国をなんとかするために呼ばれたのでしょう?なら、この国の人が、暮らしている人がどんな思いをもっているかを知る必要がある。ケイトさん、続けてちょうだい?」
「…私は、聖女様のお告げだけに頼って国の方針を決めるのは間違っていると思うんです。農業や酪農や他の国とのやり取りは確かにこの国のためになりました。でも、聖女様のお告げは、それは伝説であって、実際にそういうことをしたのは私達の先祖です。聖女様一人がしたわけじゃない」
「ケイト!」
「いいのよ、アンドレさん。とても興味深いわ。ケイトさん、どうぞ続きを」
「だから、私は、聖女様のお告げは聞いても、それをどういう風に進めるかは私達自身が決めるべきだと思うんです。そして自分たちで努力する。いつか姿を消す聖女様を信仰して敬っても、全てを聖女様に願うのは間違っている。自分たちの国は自分たちで作らなければいけない、自分たちで責任をもたなくてはいけない、そう思うんです」
ケイトさんはそう言うと、部屋の静けさにハッとした。
「も…申し訳ありません…私…」
「いいのよ、ケイトさん。私はあなたの言葉は素晴らしいと思う。あなたのような人がいるなら、この国はきっと良くなるし、人々も幸せになるわ」
「聖女様…」
アンドレさんウィリアムさんは嬉しそうな、そしてケイトさんは私の言葉をどう受け止めれば良いのかと困惑した顔をしている。でも私は本気で彼女の言葉に感心したのだ。
「では、ケイトさんの思いに応えて、祈りましょう」
私は水晶玉に手を置く。そしてその手にゆっくりと力を込める。
『この国の人々が、自分たちの力でより良い国を作っていく努力ができますように』
ついでに、昔かけた土地の豊かさが続いているかを確かめる。
*****
そう、200年前にここに来たのは私だ。
神の使いとして様々な場所に行き、その土地その土地の人々が幸せになれるよう、少しだけ力を貸す、それが私の仕事。人々が努力をしている場合はその時々で助けに行くが、そうではない場合もある。国が衰退し、滅ぶ場合もあるのだ。
今回は、おそらくこのままでは衰退するパターンだったのだろうが、ケイトさんの強い願いと鳥の頭の羽が私を呼ぶことにつながったのだろう。前者は歓迎だが後者は正直忌々しい。
ちなみに春の日というのは私の誕生日…まあ聖女としての意識をもった日だが…である。誕生日毎に行く場所を決めて移動していたのだが、たまたまこの世界は神の暦と巡りが同じなので、いつも春の日に来ていると思われたのだろう。
ただ半日のズレがあるので日が変わった夜中に移動していたつもりがここでは正午だったというわけだ。今回初めて知った。
それにしても急に呼ばれたので前の世界の仕事が疎かになってしまったが仕方がない。そのことも水晶玉を通じて神様に報告しておく。あそこには別な聖女を送ってもらわなければ。
いろいろ発展していて面白い土地だったのに、と思う。神や聖女と関係なく、人々の力で世界が動くようになっていた。文化的にも刺激的で、そのせいで4年間も滞在してしまった。でも、あのままでは危うい土地でもあった。世界的にもいろいろ。
とは言え、離れてしまった今、私が集中すべきはここでの祈りだ。身体の中から溢れる力を調整して、あちこちの土が弱まっているところに少しばかり加護をかける。偽物の聖女や無理矢理呼ばれた聖女に翻弄された分としてのサービスだ。まあ、4番目に騙されたのはちょっとどうかなと思うけれど。
「すっ…水晶玉が…!」
虹色に輝く水晶玉を見て、アンドレさんやケイトさんたちが驚く。ウィリアムさんはその場に跪いて祈り始めてしまった。うーん、あまり強い信仰の対象にはなりたくないんだけど、思ったより光ってしまった。ケイトさんが健気すぎて、ちょっと頑張ったから。バゲットサンド美味しかったし。
「はい、今日はここまで。また明日にしましょう…って、それで良かったのよね?」
「はっ、はいっ!!」
「え…今の光は…な、何…?」
神官長は顔を輝かせ、ケイトさんは目をまんまるにしている。彼女の美しい水色の瞳が私を見つめている。
「だって、あなたたちが私を呼んだのでしょう?今日、っていうのは想定外だったけれど。私は私のすべきことをする。それが役目だわ」
「聖女様は…聖女様なのですか?」
「そうよねぇ…じゃあこうしましょう」
ケイトさんを納得させるために、もう一押しする。私は髪と瞳の色を金にする。服も神官長のものと同じ、ゆったりとした白いものに。
「あ…ああ…」
「驚くのも無理はないけれど、これなら信じてもらえるでしょう?ケイトさん、あなたのような人が国を作る根幹となるのよ。自分たちの力を信じ、努力できる人々が」
だからあなたに私を信じてほしいのよ、と続けると、ケイトさんは潤んだ瞳で、でも力強く頷いた。いい子ね。
「それにしても私が最初に持って来た水晶玉が大切にされていて驚いたわ。2回目と3回目の時は飾られていなかったもの。私のことを調べるうちにわかったのでしょうね。まあ嫌な気分ではないわね。ありがとう」
「ほ、他の毛織物などは既に…」
「ああ、それは、特に自分で考えて持って来たものではなかったのよね。材質から言っても失われていても不思議はないし、気にしないで。特に語学なんて、交易に必要だから身につけなさいと言っただけで形もないものよ」
どうして『持ち物』になったのかわからないが、伝承とか伝説なんてそんなものかもしれない。
「まあ、そうね…助言の時に何かしらのきっかけにはなったかもしれないけど…私にとっては人々の努力の矛先が見えるようになればそれで良かったのよ。でも、まぁ、後の人々にとって意味のあるものとなったのなら、それはそれで悪くはないわ」
「そ、そうですか…」
「でも、だとすると、今回私が持って来たもの…椅子とフォークとミニトマトか…うーん、どうしましょうねぇ」
こんなことなら、もう少し気の利いたものを持って来たかったと思う私だったが、ケイトが真剣な顔で
「聖女様、それも私たちが一緒に考えたいです!」
と言ったので、それもそうねと思って微笑んだ私だった。
*****
ファイン国はその後、トマトを含む農作物の生産とそれを使った料理で有名になる。観光客は徐々に増え、活気を取り戻していった。人々は少しずつ道路や水路を整備し、建物を改修し、街は住みやすくなった。人々は勤勉に働き、さらに良い国を作っていこうと努力した。
聖女の伝説は今も人々の間で伝わっているが、ある時期を境に、春の日の午後の召喚の儀式が行われることはなかった。それに頼らなくても人々は幸せに暮らせたのだから。
聖女がいなくなった後、椅子は家具産業に活かされました。また鳥のファーガは聖女に叱られて、そのあとは頭の羽が生えなくなりました。かわいそう。
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