労働者派遣型ゲームUIで少女達のヒモになる話
* * *
少女達の縄張りに男が現れたのは春のことだった。
親が迷宮から帰ってこなくなったのが昨年の春。そこから三人で身を寄せ合って生活を始め、寒い冬を越え、どうにか再び迎えることができた暖かい季節。これから生活を立て直さなければいけないというのにひどい話だ。
清掃兼ゴミあさりの場所取りに負け、肩をおとして失意と共にねぐらに帰ってみれば、男が寝床へ向かう路地の真ん中で寝そべっていた。
道、と言ってもぼろ小屋とぼろ小屋の隙間といった類いのもので、彼女たち以外にここを通るような人間はいない。
進んだ先は行き止まりになっているからだ。
密集した小屋の裏側のちょっとした空きスペース。今更何かを建てるには広さが足りない場所。それゆえに見逃されている空白地帯。
それが力を持たない彼女たちのささやかな縄張りだった。
「そっと抜けるのも難しそうね」
「今日は仕事貰うのに失敗したから、もうのんびりしたい。動くとお腹空いちゃう」
そんなことを言い合いながら、フードをかぶった少女と、小柄で眠たそうな顔をした少女が顔を見合わせた。
「いい、あたしが行く」
このままこうしていても仕方がない。一番体格のいい赤髪の少女が前へ出た。体格がいいといっても、三人の中で、というくくりがつく。ろくに食事もとれていなくて、ひょろりとしている。幸か不幸か、その痩せぎすな見た目のおかげでこの一年を生き延びてきた。もう少し肉がついていたら、人さらいにあっていただろう。
近づくと、何やら変わった臭いがした。不快では無いが嗅ぎ慣れない。つんと鼻をつくような刺激と、柑橘系のほのかな匂いが混ざっていた。
死臭では無い。だからきっと生きているはずだと思って、少女は話しかけた。
「なあ、あんた、生きてるならどっか行ってくれ。死んでるなら――あんたの持ってるもの、あたし達がもらう」
よく見れば、変わった服を着ていた。自分たちが着ているような古着をさらに着古したぼろ布とは違う。変わったものを買ってくれる故買屋の老婆のことを思い浮かべる。
服、腕につけた金属製の装飾品、光沢を持つ黒い革靴。寝そべっているせいで全体的に土埃がついていたが、こんなもの汚れの内に入らない。
少女だって死体から追い剥ぎをしたことはある。そうしなければ生きていけなかったから。だが生きている人間を殺したことは無い。
殺して奪い取ったらどうなるのだろうか。ふとそんな考えが頭をよぎった。懐に忍ばせた、殺傷能力なんてほとんど無い、お守り代わりの小刀に手をやる。どうしようもないほどに辛いことがあったときに、生きていくことに耐えきれなくなったときに、すべてを終わらせるお守り。
これでこの男の喉を掻き切ればどうだろうか。苦しんで死ぬのだろうか。それを見届けて、死体をあされば、しばらくは食いつなげる。
少女が悩んでいる内に、男が目を開く。上半身を起こして、少女の方を見た。
「ああ、まじか、出会える三人ってこんな子供かよ――」
少女の顔を見上げながら男が口を開いた。奇妙な響きの言葉だった。少女には意味がわからないはずの言語。だが、何故か言っていることが伝わってくる。
それは順化現象だ。目の前の男が、世界に馴染もうとしている。そのことに気がついたのは、後ろで様子を見ていた少女の一人だ。
「落ち人、さま?」
「落ち人?」と男が耳に届いた少女の言葉をくりかえす。
「ほかの位相からやってきた、神様みたいな力を持つ人、と聞いています」
落ち人。その存在は知っている。けれど。赤髪の少女は訝しむように男を見た。これが、神様? はは、まさか。それならあたし達を助けてくれるのか。詐欺師だと言われた方が納得できる。
赤髪の少女にはそう思えてしまい、男を見る目が疑わしげに細められる。
「落ち人。落ち人ねえ。それより、子供三人とか聞いてねえし、これはよくないだろ。まじかよ――」
こいつが神様なわけがない。そう思う少女の耳に届く男の声。それに対して、もう違和感を覚えることは無かった。
* * *
「アーシェ、イリス、ウェラ。なるほど、昇順で覚えやすいな」
男は少女達の寝床の入り口に招かれていた。彼が塞いでいた通路の奥だ。さすがにひさしを付けた居住スペースに踏み入る様なことはせず、家の前、ちょっとした隙間に車座になっている。もちろん、椅子なんてないから直に座り込んでいる。
そこで男は、三人から簡単な自己紹介を受けた。
アーシェはフードで頭髪を隠した少女だ。彼女が最初に落ち人と口にした。
イリスはどこか眠たげな、とろんとした目つきをしていて、マイペースな印象を覚える。
ウェラは一番体格のいい赤髪の少女で、今も男のことを疑っていて、にらむような視線を送っている。彼女だけが落ち人という存在を信じていないようだった。
「あんた、名前は?」ウェラが訊ねる。
「名前か。名前はもう無い。落ちてくる、でいいのかな? そのときに失ったみたいだ」
男は自分の名前を思い浮かべても、そのとっかかりさえ思い出すことすらできなかった。
「あの、落ち人様なら保護していただけると思います。よければ、私たちがそこへご案内いたします。その、発見者には、保護協会から謝礼がいただけるんです。もしよければ、保護されたという証言をしてもらえないでしょうか」
アーシェが落ち人という存在に対して、一番無難な選択肢を提示した。男は保護されて、彼女たちは保護したことによる一時金を得ることができる。両得といっていい選択だと思われた。
「ああ、わるい、その分岐は消してきたんだ」
「消して?」
「最初に選べたんだよ、どうやって生きるか。俺に与えられた能力で」
男の視線がアーシェから中空へとずれた。そこには男にだけ見えている映像の一端があった。いくつかの枠、ゲージ、文字、それらの集合体だ。これがなんなのか、彼にだけはわかった。
労働者派遣型シミュレーションゲームのUI。それに酷似している。
クエストと表記される依頼一覧の表示。派遣するメンバーを設定する枠があり、何処で何をさせるか、作業の方針はどうするか、そういった内容を選ぶことができそうだ。
これが想像でしか無いのは、いまは誰も派遣するメンバーがいないから。
唯一色がついているクエスト欄には「メンバーと出会おう」の文字が浮かんでいる。ご丁寧に三択で初期メンバーの方向性が選べる仕様だった。保護協会、路地裏、盗賊ギルド。善、中立、悪、みたいな区分けだろうと男には想像できた。
彼が選んだのは、中立。
「協会か、ここか、まあもう一つの選択肢は知らない方がいい」
「それで、落ち人様はさー、どうしてここにきたの?」
イリスが不思議そうに口にしたその言葉に、ウェラが反応する。「そうだ、あんた、あたしの陰になってアーシェ達が見えなさそうな位置だったのに、三人って口にしたな」姿勢を正す。すぐに立ち上がって行動がとれるように。アーシェとイリスに何かしてみろ。今度は悩んだりなんかしない。小さな刃でも、二人を守ってみせる。
「落ち着いて」アーシェが敵愾心を隠そうとしないウェラに声を掛ける。彼女には男に悪意はないように思われた。自分たち三人が来ることが本当にわかっていて、悪意もあったのなら、もっとほかにやりようがあったはずだからだ。害を与えようとするのなら、それこそあそこで通路を塞ぐようにして目立つように寝て待つ必要なんてない。
「わたしたちに、何か用事があるということでしょうか」
「三人の中で、一番頭が回りそうだな。手っ取り早くて助かるよ」
男は頭脳担当がアーシェだと判断した。二人の盾になろうと前に進みでたところから見るに、咄嗟の判断と思い切りに長けているのはウェラだろうか、イリスはまだつかみ所が無い。
「端的にいう。君たちを雇いたい。仕事の紹介をするから、成功したら報酬の一部を俺に分けて欲しい」
「雇う? あたしたちを?」
馬鹿にしてるのか、とウェラは思った。こんななんの力も、学も無いただの子供を、雇う? 真面目に働くつもりはあってもろくな縁故も無く、薄汚れているせいで、下働きさえ見つからなかった。
きっとろくな仕事じゃ無い。落ち人がなんだ。利用されるだけなんて、ごめんだ。
断ってやる。そう思ってウェラが口を開こうとしたそのときだった。彼女よりも先に、イリスが答えていた。
「わかった。お願いする。今日からでもいいの?」
その回答は、この場の誰からしても意外だったのだろう。少女達はもちろん、男にとっても。
「なんでっ! おい、イリスっ!」
自分とは異なる結論に、ウェラの口調が荒くなる。腰を浮かし、つかみかかろうとした相手は男か、それともイリスだろうか。それをなだめるようにアーシェが手で制した。その様子を見ながらイリスが口を開く。
「ウェラ、イリス達は今日、負けたんだよ。午後に片付けがあらかた終わったゴミ捨て場に行って、そこで何も得るものがなければ、本当に疲れるだけの一日だよ。オチビトサマを追い払っても、それだけで何も残らない。イリスは変われるなら、その機会を逃したくない」
ウェラは不服そうだったが、もう一度座り込んだ。その手をアーシェが握っている。アーシェも不安があるのだろうか、その手は震えていた
「仕事は簡単だ、俺の指示と方針に従って、決められた場所に向かって作業をしてきてくれればいい」
「あぶないこと、する?」
「場所は街の近く、というか中だな。多分危険はそう無いはずだが、あったら逃げることを優先して欲しい。無事であることが第一だ。とりあえず、俺も把握しきれてないことがある。もしかまわないなら、試しで契約してみないか。駄目なら明日以降は声を掛けない」
「一人でも平気?」
イリスはチラリとウェラを見た。
「イリスが試しに契約する。問題がなさそうで、明日以降も何かあるなら二人も加わってもらうかもしれない」
「わかった。きっと一人でも平気だ。君だけでも契約してくれるなら、ありがたい」
本当にいいのかと確かめるような男の視線に、イリスはうなずいた。
「この中だとイリスが一番いなくなっても困らないから」
その言葉にアーシェとウェラの体がぴくりと反応した。二人とも、イリスがそんなことを考えていると知らなかったから。
「このまえの冬に高熱を出したときに、二人に助けられた。代わりに貯金はなくなった。オチビトサマの仕事を判断するのに、イリスが一番都合がいい」
その言葉を聞いて、アーシェ達は反応に困ってしまった。その隙を突いた、と言えば人聞きは悪いが、男はイリスの決断が変わらないうちに話を進める。
「良し、なら。契約しよう。俺に備わった力は多分、人に仕事を与える力なんだ。君が受け取った報酬の中から、一枚だけ俺も分け前を貰う。イリス、よろしく頼む」
男が差し出した手を、イリスは掴んだ。それを契約成立と判断したのは誰なのだろうか。男なのか、イリスなのか、双方なのか、それとも男に与えられた能力がそうさせたのか、それとも神なのか。
わずかな時間、ほのかな光が、つながれた手から放たれた。男の頭の中では、ファンファーレが鳴り響いている。UIにもこの出会いを祝福するかのように「クエスト成功」の文字がレリーフに囲まれて浮かんできた。
UIに表示されていた保護協会と盗賊ギルドの文字はいつの間にか消えていた。代わりに新しいクエストが浮かんでくる。
【チュートリアルクエスト:無くした指輪を探して】
広場の植え込みに指輪が落ちている。持ち主である雑貨屋の主人に返してあげよう。
成功報酬:古着など、銀貨二枚、信頼度向上
成功率:チュートリアルのため失敗はありません
失敗時ペナルティ:なし
男はUIを意識して、契約者一覧を表示する。そこにはイリスの名前とアイコンが表示されていた。そう、あくまでも少女のものだけ。男のアイコンはそこに無い。自分はこのクエストに参加することはできないのだ。
淡い期待をしていたが、それは叶わなかった。これではっきりした、と男は息を一つ吐く。自分では何もできない、派遣するだけの、くそみたいな力だ。
だが、今はこれを行使するしか無い。男だって、右も左もわからないまま、ただ死ぬつもりは無かった。
この能力も、少女達も利用する。
代わりに少女達にも利を与えてやることは忘れないつもりでいた。
「イリス、もう一度手を」
「ん」
再び手をつないだ男はイリスのアイコンを、派遣メンバーに設定する。契約受注、という文字が男の視界の中で揺れる。つないだ手の間に、再び光が生じた。
「おお! すごい! イリスは驚いてる。やらなきゃいけないことが、わかる。なにこれすごい」
イリスには探したい物の詳細がわかった。探すべき場所が街中に整備された公園らしいということまで。それは男にさえはっきりとはわからなかったのに。
「行ってくるね! アーシェ! ウェラ!」
普段はのんびりとしていて、何があっても焦った様子を見せることもないのに、イリスは珍しく駆け出した。その姿を、残された少女達と男は見送った。
「お前は一緒に行かないのか?」ウェラはじっと男のことを見やる。
「行っても意味が無いからな。土地勘も常識も無い、格好も目立つ。あの子だけの方がましだろ」
それは男の言うとおりだ。反論の糸口が見当たらず、ぐ、と息をのんだウェラは男の目を見据えて告げる。
「わかった。今からでも、あたしたちも加えろ。お前は信用できない。イリス一人に任せきりは駄目だ」
「ああ、契約してくれるなら喜んで」
ウェラはいやいや、男がし出した手を握る。次いでアーシェも。
そのままクエスト派遣に追加登録を行うと、イリスのときと同じように契約による光が生じる。
「くそ、本当にやることがわかる。なんだこれ……。いいや、行こう、アーシェ」
先に歩き出したウェラの方をチラリと見た後で、アーシェも立ち上がった。すぐにウェラのことを追いかけることはせず、彼女たちが寝床にしているぼろ屋の中に入り、何かを取り出す。
「これを」
そう言ってアーシェが落ち人に差し出したのは、使い古された外套だった。冬の間、三人でくるまっていた大人用のサイズのものだ。
「その格好は、目立ちます。もしもほかの方に気がつかれたくなければ、使ってください」
「おお、ありがとう」
「ではわたしも」そう言い残すとアーシェも小走りでウェラの後を追う。
残された男はシステムUIを意識する。報酬に変化は無かった。
これでわかったのは、少なくとも今回三人に割り振った依頼に関しては、人数によって報酬は変わらないと言うことだ。増えることは無い、総額表示だ。
そのほかにも提示された条件に変化はない。ペナルティ欄には何もかかれていない。だが、欄はある。つまりは選んだクエストによっては失敗すると何らかの罰則がある。
「まあ、そりゃそうだよな」
呟く男の目には、進捗具合を示すゲージが見えている。未着手だったそれが、少しだけ進んだ。この進み具合ではすぐ一杯にはならないだろうが。
おそらく先に出たイリスが捜索を始めたのだろう。二人が合流すれば、進捗の進みもよくなるに違いない。
男にできることは無い。理由は簡単で、男には探す対象のイメージがはっきりとはわからなかったからだ。クエストに直接参加できていないことが原因かもしれない。
男は立ち上がった。クエスト報告先である雑貨屋の場所を確認して、事前に探りを入れておくべきだ。UIが示している内容が本当なのか、確かめておくのは自分の責任だ。いきなりあの三人娘が店頭に行っても、怪しまれるかもしれない。
もっとも、怪しさで言えば自分も似たようなものか。その考えに行き着いて、男は思わず笑ってしまった。
「これで表示が違ってたらどうすんだろうな」
そんな独り言を口にしながら、男は外套を纏って立ち上がる。途中、わざと革靴を土で汚しながら、彼は路地裏を後にした。
* * *
都市の中には公園が整備されている。貯水用の池や有用な植物を植えてある一角で、それなりの広さを持っている。
城壁の外にも同様のものが用意されていて、そちらの方が規模としては大きい。この公園は都市開拓初期に整備されたもので、順調に街が大きくなった結果、街中に取り残されたのだ。
住民達が思い思いに過ごす場所でもあったが、そんな場所で、植え込みや木の陰などを確認し、手分けして何かを探す少女達の姿があった。
落ち人の男からクエストを割り振られた三人娘である。
お互いの姿が確認できる距離で指輪を探す。時間にして昼をちょうど迎えた頃。教会の鐘の音にかき消されながら、ウェラがうわと声を上げた。
「本当に、あった」
それは偶然だった。半ば土に埋もれた指輪がたまたま指先に引っかかって掘り起こされた。彫りの隙間に土が入り込んでいたが、脳裏に浮かんでいたイメージと寸分も違わぬ指輪が見つかって、ウェラは思わずそう呟いていた。
それと同時に、これは金になるんじゃ無いかという考えが頭に浮かぶ。
「だめですよ、ウェラ」
その考えを見抜いたのだろうか、ウェラの声に集まってきたアーシェが優しく声を掛ける。
「足下を見られるでしょう。落ち人様にも説明できないじゃないですか」
「見つからなかったっていえば、どうにかならないか?」
「だめ。そもそも、イリスが最初に受けたのに、横入りしてきて取るのはウェラでもだめ」
そんなやりとりをしながら、三人娘は公園を出て道の端を目立たぬように進む。途中で、共用井戸を借りて指輪の汚れを軽く落とす。彫りに入り込んでしまった土は綺麗にならなかったが、多少は増しになった。
少女たちは大通りの一角を目指す。自分たちが使ったことがない雑貨屋なのに、どうしてかこの指輪を持っていくべき場所だとわかった。
彼女たちの脳内には、不思議な図形が浮かんでいたからだ。それが道や建物を示した地図であると、最初はわからなかった。
だが、どうも三人ともこの地図が見えており、三つの光点が自分たちであり、色の違う図形が目的地らしいということがわかった。
持っていけば良い場所はわかった。しかし、どうやって指輪を渡せばいいのだろうか。利用したこともない店だ。気をつけてはいるつもりだが、自分たちの格好が着古していてあまり良い身なりをしていないことはわかる。
「持ち込んで、怒られませんかね?」「怒られるのは怖い」「どうする?」
やがて迷うことなく雑貨屋へたどり着くことができた
店先で悩んでも仕方が無い。三人娘がそろって雑貨屋を覗きこむと、そこに店主と外套を羽織った落ち人の姿があった。入り口の方を注視していたようで、少女達がやってきたことにはすぐに気がついた。
「あれが?」
「そうそう。おーい、どうだ、見つかったか?」
手を振る落ち人に対して、イリスが駆け寄っていく。
「見つけた! ウェラが、だけど……」
「三人に割り振った仕事だからな、誰が見つけてもいいだろ」
しょんぼりするイリスに対して落ち人はそう慰める。
「あの、こちら」
そう言って指輪を差し出したのは、交渉事の時に前に立つことが多いアーシェだ。
「――ああ、俺のものだ。間違いない。見つからないと思ってたのに」
「へー、銀製の指輪だったのか。まあ、これで俺が詐欺師じゃないってわかっただろう? ん?」
「わ、悪かったよ」
「それに、仕分けも手伝ってやったんだから感謝しろよな」
「もちろんだ。ちゃんとこの嬢ちゃんたちに支払うよ」
雑貨店の店主とどのようなやりとりがあったのか三人娘にはわからなかったが、どうも落ち人が事前に話を付けてくれていたようだ。
落ち人はカウンターの上に置かれていた硬貨を一枚つまみ上げると、三人娘のまえにかざした。
「よし。これで今日の仕事はとりあえず終わりだな。仲介料として俺の取り分は今貰った。後は三人で分けあってくれ。あと、いくつか古着を融通してもらったから、着替えておけ。明日、また会いに行く。仕事を続けて受けるつもりがあればよろしく頼む」
男は店主に後を任せると店を出て行った。
残されて少し不安になった三人娘だったが、雑貨屋の店主がカウンターに並べていく報酬に目をとられた。イリスだけ、少し背伸びしてカウンターの上を確認している。
「銀貨一枚、銅貨九枚。あとは洗ってはあるが店に出してない古着だな。縫い目がほつれてきていて、繕ってないがまだ着れる状態だ」
雑貨屋の店主は指輪の礼として三人娘に
「あの、計算が合わない気がします。あの人が一枚持っていく約束なので、わたしたちがもらえるのは銀貨一枚なのでは?」
アーシェはめったに手にすることが無い銀貨をぎゅっと握りしめる。
「さっきの兄さんは、銅一枚が自分の取り分だって言ってたよ。こっちが提示したのは銀貨二枚で、そこから銅貨一枚を減らしてる。だから、君たちのもらえる金額はあってる」
雑貨屋の店主は三人の様子から、計算が不得手だと判断したのだろう。さっきまでいた男も計算が得意ではなさそうで、小銭を崩す枚数を確認していた。店主は男にもしたように、少女達に対しても丁寧に枚数があっていることを説明してみせた。
一枚。確かに一枚だ。だが思っていた内容と違う。アーシェはひとまず考えることをやめた。間違いではない。
アーシェの様子から落ち人の男が何かしたことはウェラにもわかる。そのことに対して不機嫌そうな顔つきになるのが端から見てもわかったが、イリスが店主にばれない位置でたしなめるように肘でこづいていた。
「三人で分けるなら全部銅貨にかえてもいいが、どうする?」
「いえ、このままで。あの、この銀貨で買える鞄はありませんか? できれば、三人分」
「ああ、そうか、そのまま抱えてくわけにもいかんか。いいよ。おまけだ。鞄が一つと、後は加工に失敗したせいで売り物にならない布がある。それで包めるだろ」
「あの、貰いすぎではないでしょうか」
「いやなあ、さっきの兄さんが来て、指輪無くしてないかなんて変なことを聞くんだよ。確かに落としてたが、ずいぶん時間が経ってる。いたずらかと思ったんだが、公園で光る何かを見かけた、知り合いの子供が見つけてくるから持ってきたらちょっとおまけしてやってくれって話になってな。本当に指輪が見つかるなんて思ってなかったんだ。酔ったときにどこかで落として、それっきりだ。ギルドへの依頼も出したんだが、未達で期限がきておしまいでな。そんなものだから誰かに拾われて、持っていかれても文句は言えないのに」
店主はそこまで言って、付け加えた。
「価値があるわけじゃないが、思い出の品でな。嬢ちゃんたちも、持ってきてくれてありがとうな。あの兄さんとの賭けに負けた分と、あとは感謝の分、上乗せだ」
「あ、あの、ありがとうございます。でしたら、全部銅貨にしてもらえますか?」
「おう。じゃあ、枚数確認してくれ。それと、なんだ、あの目利きがすごい変な兄さんにもよろしく言ってくれ」
三人は報酬を受け取ると、並んで歩き出した。枚数の都合で綺麗に等分、とはならなかったが端数はイリスに渡された。割れ銭に代えてまで等分にする必要は無く、「最初にイリスが受けてくれたから」と言うのがアーシェの弁だった。
分配した内容に不満はない。だが、ウェラは道の端を歩きながら文句を言い続けていた。
「んだよ、くそ、銅貨一枚でいいって」「施しのつもりかよ」「なんかきっとあるんだろ。なんたって落ち人サマだからな。もっと稼ぐ方法がさ」
「そう悪く言うものじゃないですよ、ウェラ」
ウェラは落ち人への不満を口にし、アーシェは男の能力で現金収入だけでなく服も手に入れたことに感謝していた。
自分たちのねぐらに置いておくのは不安だが、鞄や包むものももらえたから、出歩くときに置きっぱなしにしなくていい。少しは生活が上向いてくれるかもしれない。
ウェラは文句を言い、アーシェは生活の仕方を考えていた。
だから、それに気がつけたのはイリスだけだった。
「オチビトサマ――」イリスの視界の端に見えたのは、ぼろぼろの外套を身につけた男の姿だった。目立たないように道の端を歩きながら、市場の様子を探っているのがわかる。
片方の手は脇腹の辺りをさすっていた。もう片方の手の中では、何かを転がしているような動き。薄汚れて、日の光を反射することもなくなった一枚の銅貨だ。
イリスは荷物の端をぎゅっと握る。音が出ないように、重ねて布の端に押し込めた銅貨。それが七枚。短時間、一日の稼ぎとしては悪くない。
落ち人が歩き出すのが見えた。まだ何かを観察するのだろうか。
「――二人とも、イリスは今日、別のところで寝るね。まとまってると危ないかもだし」
「え」「おい」と声を掛けるアーシェとウェラをよそに、イリスは小走りになって人混みに姿を消した。二人が止める暇も無かった。
一人になったイリスは、落ち人の姿を探す。見失うこと無く、壁を背に立って思案する男の姿を見つけた。
「オチビトサマ、なにしてるの?」
「ん? おお、えっと、イリスだよな。なんでぼろ服のままなんだ? 古着、もらえなかったのか? いや、でも、背中になんか背負ってるか」
「ちゃんともらえた。すごい助かる。いつもの辺りで着てる物が急に変わると目立つ。イリス達は強くないから用心深くしてるつもり」
「あー、そうだよな、そういうことも気にしてやるべきなのか」
「それで、オチビトサマはなにしてるの?」
「ちょっとした観察と、あとは寝床を探してる」
「寝床」
「ああ、まだ疲れてないが、どうしたって暗くなるだろ? 寝ないわけにもいかないからな」
落ち人の男は昨晩睡眠をとれていない。落ちてきてから少女達に出会うまでの間、あたりを観察し、夜も寝ずに暗がりを渡り歩いていたからだ。
順化の作用により、気配を消す技術が自然と身についたり、睡眠量が少なくても問題ない体質になったりしていることに、男はまだ気がついていない。
雑貨屋の仕分けを手伝うときに重宝した、ものをじっと見ると詳細がわかるそれも、システムUIの一部だと思い込んでいる。だが、実際は順化により身についた鑑定能力だ。
そうやって自身の体に変化が起きていることに男は気がついていない。ただ、夜に眠らないのは気持ちが悪いという、落ちてくる前の生活習慣がそこにあった。
「寝るところ。銀貨があれば、雑魚寝できそうなところに何日か泊まれたよ?」
一枚とればよかったのに、とイリスは言う。
「いやいや、俺はなにもしていない。それなのに半分も貰ったら子供の稼ぎを横取りしてるようなもんだろうが」
「むう、イリスは子供じゃない」
落ち人はイリスの抗議に耳を貸すこと無く「銀貨、まずは銀貨か」とつぶやき何事かを考え始めてしまった。その外套の裾をイリスがくいくいとひっぱる。
男が視線を向けるとイリスが「ん」と手を差し出してくる。そこには銅貨が三枚。「お仕事くれたお礼。一枚なら、ひとりあたり銅貨一枚でもいい?」
「それだと、俺が四枚貰っちゃうことになるからな? それにそれはお前の取り分なんだろ? しまっておけ。大丈夫だ、あの雑貨屋で売っても大丈夫そうな物を処分したから、少しは持つ」
嘘だ。落ち人であることがばれたら面倒なことになりそうだとわかった今、何かを売り払ったりなんてできるはずが無い。
手元にあるのは銅貨一枚だけ。これで何かできることはあるか。自分が生きていくためにどの程度の稼ぎが必要か。そういうものを知るために市場の様子をうかがいに来たのだ。
二人のところに戻っても大丈夫。落ち人はそう言ったが、イリスはついて回ることにした。男だけだったらあたりの様子をうかがうことに集中するあまり、周囲から浮いてしまったかもしれないが、イリスが一緒にいて説明をしてくれることで目立たずに済んでいた。
「あのさ、アーシェに確認した方が良いかもだけど、オチビトサマなら、協会で寝泊まりさせてもらえるんじゃないかもって」
「協会なあ。まあ、そうだな、どうしようもなくなったらそれも手なんだろうけど」
落ち人は協会に向かうつもりがないらしいと、イリスもわかった。それならば。
「なら、イリスの秘密の場所がある。寝るだけならどうにかなるかも」
屋根も無い位置での野宿だけど、と付け加えてイリスは男を見上げた。
「おお、銅貨よりもそっちの方がうれしいな。貸してもらえるか?」
「ん。オチビトサマでも入れると思う」
「そういや、落ち人って呼ばれるのもよくないんだよな」
適当な名前が必要だと男は考え、口にする。
「ナナシでいいか」
「ナナシ?」
「おう、そうだ。もしも明日も仕事を受けてくれるなら、あの二人にもそう呼ぶように伝えておいてくれ」
「ん、仕事は受ける。でもナナシが直接伝えて。イリス、今日はその寝床で一緒に寝るから」
「は?」
「ばらけた方が良いって言って別れてきた。だからイリスはナナシと一緒に寝る。ほら、ナナシ、こっち来る。隠れ家に案内する。暗くなる前に、移動しておく。道も覚えて?」
「え、あ、ああ?」
ぐいぐいと手を引っ張るイリスに案内されて、ナナシは路地裏を進む。
結局ナナシは人が入ってこない路地の片隅、三人娘の縄張りよりもさらに狭いちょっとした隙間みたいな空間で夜を明かした。イリスに抱きつかれながら。ずいぶんと懐かれたものだと思いながら。
こうして、ナナシと三人娘の関係は幕を開けた。
* * *
翌日以降、ナナシが仕事を斡旋し、三人娘がそれを請け負う生活が始まった。
初日と同じような失せ物探しに始まって、軽作業をふくんだ雑用など大体が街中の仕事だ。街の外に出るとしても、せいぜいが城壁近くでの森に分け入ってちょっとした薬草の採取と言ったところだ。
開拓が終わって、森の形として残した箇所であり、それほど危険は無い。
仕事の中にはゴミ処理の手伝いといった、三人娘が登録している業務斡旋所に並ぶような仕事もあった。それ以外にも個人間でちょっとした手助けを行って小遣いを稼ぐような内容もあった。
依頼票として張り出されるものもあれば、困っている場所にちょうど出くわせることもある。
ナナシにはそういった仕事につながる物事の発生がわかった。
報酬によって少しずつ小綺麗な格好になった三人娘の評判は悪くない。
雑貨屋の一件を皮切りに、どうも後ろにまともな大人がついたらしいということが伝わったらしい。それならちょっとした仕事を任せてもいいだろうと思われたようだ。
実際はまともではなく、常識に疎い落ち人なのだが。
ともあれ評判は上々だ。ナナシの衛生観念にもとづく教育もあって、体を綺麗にすることも習慣になってきたのも大きい。何はともあれ石けんだ、とナナシが自分用に買いそろえたあれこれをまねて、三人の身なりは大分綺麗になった。
そもそも悪さには手を染めず、どうにか生活を成り立たせようとしていた様子もあって、ここにきて一部の住人には好意的に受け止められていた。
初めはいろいろとナナシのことを疑っていたウェラも、アーシェとイリスとそろって仕事を受けに来る。気まずいのか、少し後ろの方に立っていたが。
街中で起こっている些細な問題だけでは無く、斡旋所に張り出される仕事もナナシにはわかった。おすすめはこれとこれ。そんな内容を先にわかる三人娘は、依頼の争奪戦で失敗することが減った。
以前は自分たちではできない仕事を受けそうになった結果、依頼票を返却することもあったのだ。できるのでは無いかと挑戦して、失敗に終わったことだってある。
そういった業務キャンセルや失敗がなくなってきただけで、職員の覚えもずいぶんよくなってきた。直近の成功率が以上に高く、なにより複数依頼を効率よくこなすのも評価につながっている。
時には塩漬けになりかけているものを引き受けて見事に完遂する。
とくに、探索や採集系の業務とナナシの能力との相性はばつぐんだった。受注した三人には探すものがわかるうえ、手にしたら規定採集量のどれくらいの割合を用意することができたかわかるのだ。
薬草の採集に至っては摘み取る対象の状態まで頭に浮かんでくる始末であり、三人娘はこんな楽をしてしまって良いのだろうかと、ちょっとした罪悪感を覚えるほどだった。
そんなこんなで三人娘の仕事は失敗知らずである。
今日もナナシの元に完了の報告に行き、彼に報酬の一部を渡す。
「一枚」「これをもらっていく」「確かに銅貨をもらった」
報酬は一枚。ナナシはそれを破ろうとしなかった。
ウェラだって頭は悪くない。
だから日を重ねるごとに不満を口にすることはなくなった。それどころかナナシがまるで搾取する様子が無い事実に気がついて、少しだけばつが悪そうにしている。
いや、搾取する様子がないにもほどがあった。生活が整っていく自分たちに対して、ウェラの目にする男は少しずつ、やつれていったからだ。
いま、三人娘は安宿ではあるが一部屋共同で利用できるほどに生活が安定した。月額の利用料を一括で支払うことができるほどの金を貯めることができたからだ。
対してナナシはどうか。彼は「お前らが出て行くなら、ここを使わせてくれ」と路地裏生活をしている。
三人に朝会うと仕事を与えて前日分の銅貨を受け取り、自身は日雇いの城壁修復の労働に出向く。ナナシの方が、一日の労働時間は長く、稼ぎは少ない。
三人娘達はナナシの能力によって成功率が高く割が良い仕事を選べ、失敗知らずだ。だがナナシは自分自身を自身の能力であるクエストに登録できない。
たとえ彼が業務斡旋所で薬草採取の依頼を受けたとしても、何処に生えているのか、状態はどうか、どれほど集まったのか、それを把握することができないのだ。
だから三人のような働き方はできない。特別な能力も持たず、肉体労働の現場でも彼の評価は真面目さだけが取り柄という扱いだ。
もちろん、順化により作業効率は日ごと増してきているし、その体にもしっかりとした筋肉がついてきている。
だが、いかんせん栄養状況が悪く、休息も十分に取れない環境が響いていた。もう少し環境が整っていれば、順化もよい方に向かったのだろうが。
そんなナナシの状態を気にしているのは三人娘に共通していたが、中でも心配と共にうろたえているのはウェラだった。
「なあ、旦那。もっと、もらってくれても、いいぞ?」
な? とウェラは今日も銅貨に添えて銀貨を差し出すのだが、ナナシは自分の分としてと銅貨をつまみ上げる。ウェラの言葉に甘えて銀貨を受け取るようなことはしなかった。
どうして受け取ってくれないのかと問い詰められれば「それはお前らが稼いだ金だからな」と返す。
「でも、ナナシ様がいなければ仕事を見つけることさえできませんでした」貰って欲しいというそんなアーシェの言葉にも困ったように笑うだけだ。
「俺はお前らが受けられて、成功しやすそうな仕事を教えただけだからな。そんなに貰うわけにはいかない」
ナナシは銅貨一枚だけを貰うと決めていた。システムUIに自分の取り分を設定できる欄があり、最低価格が銅貨一枚だったからだ。
対価は受け取るしか無い。それならせめて、最低価格にするべきだ。
ナナシは自分の能力を過小評価していた。アーシェたちにとってはやることを示してくれて、成功に導いてくれる偉大な力だ。
だが、ナナシにとってはそうではない。成功しそうな仕事に派遣して終わり、そう思っている。
「ナナシの旦那、頼むよ、受け取ってくれよぉ……」
ウェラは普段他人に向ける気丈な様子と違って、ナナシに対しては困った様子を見せることが増えている。
なんども疑ってしまった罪悪感、ここに来てなおこちらから搾取しようとしないナナシの姿、それが彼女を悩ませていた。
そんなウェラが「銀貨しか用意できなかった」と嘘をついた日がある。一枚、受け取って欲しいと考えてのことだ。
どうなったか。結果から言えばナナシはその銀貨を受け取れなかった。何か見えない力が働いて、ウェラの渡そうとした銀貨は、不自然な動きでナナシの手から勢いよく反発したかと思うと地面にころがった。
その現象に思わず、四人で顔を見合わせてしまった。
「え、なんで」
「もう一度試す」
「ナナシ様、これ、受け取れます?」
アーシェとイリスが渡そうとしてきた銀貨も同じだ。ナナシの手のひらにのせてぎゅっと握らせるところまではできても、少女たちが手を離した瞬間に勢いよく暴れ出す。やがてナナシの力では押さえ込むことができずに、想像以上に勢いよく飛び出してしまう。
ナナシも頑張って握ろうとしてみたが、時間経過と共に銀貨に生じる力は増すばかりだ。
最後の実験でもナナシは銀貨を押さえ込むことができなかった。音を立てて転がった銀貨を、ナナシはつまみ上げて二人に返す。このくらいの時間、つかみ方なら銀貨に変化はないようだった。
「悪いな、受け取れないみたいだ。細かくなったときに払ってくれれば良い」
「おもしろい。はねる。おもしろい」
イリスは返された銀貨をナナシに渡しては反発させて楽しんでいた。
そんなわけで、ナナシの経済状況は改善していない。
今日も肉体労働を終え、三人娘の元ねぐらでシステムUIを眺めていた。
表示されている依頼の数は少ない。三人に勧められない高難度のものはずっとあるが、そういったものは初めから除外している。
ナナシはため息をつく。明日、彼女たち向けの仕事が無い。
かといって何も提示しないも不味いだろう。彼女たちの生活も、まだ安定したとは言いにくい。仕事にありつけなければ、すぐにここに出戻ってしまう可能性がまだ残っている。
薬草採集は先日納品を終えてあまり気味。三人に何か仕事を与えるとしても、別の系統が良いだろう。
斡旋所以外では露店販売の代行もあるが、まだ彼女たちだけでは足下を見られそうだ。トラブルにあったときに対応できるかもわからない。
契約している間、三人娘の状況が見られる機能が追加された。どうやら一定数の依頼を与え、継続的な関係が築けたことによる影響らしい。
ナナシは自分が知って良いのかわからないため、表示設定を変更して、元々見ることができていたクエスト進捗度合いと、能力値だけが見られるようにしていた。最初に表示されたアーシェの身長体重は尊い犠牲になったのだ。
もっとも、彼女たちに身長や体重を計測する習慣は無かったため、たとえ伝えたところで、なんの反応も得られなかっただろうが。
それでも表示されてしまう基本情報によれば、彼女たちは十五歳らしい。三人で身を寄せ合えばどうにか生き延びられる年齢だった、ということなのだろう。
もっと幼ければとっくに死んでいて、路地裏で会うことができなかったのでは無いかとナナシは思う。
彼女たちの能力値は、おそらく年相応のものだ。ひょっとすると、栄養が足りていなかった分、成長が遅れているかもしれない。
三人とも、魔力の項目があり、少なくともゼロでは無い要素を持っているようだった。
能力は左から右に伸びる棒グラフで示されているため、具体的な値がわからないのだ。三人の中ではアーシェがバランス型、ウェラが肉体派、イリスが魔力多めといったところだろうか。
その能力状況がわかったところで、グラフに用いられる基準値がわからないのだ。ひょっとすると、このグラフは成長度合いを示していて、右端は個人的な成長限界なのかもしれない。
実際の能力はともかく、彼女たちの格好はどうしたって荒事には向かない。だから退治や討伐系と思われる依頼は割り振らないようにしていた。出てきても、教えたりしない。
彼女たちに、少しでも自衛の手段があれば良いのだが、今は採集道具を中心に買いそろえているだけで、まだ戦う術を学べていない。
斡旋所の技能講習を受けさせてからの方が良いだろうが、彼女たちには身を守るための装備品も手にできていないのだ。時期尚早というやつである。
何か良いものは無いか。普段は目にしない、報酬が不確定な依頼も確認していく。
UIに見慣れぬ新規クエストが表示されたのは、ちょうどそんなときだった。
「なんだこりゃ」と、それを目にしたナナシは呟いた。
【臨時クエスト:ゴミ山に宝は眠るか】
普通のゴミに混ざって、迷宮廃棄物が投棄されることになるようだ。中には中古の装備品や迷宮産未鑑定のお宝が眠っているかもしれない。早い者勝ちの依頼票を取得し、お宝を発見せよ。
成功報酬:ゴミ掃除達成料、その他未確定(古びた装備、消耗品、???)
成功確率:未確定
翌日。銅貨を受け取りながらナナシはアーシェに訊ねた。
「迷宮とかそこからでる廃棄物ってしってるか」
「ナナシ様はご存じないかと思うのですが、近くに迷宮と呼ばれる場所があるんです。不思議なところです。石造りの迷路、何処までも続く草原、深く薄暗い樹海、透き通って魚の影がくっきり見える清流――門を抜けるとそういった光景が広がっているんです」
アーシェは楽しそうに口に下後で、眉をひそめた。
「一度、斡旋所を介さない荷物持ちの仕事で入ったことがあります。荷物持ちとは名ばかりで、実際は魔物が現れたときに囮にされるだけの仕事でしたけど」
「あれは危なかった」
「イリスが固まってさ。あたしが担いで逃げれたからどうにかなったんだ」
「ナナシ様がおっしゃった迷宮廃棄物は、基本的に一般のゴミ捨て場に出回ることは無いんですけど。時々横着した方が一般ゴミに混ぜて持ってきてしまうことがあるんです」
「昔、呪いの剣が落ちてたことがあったー」
「人斬りが出たことがあるんだけど、その正体はゴミ捨て場で剣を拾った爺さんだったんだ」
呪いの品も混ざっている可能性がある。そもそもつかえる状態のものが拾えるかどうかもわからない。これは博打に近いなとナナシは思う。ため息を一つ吐き、画面をにらむ。こんな日に限って増えていく依頼は討伐系や護衛、調査といった荒事寄りのものばかりだ。
もう少ししたら、臨時クエストの受注期限がきれる。UI上の表示がグレーアウトし、選択できなくなる。
その場を確認したことはないが、おそらく、誰かが先に受けることになるのだろう。
「今日は紹介できるろくな仕事が無い。もしも興味があるならこの、訳ありっぽいゴミさらいを受けてくれればいい。汚れるのが嫌ならやめてもいい。一日働かなくても、今の三人ならどうにか――」
「受けます!」
「イリスも」
「あ、あたしも、受けさせてくれ」
三人娘は顔を合わせると、すぐに頷き、手を差し出す。
「あ、ああ」と気圧されながらナナシは順に手を取った。契約樹立の光が、今日も三人娘との間で輝く。
「変なものなら、拾うなよ? ああ、でも、ひょっとしたら俺の力で拾ったものがなにかわかるかもしれない。とにかく、普段通り気をつけてな」
ナナシの心配を受けながら、三人娘は一度うなずくとすぐに動き出した。
「急ぎましょう」
「今までの経験から、すぐに貼り出されるはず」
「先に行って、確保してくる。たぶん依頼票は普通のゴミ集積場整理と同じだろ」
ウェラに続いて、イリスも路地裏を出て行く。アーシェが最後に一礼をして、先行する二人を追った。
それを見送って、ナナシも契約中の労働現場へ向かう。今日は暑くなりそうだった。
* * *
仕事の報告を受けるのは、大抵翌朝だ。だが、この日は違った。
資材切れにより午前中で解散となった城壁修復の労働を終えたナナシの帰りを、三人が待ち受けていた。傍らにはぼろ布で覆われた荷車が停められている。
昼過ぎから三人がここを訪れるのは珍しい。ナナシ自身でさえ今日の労働が短くなることを知らなかったというのに、こんな時間から帰りを待つようにやってくるとは。
ひょっとして失敗したのだろうか。いや、さっきシステムUIで確認した時点では、無事に完了となっていた。
それはする必要の無い心配だった。彼女たちの顔を見ればわかる。
「三人とも、どうした? ひょっとしなくても、うまくいったのか?」
「ナナシ様! やりました! たぶん、これです!」
「ナナシ、私も見つけた」
「旦那、当たりだ! あたしらにとって十分に質の良い装備品と、いくつか消耗品もあった」
話を聞けば、ゴミ処理場で作業を始めようとしたところ、駆け込みで、とある迷宮探索集団がゴミを直接出しに来たらしい。何でも倉庫の契約更新を忘れ、雑多なものはまとめて捨てることになったという。
あたりもあたり。大当たりの部類だ。
「処分品に混ざってた、未確定消耗品ももらってきた」
「ゴミ捨て場をあさるんじゃ無くて、持ち込まれたから選別の必要もほとんど無かったんだ! ピンときてないんだろうけど、すごいことなんだよ旦那!」
「迷宮内で行う遺品あさりで大当たりを引いたようなものです。これなら、少しずつ探索者としての仕事を受けることもできそうです」
その言葉通り、三人は受けることができる仕事の幅が広がった。ナナシのクエスト一覧にも、警備や護衛、討伐と言った文字が増えている。もちろん装備を手に入れただけで強くなれるわけでは無く、成功する見込みは欠片も無いのだが。
だが今の時点でも些細な影響があった。採集の成功率が上がっているのだ。ひょっとすると、邪魔が入ることが少なくなったのかもしれない十割とは行かないが、外壁周辺での採集なら九割九分九厘成功するような状況になっている。
「講習を受けてこようと思います!」
「訓練場の予約も入れたー!」
「少しずつだけど、迷宮の仕事も受けられるかもしれねえ!」
三人の顔は喜びにあふれていた。それは生活の安定が加速するであろうと言うことから
「これも全部、旦那の――」
ウェラが少し涙ぐみながらナナシに抱きついたそのときだ。
「はしゃいでるところ悪いんだけど、お前ら」
「その拾得物譲ってくれねえかなあ」
その声が響いた瞬間、ナナシと三人娘の視線は一斉に路地の入り口へと向けられた。普段は人が寄りつかないこの路地裏に、目つきの悪い二人組の男が立っていた。剣を抜き放ち、隠すことなく近づいてくる彼らの姿は、明らかにこちらを獲物としてみている。
たたき切るタイプの長剣を軽々と片手で扱う男は、その切っ先をナナシと三人娘の方へと向た。
「なん、で」
アーシェのつぶやきは男たちにも届いていた。
「最近稼ぎが良いらしいなあ、お前ら」
「特に今日のゴミさらいは、上手くいったみたいじゃないか」
ウェラはナナシを後ろにかばうように、先頭に出た。手には鉄の棒。今日拾ってきたものの一つ。刃先をしっかりと当てる必要がある剣はまともに振るえる気がしなかったが、棒なら少しはつかえるかもしれないと考えての行動だった。
だが、ウェラのその行動は、男たちにとっては威嚇にならない。
「そのゴミ、俺たちも欲しくなってな。なに、お前らには必要ないだろ?」
「お前らだってゴミみたいなもんだし、いらないだろ?」
どこかで目を付けられたのだろう。最初からゴミを持ち込んできた集団に目星を付けていたのか、あるいは荷車を借りるところや曳いているところを見られてしまったか。
三人とも、普通の生活を送り始めていて、油断していた。まだまだ弱者で、気を抜くことなど許されていなかったのに。なにより、ナナシのところまで来てしまったのが不味い。
ウェラが矢面に立ち、アーシェは何かできることは無いかと辺りをうかがっている。行き止まりであることが不利に働いていた。声を上げたところで、近くの家屋の人間が助けに来てくれることもないだろう。
「イリス」
ナナシが小さくイリスに声をかけ、アーシェとウェラの後ろでこそこそとやりとりをする。
「あいつら知ってるのか?」
「素行のよくない相手。チンピラ。街の人間からは嫌われてる。イリスたちは避けてたけど、目は付けられてたかも。死ねば良い」
イリスは取得物の中から短剣を選んで、握りしめている。彼女の体躯では振ったりなんて器用なまねはできない。しっかりと握って腰の高さに構えている。相手の太腿のあたりに、体当たりをする覚悟をしていた。
相手の様子もこちらの様子も見た上で、ナナシはどうも荒事は避けられそうに無いと思った。こんなことなら剣の一つでも握って素振りでもしておけばよかったか。そうすれば順化して、少しは役に立てたのかも知れない。
ウェラとアーシェが相手に対峙しているが、何もしないで指をくわえてみているわけには行かないだろう。ナナシは内心で勘弁してくれと思いながら、「これ、貰うぞ」とイリスの方へ手を伸ばす。
「なあ、あんたら」
そして拳を握り、ふらりと立ち上がったナナシは、男たちに声をかけた。止めようとするアーシェとウェラの隙間を通って、歩みを進める。
握りしめたナナシの拳。それは端から見ても震えていた。男たちから見てもナナシは肉体労働者と言った程度の体つきで、刃物などを持っている様子は無い。
「なんだお前、引き攣ってやがんのか」
「俺はこのガキどもと話をしてるんだよ、すっこんでろ」
ナナシは歯を食いしばりながら、強く手を握っていた。
痛え、痛え、痛え!
手の内から生じる痛みを我慢しながら、ナナシは口を開く。
「まあまあ、そう言うなよ。俺はこいつらに仕事を斡旋してるんだ。俺を通すのが筋ってもんだろ」
「ナナシ様」「旦那」男たちと相対していたアーシェとウェラが心配そうにナナシの背中に声をかけた。
年端もいかない小娘に心配される程度の存在。それがわかった男たちはにやにやとした笑いを隠そうとしない。
「なんだ、あんたが交渉してくれるのか」
「震えてやがるけど、タマついてんのか? このガキどもの方がましなんじゃねえのか?」
ぎゃははと笑い声を上げて男たちは言う。
「ほら、その拳で殴るのか?」
「いいぜ、一発さきにやらせてやるよ」
先に殴ってきたのがナナシなら、やり返しても言い訳がしやすい。こう言うのは事実が大事なのだと男たちはわかっていた。怪我をしないような一撃でも、身を守るために戦ったという言い訳ができる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて――」
ナナシは男の内、体格が良い方へと歩みをすすめる。油断している相手。やるなら、強そうな方だ。
足を踏み出し、体をひねって腕を振り下ろす。
「――弾けろボケ」
男たちからすればわけのわからない体勢から繰り出された一撃だった。殴ると言うよりはまるで何かを投げるような、たたき付けるような振りかぶった一撃。しかも、動作の途中で拳を開こうとしているのも彼らには見て取れた。
残念なことに見て取れたのはそこまでだったが。
何かがはじける音。それについで、甲高いいくつもの金属音が、周辺に広がった。
時刻は昼を少し過ぎたところ。中天から路地裏に差し込んだ太陽の光が、ナナシの手から放たれ、散らばったものに反射して、辺りにきらめきを生んだ。
「て、てめっ、なにを――」
残された男は目に見えてうろたえていた。何かが破裂したような音は聞こえた。それが連れ合いを打ちのめしたこともわかる。だが、理屈がわからない。
見当がつかないものへの嗅覚をもたずして、探索者も多いこの街で生きていけるはずがない。つい先ほどまで、なんの力ももたない相手から奪えば良いと考えていたが、状況は一気に悪化した。
目の前にいる男の持つ力、それがわからない。魔法か、理力か、武術か、その判断すらする暇も無くツレが一撃で伸されて、そして――
「まだ、撃てるぞ」
――震える左手を、見せつけるように突き出している。
「見逃してやる。そいつを連れてさっさと失せろ」
ナナシの言葉に、ひ、と息をのんで残った男は倒れたもう一人を慌てて担ぐ。
その背中に向けて、ナナシは声をかけた。
「次、俺たちの前に姿を見せたらまた、同じ目に遭わせてやるからな」
掲げられた震える左手に、男は頷きながら路地を去って行く。振り返るようなことはしなかった。ナナシの様子を確認する余裕など持ち合わせておらず、一刻も早くこの場を立ち去りたかったからだ。
振り返れば、辺りに散らばった円形の金属が見えただろう。
それはイリスからナナシが奪った、今までの稼ぎだ。
少女たちから、消して受け取ることのできない、銀貨。それに、報酬としての一枚を超える銅貨。握りしめたそれを、男の眼前で炸裂させたのだ。
男たちの姿が表通りへと消えていく。その様子を確認して、ナナシは握りしめていた左手の力を緩めた。
開いた左手には何も握られていない。
イリスに銀貨を何枚も持ち歩けるほどの稼ぎはまだ無く、それは仕事を勧めているナナシにもわかっていた。銅貨を合わせても右手に収まる分で精一杯。こちらはただ、怒りや恐怖が混ざって、震えとして現れていただけだ。
「ああ、どうにかなったか」
あの様子なら、今すぐに戻ってくることはないだろう。
ふと、右手の痛みに気がついた。相手をたたきのめすことができる衝撃。それはナナシの手にも伝わっていた。むしろ、射出点となったそこは、ひどい有様になっている。
内出血を起こしているのだろう。手のひらはおろか、甲の方まで青紫の色が広がっている。
ひょっとしたら、ひびが入っているかもしれない。今まで経験したことのない痛みと熱。それが生まれるのを、ナナシは己の右手に感じていた。
ふ、とナナシは、張り詰めていた糸が切れるのがわかった。
年端もいかない少女達を手駒にするのは心苦しかった。
銅貨一枚の取り分を貰うのも悪いことのように思えて仕方が無かった。
生活を整えてやって、自分がいなくても元の暮らしに戻ることがないように。
ナナシが考えているのはそれだけだった。
それだけが彼のことを支えていたと言ってもいい。
彼女たちの生活の道筋がたち、今日訪れた災難も退けることができた。
講習を受けて行けば、彼女たちの生活派より安定するのだろう。自分は仕事を紹介し続けるかもしれないし、安全マージンを嫌った彼女たちから離れていくかもしれない。
どんな未来が待っているのかわからないが、最低限のスタート地点には立てたはずだ。
そう思ったナナシの体に、精神に、どっと押し寄せるものがあった。
「さすがに、疲れた」
順化にも限界はある。飲まず食わずで睡眠もいらない存在になることはできない。質素、倹約、無い金でぎりぎりの栄養を確保する生活。
そこに訪れた過度の緊張。
限界を超えていたナナシの体から力が抜けていく。右手の痛みだけが鮮明だ。へたり込むようにして、彼は意識を手放した。
「ナナシ様!?」
「ナナシ?」
「旦那っ!」
三人のひどく焦った声を、遠くに聞きながら。
* * *
ウェラがいかに三人の中では背が高く力自慢とはいえ、相手は成人男性であるナナシだ。彼の方が背が高く、意識を失っていることもあって、そのだらりとした体躯を担ぎ上げるのは難しかった。
力を合わせたウェラとアーシェによって、ナナシが引きずられるように運ばれたのは、彼女たちが世話になっている故買屋の老婆のところだった。
軒先から店内まで、ありとあらゆる商品が値札をつけられ積み上げられている。油を拭うためのぼろきれから魔法薬まで、商品の幅は広い。中には薄汚い鍋蓋もあるが、やけに高額なので、見る者が見ればお宝なのだろう。
そんな変わった店の店主である老婆は、ナナシのことを間貸し用の隣室に寝させている。
「過労だろうねえ。それと怪我の痛み」
一足先に駆けつけたイリスから説明を受けており、ナナシのことを見た老婆はそう結論づけた。腫れ上がったナナシの右手に軟膏をつけ包帯を巻いて、簡単な処置はもう終わっている。
「ふん、お前さん達に男ができたとは聞いてたが。こいつか。悪いやつじゃなさそうだが、ちと頭がおかしいんじゃないかね。仕事の斡旋をして、取り分は最低限。それで最終的にお前さん達を狙ってきた馬鹿を退けて倒れるとかどうかしてるだろ」
「あの、悪く言わないであげてください。ナナシさまは、その、私たちのことを考えてくださっていたみたいで」
そう答えるアーシェはフードを外していた。隠していたとがった耳があらわになっている。森の民によく現れる特徴だった。
「は、だからおかしいんだよ。いいかい、あんたらみたいなひょろっちい小娘を助けるなんて、見ず知らずの男ができるわけが無いんだ。女衒に売っ払ったりもせずに、きれいな仕事ばっかり紹介するなんておかしな話差。あんたらもちょっとは疑いな」
アーシェは、ぐ、と言葉に詰まったあとで「でも、おばさまだって」と続ける。
「あたしかい? 馬鹿いうんじゃないよ。あんたらの両親を知ってるからだ。そうじゃ無かったら、何もしてやらないよ。そこまでの善性は持ち合わせていないからね。だから、その男の異常さはわかる――」
少し思案して老婆は視線をナナシへと向けた。
「いや、ナナシと言ったねぇ。はん、名無し。明らかな偽名だ。だけど、行動のおかしさと結びつけたらわかる。なるほど落ち人かい。珍しい」
運び込んだことですぐにナナシの正体が落ち人であるとあたりを付けられたことに、アーシェの顔が曇った。連れ込んだことは軽率だっただろうか。だが、ほかに取れる手段が彼女には無かった。もちろん、ほかの二人にも。
「安心しな、別に協会に連れて行けなんてことを言ったりするつもりは無いよ。ウェラがおかしくなっちまう」
老婆の視線は扉が開け放たれた隣室に向けられる。ナナシが横たわっている部屋だ。
ナナシが倒れたことに一番衝撃を受けていたのは、ウェラのようだった。その行動規範のずれから生じているナナシの善意を疑い、顔を見るたび悪く言っていた相手だ。
それが自分たちの生活を立て直してくれ、悪漢から守ってくれた途端、倒れてしまったのだ。
ウェラは借りた寝台の横に座り込んでナナシの手を握って「ナナシの旦那。起きてくれよ」と呼ぶことを繰り返している。
イリスは「ちょっとでてくる」と言って別行動の最中だ。
「銅貨一枚。それ以上は受け取れない。ねえ。勢いよくはじかれる。ふん」
アーシェからナナシとであってから今までの顛末を軽く聞きながら老婆は思案する。
「制約になっている可能性があるね」
仕事を紹介する能力だと言うことは、話を聞いた老婆にも理解できる。だが、理屈はわからない。一体何処の誰が、離れた位置に存在する仕事について把握することができ、受注した後の経過も常時知ることができるというのか。
「やっぱり、変な力だねえ。たぶん、一枚、それも銅貨だけを取り分とする決まりになってるんじゃないかい」
実際はもっと対価をふっかけることもナナシにはできるのだが、それは老婆の知るところでは無かった。
だから、勘違いしてしまったのだ。
どんなに良い仕事を紹介しても、相手から銅貨一枚しか受け取れない能力だと。
「かたくなに拒んでいたのは、御力の影響もある……? だとしたら、ああ――なんだ、わかりました」
アーシェは霧が晴れたような気持ちになった。どうやって恩を返せば良いのか、どんぞこに落ちかけていた三人をすくい上げてくれた相手に
、何がしてあげられるのか――
「私が養えば、良いのですね」
――アーシェには答えが見えた。
それはナナシが望んでいない未来。盛大な勘違いである。
「ハ、見捨てないのかい?」
「お婆さま、ナナシ様は私たちを助けてくださったんです」
そう口にしたアーシェの口調は、決意に満ちていた。
「その恩に報いず、生きていくことは私のこれからの長い人生の中で澱となって残ってしまいます。私たちはこれからいろいろなことができるでしょう。力も、少しは得ることができるはずです」
これからの生活のことを考える。装備は手に入れることができた。ならば次は力を付けていく必要がある。そうして仕事をこなして、報酬を得て、ナナシを支えていくのだ。
「私たちが最初に選ばれた。とはいえ、頭数が足りないかもしれません。ほかに選択肢があったと言っていましたから、ひょっとしたら増やせる――」
何やら考え込んでしまったアーシェの様子を見ながら老婆は笑った。
「親の顔が見てみたいねえ。いや、まあ、知ってるんだが」
老婆はそういえばアーシェの両親もこれと決めたらやり遂げるタイプだったことを思い出す。いつものように迷宮に向かい、三人を置いて、帰ってこなかったそれぞれの親。
「これは?」
「あんたらの両親の生命石さ」
それは死ねば砕ける、特別な魔石の一種だ。それが、五つ。
「――なんで」
「どっかで生き延びてるんだろ。戻ってはこれないみたいだが。迷宮崩壊に巻き込まれたっていうのに、悪運だけは強い奴らだったからねえ」
アーシェは両親の生存を知らされても、驚きも悲しみもしない自分に気がついた。これがナナシに出会う前だったら、どんな反応をしただろうか。
「そっか、生きて、るんですね。どうしていま?」
「あんたらを保護する必要がなくなったからだよ。死なせない程度に面倒は見る。そういう口約束をあいつらとはしていたけれど、もう、助けなくても生きていけるだろう? 生きて戻るかもわからない親を待たせたところで、お前たちは死ぬ可能性が高かった、あの路地裏で駄目ならどっかに押しつけたいが、三人とも異種族の血が混ざってるからねえ。可能ならあんたたちだけでやっていってくれた方が氏族に連絡をいれずに済む」
ひひ、と笑った老婆が言う。
「生き延びてくれてよかったよ。森を捨てたあたしが、まだ氏族の加護を受けられるあんたを直接助けるわけにはいかなかったからねえ。独り立ちできそうなら、親を探すも良し、勝手に生きるも良しだ。何もできないあんたらに教えてどうする。帰ってくるかもしれないという期待で、動けなくなる可能性があっただろう?」
「なるほど、それは、確かに」
「確かにあたしはあんたらが死なないようにするという頼み事は耳にした。だからどうしようも無いときは助けを出してやった」
老婆はあの路地周辺の人間の面倒も見ることで、彼女たちに手を出す馬鹿が出てこないようにしていた。もちろん、万全とは行かなかったのだが。
「だけどね、あんたらが独り立ちする方法については知ったこっちゃない。悪い落ち人に捕まらないように、というのは頼まれてないのさ」
老婆はかか、と笑った。
イリスが故買屋に戻ってきたのはそのときだった。手には籠。中には乾燥した草木が積まれている。
「おばあちゃん」
「おお、なんだい、イリス」
「ありがとう。あの冬のポーション、たぶん、あのお金じゃ足りなかったんでしょ? これ、在庫の足しにして。薬草、いくつか干しておいた」
「ふん、売れ残りだよ」老婆は束ねられた草を一嗅ぎし「わるくないね」と言う。
「それでも、だよ。ここに、いろいろと売りに来れるようにイリスは頑張る」
「買いたたいてやるから、覚悟をおし」
老婆はイリスの仕事を見て、ふん、と鼻を鳴らした。悪くない。摘み方、干し方、ついでに魔力も込めたのだろう。そのまま店頭に並べても問題ない。粗悪品が混ざってる気配もなく、選別の仕方も上出来だ。
「ん、ナナシがいてくれるから余裕。ぶいっ」とイリスが老婆に指を立て、アーシェの方を見上げる。「それで、考えはまとまった?」
「ええ、私がナナシ様を養います」
「あたしもだ。アーシェ」
隣室の寝台でナナシの手を握っていたウェラが、ナナシを見つめたまま声をかけてきた。
「イリスも今までと変わらないからいいよ。二人とナナシと一緒ってことでしょ」
「いえ、今までとは違います」
アーシェは寝台に近づくと、ウェラと一緒にナナシの手を取る。
「ナナシ様には、私たちを導いて貰います。代わりに、私たちはナナシ様の世話をさせていただきます。銅貨一枚に加えて、返しきれない恩を継続して返し続けます」
「ん!」とイリスも寝台に駆け寄って、手を重ねた。
「二人は、途中でやめたくなったら抜けてくれて良いですからね」
「はっ、冗談だろアーシェ」
「ナナシを捕まえておくのは、よきことだと思う。イリスも頑張るよ」
決意を共にした三人が顔を見合わせて、笑い合う。
光が生じたのはそのときだ。
それはクエスト契約が成立した光。本来はナナシの意識が無ければ発動しないはずの能力。
ナナシが倒れた今、順化は肉体や精神だけで無く、その特殊な能力にまで及んだのだ。
この世界で、この落ち人が死なずに生き残るための、最後の順化だ。
ナナシにしか見ることができない、クエスト情報。そこにはこう記されている。
【継続クエスト:労働者派遣型ゲームUIは面倒を見られる男の姿が見たい】
ナナシと少女達の間に、仕事の斡旋の代わりに銅貨一枚を超えて生活の面倒を見る契約が結ばれました。
成功報酬:相互利益が生じるため、本クエストによる報酬はありません。なお、通常クエストを与えた場合の報酬は別途発生します。
成功確率:――(成功の規定が不明のため表示されません)
光が収まるのを見届けた故買屋の老婆はひひと笑い声を上げた。皺がより一層深くなった。
「あれが能力による光かね。魔力も感じない。不思議なもんだ。しかし、年端もいかない子供だったはずなのに、急に女になっちまって怖いもんだねえ」
アーシェたちの様子を見ながら、それにしても、と老婆は思う。
「目が覚めたら、ヒモになってるっていうのはどんな気分なのかねえ。詳しく聞いてみたいもんだ」
* * *
このようにして落ち人ナナシのヒモ生活は、本人の知らぬところで始まった。
彼が通常クエスト報酬の硬貨が反発するのを利用して、銭投げのナナシと呼ばれて少女たちと共に頭角を現すのはまた別の話。
締結された継続クエストがいつまで続くのか、まだ誰も知らない。