真の資源
「それで、お前はあっちの街にいつ引っ越しするんだ?」
「今週末だ、すまないな。大学の同僚が是非お前の力を貸してくれといってな」
友人は私のことを気遣っているようだった。新しい生活を考えて意気揚々としているはずなのに声のトーンは落ち着いていた。
「いやいいんだ、頑張れよ」
「お前は行く気はないのか?いや、あの子がいるからなお前には」
「なんだよあの子って」
「荒川艶子さんだよ、農業科のね」
「そのことか、そのことはいいんだよ」
「もう2年も経つんだぞ。結局まだ話すことさえできていないのか?」
「ほっとけ」
私と友人の会話はいつも私の不甲斐なさに言及して解散となるのだ。
――
お前は何もわかっていない。何のために働いているんだ?
いや、みなから求められることをしっかりこなしている。
お前は目の前の忙しさにかまけているだけだ。
――
ふと起きるともう朝だった。朝から嫌なことを思い出したものだ。人間の頭というのは忘れるようにできてるはずではなかったか。私は布団から起きて顔を洗い歯を磨いた。朝食を食べ、アノン市役所にでかける準備をした。
アノン市は人が住む数少ない街だ。2532年。人はもはや絶滅の危機にある。地球のあらゆる資源は枯渇していた。おそらくは生き物というものは増えすぎると自然にあるいはなんらかの理由で減少し、絶滅するようにできているのだ。いつまでも詠歌を誇る国が過去に一度も存在しなかったように。
市役所で私はそれなりに能力を認められ、それなりの役職についていた。国からの補助金をたくさんひっぱってきた。でもまだ課長止まりだ。もう市にも資源がないのだ。こままで潤沢にあった天然ガスももうほとんどでない。わずか30年前に新たに見つかったのに、今や、採掘されない。すべてが枯渇した。反対に隣の町、グナシン市には石油が発掘された。100年ぶりの油田だった。人口が減少する中で多くの技術が失われたが油田を発掘するテクノロジーはかろうじて生き残っていた。そしてグナシン市に人々は移動をはじめていた。
「やあ久しぶり」グナシン市に移動した友人からの電話だ。
「一カ月経ったけど、どうなのそっちは?」私が尋ねると、職場仲間は意気揚々と答えた。「こっちは今すごいことになっているぞ。とにかく活気に満ちている。人口は昨年から3倍になったよ。街の機能は以前のアノン市ほどではないけれど、これからさらに充実してくるだろうね」
「そうか。羨ましい限りだな」
「そんなことよりあの子はどうなったんだ?」
「いいんだよ、その話は」
潤沢な資金力によって急速に発展している、だから人はグナシン市に移っていくのだ。
私は仕事終わりにいつも帰りに弁当屋による。夕飯用だ。
「さびしいものですね。でもここは私が生まれ育ったところですから、ここで暮らしたいですね」そんな声が店内から聞こえてきた。この弁当屋はなかなかいけている。一つ598円なのに肉や野菜、ご飯にとバランスがよく、それでいて美味しいのだ。弁当を買った後はそのまま家に帰る。部屋に入る前にポストを確認すると封筒が入っている。誰かが我が家のポストに直接手で入れているようだった。中にはいつもライ豆が入っていた。それもかなりパンパンにつまってる。誰かのいたずらだろうか。部屋に入るとお弁当をレンジで温めて食べる。それからお風呂に入り、少しパソコンで情報収集をした後、布団で寝る。それが私の日常だった。
父が急死した。
父は農業科でずっとライ豆の研究をおこなっていた。ずっと豆を植えては豆を収穫していたようだった。私はそんな父のやっていることをついに理解できなかった。葬儀を終えてひと段落ついた後、私は父の遺品を職場に受け取りにいった。農業科はアノン市役所本館とは別館になっている。別館に向かう途中、市が管理している大きな畑がある。父の研究所だったところだ。畑は今も整備されているようだった。
私はとても緊張していた。農業課には荒川艶子さんがいるからだ。直接話したことはほとんどないし、事務的なメールのやり取りが数回あるだけだ。室内に入ると彼女からはダンボール箱をいくつか示され、父の使っていた私物はすべて入っているという事務的な説明を受けた。私がダンボールを運び出そうとしたとき、彼女は思い出したように手伝うといってくれた。
「あなたはお父様のことをどのように思っているの?」
私の車へ向かう途中、彼女は私に尋ねてきた。正直お父様といわれるとくすぐったい気持ちだった。
「すばらしい父だったと思います。でも、父のやっていることが実のところよく理解できていないんです」
「どういうことですか?」
「正直なところ、もっとやるべきところがあるんじゃないかと。もっと他にないのかと、ライ豆じゃなくて」
すくなくともライ豆が国の支援をひっぱってくることはいままでなかった。それに、まずい豆だ。利点はどんな場所でも育ちやすいだけだった。
「私はあなたの父がやろうとしたことがわかる。この国にとって必要なの。あなたはどうしてそれを理解しようとしないの?」
彼女の声にはいくぶんの不満が含まれていた。それから私と彼女は終始無言だった。どうやら彼女の機嫌を害してしまったようだった。彼女との良好な関係、とりわけ私が望むような関係構築は絶望的になったかもしれない。
月日が経つにつれ市役所にも職員がいなくなっていた。私のチームはついに私一人になった。職務室の一番端に別の部署の従業員が一人いた。名前は分からないが彼もどうやらまだ辞めていないようだった。だがすぐに辞めるだろう。私のチームの部下たちと同じように。
私にかかる期待はますます強くなった。雑多な仕事はすべて私のデスクに積みあがるようになった。なんのために仕事をしているのか、なんのためにこのような忙しい毎日を過ごしているのか。ただただ忙しくて時間だけがすぎていく。
――お前はただ目の前の肉にかぶりついてるだけだ――
父に言われた台詞を思いだした。ずっしりと重い倦怠感を感じた。造成肉を食べすぎて体調を悪くしたのかもしれない。
私はたまりにたまった仕事を片づける単純作業に疲れ、気分転換がてら父の職場をみにいった。畑にはひとりの女性がずっと作業をしているようだった。荒川さんだ。真剣に何かを測定してはノートにメモをしている。まるで、父をみているようだった。彼女は父のやっていることを継いでいるのだろうか。とてもクタクタに疲れているように見えた。一生懸命なのだろう。一体なにが彼女をそこまで突き動かしているのか私には分からなかった。
――あなたはどうしてそれを理解しようとしないの?――
すくなくとも、私よりも熱意があるのだということだけは分かった。
「品質を改善する技術だ、とにかくこの技術がこの町には大切だ」父が言っていたことを思い出した。
帰り際、いつもの弁当屋さんに寄った。知らないうちにメニューが変わっていた。
豆弁当、豆のからあげ弁当、豆のかば焼き弁当?豆ハンバーグ定食?豆天弁当??豆しかないじゃないか!いつからこの弁当屋は豆押しになったのだろうか。仕方なく豆カツ卵丼弁当を買って帰ろうとしたところ、友人から電話がかかってきた。
「なあ、お前こっちにこないか?正直に言うと俺はお前の能力と評価が全くつりあっていないと思っている。もう、そっちには・・、いいづらいが未来がないだろう。こっちに来い。いっしょにやろう。俺たちの、いや、人々のために」
彼の言葉をずっと頭の中で繰り返した。人々のために、か。私は歩きながら、いつものように研究所の畑を眺めていた。そこに大きな帽子が転がっていた。たしかあれは荒川さんがいつも作業をするときにかぶっていた帽子だ。そう思って注意深く観察してみると、誰かが倒れていることに気が付いた。
「すまない!また電話する」
私は走って駆け寄る。農業科の女だった。おそらく熱中症だ。
私はいそいで彼女を病院につれていった。見つけたタイミングがとてもよかった。軽傷らしい。だが目を覚まさない。軽い熱中症で一日もすれば治るだろうという医師の診断をきいた。
私が控室で待っていると、目を覚ましたというので中に入って様子をみることにした。
「大丈夫ですか?」
「助けてくださったんですね。ありがとうございます」どうやらまだ意識はしっかりとしていないようだった。話が続かず、私はどうにも居心地の悪さを感じていた。
「じゃあ、私は帰りますね」
「あの・・いえ、なんでもないんです。うまくいかなものだな・・と」
彼女はとても落ち込んでいるようだった。いままでの生き生きとした様子はない。
「とにかく、お体大事にしてくださいね」
私が言うと、彼女は小さく頷いた。
迷っていた。アノン市に残るべきか、グナシン市に行くべきか。
私は気が付いたら、食べ残した豆をテーブルの右か左に置くようになった。
右が移住する、左がしない。ただただ無心にその作業を毎日繰り返すようになった。
次の日、上司に農業科の事業打ち切りを提案された。上司は各課を統括する立場にある。私はどうこたえようかと考えていたが、上司の考えはどうやら決まっているようだった。
「まぁ決定事項みたいなもんだ。予算もおりそうにない。うちはどんどん厳しくなっていくな」
荒川さんのことを考えた。彼女が熱心に取り組んでいることに対してその中止をつたえるのは辛い。しかし、言うしかないだろう。黙っていたって仕方がない。
私が農業科にいくと彼女は思ったより元気だった。というよりもいつにもまして元気だった。
「みてください。ちょうど収穫時期なんですよ。ライ豆は普通の豆と違うんです」
「どこが違うの?」
「たくさん採れます。品質も安定しています。害虫にも強いんです。最低限の水でしっかり育つんです。しかも三毛作できるんです。完璧じゃないですか?」
「すごい」
素直にすごいと思った。これで美味しければ完璧だとも思った。彼女の笑顔が何か自分の中の凝り固まった考えを溶かしていくようだった。
「収穫、手伝ってもいいですか?」
「え?いいんですか?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
休憩所で一息つく。ちょっとこれ食べてみてくださいといって彼女がお皿になにかを持ってきた。
「豆キャンディ?」
「こんなこともやってるんですか?」
「そうですよ。いろいろ作っています」
「あの、もしかして豆ハンバーグとか豆てんぷらとかも作ってます?」
「はい」
「私が行き付けの弁当屋にメニュー作成を依頼している?」
「違います」食い気味で言った。
私と彼女は一緒に帰ることになった。
「わたし、もうあっちの街に引っ越しすることにしたんです」
それは私にとっては寝耳に水であった。私はしばらくどのように答えればいいのか、どのように自分の気持ちを伝えればよいのか分からなかった。ひどく混乱していた。
「そうですか」
何日か経った後、私の小さなデスクには左側に小さな豆の山ができていた。私の腹は決まっていた。もしかしたら、父が亡くなった時から決まっていたかもしれない。上司にも掛け合って、これを一大事業としてやりましょうといった。上司は思いのほか、私の熱意に驚いたようだった。
「君はいつもスマートに仕事をこなすんだけどなにか物足りないと思っていた。それが何なのかよくわかったよ。その熱意だ。もしくは、強引さだ。いままでずいぶん助けてくれた君のたっての願いだ。上を何とか説得してみるよ」
「ありがとうございます」
上司から上層部を説得した旨を聞いたのは、ちょうど荒川さんの最終出勤日だった。
私はさっそく荒川さんの元へと走った。荒川さんは自分のデスクを綺麗に整理して荷物をまとめているところだった。彼女は椅子に一人座り、ぼんやりと座っていた。
「市を上げたライ豆製造計画に取り組むことになったよ。大規模で収穫することができればエネルギーにも変えることのできるスーパーフードになるかもしれない」
私が言うと、荒川さんはようやくいつも通りの表情で私に言った。
「ライ豆の大事さを気づいてくれましたか!がんばった甲斐がありました」
「本腰いれてやることになります」
「実はこのライ豆研究が打ち切りになるって聞いていたんです。頑張ってくださったんですね」
「いや、俺は・・・」
私と荒川さんの間には少しの間があった。
「私は今日で最後ですので。いままでありがとうございました」
彼女はそれから段ボール箱一つをかかえて部屋を出て行った。
結局残ったのは私一人だった。私の知っている職員たちはほとんどいなくなってしまった。しかしやると決めた以上やるしかなかった。父の、いや、父と荒川さんの跡を継いでやりたかったところまで成し遂げる必要がある。それが必ずアノン市、ひいてはこの国のためになるはずだった。
いろんなことを思い出していた。職員になった頃思い描いていた職場とは少し違っていたし、不満も多かったけれど、仕事を覚えていくとそれなりに達成感もあった。だが本気でやりたいことが見つかったのはこれが初めてかもしれなかった。
窓越しの空が赤みを帯びてきた。私は立ち上がり、肺から息を吐きだして、部屋をでた。
「あれ?」
そこに荒川さんがいた。
「どうしたんですか?」
「いや、その忘れ物をして・・」
「忘れ物というのは?」
「いや、なんだったかな、また忘れてしまいました」
暫くの沈黙があった。
「あのっ!」私は彼女に向き直った。
「一緒に頑張りませんか?!」
「え?」
「ここで諦めてはいけない。次はもっとうまくいく。諦めなければいつかうまくいくんです!」
「でも、わたし・・」
「俺が絶対に成功させます!約束します!一緒にやりましょう!」
――一か月後――
「上層部の反応もよかったし、これから忙しくなりそうですね」荒川さんが言った。
「そうですね、荒川さんもすごく頑張ってくれて助かる」
「いえいえ・・。私はあなたのことを頼むとあなたのお父様から言われてましたので。その・・私には責任があるんです!」
「よろしく頼むよ」
「はい」
まさか父がそんなことを彼女に言っていたとは驚きだった。しかしちょっとまて、いまなんか告白された?いやそんなはずはない。間違いなく思い過ごしだろう・・・都合がよすぎる解釈はよくない。
「ところで聞こうと思ってたんだけど、私の家のポストに豆のはいった封筒がいつも押し込まれていたんだけど、荒川さん?」
「違います」荒川さんが食い気味で言った。
それから、グナシン市の友人から電話がかかってきた。
「町の石油生産が止まったらしい・・。もう枯渇したかもしれない。とんだぬか喜びだ」
「じゃあお前もこっちこい。面白い事やるぞ!ライ豆事業で世界を救う!」
「ライ豆で?詳しいことを聞かせてくれ。ところでお前、あの子とはどうなった?」
「ああ、いまとなりで一緒に仕事してるよ」
おわり