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心霊

作者: 此花耀文

「町はずれの廃工場に心霊が出るらしい」

 その年、夏の盛りが始まる少し前くらいから、そんなうわさが校内にささやかれるようになった。



 ありていに言って、くだらないうわさだった。うわさにはいくつかのバリエーションがあったが、「4組のSさんが中庭で白い影に会って逃げてきた」だの、「1組のNさんが窓から窓へおどる髪の長い女の人を見た」だの、どこかで聞いたようなパターンが先のセンテンスにくっついているだけだった。その上、心霊に遭遇したとされた本人に聞けば、皆がそろって戸惑ったような顔になり、まるで身に覚えがないと答えた。

 平凡な日々にあふれる、大小のうたかたの1つにすぎない。私はそう思っていた。

 ただ妙なことと言えば、そんな面白みのないうわさが長いこと命脈を保ち、夏休みが終わってひと月以上が過ぎた今頃まで残っていることだ。


「そこでだ、我々としてはうわさの真偽を検証する必要がある、いや、しなくてはならない」

Kが胸を張った。

 9月が終わり、にわかに秋らしさを増した日差しは、人を夢幻の境地へと招き寄せる。私は半目になって鼻息を荒くしたKの顔色を眺めていた。

「もしもおし、聞いてますかあ。こちら超常現象特捜局の者ですが」

「はあいつもお世話になっております。耳元で騒がれなくても伺っております」

「では12日に2人で廃工場に検証に参るということでよろしいですね」

「そのような決定はなかったと存じますけれど」

「だから今決めたんじゃない。まじめに聞け」

Kは私の頭に手を回すと、両手でがっしりと挟み込むようにして無理やり持ち上げた。

「あいたたた、きくよ、聞くから離して」

「聞くついでに行くのもOKね」

「ああもう、わかったわかった」

Kには多少強引なところがあって辟易させられることがあるけれど、だがしかしそんなKに道を切り拓かせて、金魚の糞になってひっついてきたのは私だ。

 どちらかというと内気で消極的な私にとって、Kは頼りになる一番の親友だった。


 12日は快晴だった。青すぎて黒みがかったこわいような空の下、私たち2人は件の廃工場へ向かった。

 それは住宅地のど真ん中にあった。工場と住宅とどちらが先に建ったのか知らないが、地図上で見る限り相当なアンマッチだ。ところが実際に来てみると、廃工場が全く違和感なく住宅地に溶け込んでいるのに驚いた。意識しないで通り過ぎた者は、そんなものがそこにあったことすら気がつかないだろう。

 敷地に足を踏み入れると、中庭のほうから寄せてきた冷いやりとした空気が肌に当たった。門構えは小さいが奥行きは結構あり、それなりに大きな工場だったようだ。

「心霊って、一体何なんだろう」

構内の床に散らばったガラス片や得体の知れない機械の部品に注意して進みながら、私はふと思いついたことを口にした。

「ひと口に心霊って言ってもいろいろ種類があるのよ。この工場の奴は、多分いわゆる自縛霊ね」

「聞いたことある。必ず決まった場所に現れる幽霊でしょ」

「そう。最近では、自縛霊の正体は残留思念だ、なんて言う人もいるけどね」

「ザンリューシネン?」

「ある場所に残った人の強い思いが、そこに来た他者に再生される、って感じかな。極端な例で言うと、殺人現場に被害者の恐怖や生への執着が焼きついて、亡霊となって現れるとか」

「……ってことはここでもそんな事件があったの?」

立ち止まると、静かな工場の中に、表通りを走る車か、断続的にごく小さな低い音が響いてくるのがわかった。それは、暗く澱んだ構内の奥のほうから不吉な過去をはらんだ闇がひたひたと近づいてくる足音にも聞こえて、私は身を固くした。

 足元に落ちている細長いガラスのかけらは、陰惨な事件の凶器のように妖しくひらめき、重たそうな金属でできた部品は、何かを殴ったあとのようにいびつなへこみをさらす。 今さらにして恐怖が体内を駆け巡った。

「大丈夫よ。思念なんて所詮は感情なんだから。仮に本当にあったところで、私たちに危害を加えられるわけないわ」

こういう時のKは本当に頼もしい。そこからは、私はKの背中に寄り添うようにして歩いた。


「どうやらここがどんづまりみたい」

元は事務室だったらしい、スチール製の机が並ぶ部屋でKが言った。

 部屋には傾きかけた陽光が入り込み、それまでの薄気味悪さとは無縁のあえかな静謐が漂っている。私は胸をなでおろした。

 机の上には、古い書類や伝票の束、従業員の私物がまだ残っている。その中の1つに私は目を留めた。この机で仕事をしていた誰かの家族だろうか、子犬を抱いて微笑んだ女の子の写真が、簡素なフォトフレームに収められていた。

 かつてここで働いていた人たちは、どんな思いでここにきて、毎日を過ごしていたんだろう。

 考えてもわかりもしない想いにとらわれかけた時、ふと既視感を覚えた。この光景、この想いは記憶にある?

「何もなさそうだよ。もう戻ろうか」

深く考える間もなくKの声が響き、私は現実に返った。


「結局心霊なんて出なかったね。ほっとしたような、残念なような」

工場を出ると恰度日が沈む頃あいだった。

「出なかったなら無かったという事実が検証されたんだから、それで構わないの」

Kの答えの中には、それでも少しの心残りが読み取れた。

「いいじゃん。帰ろうよ」

私はKの肩を軽くたたいた。

「そうだね」

Kは微笑んで、2人は夕日を背に来た道を戻った。

 黒々と先導して伸びる影に従って、私たちは帰った。2人ともまっすぐ前を見て何も話さずに歩いたが、寄り添って進む影は2人に通じる信頼を映して確かだった。私は何だかこの時間が永遠に続くような多幸感に酔いしれた。

 別れ道に来て、Kは振り返った。薄暮の中、次第に色濃く被さる闇が彼女の表情をわかりづらくした。

「じゃ、また明日」

「うん、またね」

その短いあいさつが、最後の会話になった。


 翌日、Kは学校に来なかった。いや、来なかったのではない、いなかったのだ。

 Kの席はなくなっていた。クラスの誰も彼女を覚えている人間はいなかった。クラス名簿にさえKの名前は載っていなかった。放課後自宅にも行ってみたが、全く見も知らない他人の家になっていた。

 Kの存在はこの世から消えてしまっていた。

 理由はまるでわからないが、原因は1つしか考えられない。Kの家、だったはずの場所を訪ねた帰り、私は廃工場に向かった。

 門をくぐった瞬間、昨日とは違う穏やかに包み込むような風が私を捉えた。その向こうに、柔和な表情のうちに少し寂しげな笑いを浮かべた少女の姿が浮かび上がってすぐに消えた。

 K? それとも、あの写真の女の子?

「待って!」

叫びながら夢中で走った。どこに行けばいいかはわかっていた。

 工場の闇は私の強い思いにたじろぐように退いた。鋭利なガラスは踏みしだかれて粉々になり、蹴散らされた部品は広い構内に虚ろな音を響かせる。

 私は日の注ぐあの部屋へ急いだ。


 部屋に飛び込むと、もう何年もそうしているような風情で窓の外を眺めていたKがこちらを振り返った。

「待ってたわ」

Kの姿があったことに、私はその場に崩折れそうになるほどの安堵を感じたが、直後にいつものKとは違う線の細いその声を聞いて、急激な惧れが膨らんだ。

「一体どうしたの? 探したんだよ。それに、何かみんなおかしいし」

「ごめんね」

「謝らなくてもいいよ。早く帰ろう」

私はKに近づき、その手を取ろうとした。ところがKは素早く手を引いた。

「ここが私の居場所なの」

Kの態度に私は戸惑った。しかし、次の告白はもっと大きな不安と混乱に私を突き落とした。

「Kなんて子はこの世界のどこにもいない。全てあなたが作り上げた幻なの」

「馬鹿なこと言わないでよ。じゃあそこにいるあなたは何なの」

「私はKじゃない。あなたは昨日1人でここに来たの。あなたがその写真を見た時、私はあなたにKという友人の記憶のきっかけを与えた。そこからあなたは、自分の理想の友達の幻想を作り上げ、記憶に上書きした」

「滅茶苦茶だよ。できるわけない」

「それならどうしてあなた以外誰もKのことを知らなかったの? Kの家にはKの家族がいた?」

そんな。くにゃりと足の力が抜け、私は床に座り込んだ。

「嘘に決まってる。あなた一体誰なの。何のためにこんなことしたの」

彼女の言葉を理解しようとする理性と絶対に理解しまいとする感情の板挟みになって矛盾した台詞を吐いていることに、私は気がつかなかった。

「私はここに住んでいる。名前は何とでも、あなたが心霊と呼ぶならそれでもいいわ。私たちは物理的な存在ではないから、あなたたちみたいにエネルギーを必要とはしないけれど、在り続けるためにはあなたたちの助けがいる」

「助け?」

「私たちはあなたたちの思いがあってこそ存在し得るの。言いかえれば、私たちはあなたたちの心を食って生きる。その思いが強く、美しいほどに、私たちは長く、確かに存在できる」

「……私を食うつもり?」

私は座ったまま後ずさりした。声がこわばっている。

「怖がらなくてもいいのよ。あなたの肉体を傷つけたりはしない」

それを聞いた私は現金にも多少安心したが、続く彼女の言葉はそんな私を引き裂いた。

「あなたの記憶のほんの一部、Kに関わる場所を私がもらう」

「いやだ! 絶対いや」

もし幻であったなら、せめて想い出だけでも。

「拒否したいのはわかるわ。私のまいた種から、それほど美しい記憶の花を咲かせたんだもの。でも、ごめんなさい。あなたに選ぶ権利はないの。それに、大丈夫、記憶を刈り取られてしまえば、あなたはそんな出来事があったことすら覚えていない。昨日までの日常に戻るだけよ」

言葉は次第に輪郭を鮮明にし、刃となって私に迫った。白刃に輝き渡った夕映えがKとの全ての記憶を照らした時、私は意識を失った。



 今、私は幸福だ。

 内向的だった昔の私は友達を作るのが下手で、寂しい思いをすることがよくあった。でも、そんな私にも心を打ち明けるべき人は現れ、そこから少しずつ他者との触れ合いを学んだ私は、数は多くないが親友と呼べる存在を作ることができた。

 彼らと支え合って生きていくのは、嬉しい。


 だが、どうしてなのだろう。黄昏の街をひとり帰る時、ふともう1つの影が私に並ぶことがある。もちろんそれは幻で、はっとして見直せば影は1つに戻っている。

 それでも私は、朱に染まった地面に、ぽっかり失われた過去の日々への憧憬を読み取る。


 これが郷愁というものなのだろうか。


 いつか私は、甘やかなあの想いを、胸に蘇らせることができるのだろうか。







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