32話 赤い衝動に触れる妖(2)
灯りがあった。灯篭くらいでそれほど明るくはないが、無いよりはマシでしょう。それが指し示す棚には衣服も置いてある。
赤いドレスで布地が薄く、ヒラヒラしていて灯りを反射するようにキラキラもしている。ざっと見た感じだけれど、なんとなく露出が高くなりそうな気がする……。これがさっきのクズが言っていた服かしら。
あたしには向いていない。というか似合わないし、趣味じゃない。
こういうのは、なんとなくチャラチャラした女が自店に誘い込む為に、売り子として着ているようなイメージ。戦闘に不向きだし、破り捨てたいくらいの嫌悪感もある。さっきの今で、これを着る精神状態にはなれない。
「……あたしには必要ないわね」
あたしには、一応赤が入っている黒が基調の旅装束がある。スカートを履いているけれど、これは戦闘を見据えたもの。着替える意味も解らないし、ムカつくし、これはやめておくわ。
仄暗い中で薄っすらとろうそくが照らしていた扉を開く。すると、気味の悪い部屋が広がっていた。
表から見たイメージと中はまるで違う。赤みがかった暗いライトが点いた部屋で上裸の男達が布地の薄い恰好をした女共を愛でるような構図が所かしこに並んでいる。
はあ……? なにこれ、欲がうずまいてる……。遊郭みたいな場所ってこと?
どうりでさっきの服、変な恰好だったわけね。
「おお、新しい嬢ちゃんが来たぞ!」
「んん? だあが、あの恰好はなんだ。なんとも色気がない、はっはっは!」
数人の男達があたしの存在に気が付いた。どれも他の女と違った装いに怪訝な様子だ。
あの男が言っていたのは、男にお酌して欲を満たすこの商売のことだったのね……はめられた。
なにが良いのかわからないけれど、ここはあたしの来るところじゃない。人間の男に媚び売って金を得るなんて、あたしの沽券に関わるわ。みすぼらしい女に成り下がるのと同義だし、こんなところを空狐様に見られようものなら身投げするレベル。
「おいキミ、こちらに来なさい」
残忍酷薄そうな男が、偉そうに両手にへらへらした女二人を抱えながら呼び掛けてきた。
人間ごときがあたしに命令? 死にたいの!?
けれど、ここじゃ分が悪いわ。ここは魔物の巣窟と同じ。たとえ人間相手でも、多人数相手にけしかけるなんて、あたしはそこまで愚鈍じゃないわ。
「フン、あたしは――」
引き返そうとするも、扉の前には門番がいて戻れない。
やられた!
「じゃあキミはもう脱いじゃおうか。その恰好はここには似つかわしくないから」
生え際の後退した小太りのオヤジに腕を取られた。荒い息が後頭部に掛かる度に鳥肌が立つ。
薄汚い豚が興奮する様をこんなに間近に見たのは初めてだ。おぞましいとはこのことだろう。
なにこいつ、きっしょ……。
「近寄らないで!!」
「ぐう!!?」
振り払うと、オヤジは簡単に重そうな身体を床に転がした。
痛い痛いと阿鼻叫喚し、あたしを恨めしそうに見ている。気持ち悪い上に狡猾ときた。他者の注目を集めてあたしを貶めようとする思考が丸見えだ。
今の騒動で部屋にいる全員の注目を集めてしまった。相手は人間だというのに、暗い部屋で光る眼はまるで妖怪の巣のように殺気立ち始めた。
「なにやってんだ?」
「おっ、生意気な嬢ちゃんがいるじゃない」
ちっ……いちいち気にしないで欲しいものね。ただ転ばせただけじゃない……!
あたしは思わず後退った。今にも逃げなければならないと悪寒が過ぎったのだ。
けれど、それはもう遅く、
近くにいた門番や店員だろうタキシードを着た男達が寄って集ってあたしを取り押さえようとしてくる。腕を後ろに捕まれ、床に押し付けられた。
「早く押さえろ! 客への舐めた態度はご法度だって事を知らねーのかこいつは!!」
「いいぞいいぞ! やれやれー!」
「こいつ、女のくせに力強いぞ!」
そこら中からあがる声が全てあたしを孤独にしていく。
まずい、起き上がれない……。
なんとか抜け出そうとするが、何人も背中を押さえてきてどうにも出来なかった。
「よお、ねーちゃん?」
一人の男があたしの顔の前に出てきた。
他の男達とは一風変わった口髭のある中年オヤジ。茶色のジャケットを羽織っているが、中は冒険者が着けるような革の防具。
ガタイもいいし、おそらくここを守る依頼を受けた腕の立つ戦闘要員。あたしの獣のように威嚇した顎を持ち上げ舐めるようにじろじろ見てきた。
「こりゃあ上玉だ。この阿呆共にくれてやるには勿体ないねえ……。
おいねーちゃん、俺と一発やらないかい。そしたら俺が助けてやるよ」
偉そうに譫言を吐く男にあたしは唾を吹き付けた。
唾は男のジャケットに当たる。すると、ゆっくりと男の眼圧が強まり眉間に皺が寄せられるのを感じた。
「冗談じゃないわね! あたしがなんでアンタみたいな傲慢な人間に交尾の手伝いしてやんないのいけないのかしら? 考えただけで吐き気がするわ!! 殺されたくなかったら自分で勝手に死になさい!!」
「この糞アマァ!!!」
怒り心頭の男は、あたしの頭を踏みつけた。何度も何度も憤りを吐き出すように蹴りつけてくる。
聞くに堪えない恫喝が降り注がれ、あたしは怒りを沸々と燃やしていた。
けれど、この状況を思えばさめざめしい気持ちにもなった。孤独で他者に踏みつけられている。妖怪になる以前と今、なにが違うのかわからなくなるほどだ。
なんとなく居場所を見つけられたかも、なんてバカな考えだったのかな。あたし、今も昔も全然変わんないじゃない……。いつだってそう……幸せなんて感情はまやかしで、どこにだって不幸は転がっていてなだれ込んでくる。常に幸せと正反対の道、それが妖怪になったあたしの顛末。
一人になりたかったわけじゃない。いつも誰か助けてって心の中で叫んでる。だけど、それは誰にもどこにも届かないから苦しい。胸がずっと空いていて、寒くて寒くて凍えてしまっている。どうやっても埋まらないこの穴をどうにか埋めようって頑張ってなにかに没頭しようとしているのに。妖怪だから、踏みにじられて更に穴が広がって行くんだ。
誰か……誰か、埋めてよ。あたしのこの穴、誰か……誰か……!
次の瞬間、男の体突然吹き飛んだ。
なにかが腹を押し出したかのように口髭男を壁端まで運んでいく。風の塊のようにも見えるけれど、何枚もの皿が折り重なっているようにも見えた。
呆然と見ていたあたしの上に乗っかっていた男達までもがいきなり壁に激突していく。体が軽くなるのがわかった。
「な、なにが起こっているんだ!?」
「幽霊!?」
なにが起こったのか、ここにいる誰もが分からず狼狽える。あたしにもわからなかったけれど、これを起こした張本人があたしの前に姿を現した。
「幽霊と一緒にされるのは、全く嬉しくありませんね」
悠長に柔和な口調で話す綺麗な女性。いや、妖怪。それもあたしと同じ狐耳を生やした。
それがシノンだと気づくには少し時間が掛かった。顔面が痛くて、重い瞼を開くのに時間が掛かったからだ。
声だけでは、それをシノンだと認識することは出来なかった。それ以上に信じられなかった。
彼女には勿論、どこかに行くことさえ言わずに出てきた。だから、放っておくはず。
あたしがどうなっていようと、見て見ぬふりをするはずよ。あたし達は妖怪じゃない! こんな……妖怪だとバラすような真似、していいわけがない! なのに――どうして……
「し、のん……?」
「なにを這いつくばっているのですか? こんな薄汚れた者達を相手に頭を垂れる姿を見せてはいけませんよ」
あたしは、差し伸ばされたシノンの手を取り立ち上がった。
すると、何も無かったかのように身体の痛みが引いていくのを感じた。
「なぜなら貴女は、ここにいる空狐様の従者であり、そこら辺の虫けらを見下ろさなければならないのですから!!!」
シノンの前に空狐様は立っていた。冷たい眼差しを他方に向けており、そこにはいつもの無感情ではなく、憤怒に染められた表情があった。
気づけば、騒然としていた部屋の空気が静かになっている。部屋を見渡せば、ここにいるあたし達三人以外の人間が凍りついていた。
空狐様の妖術。何者も空狐様の前で傲慢な態度を取ることは許されない。
「空狐……様……」
「空狐様は貴女に無茶をして欲しいとはこれっぽっちも思っていません。例えそれが空狐様の為であったとしても、恩返しというのは物ではなく心を求めるお方ですよ」
あたしは、バカな自分を恥じた。
空狐様は一度として言葉を介さないけれど、その代わりに行動を起こす。
あたしは、なにか対価を渡さなければいつか切られると思っていた。けれど、まるでそれが思い過ごしであると注意するように、空狐様はあたしの服の袖を握りしめた。
空狐様が少しだけ仏頂面になったように思えた。
「申し訳ございません……」
頭を下げると、空狐様は慰めるように頭を撫でてくれた。その時にはもう怒った様子はなくて、溢れんばかりの優しい笑みがあった。どんな痛みをも癒してくれそうな包容力に溢れた優しい笑顔だった。
あたしの中で広がる後悔が表へ溢れ出し、涙が出てきた。不思議と胸が温かかった。
悔しくて泣いているのに、どうして……心は温かくて満たされていくような満足感がある。体はざわざわしてうるさいのに、胸が……苦しくない。まるで欠けていたものを見つけたような感覚。
そっか、これが……嬉し涙、なんだ。
もう二度と空狐様に迷惑を掛けない。あたしは、このお方の為に生きる。あたしの胸の穴を塞いでくれるのは、この方しかいない。
この時、あたしは誓った。
◇◇◇
現在――。
空狐様なら直ぐにこの妖怪の存在に気が付くだろう。きっとあたしを助けてくれる、あの時のように。
だけど、あたしはもう二度と空狐様の手を煩わせるようなことはしたくない。あたしの出した不始末は、あたし自身で解決しなくちゃいけないの!
あたしは、風に吹き飛んだ空中で体勢を立て直し敵を見た。
あたしはダイダラボッチの頭上を超えた所にいた。雲も近い空の上だ。
このバカデカい妖怪は、たぶん伝説の妖怪――ダイダラボッチ。どうしてここにいるのか分からないけれど、せめてどうにか封印し直さなくちゃいけない。
鍵は、さっきあたしが蹴り飛ばした大きな罅の入った石。あれにこいつは封印されていたはず。
そう思考していると、ダイダラボッチの目がすうっと消えていき、顔面に二つだけ残った。顔を上げたダイダラボッチは、緑色ののーめんに目と思われる穴が二つあるだけ。その目と目が合ってしまった。
次の瞬間、図体に似つかわしくない素早い動きで長く大きな腕が振り下ろされる。
――やられる……!!!
どうしようもない相手にどうしようもなく消される。
あの時だって本当ならこうなると思ってた。空狐様と出逢ったあの日、あたしはシノンに倒されていたかもしれない。だけど、空狐様のおかげで免れた。一緒にいることを許してくれた。
まだ恩を返せてない。まだ空狐様になにもできていないのに、消滅したくない……!
「あたしは――空狐様のために……」
瞼を閉ざした瞬間、あたしは誰かに抱えられていた。
おとぎ話の中だけだと思ってた。この世界に物語のような、平民を白馬に乗った王子が救うなどといった事態が発生することはないと、ずっと思い込んでいた。
あたしは妖怪で、人間でもなければ空狐様の従者。そんな夢うつつな事を望んでなどいなかった。空狐様に仕えることが出来れば他になにもいらなかった。なのに、こうしてあたしを助けてくれる者がいただなんて、信じられない。
空狐様じゃない。シノンでもない。ましてや九尾様でもない。
あたしを救ってくれたのは、あんなにムカつくのに追い返すことのできなかった――
「無事か?」
王子様のように、あたしを御姫様抱っこする空狐様の父紛いがいた。余裕な顔してダイダラボッチの腕を避け、あたしを窮地から救ってくれていた。
「な、なんで……どうしてアンタが…………あたしを助ける義理なんてないじゃない!!」
「義理ならあるだろ」
ああ……どうして、重なるの……。あの時の空狐様の優しい笑顔と、どうしてあんたの顔が重なって見えるのよ……!
「ムカつく……あたしは、アンタを追い出したいのに……」
「うだうだ言ってる暇はないだろ。こちとらまだまだピンチ、継続中なんだからよ!」
宙を落下中、ダイダラボッチの長い腕が斜めから振り下ろされてくる。躱されたのを察して、追撃してきていた。
すると、この男はいきなり速くなった。落下の速度を上げ、一気に地面に着地する。ダイダラボッチの腕は遅れて空を切った。
近くから九尾様の妖力を感じる。たぶん九尾様から借りた妖力によって身体能力を強化させたのね……。
久しぶりに間近に感じたけれど、なかなか使いこなしているみたいね。人間のくせに、スミレさんとの修行の成果がちゃんとあるんだ。
彼は、呆気にとられたあたしを下ろした。
「大丈夫か? 走れるならさっさと逃げろ」
「……は、はあ? 一人で!?」
「当たり前だろ、誰があいつを抑えておくんだよ。あいつが俺達を見失っている今がチャンスだ……ゼラを呼んで来い!」
余裕そうな表情が移り、警戒を露わにする。
あの巨体でも腕の振りはかなり速かった。それもまだ全力じゃないでしょうね。封印から解かれたばかりで、まだ本調子じゃないはずだから。この男もそれをわかってる。けれど――
「無茶よ!! 第一、あんなデカくでヤバい奴をアンタなんかが抑えられるわけないじゃない!! アンタも一緒に逃げるの、じゃないとあたしが空狐様に……」
あたしにとってはゴミ同然。だけど、空狐様にとってはかけがえのない大切な家族。殺させるわけにはいかない。たったそれだけのはず……。
「おい、なんか勘違いしてないかお前」
「な、なにをよ……」
「お前を逃がす為に死ぬつもりなんかこれっぽっちもねえよ! ただちょっとちょっかい出してやろうってだけだ。いくらクウの世話役だとしても、それだけの為に命の綱引きなんかするつもりねーから。
それに、俺にはゼラの妖力があるからな。もしヤバくなっても妖力放出量底上げすりゃあどうにでもなんだよ。それより足手纏いのお前背負いながら逃げ回る方がきつい。それだけの話だ」
「あ、あんた、それあたしに言ってんの!? ぶっ殺されたいわけ!?」
あたしはもう知っている。この男は嘘が上手い。まるでそれが本心で、真実かのようにペラペラと口が回る。疑うことができても、現時点では虚偽の発言だと証明することはできない。
その言葉があたしが逃げる理由にさせるかのようなものだから。あたしは九尾様を呼んでこなくちゃいけない流れになってる。
そうよ、従っていればいい。もしこれでこいつが死んでも、あたしは悪くない。いいじゃない、望むところだわ。たとえアンタが死んでも、あたしは全く……。
この感情はなに……? 空狐様の傷付く姿が見たくないから、だからこうして胸が痛むの? それとも――
「早く行けよ。お前は、クウの為にしなくちゃならないことがあるだろ」
あたしは、彼に背を向けて走った。
違う。あたしはこんな奴! あたしは、あたしは空狐様の為だけ……!!




