32話 赤い衝動に触れる妖(1)
あたしが空狐様と出逢ったのは、とある雨の日だった。
妖怪になって間もなく、右も左もわからなかったあたしが歩き疲れていきついた先に廃墟があった。藁でできた屋根に土の壁、元は家屋だったことが窺えた。
雨にずぶぬれになった体を気にもせず、物憂げに立ち入る廃墟の中は湿った空気がしていたのを覚えている。
今に崩れそうな穴だらけのおんぼろの家屋で、ところどころ雨漏りが床を崩していた。
埃が酷かったけれど、雨の日ということもあっていくらかマシだっただろう。寝られる場所を探して奥に入ると、居間に空狐様は眠っていた。
それはもう快眠と呼べるほどに可愛いお姿で、何故こんなにも幼い狐の子が一人でいるのか気掛かりとなった。あたしは、ついその少女が自分と同じと思ってしまった。
一人で、頼る宛てもない。妖怪かどうかも、なぜ自分がこの世界で生きているのかもわからない。この子はきっと自分と同じなんだと。
「なにをしているの……っ!!」
背後から誰かの怒鳴り声がして振り返ると、長い黒髪の聡明そうな女性があたしを睨み付けていた。
シノンだった。威嚇するように掌に狐火をちらつかせていた。
「狐の妖怪……ですか。この辺じゃ妖怪なんて見なかったのだけど、貴方その方をどうするつもり!?」
その方? この子のことを言っているの?
見た目じゃ全然位が高い妖怪には見えない。なんたって容姿じゃこの女性よりも小さくて幼いんだもの。
「あたしに戦うつもりはない。ここには雨風を凌ぐ為に来たの」
「……信じられませんね。貴方も妖怪でしょう? その方に手を出そうものなら容赦はしません……!」
妖怪になる以前、何度かふてぶてしいまでの魔物との対戦は経験したことがある。どれも強くて、あたしなんかが太刀打ちできる隙なんてなかった。だけど、こいつはそのどれとも違う。この殺気は野性的なものじゃなく、素のままに殺すことを示唆している。
「本当よ! だってあたし……そんなことする理由なんて、ないもの……」
あたしは、住処を譲るかのように少女から離れながら影に身を潜めていく。
そうだ……あたしは、こんな死んだ家屋でさえも居場所にはならない。あたしにはどこにも居場所なんてないんだから。
「待ちなさい!」
「っ……!」
呼び止められて足を止めた。
しかしあたしは、聞こえた彼女の声ではなく幼い少女の行動に驚きを隠せなかった。それまで眠っていた少女が座りながらにあたしを見ていた。虚空を見るかのようなまどろんだ瞳はまるであたしを見ていないようだけれど、その手はトントンと自らの傍を指し示していた。
「来なさい」
彼女は、通訳でもするかのように少女の代弁をしていた。
「な、なに……?」
今度はあたしの方が警戒するハメになった。
あの方、と呼ばれていただけあって既にただ者ではないオーラを放っていた。そんな少女の一挙手一投足が恐怖の対象になり得た。
あたしになにをさせる気なの? あたしになにを求めるの? あたしなんかになにを期待しているの?
「座りなさい」
彼女の囁くような言葉を飲み込み、あたしは少女の前に腰を下ろした。
すると――少女はあたしの太股を撫でた後、自らの頭をその上に乗せた。
「……え?」
どういうこと!!?
「この方は空狐様。実に千年以上生きておられる狐妖怪の中でも高位の存在です」
先程よりも柔和な印象に困惑し、疑問符を生じさせた。怪訝そうに見るあたしを面白いように笑みを浮かべる彼女の真意は読めない。
しかし、心地よさそうに膝枕された空狐様は可愛らしく、あたしは初めて役目を与えられたことが嬉しかった。
「貴方、わたし達と一緒に来なさい。空狐様は、貴方と一緒にいたいそうよ」
◇◇◇
薄暗い山の中。ジメジメとした湿った空気は煩わしく、偶に吹く一陣の風には寒さで体を震わせられる。
あたしは、溜まった鬱憤を晴らすべくそこらかしこに八つ当たりしていた。手頃な岩を見つけては踏みつけにし、樹木を見つけては蹴りつけた。
岩は砕かれるか転がり、木は粉砕されるか倒れていった。
「あいつホントムカつく! ムカつくムカつく!!
なんで! あたしが! あんな奴に説教、されなきゃ、ならないのよ!」
ただでさえ人間が増えてムカついてるのに、なんなのアイツ! 信じらんない!
焦燥冷めやらぬままに見つけた物全てに吐き出していた。そんな中、あたしは罅の入った大きめの石を豪快に蹴り飛ばしていた。
その瞬間、身の毛のよだつ昏い妖気が立ち込めた。
一瞬空を黒く染めるほどの妖力が噴水のように噴き出した。
「え? え? え? なに!!?」
石が置いてあった場所から妖気が膨れ上がっていくのを感じて後退る。それはどこまでも続くほど途方もなく感じられ、木よりも山よりも大きくなっていった。
「嘘……なんでこんな所に、こんなのがいんのよっ!!」
ダイダラボッチ――山や湖沼を作ったとされる神に属する妖怪で、その姿は何者よりも大きな巨人。
顔が高すぎてわからない。緑色の体は透けていて山に溶け込もうとしているみたい。
「だんれだあ……ダの封印を解いたのあ……!」
大きく低い声が降り注いでくる。耳を覆わなければならないほどにうるさく地響きがするほどに音の波が酷い。
「うっっっるさ――――いっ!!」
「そんあトコいいたかぁぁぁあああ!!」
ぎょろりとした目が身体中に出てきたかと思えば、グロい顔があたしの顔を覗き込んできた。
どんな所から目出してんのよ!!? 気色悪い〰〰!
「とりあえうコロシておこう……!!」
「どういう理屈よっ!!」
次の瞬間、突如として吹き荒れる突風に脚を抄われる。重力が逆になったのかと思うほどに上下が定まらず、宙を回転する。
「う、ふえ……ふぇえ〰〰〰〰〰〰!!?」
上に木の枝があって? あいつがあそこに? どうやって着地すればいいの?
「誰かこのイカレ野郎を止めてぇ〰〰〰〰え!」
颶風によって舞い上がった木屑が全身を傷付けてくる。
あたしの妖術は、遠距離攻撃に特化していない。せめて武器があれば違ったのだろうけれど、屋敷に忘れて来てしまった……。
いつもならこんなミスしないのに、あいつのせいで……本当にムカつく……!
あたし、また、空狐様に迷惑掛けようとしている……。
◇◇◇
ある日、あたしは街に買い物へと出ていた。簡単な変化の術をシノンに教えて貰って耳と尻尾を隠せることができるようなって間もなく、こんなの簡単よ、と意気込んでいた。
手には一杯の油揚げと穀物。空狐様に喜んでいただけるよう奮発してしまった。
「おいそこの姉ちゃん、買い物かい? ビヒヒ」
「……誰アンタ?」
騒然とした街中を出ると、みすぼらしい男が背後から近寄ってきた。
下衆な目と笑い声は嫌悪に値する。訝しんで足を速めても、男はあたしに付いてきた。
「いい恰好しているねえ姉ちゃん。どっかの貴族の付きもんかい? 羨ましいなあ、こんな麗しい姉ちゃんを一人で買い物に出すたあ」
「悪いけど、話しかけないでくれる? アンタ、泥水よりも臭いから」
「こりゃあご挨拶だねい……ビヒヒ」
気持ち悪いわね。シノンの言った通り他者に関わるのは良くないのかもしれないわね。第一、利点がないもの。
「ところで姉ちゃん、いい仕事があるだが――やってみないかい?」
「やるわけないでしょ、失せなさい!」
「まあまあ聞きなよ、これが凄い金になるんでさあ! きっと姉ちゃんのご主人様から貰うよりもずっと効率がいいと思うがね。ビヒヒ」
「お金? 買い物に使うものじゃない、そんなもの簡単に手に入らないでしょ」
「ビヒヒ、なんだい姉ちゃん。もしかして貴族のもんじゃねえのかい。それでそんな恰好してんのかい。こりゃあ謎なお姉ちゃんだねい」
「はあ……もう話し掛けないでくれるかしら。鼻が腐る」
「ところがどっこい。貴族連中は金もコネもたんまり持ってやがるんでさあ! 姉ちゃんほどの人なら簡単に手に入れることができやっせ!」
「……それは本当かしら」
「もちろんでさあ。あっしはこの人生、一度も嘘をついたことがありやせんからねえ……信じて貰ってええですよ!」
あたしは足を止めた。
お金があれば、空狐にもっと喜んで貰えるかもしれないわ。少なくとも今よりも生活がしやすくなるのは間違いない。
簡単なら……少しの間だけ……。
「あたしはどうすればいいのかしら?」
強かに訊ねると、男は悦ぶようにして続けた。
「ビヒヒ! 暗くなり始めたら、この街に唯一ある裏路地の奥にあるカパラカラという店に入りゃあええ。コーヨクに紹介されてきたと言えば、後はあっちで説明してくれる。ビヒヒ」
「そう」
「ただし、必ず一人で行ってくれいよお。紹介を受けてないやつは立ち入り禁止でさあ! それと、誰にもバレずに行ってくれいよお。この商売は限られた人にしか話しちゃいけねえんだ!」
「どうして?」
「もしも広められたら他の奴にも同じ商売をされて儲けが減っちまうからさあ!」
「へえ? ちゃんとしているのね。わかったわ、暗くなったら行けばいいのね」
「くれぐれも誰にも言わんで一人で行ってくれいよお! ビヒヒ!」
そう言うと、ご機嫌になりながら男は踵を返していった。
お金が手に入るなら一日だけやって来ようかしら。そういえば、なにをするのか聞かなかっわね。説明はあっちでするらしいけれど、その時考えればいいか。
◇
◇
◇
薄暗い薄暮、街の人達が昼間より少なく見受けられた。人間は夜は眠るらしいから、その準備というところかしら。
あたしは、カパラカラという看板が置いてあった店へとやってきた。
赤紫色の塗装がされているこじんまりとした外観だけれど、壁に嵌まるような形で奥行は想像できない。
二階建てなのか上には窓が三つほど並んでいた。逆に目の前には引き戸の扉が一つあるだけで物悲しさは否めない。そこらへんの廃屋より小さいんじゃないかしら。
半信半疑で中へ入ると、まず長い玄関、それと壁に靴箱がぎっしり積めこれていた。どうやら奥行きが広いタイプの建物らしい。
通路の奥は冒険者ギルドの受付のようなカウンターになっている。そこに生え際の後退した無愛想な男性がつまらなそうに頬杖をついていた。
「そこの人間、あたしはコーオクに紹介されてきたの。さっさと簡単に金のはいる仕事を教えなさい!」
「……」
あたしは、やや命令するようにして言い放った。すると男はあたしを一瞥した後、大きなため息をつく。
コーオク、だったわよね? まあいいわ、どっちでも。
「この店に来れば金のいい仕事を貰えると聞いたのだけど!」
「……ああ。なら、右側の扉を入りな。少し歩くと灯りがついてるから、そこで用意されてる服に着替えろ。終わったら更に奥へ進め。そしたら扉があるから中へ入ればいい。後は中にいるヤツらに任せな」
こいつ説明する気あんの!? 声小さいし早口だし聞き取るのも一苦労なんだけど!?
「それだけ? 他に説明は。あたしはなんの仕事をすればいいの?」
「……」
男は、面倒そうに自分の耳に指を入れた。こちらの質問はどうでもいいようにする態度にあたしは腹が立った。
「ねえ、あたしが聞いてるんでしょうが!!」
「うるっせえな! 行くか行かないかさっさと決めろ!!」
台を叩いて逆切れしたかと思えば、またため息をついて反対方向を向かれた。
なんなのこいつ、殺すわよ!?
「ちっ……行けばいいんでしょ、泥人形!」
右の扉の先に入ると、勢い良く閉めて鬱憤を薙ぎ払う。
「シノンに止められてるとはいえ、一人くらい殺してやってもよかったかもしれないわ! 態度の悪い人間はこれからは抹殺していくっきゃないわね! じゃなきゃ水の中に沈める!!」
来て早々ムカつくはめになるとは思わず、もう帰ってしまおうかとも思った。けれど、それ以上に一度も見た事がない空狐様の笑顔が見たかった。




