29話 穴を埋めたい妖
「おやおやおや…………どうしたんだいそんなになって! 誰にやられた!? 可哀想に!
その傷を作った者を殺してやろう! こんな残酷な大罪人を葬ってやろう!」
女性の声が頭の中で連鎖的に聞こえてきた。俺を心配していそうな科白だが、そのトーンは喜んでいるように思える。
なんなんだこいつは。また蒸し返そうとしているのか? 嬉しい限りだな。穴を広げようとしてくるなんて。
「そいつは死んだよ。俺が殺した」
「そうか! それは重畳だ。因果応報、当然の報いを負わせてやったわけだ!」
「お前、誰なんだ? なに俺の頭の中で騒いでやがる……」
「うふふ……いつか逢える。また逢える……。
やっと逢える。もうすぐ逢える……。
ずっと待っていたよ……愛しの……愛しの……我が君♪」
身の毛のよだつ悪寒を感じて俺は目が覚めた。
◇◇◇
眩しい光が目元を掠めている。朝日が開いた障子の隙間から刺してきていた。
朝か。クッソ……起きたいのに体が重い。スミレの野郎にやられたせいか…………?
――いや、違う。思い出した、アイツらに……。
基山達との惨い戦闘。カクシの消失。麒麟の覚醒。昨日あった全てを思い出した。
すると、俺の右肩に誰かの腕が掛けてあるのに気づく。白く細長い腕は、俺を離すまいと寝ている掛布団の中から生え出ていた。
まさか妖怪!?
少しビビりながらも布団を捲り確認する。
俺の布団に潜り込んでいたのは、寝心地良さそうに寝息をかいていたハクだった。
驚いたのはその格好である。まるでひと行い終えたかのように捲ったところ全てが艶のある肌だけ。
首、肩、胸の谷間、見えるところ全てが生まれたままの状態だ。
しかもその胸が俺の左腕に押し込まれているのが頂けない。俺の着る修行僧のような白装束越しに柔らかい感触が現れた。
「な、なにやってんだお前!!?」
抜け出そうとしようものなら全身に筋肉痛が走る。脚や腕、腰と至る所が攣りそうだ。
更にはハクの寝ているにも関わらず放そうとしない力強さがある。豊満な胸の下ではハクの右腕に絡められているようで、がっちりと抜け出せなくなっている。
「動けない……」
体が鉛のように重い。誰か俺に術でも使ってるんじゃないだろうな……?
いや、もしかしたらあの時の邪気が体に影響を及ぼしているのかもしれない。
「あはっ! 皆さん、紅葛様が起床されましたの!!」
スイレンの声がしたかと思いきや、ガヤガヤと姦しいほどに物音が出始める。
ハク以外にもこの部屋にたくさんいたらしい。
スイレンを初め、クウやリコ、シノンにスミレまでもが次々と俺の顔を覗きにきた。
「なんだお前ら煩いぞ」
「すみません……」
「まったく、三日も寝たきりのくせしてそのセリフはどうなのかしら?」
「三日!?」
俺、あれから三日も寝てたのか!?
「ふん、邪気を吸い取るのにかなり体力を使ったのだろう。邪気なんぞに侵されたのは頂けないが、それを取り払ってくれた九尾様に感謝するんだな」
「そういえば、ゼラはどこにいるんだ?」
「別室で休んでいますの。お一人で夜通し紅葛様の邪気を抜く作業に奔走していましたし、かなりの妖力を消費したはずですの」
あいつには迷惑掛けたな……俺の身勝手なのに。
「クウは? 今回はあいつにも迷惑かけっちまった……」
「迷惑だなんて思っていないはずですよ。確証はありませんが!」
「それはフォローするつもりあるのか……?」
「空狐様も九尾様と一緒よ、九尾様の補助をしていたから。空狐様には特に感謝しなさいよ! アンタの為に身を削る想いをしたんだから!」
「あ、ああ……」
静かな返答によって場が沈み込んでいくのを感じた。俺への配慮なのだろうが、正直考えがまとまらないのは嘘じゃない。
「とにかく貴様はもう少し休んでいろ。邪気を直接その身に受けたのだ、全身にヒビが入っているも同然だからな」
「で、ハクが俺が動かないように見張ってたって訳か」
「ちょっと! 勘違いしないでよ変態! ハクがその姿でアンタの傍にいるのはね――むぐぐぐぐ……」
「ハク様の想いの強さの表れかと」
リコの口を塞ぐシノンが悪戯な笑みでそう諭そうとしているみたいだった。
嘘だな……。
「ほら、わたくし達は部屋を出ましょう! 無事であることが確認できた以上、わたくし達がいてはお休みの邪魔になりますから!」
「やけど、人間やから栄養をとった方がええんとちゃう? 三日も寝てたままやったから相当疲労してると思うんやけど……」
「フン、人間は軟弱だな」
「それならば後でわたくしとリコが持ってくるようにしますから」
「な、なんでわたしもなのよ!?」
シノンは早く皆をこの部屋から出したいようで忙しない様子で彼女らの背中を押して出て行った。
「…………結局、アレは現実だったってわけだな…………」
今でもこの手にあいつらを斬った感触が残っている。気持ちが昂り、血に塗れたい衝動があった時のことを覚えている。だけどもう……あの時感じた寂しさは忘れてしまった。
実感がないからだろうか。カクシがもういないと、突きつけられていないからだろうか。それとも――
「体調は大丈夫ですか?」
「起きたのか……」
ハクが頭を腕の上へと起きながらに呟いていた。
「お前がここまでして俺を看病するなんてな」
「嫌味ですか? わたしは……レッドさんのものですから……」
羞恥心は持ち合わせているらしい。顔を赤らめ、唇を尖らせている様はいつものハクだ。
ほとんど裸の状態で俺にひっついている現状を深く考えないようにしているのかもしれない。しかし、俺もこの状況を継続されるのは気まずいというか、なんというか……。
「で、なんでこんな状況になってんだ? わざわざそんな姿でいる必要はあったのか? これだと俺が豪遊しているいけすかないボンボンみたいに見えるんだが」
「それは……見苦しいものをお見せして申し訳ないとは思いますが――」
「べ、別にそんなこと言ってないだろ! ただなんでこんなことになっているのかを聞きたいだけだ!」
なんで俺、言い訳がましく言い返してんだ……。生憎こういう経験に縁のない人生だったからなんて言えばいいかわからない。
「えと……九尾様の尽力によりレッドさんの邪気を――」
「それは聞いた。その後、リコがお前がこうなっている原因を聞けそうになったところでシノンにはぐらかされたからわからなかったんだ。
シノンはお前が俺のことを想ってとか言ってたけど、そんなわけないだろ?」
「と、ととと、当然です! わたしは貴方のことなんてなんとも思っている訳ないじゃないですか!!」
むきになって声を裏返らせた。近くで大きな声がしたので顔を顰める。
「近くで大きな声を出すなよな。耳がキーンとなったぞ……」
「す、すみません……。
わたしがこうしてレッドさんの下にいるのは、邪気を抜いたことで生じる二次被害を防ぐためです。邪気はその者の生気や妖力といった活動エネルギーを吸収して保管するので、邪気を抜くと活動エネルギーまでもが大幅に抜けてしまうのです。そのせいで貴方に回復力や抵抗力の低下、神経系統に微弱の狂いを生じさせてしまいます。
わたしは、欠けた部分の代替をしているようなものですね。何も身に付けていないのは、肌と肌とを密着させた方が効果が高い為です。しかし…………流石にお互いに何も身に付けないというのは、その……アレ、なので…………下着だけは着ていて……あと、わたしの視界に変な物が映らないよう貴方だけには衣類を着させたということです……。
ううぅ……わかりましたかっ!」
なぜか投げやりな終わり方だが、そういう言い訳だとしてもそう受け取ることにしよう。
「邪気っていうのはかなり面倒なものみたいだな」
「面倒で済ませないでくださいっ! あの日は、九尾様が死力を尽くして貴方の邪気を押さえ込んだんですから!
邪気が体に残ると性格や考え方が歪み、恨み辛みに囚われて衰弱してしまいます。邪気は他に伝播する特徴がありまして、本人ほどではありませんが邪気に侵された者はそれまでは考えられなかった行動をもとるようになってしまいます。わたし達にもそれが伝播する可能性があるので、できれば邪気に囚われないようにして欲しかったですね」
「…………悪い……」
「あ、いえ……そこまで攻めてはいないのですが……。
貴方の無茶は今に始まったことではありませんから、わたしはもう慣れましたよ」
救えると思っていたんだ。傍までいければなんとかなるって、修行をつけてもらって少し図に乗っていたんだろうな。
悔しみながらまどろむ中、ハクが脚を絡めて抱きよせるように優しく包み込んできた。考えが吹っ飛ぶほどの柔らかさと破壊力が目の前に現れる。
「九尾様も言っていたようにもっとご自身を大切にしてくださいっ! わたし達はもう、貴方なしではいられないほど貴方に依存しているんですからっ!!」
自殺願望があるとでも思われたのだろうか。引き留めるように強く抱きしめられた。
「お、おう……。心配するなよ、俺は別に死ににいこうだなんて思っていなかったからな。
助けたかったんだ。恩返しがしたかった。カクシは、俺にずっと訴えかけようとしてくれたから」
「…………残念なことになってしまいましたが、あの子はきっとレッドさんの気持ちを理解していかれたと思いますよ」
「妖怪って死なないんじゃなかったのかよ……」
「妖怪に死はありません。ですが、存在するにたる妖力を失うと存在を維持できなくなってしまいます。稀にそこから戻ることができる妖怪もいるようですが、今回はそれに当てはまらなかったようです……」
「…………」
カクシはいないが、俺達の時間は続くってことだ。
なんでだろうな。母さんが死んだときは悲しいとか思わなかったのに、今は心にぽっかり穴が空いたみたいだ――。
お前が嘘でもここにいてくれたなら、大丈夫とハクに強がることができたかもしれないよな。
「お兄ちゃん!」
そうそう……そんな感じで俺を呼んでくれたら、どんなによかったか。でも……
「なんか前とニュアンスが違うぞハク……」
「え? なんのことですか?」
「あ? だって今、俺のこと『お兄ちゃん』って……」
ハクが俺に気を遣って下手な演技でもしたのかと思った。だけど、声が聞こえてきたのは隣ではなく、頭上の方からだった。
無理して顔を上げると、逆さまになったカクシがニコニコしているのを見つけた。あっちも俺のことを見つけて駆け寄ってくる。
「カクシ……お前…………!」
体中に走る軋むような痛みを押しのけて体を起こし、違和感のあるカクシとハグをした。
「お前、生きてたのかよ! バカ野郎! 下手な演技しやがって! 俺はお前が生きてると信じてたぞ!!」
「お兄ちゃん痛いよぉ?」
「わ、悪い……それにしてもお前、どうやって?」
「?」
カクシは、首を傾げた。
どことなく雰囲気が違う。カクシの無邪気さはあるけれど、額には角が生えているしなんというか……更に幼くなったみたいな感じが。
「申し訳ありませんレッドさん。この子は、あの子とは違います」
「だ、だよな……。お前、誰かの変装か? 別にそこまでして俺に気を遣わなくてもいいんだからな?」
むしろ趣味の悪い悪戯だ。スイレンか誰かが元気づけようとしたのだろう。妖怪ジョークというやつか。
「いえ、その……おそらく変装では……ないと思われます」
言い難そうに掛け布団に身を包んだハクが話し始めた。
「この子は先日わたし達の前で進化の過程をお見せ下さった――麒麟様です」
「…………――は?」
「ふふふん♪」
「レッドさんが気を失う前に『カクシ』という名を零したことから、おそらく麒麟様……この子が次の擬態先を指名されたと勘違いしたのでしょう。
以前と比べて体が大きくなったことから成長の第二段階に入っているのは証明されています。この先どれくらいの期間このままなのかは存じませんが、彼女の姿のまま成長を続けることになると九尾様やスミレ様がおっしゃっていました」
「えへへ……♪」
「えっと、つまり……どういうことなんだ?」
翡翠色の長髪に同じく翡翠色の大きく丸い瞳。ボロ臭い魔女のような衣服も含め無垢な笑顔がお似合いのカクシの写し鏡。
それは麒麟で、子の姿となった理由が俺にあるという。照れたり、笑顔を咲かせるその表情はまさしくカクシであり、麒麟の面影は頭部にある角くらいだ。
これがカクシではないという脱力感冷めやらぬうちに、驚きと困惑が全身の痛みを思い出せた。再び布団、もといハクの太股の上に倒れ込んでしまう。
「れ、レッドさん!!?」
次から次へと事が起こりすぎて起き抜けの俺には考えられない量だ。
今はもう少しだけ、この柔らかい温もりに頭を溶かしてもらおうか。




