26話 怪しく冷たい悲壮(3)
悔し涙を流しながらに悶絶しようとすると、それを許さないように顎を持たれて現実を見せられる。
「ここは衛兵だのうるさいからなァ。
まあ安心しろや。この国にも俺らみたいなのはごまんといてな。適当な場所は既に教えてもらってから、そこに移動してから本番にしてやるよ」
「――助けて……」
「はは! こいつ泣いてやがる! 同級生に泣いて媚びて、惨めだなあ七瀬!」
わたしには、誰かに助けを求めることしかできません。これしかできないから、わたしは力の限り声を出したい。
…………出したいのに、手も口も全身が震えて声に力が出ない……!
どうすればいいんですか……。
降魔くん、あなたはどうやってあの時あんなに怖い魔物に向かっていくことができたんですか。
カクシちゃん、なぜそんなに小さいのに大きい人にだって立ち向かっていけるんですか……。
誰か教えてください。わたしはどうすればあの子達を救うことができるんですか……!
「せっかくこっちの世界に来て力を手に入れたんだ。教師だの、親だの、大人だのに媚びる必要がなくなったってのに、お前ときたらそれ以下だったはずの俺らにまで懇願するたあ、さぞ悔しいだろう!
しかし、これがこの世界のルールさ! 強者は弱者を足蹴にし、他人の甘い汁を飲み、我こそはと地位と名誉を奪い取る。お前は弱いから――守りたい奴も守れず、玩具にされて死んでいくのさ」
下卑た笑い声が涙を溢れさせます。
なんで……どうして、この人は同じ世界の住人なのに、こんなにも人間じゃなくなることができるんですか……!?
おかしい……皆、皆おかしいです……!
こんなのいじめよりよっぽど酷い。ただの殺人鬼じゃないですかっ!!
「――やめて。
……やめて!!」
再び立ち上がるカクシちゃんが睨み付けながら叫んだ。ですが、それもただの虚勢にしか見られていないようで基山くんは嘲笑いました。
カクシちゃん、もう立たなくていいのに……わたし達の為にどうしてそこまで……。
「ひゃははははは! やめてだって? 違うだろ? やめさせてみろよカス!!」
「人間が……少し他より強いからって図に乗って……!」
「それは――キミだよね」
一瞬時が止まったかのように感じた。すぅっとカクシちゃんの腹部に大きな刃が突き刺さるのを見て、わたしは絶句してしまった。
カクシちゃんの背後にいたのは、基山くんでも富樫くんでもなかった。
この場に似つかわしくない爽やかな笑み。背丈はそれほどではないけれど、顔立ちがよく女子達の中では癒し枠としてその存在を確立していた――萩原庄司くん。先程富樫くんに『ハギ』とニックネームで呼ばれていた人物。
あっさりと躊躇いなく、自分よりも小さい子供の背中に刃を入れて貫通させた。こんな非人道的な人間だなんて思ってもいませんでした。
「どうして……」
「ん? 何が?」
満面の笑みで訊き返す様は常軌を逸しており、わたしは形容しがたい恐怖を感じました。まるで何かに憑りつかれているみたいに狂っている気がしてなりません。
彼こそこちらの世界へ来て真っ先に変わった者の一人。家柄はいいらしいですが、宵口さんのような虐めは無かったように見受けられました。ですがこちらへ来て、力を知って周りが見えなくなったかのように戦いというものに執着し始めました。元は基山くんのグループにはいなかった人だったのに、今や彼らの理念に賛成のようです。
「ちぇ、俺がやるところだったのに余計な真似しやがって」
「いいじゃない。それとも、七瀬さんも僕がやろうか?」
萩原くん、いったいどうしてしまったんですか!?
一瞬そう思いましたが、この場ではもはやわたしの方がおかしいのではないかと錯覚させられてしまいます。もうこの世には普通の人なんていなくて、他者をいたぶり殺すのは当たり前のことになっているのではないかと絶望しました。
嗚咽感に苛まれ、うずくまって頭を地面につける。叫びたくとも声が出ず、代わりに内蔵が潰されたように吐いた。
「ちっ……狂っちまったかこいつ。こりゃあ遊んでやる時にはほとんど生きてんのか死んでんのか判らない状態だろうな」
「あっ、それなら俺にくれない? そいつで遊んだってもうつまらないだろ? 後は俺が処理しておくから!」
「ちょっと……僕の買い物は? 時間おしてんだけど、そっちはもう終わっているんだろうね?」
「ああ? こいつのせいでまだちょっとしか見てねーよ。店探すのにもこいつのせいで時間かかったかんな!」
「な、全部俺のせい!?」
「当たり前だろ!」
「なんでだよ……」
「あはは! 富樫くん面白いね」
狂ってる……なんでこんな荒んだ場所でこんなに普通におしゃべりができるの?
なんで倒れているカクシちゃんの前でそんな――
そう思ってカクシちゃんを見るや、彼女がむくっと立ち上がるのに呆気にとられた。
「あれ? ちゃんと刺さっているのに、なんで起き上がれるの?」
何かが矛盾している気がする状況に困惑しました。その間に一人一人が全員遠ざかっていく幻覚に襲われます。
世界が画像を引き延ばしたように見えたかと思うと、一気に白い煙が立ち込めてきます。全てが遠ざかっていく最後に見えたのは、カクシちゃんの全てを呪っているような虚ろな目でした。
「――もう……全てを隠せば終わりなんだ」
◇◇◇
俺は、いつものように外で修行に打ち込んでいた。相手は、スミレ。木刀を持ち、剣を教わっている。
そんな時、どこからか小さい声が聞こえてきて手を止めた。
「どうした?」
俺がふらふらとどこか遠くを見るのに気付いたスミレが問いかけてくる。だが、俺には疑問符しか入ってこなかった。
「どこからか声が……」
泣いてる……一人だ。でも、もの凄く遠い気がする。誰かに聞いて欲しいのに、届かないことを嘆くような。
助けて欲しいって言っている気がする。
「何を呆けているんだ。そんなサボり理由、まさか突き通すつもりじゃないだろうな!?」
スミレには聞こえていないんだ。こんなにも可哀想な泣き声なのに、なんで気付かないんだよ……。
「本当なんだ、いいから邪魔すんな!」
俺の真剣な表情にほだされたのか、スミレは怪訝そうでありながらも口を出さなくなった。
誰だ……なんとなく聞き覚えがあるような……。どこにいるんだ…………もう少し、もう少しでどこにいるか判る気がする。
もうちょっとなんだから、あと少しだけでいいから、声を張り上げて俺を呼べよ!!
「これは……まさか、妖気を放って感覚を広げているのか? こんなこと、教えた覚えはないぞ……!」
強がんな……! 一人でなんでもできるわけじゃねえだろ! 神様でも――…………
俺は、とっくに気付いていたのだ。声の主は、あの小生意気な少女であることを。
「――ダメじゃ」
やっとのこと正体と方角、そしてあいつが悪い状況にいる事が判った時、後ろからまた言われた。
ゼラが俺を睨み付けていた。いつものごとく、俺を心配しての物言いだとは熟知している。
だけど、俺は引けないのだ。
「悪いゼラ……俺に行かせてくれないか。あいつは――」
「お主が行ったとしてなんになる? 今の彼奴に相応しい呼び名は、もはや妖怪や神ではない。呪いそのものじゃ!
妖怪を辞め、神を辞め、触れてはいけない怪異となった。怪異とは事象であり、魂など存在せん! お主が行ったとしても、言葉は届かないどころか――お主が傷付き、もしかしたら呪われる可能性だってある!
お主をお主と認識せん挙句、人間と断定されて障りを貰ってくるのがおちじゃ。やめた方が賢明。むしろ気にせぬ方が儂らの為でもある。この領地の主が障られたとなれば、どんな形とはいえ儂らに影響が出ないわけはないからのう……!」
「だけど――」
「主は優しいのう。自らを省みず、他の為に己が命を投げうつことができる。そんな者、人間ではお主くらいなものじゃろう。
じゃがそれは、主の命を軽んじているからに他ならぬ。自分の命が他よりも劣っているからと、自分よりも他人の方が世界の為には必要であると誤解しているからじゃ!
この際に言っておくが、お主は儂らにとってどの人間よりも大切で不可欠な存在じゃ! けして嘘ではない! お主だけが儂らにとってかけがえのない人間なのじゃ!!
もっと己を大事にしろ! もっと自分の重要性に気付け! お主は、こんなにも儂らに愛されているではないか!!」
ゼラの後ろにハクやクウ、シノン、リコ、キリカ、ツジリ、スイレン、キロロと次々と屋敷から出てきていた。皆、俺がいつの間にか発していた妖気に胸騒ぎを起こしたようだ。それぞれの表情は重く、心配するように曇っていた。
俺は、ゼラがわかって欲しいとでも言うように必死に訴えかけてくれたことが嬉しかった。
ありがたい……本当にありがたいよゼラ。お前はいつも俺に俺が心の底では欲している言葉をくれたよな。
今回もそうだ。俺が不安がってやしないかと、図星をつきながらも諭してくれている。こんなにありがたいことはない。
俺はずっと一人だったから、こんなにちゃんと俺を見てくれる仲間に囲まれて嫌じゃなかったよ。
「お前ら……ありがとう」
でも、だからこそこの気持ちをカクシにも知って欲しいと思う。
あいつを助けられるのは俺だけだ。麒麟の子を助けるのにも俺を頼ってきた。忌み嫌う相手の俺しかいないんだあいつには。
あいつは俺にずっとそれを訴えて来てくれたのに、俺はそれを突き放して置いてきぼりにしてしまった。
謝らなくちゃいけない。そして、今度は俺が助けなくちゃいけないんだ……!
「俺、行くよ!」
「なっ――」
「「紅葛様!」」
「レッドさん!」
「俺なんだ、あいつを一人にしたのは。
悪いけど、留守番を頼んだ。ちょっと長くなるかもしんないけど、また逢おうなゼラ」
俺は皆の顔を見ずに背中を見せて走った。
恩をあだで返しているのには気付いている。だけど、それでも助けたい奴がいるんだ。
ここからでもなんとなく判るし、ゼラが言っていたように俺は無事では済まないだろう。帰ってこれないかもしれない。生きていても、呪いに触れれば帰ってくるつもりはない。だからこれで――暫くのお別れだ。
またゼラは俺を見つけるだろう。もしかしたら俺がゼラを見つけるかもしれない。その時は今の俺じゃないけれど、また救って欲しい。
我儘かな……。
「なにを勝手なコトをぬかしておるのじゃ!」
右を見ると、ゼラが獣の姿となって走っていた。俺の方が遅いみたいで、黄金に輝く毛並みを靡かせながら四本脚で地面を蹴っている。
ゼラの獣姿。思わず驚くほどの迫力と逞しい出で立ちだ。
「呆けていないで乗れ。行くのじゃろう? 幼稚で、無垢で、吉凶な神の下へと!」
……今度は、一人で行かせるつもりはないってことか。そりゃあ俺の輪廻をつけ回すストーカなだけあるよ。
「――当たり前だ! 俺は、あいつを見捨てない!!」
「なら、わたしたちも共に行きます! ご主人……レッドさんを見捨てられないのは、わたしも同じですから!」
「九尾様と空狐様が行くのなら、あたし達も行くわ! 勘違いしないでよ、覗き魔! あたしたちが行くのは――」
「はいはい、わたしたちもお供しますのでご安心くださいね」
「ちょ、シノン!?」
ぞろぞろと屋敷を残して狐たちが後を追って来ていた。それは競馬ならぬ競狐のようで、皆ざわざわと何かを語り掛けながら走って追って来る。
「あたしもいますからね紅葛様――! 置いていかないでくださいよ!」
「うちもスイちゃんも一緒や!」
「わたくし、前回のお礼をまだしていませんの!」
「「「「紅葛様――!!」」」」
お前ら…………マラソン大会じゃねえぞ!
クウがゼラの背中で手招きしていた。
たく……人間の俺にどうしてそこまでしてくれるのか、はなはだ疑問だね。人間嫌いが妖怪の常のはずなのに、お前らはどうして俺にだけ親身になってくれるのか今度ちゃんときいておかなくちゃな。おかげで不安がどっかに消えたよ。
俺は、ゼラの背中へと乗る。すると、ゼラはニヤリと笑って走る速度を上げていった。
――待ってろよカクシ! 今、皆で助けに行くからな!!




