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21話 妖館の祝杯(2)

 何人かとすれ違っておかしいように思われたようだったが、背後の足音が消えるまで走った。

 すると、廊下の角で誰かとぶつかってしまった。


「いつっ!」

「きゃあ!」


 女性の声があがり、互いに尻もちをつく。


「わ、悪い……ちょっと面倒な奴から逃げてて……ってハク!」

「もう……こんな所で走らないでください……」


 むすっとしかめ面を浮かべて倒れていたのはハクだった。仕事で疲れているのか、しゃっきりしない面持ちで先に立った俺に手を差し出してくる。無言で「起き上がらせてください」と願うような行動だが、俺は当然のように受け入れた。


「悪い……」

「いいですよ、楽しんでいるようなのでなによりですから。九尾様も随分お楽しみだったみたいですので、皆様も調子がいいご様子でした。余程待ち侘びた祝杯だったんですね!

 レッドさんにも調理部の者達がお礼をおっしゃっていましたよ。あなたのおかげで懐かしい料理を作ることができたと。同じ世界からいらっしゃったようですから、味にはなじみがあったのでは?」

「ああ、それはもうその通りだな! めちゃくちゃ美味いぞ、お前はもう食ったか?」


 俺は笑ってみせながら手に持っていた更に乗っている天ぷらをたいらげた。

 一気に口に入れてしまったので、少し咳き込んでしまう。するとハクは、やれやれというように俺の背中をさすってくれた。


「まったく……無理はいけませんよご主人様」

「えほ、えほ……っえ?」


 俺が疑問に思って顔を見ると、ハクは視線を逸らして庭の方を見た。

 俺のこと、今初めて「ご主人様」とか言わなかったか?


「その……ここまで大所帯となったのですから、わたしの立場もはっきりさせた方がよろしいかと思いまして。近しい妖怪以外のいる前ではこちらの方がよいかと、まだ人間という種族を受け入れられない妖怪はいますから。

 それに、これからはより一層反感を受ける機会が増えるかもしれませんし、レッドさんと呼ぶのはふたりきりの時だけにさせてもらおうと思います」

「俺は構わないけど、いいのか? お前、そこまで俺に謙るの嫌だろ」

「こ、こういうのは慣れですよ! はっきり言って、やっぱりわたしの主人があなたのような間抜けだとこちらとしても色々と思う所があるわけでして! なので、これからはちゃんとしっかりしてくださいね!」

「……はは……お前に言われると、しゃきっとするよ。

 でも、スミレに修行を受け始めたばかりだし、もう少しだけ勘弁な」

「わたしの名を呼んだか?」


 声があって振り返り見ると、廊下に腰掛けて庭に向かって晩酌するスミレがいた。

 広間では全然姿が見えなかったからどうしたのかと思っていたが、いつの間にそんな所にいたんだ?


「スミレさん、お酒は足りていますか?」

「ああ……久しぶりの酒だが、懐かしい以上に美味しい。人間、お前も飲むか? 少し付き合え」

「あ、ああ……」


 こいつとはこの数日何度か戦ってみた。もちろん模擬戦で使う剣は木刀。しかし、真剣だったなら何度死んでいたことか判らない。それほどまでにまだこいつと俺の間には戦闘力の差が開きすぎている。

 俺なんかが何年も積み上げた技を持つスミレに太刀打ちできるとは思っていないけれど、少しでも近づきたい。だけど、あまり普段話をしないからこいつがどういう奴なのかいまいち判っていないんだよな。

 ――こいつのことを知れたら、少しは近づける切り口が見えるだろうか。


「大丈夫ですか?」


 ハクは、以前のことが未だ気掛かりという様子で耳打ちしてきた。


「安心しろ。殺そうと思えば、修行中に何度も殺せてるさ。そうしないのは、きっとコイツの中でも俺の立ち位置が決まっているからだと思う。だから、少し話してみる」

「そういう意味ではありませんが……そうですか」

「お前は、ゼラの方を頼んだ。あいつ飲み過ぎていないか心配だしな」

「承知しました。夜も更けていますから、レッドさんも無理しないでくださいね。それと、風当りにも気を付けてください。人間は風邪という病に侵されることがあると聞いたことがありますから」

「お互いさまにな」


 ハクが広間へ向かうのを横目に俺はスミレの横へと腰を下ろした。


「ん」


 スミレは、月明かりに照らされた山紫水明さんしすいめいのごとき庭を見ながら湯呑を手渡してきた。顔を見ずに押し付ける様は彼女らしいが、仄かに顔が赤いのは酒のせいだろう。

 渡された湯呑の匂いを嗅ぐと、中身がお茶であることが判った。


「貴様はミセイネン、という奴なんだろ。なんのプライドかは知らんが、それが貴様にはお似合いだ」

「……ありがと」


 お茶を啜り、一息つくもお互いに言葉は出てこない。ただ、目の前の美しい光景に見惚れてしまっていた。

 水の流れる音や虫の音といいハーモニーとなって何か曲を聴いているかのようである。

 丁度修学旅行で気になっていた龍安寺の石庭に似ているな。手入れされた岩を囲むように砂が敷き詰められていて、その中で落ち窪んだ池に水月が浮かんでる。

 まさに日本を知る妖怪が造ったという感じだ。見逃したと思ってたけれど、案外こうして作れば模造品のようなものでも美しいと思えるから不思議だ。


「ここはどこか昔懐かしい匂いがする」

「……そうなのか?

 でも、それが妖怪にとってはいいってことなんじゃないのか? 長年生きてると、昔懐かしい記憶を掘り返したくもなるだろ。違うか?」

「…………ふっ、そうかもしれないな」


 どこか寂し気に呟く彼女の目は光っていた。まるで心の中で泣いているかのように。

 妖怪だから人間のような心は持っていないと思うのは、俺は違う気がする。寂しいという心は、誰かを思っての心だろう。ゼラはずっとそれを俺に訴えてきていた。スミレにもそういう人がいて、昔を思い出して何かを感じているのかもしれない。


「そういえば、ビオラはどうしたんだ? お前ら、双子なんだろ」

「妹は今もあっちの国に滞在中だ。宴会をやるからとあちらの守備を疎かにする真似はしない」

「そうなのか。あいつには王妃から出てきた妖怪の時に助けられたし、一度お礼を言っておきたかったんだが――今日もいないのなら仕方ないな」

「一応わたしが貴様に修行をつける間は、妹があっちにいることになっている。暫くは逢えないだろう、残念だったな」

「そうだな、あっちの方が優しく教えてくれるかもしれないし!」


 軽口を叩くと、「望むところだ」と言いたげにスミレがほくそ笑んだ。


「ほう? ならば、明日の稽古は格別に厳しめにいこうとするか。二度と妹の顔を拝めなくなるかもしれないな」

「ちょ……それは勘弁……」

「貴様はやはりおかしな人間だ。

 いや、それが人間という生き物の性なのかもしれないな」

「かもな……」


 俺は嘘をつくのは慣れているかもしれないが、人と話すことが慣れているかというと別の話だ。だからだろう、こういう時何を話せばいいのかわからない。

 暫時、無言の時が流れて居たたまれなくなった。そうしていると、出し抜けにスミレに頬をつままれた。


「にゃ、なんだよ……!」

「…………おかしな顔をしていると思ってな」

「おかしいだと……!?」


 なにが言いたいんだこいつ……?


 ちゃんと見てやっと気が付いた。月明かりのせいかもしれないが、スミレの瞳が潤んでいた。

 ……泣いているのか……? 何故?

 スミレは直ぐに俺の顔を解放すると、月を見上げ始めた。再びいつかを懐かしむように深く遠く見つめていた。


 その後、景色を眺めながら互いに飲む物を飲んだ。美景があって、自然と口数は減ったけれど、後に思えば悪くない時間だった気がする。

 暫くして、そんな不思議な時間を名残惜しみながら解散することになった。

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