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19話 妖家での新たな非日常な日常(2)

 家から温泉までの道ができていた。コンクリートの上にすのこを敷き詰め、温泉傍にある木製の建物まで続いていた。

 俺が意見を出した脱衣所をちゃんと作ってくれたらしい。これもハクのデザインならば、日本を知らずにここまで造り上げたのは感嘆に値する。脱衣所の中は着替え用の籠や棚があった。炎が仄かに揺らぎ、部屋を照らしているのは露天風呂らしさが出ていて趣がある。

 こういう部屋で誰かとだべるのもいいかもしれない。だが、友人のいない俺にとっては憂鬱な勘考か。

 ――さっさと入るか。

 脱衣所に置いてあったタオルを腰に巻き、温泉へと出た。


 外からも湯気が出ているのが見えたから判ってたけど、やはり出てみると湯気が凄い。

 硫黄に似た匂いが漂ってくるし温泉らしくてほっこりするな。温泉を前にわくわくするのは日本人ならではか。

 温泉の方はだいたいできているようだ。シャワーのような身体を洗う場所などはまだみたいだけど、こっちができているならありがたい。

 湯船を大きめの石が囲み、よくある露天風呂の情景がそのままに在った。思ってた以上に広いのは大人数で入ることも考えてのことだろう。その中央に岩が聳えているのは風情がある。

 妖怪が作ったにしては上出来だ。日本を体験した妖怪が何体かいたんだろう、ありがたい。


 俺は幸先よく湯に体を沈めた。少しばかり熱い気はするが、耐えられないほどじゃない。むしろ温泉らしくてこのくらいが常温なのかもな。

 俺はゆっくりと肩まで湯船に浸かった。思わず「はあ〜」と声が出てしまうのは温泉のなせる技だ。


 削ってあるのか背もたれにいい場所を見つけた。脱衣所から中央の岩を挟んだ丁度反対側の所だ。

 温泉に来たら一番端に位置取るのは、優先席みたいだからいつもやっている。おかげでこんないい背もたれを見つけてしまった。


「熱いから長居はできないけど、温泉が家にあるなんてロマンだよな。前の世界じゃ考えられない風情ってやつだ」

「そうだねえ♪」

「ここら辺に活火山があるみたいだけど、こうやって温泉をひけるなんて田舎暮らしも案外悪くない。ゼラにも後で勧めておこう。狐が温泉好きかは判らないが、きっと気に入るはずだ」

「大変同意だねえ。やっぱり温泉は美容にいいし、毎日でも浸かりたいと思っていたんだ。紅葛様には感謝してもしきれないくらいさね」

「わかるねアンタ……」


 右隣から出る声に普通に反応していたが、右を見ると女性が湯に浸かっていて呆気に取られた。


「しかし、紅葛様とこうやって温泉に入れる日がくるとは……狐を長くやっていた甲斐があったってもんだ」


 白く透き通るような肌がきらきらと輝いていて生唾を飲んだ。長い髪を後ろで結んでいるようで、つむじが露となり妖艶。浮くに浮ききれない胸は谷間にお湯を入れて艶かしかった。

 一応とばかりにタオルが巻かれていたが、顔が仄かに赤く湯を堪能している様が魅力的に見える。肩にお湯を掛け、肌に馴染ませるように腕を撫でるのは見ていられないほどに色っぽかった。


「な、な、な、何やってんだお前っ!!?」


 おののくようにして立ち上がると、体がふらついて湯船に倒れた。


「あらあら……紅葛様は意外とお転婆なんですねえ?」


 マイペースな話し方と蠱惑的な笑みからキリカだと推察する。

 今回はスイレンともう一人はいないようだが、いつの間に俺の隣にいたんだ? 俺が入った時はいなかったはずだ!?


「男の俺が入ってんだから女は後にしろ!」

「そう怒鳴りつけないでくださいな。紅葛様が温泉に参ると聞きつけ、こうして馳せ参じたのですから」

「馳せ参じんな!!」

「まあまあ、そう言いなさらず。身を寄り添って温まれば、仲が深まると聞いたことがあります。このキリカにお世話をさせてくださいな♪ 勿論、体の隅々まで……」


 誘惑するようにキリカがにじり寄ってくる。強調するかのように胸を寄せ、見せつけてくる様は羞恥心が一切感じられない。極小の灯りで艶やかに彩られる彼女の色香は凄まじく、再び生唾を飲み込んだ。

 紅葛とこいつが言う誰かなど俺は知らない。おそらく俺の前世の名なのだろうが、今の俺とは全く関係がない。それでもこの誘惑してくれる美女の誘惑を拒むことははたして正しい行いなのだろうか。

 俺は、妖怪を受け入れる。ゼラが俺をそうしてくれたように、俺も人間という生き物に忌み嫌われ追いやられてきた妖怪という種族を肯定すると決めた。だから、このキリカという狐妖怪を受け入れることもまた肝要なのではないだろうか。

 湯にあたり頭のてっぺんに横たわる獣耳が麗しく、俺の許しを請うかのようにくねる背中の尾が更に俺を誘惑してきていた。まるで俺がそれらの獣要素を好んでいると見抜いているみたいだ。

 体から下たる雫が色を帯び、燦然と輝く。

 キリカは、俺の許しを待たぬように体を支えていた右腕にゆっくりと触れてくる。更には柔らかくも弾力のある胸を押し当て、鼻先に触れるほど顔を近づけてきた。

 不思議と嫌悪感がなく、キリカもそれを悟ってか蠱惑的な笑みを浮かべた。


「お慕いしております……」

「やめ――」

「――わぁあ! 広いわね!」


 その時、脱衣所の方から女性の声が響いてきた。温泉に感動したような調子のいい声だった。

 舌打ちをしながらキリカの顔が強張るのが判った。

 俺も仰向けに倒れながらキリカの後を追うように脱衣所の方へと視線を移動する。岩影を隔ててシノンの長い白タオルに包まれた美麗な容姿が目に映った。

 やべ……。

 不意にシノンのむっとした顔と目があった。シノンは直ぐに笑顔になったけれど、目が笑っていなくて怖かった。


「あらら? あそこにアカヒト様が!」


 シノンは、他にいるらしい付き人に俺の存在を示唆する。


「なんですって!!?」


 この声は、とやっと先程の声の主が誰なのか判った。

 いつものようにシノンはリコと一緒らしい。憤怒に駆られたリコの声が岩の奥で叫ばれた。


「パパ!」


 クウが水を泳いでやってきた。

 やべ! クウに見られる!! っていない!?

 右を見て始めてキリカの姿が消えているのにやっと気が付いた。

 危なかったが、逃げ足が速いこと……。


「パパも温泉?」

「く、クウ……なんで入ってきたんだよ……」

「行けませんねえ……淑女の裸体を覗こうだなんて」


 シノンがクウの体を掴み、落ち着かせる。だが、クウの頭の後ろにある隠しきれないほどの胸に目が行ってしまった。

 シノンは俺がいると判っても、姿を見せているのだから意地が悪い。彼女から放たれる意地悪な笑みは迫力があり、ドキリとさせられた。先程の余韻をぶりかえさせるほどの破壊力にのぼせることを想起させてくる。


「お、お前らが勝手に入ってきたんだろ。先に入ってたのは俺の方だ!」

「ふふふ、女性を前に言い訳は無粋ですよ」

「へいへい……」


 こっちのいいぶんを聞く気はないってことね。なに考えてんだこいつ……。


「なんでアンタがいるのよ!? バカじゃないの!? 変態! 覗き魔!!」


 岩陰からリコの怒号が響いてくる。

 あいつは二人と違って姿を隠したようだ、賢明だな。


「空狐様! その人間の前に出ていくのはおやめください! シノンも自分の体を大事にして!!」

「リコは恥ずかしがり屋ですから、お許しください」

「いや、あれが正常だろ。クウはまだしも、お前までなんでこっちに来るんだよ……」

「わたくし、アカヒト様のこと男性とは見ていませんので」

「あっそ……」


 男として酷い言われような気もするが、怒られないだけマシか。


「何言ってるのシノン!? 男はケダモノよ!! 即刻離れなさい! ケダモノ臭まで移っちゃうわよ!!」

「ケダモノ臭って……それはケダモノのお前らの方だろ……」


 ボソッと小声で言い返すと、「なんですって!!」と獣の地獄耳が発動していた。


「大丈夫よリコ。アカヒト様にそんな度胸はないでしょうし、ご自分の子供の前で醜態を晒すほど愚かじゃないでしょうから」

「ぐ……良くおわかりで……」

「で・す・が、今しばらくまで誰かと一緒だったのは見過ごせませんね。浮気でしょうか?」


 こいつ知ってやがったのか!?


「これは九尾様にお伝えした方がよろしいでしょうか? 温泉での淫行……さぞお怒りになるでしょうね」

「俺はそんなことしねえっての! てか、お前だって俺と一緒に温泉に入ってるじゃねえか……」

「! 確かにそうですね、ではこのシノンも貴方様の愛人ということになるんでしょうか?」

「なるか!」


 こいつと話していると馬鹿になりそうだ。酷くなる前に出よう。

 俺は二人を見ないようにして脱衣所へ戻ることにした。


「何出てきてんのよバカ!!」

「やべ……」


 岩陰に隠れていたリコと目が合った。豊満な胸元を隠すように浸かる様は艶やかで美しかった。目を丸くし逆立った獣耳と尾が相まって可憐の一言である。

 しかし、その視界もすぐさま飛んできた桶によって遮られた。桶が頭部に激しく直撃し、俺は温泉に倒れる。

 胸を隠すように位置付けられた腕、火照った体、かした赤髪を濡らした彼女の姿は、視界を薄くする湯気がもどかしいほどに美しく目に焼き付いた。


「出るんだろうか! 邪魔すんな!!」

「バカこっち見んな! アホ! 変態! 露出狂!!」

「それはお前もだろ! 俺が入ってんだから入ってこなくていいだろうが!!」

「う、うっさい!! いい加減出ていきなさいよ!!!」


 肝を冷やしたリコは人差し指を立てて狐火を出現させた。

 あ、ヤバいやつだこれ……。

 悪寒がしても遅く、リコの狐火が青白く光りながら飛んできた。

 一瞬にして炎は俺を弾き飛ばし、温泉をはるか遠くに感じさせた。


「ふざけんなあああぁぁぁぁ…………」


 叫び声が山の中に消えていく間に俺はどこかの水辺に着水する。

 バシャンと痛い音が起こったかと思えば、せっかく温めた体が冷えきっていくのを感じた。


「へっくし!」


 くしゃみをするも、辺りは暗く誰の心配の声もない。

 嗚呼……俺、ここでやっていけんだろうか……。

 震える体を抱きしめながらに憂鬱にそう思った。

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