19話 妖家での新たな非日常な日常(1)
目を覚ますと、俺はハクに膝枕をされていた。視界にハクの豊満な胸が浮かび上がっている。
「お、お、おわっ……!!?」
は、ハク!!?
俺は飛び起き、ハクに対して後退った。ハクは俺の声に驚いて目を見開いていた。
「な、なんで……て、ここどこ!?」
「……驚きました……いきなり起きないでください。まったく……忙しない人ですね」
「いや、てか、お前なんでいま俺……膝枕……」
周囲を見渡すと、畳の敷かれた部屋で家でないかと考える。
俺は制服のブレザーが脱がされ、上はシャツ一枚になっていた。
「スミレさんが背負って帰ってきてくれたんですよ。後で感謝してくださいね」
いや、俺はお前がなんで膝枕してたのか聞きたいんだよ……。
「て、え? スミレが俺を連れて帰ってきたのか? なんで?」
「さあ?」
ハクは、惚けたようにそっぽを向いてしまった。どこか怒っているようにも見えるのは気のせいだろうか。
気を失う以前、俺はスミレとビオラに無理矢理あの妖玉を飲まされたんだ。
あいつ……何考えてんだ……? てっきり俺のことは追い出したい派の奴だと思ってたのに、心変わりでもしたのか? それとも滅多打ちにして自分からここを出て行かせようっていう腹積もりなのか!?
「それで、何をしにあちらに行かれたんですか?」
「ん? ああ……」
「言って下さればわたしもお供したものを……」
「遊んでるお前の邪魔なんかできるわけ――…………そうだ! 俺たち王妃にとり憑いていた妖怪をタコ殴りしようと……って、ゼラは!?
嗚呼……油揚げ買ってやるって言ったのに、約束破って後でドヤされんだろうな……」
「油揚げですか!?」
急にハクの背筋と耳がピンと伸びた。『油揚げ』という言葉に敏感に反応しているのが丸わかりだ。
「狐は皆油揚げが好きなのか……?」
「勿論! 油揚げが嫌いな狐は存在しません! それならそうと連れて行ってくだされば、貴方の事は放っておいてわたしが買ってきましたのに……!」
呆れながら訊ねると、ハクは目を輝かせて即答した。
こいつもこいつで油揚げ信徒ってところか。呆れるどころか関心するな、そこまで言われてしまうと。
「じゃ、じゃあ今度他の奴らにも買ってくるか」
俺がそう言うと、自分にも寄越せというのか素早く立ち上がって顔を近づけてくる。
「それは素晴らしいアイディアです! わたしが出す屋敷のアイディアのどれと比べても勝るこれ以上無い提案ですっ!! 是非実行に移しましょう! それ以外ありません! それ以外勝たん!」
「勝たん?」
どこでそんな現代人みたいな言葉覚えたんだ? またゼラか……。
「明日直ぐに行きましょう! いいえ、これほど素晴らしい事なのですから今日中に! なんなら今すぐにでも!!
知っていますか? 油揚げの発祥はレッドさんが前に居た世界なんですよ! 昔からいた狐妖怪の誰かがこちらに持ち込んだとされていますが、それを模倣して作ったのは料理人ではなく鍛冶職人という話です! 手頃で美味しく、素早く食すことのできる油揚げが鍛冶の現場では重宝されたようなんです! わたしはその鍛冶職人を敬い、またこちらの世界に運び込んでくれた妖怪を称賛しています!! それほどわたし達狐妖怪は油揚げを愛する種族と言っていいでしょう!! 見た目は狸のアレに似ていると言われていた時期もありましたが、あの上品で口いっぱいに広がるふんわり感とさばさばした味……ううん、絶品以外ない代物です!!
ですので、なにが言いたいかと言うとですね! これからすぐ油揚げを買いに行きたいですっ!!!」
「お、おう……」
早口で途中何言ってんのかわからなかったが、相当好きなのはわかった。
「でも、今日中はさすがに無理だ。なんかかなり眠いんだよな……」
いまさっきまで眠っていたのだが、それにしては眠気が収まらない。酷く疲れきった気がする。あのババアとの戦いで気を張りすぎたか?
「そ、そうですよね……酷くうなされていたようですから」
「俺がうなされてたのか?」
「はい、汗もびっしょりかいていたようです。妖怪と戦ったようですが、何か妙な術でも受けたのではありませんか?」
確かに全身がジメジメと気持ち悪い。ハクの膝元には俺の汗の跡があって申し訳なかった。
「わ、悪い……」
「なにがですか?」
「いや……」
汗で汚して悪いとは言い難い。気づいていない可能性だってあるし……気持ち悪がられたら立ち直れない。
「それより、寝るならお風呂に入ってからにしてください。そのままではお布団が臭くなってしまいますから」
「おう……」
「レッドさんが出ていかれてから温泉の作業を進める者が多発しまして、もうほとんどできているんです」
見ていない隙に作業を進めたのか。狐には案外頑張り屋が多いのか、知らなかった。
「あれ? お前、レッドさんって……」
「へ、変ですか!? ……呼び捨てにはできないですから、そう呼ぶようにしたんです……」
顔を赤らめてボソボソと声が小さくなっていく。
意外なのはこいつもか。少しは俺を認めてくれたのかもな。
「変じゃない、やっぱ様とか言われるのは気持ち悪いからな。その方がいい」
「そ……そうですか……」
素直じゃないが、背中の方でクルクルと動く尾は喜んでいるように思えた。
獣耳と尻尾は最強だ。普段性格のきついハクであってもこんなにも可愛く見えてしまうのだから不思議だ。
「余談は済んだか?」
背中の方にあった襖が開かれ、スミレが入ってきた。
空気を冷やすツリ目は俺を人とも思っていないような冷酷さが孕んでいる気がしてならない。
「ほら、レッドさん。スミレさんにお礼を言ってください」
「誰がこんな奴に礼なんか言うかよ! 無理矢理俺に怪しい玉飲み込ませやがって! あんなばっちいもん、吐いてないのが不思議でならねーよ!!」
「……どういうことですか?」
ハクには俺が気絶した経緯は聞かせていないみたいだな。
「そんなことはどうでもいい。修行をつけると言っただろう、こんな所で油を売らずにさっさと外へ出るんだな」
「はあ? 偉そうにすんのもいい加減にしろよ!? あんな事があったあとで、はいそうですかとか言ってのこのこ付いて行くバカに見えんのか!」
「付いてこないというなら、力づくで出すしかないな……!」
一瞬にしてスミレの妖気が高まるのを感じた。
それまで何も感じなかったのが不思議なくらいにおぞましい空気感によって部屋中が浸食されていく。
こいつ……!
……強い。今、俺に判るのはそれだけだ……途方もなく、されど確実に俺より格上の妖気の質と練度を感じる。
「――待ってください!
何をしようとしているのかは存じませんが、無理強いはよくありませんよ。レッドさんはお疲れですし、この状態では何をするにも効率が悪いです」
今日の俺の言葉をそっくりそのまま送るようにハクはスミレに反抗してくれた。
「そんなものは知らん。この者は一刻も早く自分の力を向上させるべきなのだ!」
スミレに左腕を掴まれた。無理矢理にでも俺を連れて行こうとするのは本気らしい。
しかし、それに対抗するようにハクは右腕を抱きかかえてくれた。更にはスミレを睨み付ける。
ハク……。
「レッドさんは妖怪じゃありません! わたし達の尺度で痛みつけては本末転倒になるのが当たり前なんです!!」
「……そうだぞ! 俺は人間なんだっての!」
「…………貴様、何故それほどまでこの人間に媚びる? 人間、それも人族など百年も経たずに死に絶える生き物だろう。エルフや獣人ならまだしも異世界から来ただけの人間に何を期待しているというのだ?」
「それはそちらも同じことでしょう。貴方は何を期待してレッドさんを連れ出そうというのですか!」
「…………言い得て妙だな」
ハクの反論にスミレは理解を示したかのように俺の腕を放した。
「確かに貴様の言うことは最もだ白狐。私がこの人間を期待しているというのが理解できない。いや、有り得ないことだ。
…………暫く考えておこう。おい人間、明日は引き下がらぬよう理屈を考えておく。つまり、明日は逃がさないから覚悟しろということだ!」
スミレは最後に俺を睨み付け、部屋から出て行ってしまった。その背中はまだ考えている途中のようで、変な奴と思うほかなかった。
しかし、俺が言い訳並べて逃れようとしたのにハクに全てやってもらったような感じだ。不甲斐無いが、こいつには感謝しないとな。
ハクは、スミレが出て行ったというのにポカンと信じられないような顔をして俺の腕をまだ抱えていた。
安堵したからかハクの胸の感触が伝わって来て俺の顔が赤くなっていた。
「お、おい……もういいから……」
「あ……ああ! すみません……」
おどおどしながらもハクは俺から離れた。
「ありがとな。やっぱお前、頼りになるよ」
「そ、そんなことは……わたしの方こそ無粋な真似をしてすみませんでした。あのくらい貴方ならばどうとでもできたでしょうに、余計な事をしました……」
頬が薄紅色に染まり、ハクが後退るのでどんどん距離が離れていく。
ペコペコと頭を下げて謝る理由はよく判らないのだが、少しだけいい想いをしたような気がする。
「いや、お前がいなかったらただ我儘言うだけであいつの言う通りにされていたと思うよ。割と俺、今頭回ってないからさ。
さっきも俺の看病をしてくれてたんだろ? 何から何まで悪いな」
「いえ、それがわたしの仕事ですから……」
「でも、助かった。ありがとう」
自然と口から出た言葉に自分でびっくりした。
俺はいつの間に自分から感謝することができるようになったんだろうか。前までの俺からは全く考えられない行動だ。
「で、では、わたしは夕食の準備の手伝いをしに行って来ます!」
にへらと笑みが零れたのを隠すようにハクはバタバタと部屋から出て行ってしまった。
あいつ変わったな。毎回思うが、最初は全てを恨んでいるような奴だと思ったのにな。
いや、変わったのは俺もだな。いつから俺はハクをあんなに認めるようになったんだろうな。今じゃゼラと同じく傍にいて欲しい一人になっている気がする。
少し前まで全然顔を見てなかったから、あいつの有能さに気付いたのかもな。家事やってくれるし、新しい屋敷のことをあれだけ悩んでくれるし、言葉遣いが丁寧だし、人間だったら仕事もプライベートもそつなく熟すタイプだよな。少しだけだけど羨ましい。
あいつならすぐに周りの妖怪とも打ち解けるだろうし、心配はないだろう。問題は、スミレだな。
「あ〰〰くそ……全然頭回んねえ……! 考えんの後にするか!
もう少し寝てたいけど、このまま寝るのは嫌だな。シャツが引っ付いて気持ち悪い。風呂行こ」
そういえばハクがもうすぐ温泉ができるとか言ってたけど、今どうなんかな?
確か温泉を作ってたのは裏手だったか。少し歩くけど、見てみたいし行ってみるとするか。




