13話 妖狐と男の邂逅(2)
夢でも見ているのだろうか。さっきまでの夜空が嘘のように朝の様子が目に映し出された。
殺風景な景色で田畑がそこら中を占めていた。遠くには山が見えるものの、なんとなく懐かしみを感じた。
こっちの世界とは違って、ド田舎の景色が日本だと思える。だけど、なんとなく違う。
そうか……電柱が一つも無い。機械的な物がまるっきり見えないんだ。
「――ここは、遠い昔の日本じゃ」
「やっぱり……」
ゼラの声が聞こえたかと思うと、すぐ隣にゼラがいた。
遠くを見つめるように視線は前へと向いている。
何を見ているんだ?
ゼラにつられて視線の先を見た。すると、麦わら帽子を被った少女と誠実そうな青年が畦道を楽しげに歩いているのが見えた。
話が盛り上がっているようだ。少女は、年相応にもスキップしていて可愛らしい。
「……楽しそうだな」
「――あれは、儂とお主じゃ」
はっとさせられた。
そういえばこの景色を俺は最近見たことがある。
そうだ……あれは夢の中で……。
「江戸時代中期、儂はお主を見つけて暫くの間共に暮らしていたのじゃ。
長くも短い……儚い時間じゃった」
よくよく見れば、この時代ではおかしなくらい麦わら帽子の少女の金髪は目立っている。
そうすると、あの男が昔の俺だというのか。
突然に景色は様変わりする。
眩暈でも起こしているのかと思うほどの時間と空間の変わりようが一瞬あった。けれど、次に映し出されたのは晴れた夜月の下だった。
さっきと同じ少女と青年が森の中を抜けてきたところだった。
青年の懐には可愛く眠ったクウの姿があった。体を折りたたみ、全身を前世の俺に預けて安心しているように思える。
小さくもボロい着物で身を包み、昔らしさが伝わってきた。
「これは、クウを儂とお主で見つけた時じゃ。お主が突然気配を感じたと言って外で見つけてきた」
「それで娘にすることにしたのか……」
「この頃の儂とお主は互いに恋仲であるも、それを意識しないように暮らしていた。奴の性格からして言葉にして言うことができなかったのじゃろう。儂とて妖怪の自分が本気で人間の男に恋心を抱いたなどと自分でも信じらんかった。
ゆえに曖昧な関係じゃったが、クウを養うことに不思議と抵抗はなかった。儂がクウが妖怪であると教えても、奴は優しい笑みを消すことはなかった。
儂が大人の姿となれば奴と儂で夫婦のように装うのも容易。この後は儂は妖艶な美女としてあの頃のお主と生活を始めることになる。
じゃが――元々お主の妹としていたため、一人二役を演じなければならんかった。
できる自信はあったが――…………不運なことに、変化の瞬間を他の人間に見られてしまった」
最後に映し出されたのは炎に焼かれる家だった。
後ろには森があり、前には畑がある。それら全てに燃え広がっており、炎の中で怒り狂ったゼラのシルエットだけが見えた。
壮絶な成り行きに意識を持っていかれているうちに、景色は元の星空の下に戻っていた。
「儂がお主とまみえるのは、初めてではなかった。じゃが、前世で逢っていたと諭して信じる者などおらん。
ましてや魂は同じなれど、人格も運命もそれぞれ違う。儂がまたお主に希望を見出せるかもわからんかった」
寂しげに、そして申し訳なさそうに話すゼラは項垂れながら説いてくれた。
本当に前世の俺を愛しているのを感じられた。
「…………なんとなく俺もお前やクウと逢うのが初めてじゃないかもって感じはあった。
けど、実際そうだったって言われてもやっぱり信じられない……」
「ククク……そうか」
寂しげに笑う彼女の顔の真意ははかれなかった。
俺自身、ゼラとの距離感が曖昧になって頭が揺らぐ。
「だから、今の俺から言わせてもらえば――昔の俺なんか見るなよ、今の俺だけ見てろ!
前世の俺は、今の俺とはまったくの別人だ! 今の俺でいいと思っていないなら俺は捨てられても構わない……!!」
前世で逢っていたなんて話はどうだっていいんだ。
俺が嫌なのは、前世のせいでとか、前世のおかげでとか今の自分じゃないことを言い訳にされることだ。
元々、邪魅に襲われた時に俺も死ぬ運命だった。
今更かもしれないけど、ここで捨てられても俺は文句を言う資格がない。
胸が痛い。鼓動が早くなっていくのを感じる。
本当の本当は、嘘でもいいから一緒にいたい、と言って欲しいから。
ゼラになら、って心のどこかでは思ってた。だけど、それは間違いだったんだ。
俺は結局人間で、ゼラは妖怪。生かしてもらっているうちが花だったんだ。
ポケットの中で自然と拳が強く握りしめられた。
なんとなくだけど気づいてはいたんだ。
あの時、ゼラは女に興味が無いような言い回しをしたけれど、あれは月紫が嫌だったんじゃなくて、俺じゃなきゃダメだったんだ。
俺をなんとしても殺させたくなかったのは、俺に前世の俺の面影を見たからだった。ゼラが愛していた幾数百年前の俺を見ていたんだ。
俺もバカだよな――……お前には認められたと思っちまってた……。
黙りこくるゼラに俺は無言の肯定と解釈した。
俺は、つまるところ前世の遺産によって生きながらえさせられだけだったんだ……。
俺が心の底から欲していたのは俺への理解や情だった。それを裏切られて、心が折れた。
「俺、行くよ。ここは、俺の居場所じゃないみたいだからな」
俺は、足を前に進めた。
もう屋敷を振り返るつもりなんてなかった。
行くあてもない。目先真っ暗でいずれ一人で死んでいくだろう旅をこの一歩から始めようとした。
しかし、俺の背中を痛烈で、豪快に、考えていたこと全てを蹴り飛ばされた。
「ボヘッ!!?」
無造作にでんぐり返しを繰り返し、無様に寝転ぶ。
「阿呆が!」
阿呆……。
「愚か者が!!」
愚か者……。
「儂を誰だと心得る!」
「知るかよ……俺は、何一つお前を知らねえ! 俺は、知らないんだよお前を!!
勝手に思い出にしがみつかれた身にもなってみろ! 俺じゃない俺のお情けなんて要らねえんだよ馬鹿野郎が!!」
「儂は……はくめ……」
もう俺の目には目の前の少女は映らないと思った。
――俺を騙した奴だ。
なのに、震えながらにして怒り泣く彼女を俺の目は再び映した。
「白面……ぐす……ひぐ……」
「なに、泣いてんだよ……」
溢れ出す涙を咳止めようと拭うが、涙は出るのを止めない。拭っても拭っても零れてきている。
――止めるなよ……。
――泣くなよ……。
――もう何もやるんじゃねえよ……。
「殺すか、殺さないかを選べ! もう覚悟はできてんだ!!」
「儂は……!」
暫時、ゼラの泣く姿を見ていた。
しかし、言葉を待つことができなくなった俺は飽きるようにしてその場を退けた。
ゼラのすすり泣く音を背中に受けるのはとても辛かった。ゼラを裏切るようで、一生別たれることを後悔するようで。
――もう二度と俺はここへは来ない。ゼラにも、妖怪とも縁を切る…………!
◇
◇
◇
暗い夜道は俺に後悔することを強要してきた。
上を見上げれば、蒼い月が見返してきて寂しさが増す。
俺は、結局独りになる運命だったんだ……。
運命――その言葉が俺の頭を何度もノックした。
誰とも相いれない嘘吐きは、唯一の理解者でさえ離れていくもの。その要因が嘘でなくとも、独りであることを逃れることはできない。
わかっていた事だ。生きているだけでもよか――
泣きっ面に蜂とはこの事か。
独り寂しい夜道の前に現れたのは、ゼラでも夢と希望でもない。
――俺を混沌へと誘う昏い少女だった。
目が虚ろで俺が見えているかどうかも判らない。蝶の髪留めが月光を反射している見慣れた制服を着用した長い黒髪の女子。
確か名前は七瀬月だったはずだ。
昼間、ヴァルファロストで俺の前に現れた女と同じ人物であるのは一目で判った。
今なら昼間ほどの恐怖はない。それ以上の恐怖が俺を襲った後だからな。
そして、今なら容易に判る。こいつは人間じゃない。
――妖怪だ。
「お前、誰だ?」
「オマエ……ニンゲン、コロス……!」
この感じ…………こいつ、まさか邪魅か!?
妖気の見分け方が上手くなったらしい。過去に相対した邪魅の雰囲気と妖気がひしひし伝わってきた。
……結局俺を殺すのはお前なのかよ……。
「人の知り合いに化けて……いや、乗り移ってんのか? そうまでして俺を探したのは何の為だ?」
お前なんかにゼラを封印することはできない。追って来ても無駄なのに……。
「コロス……!」
しわがれた女性の声が帰ってくる。
ああ……そうだったな……。お前は人の話を聞かない野郎だったな。
いや、それが答えか。
「――……やるならやれよ」
既に覚悟は決まっている。
俺の運命は、お前に殺されることだったんだろ? だったら、もう何も言う事はねえよ。
抵抗する気はなかった。もう疲れたんだ、この人生に。
一度は、世界に希望を見た。何度ももしかしたらと考えたけれど、行きつく答えはやっぱりダメ人間だった。
「月紫を救えただけで満足だ」
邪魅は、手にナイフを持っていた。そのナイフを掲げながら駆けてくる。
あばよ……未来を生きる野郎共。
ふとクラスメイトの顔が脳裏に映った。
七瀬が目の前に現れて、自然と思い出してしまったらしい。
嫌な奴等だったけど、同じ別の世界から来た者だったから祈ってやることにした。
――せめて生きて帰れるといいな。
音はなく、ただ俺の胸にナイフが突き刺さった。
焼けるような痛さだ……苦しい。辛い。
人生全てがひっくりかえった先が地獄のように痛すぎる。
何故かナイフから水滴が零れ落ちていることに気づいた。
そっか……刺されれば、そりゃ血くらい出るよな。痛いに決まってるよな……。
「ゴフッ!!」
華奢な身体からは想像もできない蹴りの威力で地面を転がる。
胸に刺さったナイフが何度も地面につっかかり、その度に抉られるような痛みが全身に広がった。
俺は動けず、呼吸も儘ならず、仰向けで少女を見た。
影に染められた彼女の目は冷たく、冷酷に見下ろしてくる。
悔しさが溢れてきた。泣けてきた。
俺が嫌悪した同級生というグループの一人に今こうやって殺されようとしている。そう考えただけで、負けた気分になった。
水滴は目からも零れ、唇は震えていた。
クソが……!
なんで俺は……いつもいつもこっち側なんだ!
どうやったって俺は勝てねえ……!!
涙の雫が顔のすぐ横にあった木の根に落ちた。
すると、俺から淡い光が放たれたように見えた。
こっちで死ぬと、こうなるのか……。
さよなら――ゼラ…………。
死へと誘われるのを抵抗することなく、俺は瞼を閉ざした。




