13話 妖狐と男の邂逅(1)
俺は、屋敷前まで歩いて帰ってきた。
長い道のりを荷馬車に揺られて帰ってきたわけで、かなり疲れ切っていた。
腰と僅かに脚も痛い。筋肉痛ほどではないけれど、道中変な寝方をしてしまったらしい。久しぶりに大声を出したから眠たくなってしまったんだ。
空はもう暗く、田舎ぶりが窺えるほど虫の音が聞こえてくる。
家は、窓に明かりが灯っており誰かしらがいるのは判った。
ゼラは怒っているだろうか。何も言わずに長い時間外出していたからな……。
まあ王様に呼ばれたし、もし説教でもされようものなら、カクシがいきなり瞬間移動みたいなことをしてきたと他人のせいにすればいいか。
物憂げに玄関の扉を開こうとしてやっと気付いた。屋敷内がなんとなく騒がしいような気がした。
あれ、と思って感覚を研ぎ澄ませると何故か妖気が複数あった。
俺は、急いで中に入った。
「――ゼラ!!」
リビングに駆けこむと、リビングと思われたその場所はまるきり温泉になっていた。沸き立つ湯気が水気を感じさせる。
そこでは湯気立った花園がそれぞれ花を咲かせていた。不意に俺の目に飛び込んでくるのは、妖麗な裸体の数々だった。
以前見るに見られなかったこじんまりとしたゼラに始まり、大きい谷間を揺らしながらクウを追いかけるハク。
そしてハクに体を洗われるのが嫌なのか、はたまた遊んでいるのか、板だが全てがつるんとしていて俺でも見ると罪悪感を感じてしまう逃げ走るクウ。
そんなクウを可愛げに見守るリコは案外凹凸がはっきりとしていて、隣でタオルを巻いているシノンは谷間の迫力がすごい。
兎にも角にも、全員の視線が俺へ向いた。顔を赤らめるリコやハクに対し、ゼラは不敵に笑い、シノンは「あらあら」と嘲笑するかのよう。
クウはというと、俺を指差して嬉しそうに笑った。
「パパ!」
クウに呼び掛けて貰えたのは嬉しかったけれど、それ以上に身の危険を感じた。
いや、ここは潔くいこう。俺は、王道主人公のように慌てて鼻血を出して逃げるような真似はしない。
「――…………ごちそうさまですっ!!」
「何言ってんのよバカ!!」
「何言ってるんですか!!」
リコとハクから狐火が飛んできた。
甘んじて受けよう。死ぬ前にいいものが見れたのだから、本望!!
狐火は、俺に直撃して爆発する。そのまま俺は屋敷から追い出されてしまった。
◇
◇
◇
どうやらクウが来たということでゼラが大規模な模様替えをしたらしい。
リビングをそのまま温泉へと変えて満喫していた所に丁度俺が帰ってきたという訳だ。
どうりで騒がしいと思った。ゼラとハクの二人で何をしているのかと思ったけれど、クウが来ていたならそりゃあゼラはテンションが上がっただろうからな。
俺が屋敷に帰ってきた頃には温泉は元の通り戻っていて、クウも眠ってしまっていた。
ハクは余程クウが気に入ったのか、それとも俺と顔を合わせたくなかったのかクウを寝かしつける役に手を挙げたらしい。
だが、おかげでリコが全然俺を見てくれなく、気まずい空気が流れている。
いや、俺も悪かったけどさ……。そもそもここの家主は俺なんだぞ? 俺が帰ってくることくらい考慮しとけよな。
リビングだったんだし、ノックとかもできなかったんだしさ。
テーブルの上座に俺とゼラが座り、下座にリコとシノンが座る。
シノンは、ハクの代わりにお茶を出してくれた。自分の家ではないというのに、既に場所を熟知しているあたりは早くからこちらに来ていたのだろう。
「で、今日は何の用でこっちに来てたんだ?」
「フン!」
別にリコには聞いていないが、追撃のようにそっぽを向かれた。
「空狐様が貴方様と九尾様に逢いたいと仰ったのです。そうしたらわたくし共は断れませんので」
「よいよい。クウやお主等ならば、いつでも来て良いぞ! なんせ儂の娘とその守護狐じゃからな!」
ゼラは温泉に浸かったから肌が潤っており、満足気な笑みを零していた。
「ちぇ……俺ももっとクウと一緒にいたかったな」
「アンタみたいな変態を空狐様と逢わせるなんて言語道断よ! 半径百メートルは離れてなさいよね!!」
急にリコの牙が降りかかる。
身を乗り出したかと思えば、ぎらついた目が怖く光っていた。
あれは条件反射だな。すごく嫌われてしまったらしい……。
嫌われるのには慣れているが、クウの付き人なだけに後悔する気持ちがある。
「まあまあ。リコ、アカヒト様は空狐様の父君なんですよ? そんなことを言ってはいけません」
シノンが優しく宥めようとしているが、リコの目は俺から離れなかった。
「けど――俺って、本当にクウの父親なのか?」
ゼラに再び問いかけると、口を歪めて考えるように腕を組む。
まだ話してくれないのか。これだけこいつらも俺の事を父親と警戒しているのだから秘密を突き通すことなんて無理、というか秘密にしない方がいいと思うんだが。
暫く考えた後、ゼラは俺の顔を真剣な眼差しを向けてきた。
「……一緒に外に出て欲しい」
やっと話す気になったみたいだな……。
席を立つゼラに俺は誘われた。
最近、ゼラと二人きりになる機会が薄れていたからな。なんとなく久しぶりな気がする。
俺とゼラは、明るいとまで感じる星空の下に出た。
青い月が燦然と輝き、星をより一層神秘的な物へと昇華している。
「綺麗じゃの」
ふと呟くその言葉には同意であり、これから話すことを意識せずに俺は「そうだな」と答えた。
「…………以前、儂は人間とこのような星空を共に見る機会があった」
そして、ゼラは星を見上げながら話し始める。
他に誰もいない二人だけのこの時間の中で、虫の音がロマンチックなBGMのように聞こえ始めた。
「儂は当時、絶世の美女として男を騙しては美酒を啜っていたものじゃ」
自慢かよ……。
「しかし、ある時正体のバレた儂は逃げる身となってしまった。
森の中を走っていると、川の畔で一人の侍と出逢った。聡明そうな男じゃったが、奴の手と持っていた刀には血がべっとりと付き、一目で人斬りであることが判った」
何の話かは一行に判らない。それでも話を遮るような雰囲気ではなかった。
話し方がどこか懐かしんでいるようで、また悲し気でもあった。
「追われているうちに足に傷を負った儂は無防備で、やろうと思えば簡単に儂を殺せたというのに奴は儂を殺さんかった。じゃから、儂は少し興味が湧いたのじゃ。
ここで何をしておる? そんな感じで狐の格好で問うてみた。奴は、狐が喋ったというのに驚きもせず、ましてや怖がりもしなかった。
ただ、面白いことに奴はたった一言――独りなんだ、とだけ返した」
なんだそりゃ? 会話になってねえじゃねえか。
「初めて逢った時の会話はそれだけじゃった。その時は、儂も何を言っているのか判らず変な奴だとしか認識しなかった。
じゃが――奴とは再びまみえることになる。およそ一月が経った頃、儂は今と同じ幼子の容姿で出逢った。
あれは確か竹林の中じゃったろうか。奴はまた服を血に染め、人を斬った後のように思えた。
またか、と思っておると驚いたことに奴は言ったのじゃ『またお前か』と。以前逢ったのは狐の姿じゃったからどうせ他人の空似でもしておるのじゃろうと儂は首を傾げた。
すると、『俺は人を斬る。命を狩っている。だが、俺の命を狩るのはお前なのか?』と訊ねてきた。まるで儂を死神にでも思っているかのようじゃった。
儂は、その時の奴のいつ死んでもいいような荒んだ目に一目惚れした」
…………ん? いつ死んでもいいような目?
なんでそれに惚れるんだよ!!?
「今でもあの目は覚えている。空虚を見るようで、何もかも忘れ去りたいようなあの目を」
頬を薄紅色に染めて体をくねらせている。本当に惚れていたようだ。
あれ? でも、こいつ……。
「儂は、自分が妖怪であることを話した。ちまたで有名な九尾であることも。
奴の本性を見れると思った。そのうえで自分のものにしようと考えたのじゃ」
ああ……妖怪の変な方向への愛情ね。そこは指摘しなくていいよな。
「しかし、奴は表情を崩すだけじゃった。信じたのかどうか判断はつかなかったが、それから儂は奴の後を付けるようになった。奴をもっと知りたくなってしまったのじゃ。
奴は当然のように、日常の一環のように、夜に人を斬っていた。夜に塗れ、血に塗れ、人を殺すことで自分を薄くさせていこうとしているように感じた。
ある日、奴は罠に嵌まった。周辺で人斬りとして知られていたのじゃろう。侍に囲まれ、万事休すとなっておった。
しかし、まるで意に介さぬように奴は襲い掛かる相手を斬って掛かった。じゃが、相手の人数が多すぎた。背中を斬られると、あっけなく崩れていった」
「……」
声が震えていた。思い出して後悔しているようだ。
俺は、何も知らないから何かを言ってあげられはしない。
「――これが奴との出逢いじゃった」
ゼラはこちらを振り向くと、俺を無理矢理屈ませて額と額をくっ付けた。
「これから見せるのは、儂の過去であり儂等の始まりの記憶じゃ」
ゼラと初めて逢った時、俺はどこか懐かしいような感じがしたんだ。それをおかしいとも思った。
だけど、あの感覚はきっと――




