1話 幾年も待ち続けた妖姫(4)
ポーカーフェイスで潜り抜けようとする。誤魔化すような笑みで驚きや恐怖といった感情を押し殺した。
「別に、ただ迷っちまっただけだよ」
「侵入者だなァ……全員殺すゥ……」
しかし、相手は聞き耳を立ててはくれていなかった。それどころか情け容赦なく月紫の首を強く締める。
こいつ……! 無視すんな!
クソ……何するかわかったもんじゃないな。早く、月紫を解放させないと!
「最後通告じゃ。儂にお主の魂を寄越せ! 儂ならば、あの女子も救い出してみせよう!」
背後からの誘い。
俺は、考えることを止めて藁にもすがる思いで走った。
「必ず月紫を助けると誓え!」
水辺に入り、急いで近づきながら必要なことを話す。
「無論、お主の願いならばそうしよう。契約成立か?」
後ろを振り返ると、邪魅が苦しそうにする月紫を連れて俺を追って来ていた。
しかし、水辺近くまで来ると追うのを止めたようだ。水が苦手なのだろうか。
「待てェ~!」
あいつ……水が苦手なのか? もしかしてこの水、ただの水じゃない?
いや、今考えるのはやめよう。
「俺の魂をやるから、月紫を助け出して元の世界に戻してくれ!!」
俺には力がない。裁量もない。頭も飛びぬけて良い訳じゃない。
この状況下で俺が取れる手は、これしかなかった。
「どうすればいい!!」
「儂に触れるのじゃ。あとはこちらでやる」
さっさと言えってんだ!
樹を上ろうとすると、邪魔をするように幹から生えてきた枝が俺の体に纏わりつく。
「わっ!」
「どんくさいの~」
「うるせえ!」
んなこと、言われなくてもわかってる! けど、月紫だけは死なせない!
あいつ等に必要なのは、俺じゃない! 能力があって、人付き合いが良くて、俺なんかに命懸けてくれる。そんな月紫の方がずっとあいつ等には必要だ!
手首を縛られ、枝に落とされそうになる。
だが、俺は脚一本と歯で踏ん張った。少女を縛る幹を噛んで。
俺は、歯だけは頑丈だぞ!
なんとか足を上げ、腕を縛り付ける枝を千切りながら少女と顔を合わせるまで登ってきた。
「やめろォ……さもないと、この女を殺すぞォ!?」
後ろからやんややんや聞こえてきたが、今更引っ込みなんてつかない。もう俺にはこいつにあとを任せるしかないんだ。
「へへ……これでいいんだろ!」
八つ当たりをするように少女の頭に頭突きする。
腕も脚もその場に留まるので精一杯で、頭をぶつける方が早かった。
「ふっ……」
彼女がほくそ笑んだのが判った。
次の瞬間、背後より邪魅の奇声が響き渡る。
「ギャァァァァァァァァァァ!!!」
この世のものとは思えない不気味な奇声だった。
すると、俺を縛り付けてきた樹の枝が枯れ始め、俺は背中から落下していく。
どうしても月紫のことが気になり、顔を後ろへ向けると月紫はその場に倒れていた。
あいつ……大丈夫なのかよ……。
「あんずるな」
その言葉が聞こえたかと思うと、俺は誰かに抱えられていた。
月紫の傍に着地する。それでやっと彼女の顔をはっきり見ることができた。
艶めかしいまでに白い肌。水辺の光を反射して輝く金色の綺麗な髪。切れ長で凛とした目に澄んだ琥珀色の瞳とふっくらと際立つ胸と逆にくびれたお腹周り。
整った顔立ちは妖艶であるが、男を惑わせる為と思うとどこか怖い。しかし、美しい以外ない容姿端麗の姿。
だが、彼女が人間でないことは、背中より窺える9本の尾と頭から生えている獣の耳でよく判る。
それが美しい中に可愛げを持たせていた。思わず触ってしまいたくなるように耳がピクピクと動いている。
「あんた……誰、なんだ?」
思わず顔が赤くなってしまう。彼女には見合わないボロ雑巾のような服装で露出が高かった為だ。臍も胸の谷間も見えてしまっている始末。
こんな世界でこんなに美しい女性。視線をそらしてはいけないとは思うが、紳士な俺には毒が強すぎた。
「改めて挨拶しよう。
白面金毛九尾狐。一応、三大妖怪の一角を担っている化け狐じゃ」
「……妖怪?」
俺は、眉を顰めた。ここは、てっきり魔物とかそういう類のファンタジー世界だと思っていたのに、どういうことなのか。
もしかして、さっき俺を襲ってきた黒い狼も魔物ではなく妖怪だったのか?
「こやつなら心配無用じゃ。気絶しているだけじゃからな。
ほれ、ちゃんと胸が鼓動を打っておるじゃろう?」
「あ? ああ……」
確かに月紫の胸は上下している。息をしている証拠だ。
どうやら本当に気絶したらしい。
「女子の胸を覗くのはあまり関心せんな」
「おま……お前が言ったんだろうが!」
にまけた顔でおちょくる狐に俺はムキになって言い返した。
「……で? 俺はどうなるんだよ? 俺の魂はお前の物になったんだろ?」
恐怖はあまりなかった。月紫が無事と判ったから安心しているのかもしれない。
「お主にはこれから儂と共に来てもらおうかの。なぁに、食ってとるなどはせんから安心してよい」
「そうかよ……」
意外ではあるけれど、肩透かしだな。
「けど、ちゃんと月紫を元の世界に戻してもらうからな。契約はそこまでしてもらうのが条件だったはずだ」
「わかっておる。妖怪と人間の契約は基本的に妖怪有利にするのが常なのじゃが――まあよい」
「当たり前だ」
俺がこんなふざけた契約を素直に飲んでやったんだ。感謝くらいして欲しいくらいだよ。
◇◇◇
城近くの森の中に月紫を置くと、狐と俺はすぐにその場を後にした。あっけなく元の場所に戻れたのが意外だったが、それもこいつのおかげと考えると以外と色々できるのかもしれない。
もともと皆に好かれていた訳じゃないし、俺もあいつ等の誰かを特別視はしていない。だから、悲しい別れにはならなかった。
狐は、姿と服装を変えた。
最初に見た時と同じく小学生くらいのあどけない女の子の容姿。尻尾も耳もない。金髪や白い肌は名が冠すとおりで愛らしく可愛らしい。
服装は、目立たないようにするためか、少し大きめのシャツのようなものを着ていた。一蹴まわってワンピースに見えなくもない、が……大人の姿なら彼シャツというのになるんじゃないだろうか。
そう考えると、あまり一緒に歩きたくない。俺が厭らしい目で見られる。
下は履いているんだろうな……?
『変化』という力で何にでもなれるという。しかし、今の姿は本来の姿として相違ないらしい。
あの大人な姿は、妖力を高めた際に自然となるもう一つの本来の姿なようだ。
あまり深く知りたいわけではないけれど、これから自分がどうなるか判らないので暇つぶしをしている感じだ。
これからどうするんだ、と訊ねても「うーん……」と眉間に皴を寄せてただ唸るだけである。
森を数時間歩くと、広い草原へ出た。
しかし、それ以外はなく、また歩き続けるだけなようだ。
「これから近くの街へ行って地図を見ようと思う。儂は千年近く封印されていたからの、ここら辺のことはよう判らんのじゃ」
やっと口を開いてくれた。
だが朗報だ。千年のギャップはあるんだろうが、街があるということは魔法についても何か知れるかもしれない。
今の俺のステータスはクソだが、本かなんかあれば覚えられるかもしれない。
って――希望を見出してもいいのだろうか……。俺の魂の居所はいったい……?
少しして、何も無い平原の風景に変化があった。
向こう側から馬車が何かに追われる様子が見える。
「あれって……馬車、だよな?」
「今でも馬は働き者じゃの」
「後ろに何かいるっぽいけど?」
あ、あれは、俺たちを追って来た黒い狼! 二頭もいる!
「あれは――ブラックウルフじゃな。しつこい上にここらの魔物の中ではかなり強いほうじゃ」
あれは魔物、なのか……。妖怪と魔物の境界ってなんなんだろう。
「こっちに来るようじゃの……」
「なあ、お前って強いんだろ? 助けてやってくれよ」
「な! なぜ儂が!?」
なんか嫌そうだ。
そこまで抵抗することなのか?
「あれって結構高そうな馬車だぞ? 俺たちお金持ってないし、このまま街に行っても何もできないだろ。
だったら、あれ助けて少しだけお金貰えばいいんだよ」
「フン、金なら変化でどうとでもなる」
「どうせ後でバレる金なんだろ? そしたら警官か何かに追われるだけだ。
できるだけ正当なお金でやりくりした方がいいんじゃないのか?」
「くっ……ふっ、まあいい。
ならば、また主の力を借りるぞ。今の儂では直ぐには戦闘は無理じゃからな」
なんとか理解してくれたようで俺を睨み付けた。
「ああ、さっきのか。別に構わないぞ」
「……強がってからに」
狐は俺と手を繋いだ。
すると、力を吸い取るように俺から狐へ流れでるのを感じた。
さっきはこんなの感じなかったのに。だけど、これでこいつの力が使えるようになるってことは、これからの俺の用途が判った気がする。
幼子の姿が大人の姿へと昇華される。今度はみすぼらしい装いではなく、白いシャツが赤黒いドレスに様変わりした。
改めて見ると、本当に美しい。口調は古めかしいのに、容姿は海外女優さながらだ。
白面金毛九尾狐……か。邪魅相手じゃ全然その力を見れられなかったけど、これで判るか?
「後ろの犬っころ共を八つ裂きにすればいいのであろう?」
「あ、ああ……」
妙に自信満々な笑み。
お手並み拝見、ってところか……。
暗雲立ち込める最中、狐が掌より取り出す蒼い怪し火が揺らめいた。
しかし、想像より遥かに小さい。
三大妖怪の一角と言っていた割にはさほどじゃないな。それとも、その程度の相手なのか?
「妖術――《狐火》」
炎は、九つに別れて馬車を避け、後ろのブラックウルフへと向かう。
すると、ブラックウルフの体は蒼い炎の柱を作った。薄暗い中で炎が燦然と輝いている。
小さい炎がこれ程のものとなるなんて想像がつかなかった。
「弱いのう……。折角この姿となったというのに、消化不足になりそうじゃ」
本当に弱かったみたいだ。少なくとも、俺が戦うよか大分効率的だな。
「強いじゃないか」
「主……儂の力を測ろうとしているな」
「気付いてたか。でも、味方の実力を知っておくのは必要だろ?」
「……まぁよい。隠すことでもないしな」
不敵に笑いながら腕を組む。自身の力を見せつけている様だ。
そうこう話していると、馬車が俺たちの傍で止まった。