10話 隠れた妖界(3)
ゼラが黙り込んでしまい、 訊くに聞けなくなってしまった。
仕方ないので、ハクに朝食を運ばせる。
さっきゼラが怒り狂って屋敷を出た後、朝食作りを始めていたらしい。図太いんだかなんだか。
まさか作る量が二倍になるとは思わず、少し時間が掛かってしまったようだが。
「有り合わせですが、どうぞ」
昨日買い込んだ食料を簡単に調理したのが窺える。
こちらにも目玉焼きという料理はあるようで、コカトリスの卵を同じように焼かれていた。匂いもかなり近い。
それとパンに似て、また餅とも近いところがある主食。噛むと伸びるのが餅みたいで、味がパンのようにパサパサしている。
俺としては味付けが欲しいところだけれど、こっちではそのまま食べるのが一般的なのだとか。
「貴方は……もしや白山坊では?」
「なんだハクも知り合いなのか」
「ああ! そういえば見たことあるかも!」
リコの声は少し音量が高い。そんなに大きな声を出さなくても驚いたことは伝わるというのに。
ハクは、ペコりとお辞儀をして挨拶する。
「その節はお世話になりました。今は名を改め、ハクと申します」
「急に姿が見えなくなって心配していたのだけど。そう……九尾様の下に仕えていたのですね」
「いえ、わたくしの主人はい・ち・お・う、この方になります」
綺麗な微笑みからは、彼女の嫌々オーラが見え隠れしていた。
客人に気を遣ってあからさまには態度を表さないだけマシか……。
「お前も狐村にいた者の一人だったのか……」
「およそ50年ほど前の話になりますね」
「なにアンタ、そんなことも知らなかったの? 信用ないのね」
「……またうるさいのが増えたか」
「なんですって!?」
リコが今にも殴りかかってこようとしていたが、シノンが「まあまあ」と言いながら宥める。
「こんな嫌な人間が空狐様の父親なんてありえないわ!」
カチンときた俺は、見せつけるようにピンク頭に「おいで」と手招きした。
すると、彼女はゼラの手を離れて俺の胸に飛び込んできた。
「く、空狐……様……」
「ふん」
俺はドヤ顔で一蹴。
リコは今にも泣き出しそうに目を潤ませ、シノンの胸に顔を隠した。
「うわーん! シノーン!」
でか……。
リコの顔が埋もれる程の大きさに思わず絶句したが、嫉妬した空狐に頬を抓られた。
「……いてーよ……。でも、可愛いなお前」
頭を撫でてやると、空狐は俺の手を堪能するかのように抵抗なく頭を委ねてきた。
表情には仄かに温かみがあり、なんとなく喜んでくれているような気がする。
それは、尻尾がブンブンと振るわれているので確信できた。
「う、うう〰〰…………」
何故かゼラが羨ましそうにこちらを見てきた。唸っている様はまさしく狐だ。
ゼラもしてほしいのか……?
かと思えば、拗ねるようにしてそっぽを向いた。空狐を前にして我儘は言えないようだ。
「クウよ、今の内じゃからな! そやつは儂にメロメロじゃから今だけ――」
空狐は、得意気な顔をして俺にしなだれかかってきた。
「いいだろう」とでも言って見せつけているかのようだ。それに対しゼラは葛藤しながらワキワキしている。
「く……クウのやつ……!」
「お二人共、あまり遊んでいないで召し上がってください。冷めてしまいますよ」
「ハク、わたしたちの分まで作って頂いて申し訳ございません。これはとてもおいしゅうございます」
「感謝であれば九尾様にしてください。九尾様が全員分をと仰ったので、わたしはそれに従っただけですから」
「九尾様、なにからなにまでありがとうごさいます」
「それより、お主等は狐村から来たのか? 百年程前にできたばかりでまだ発展途上という村から」
「はい。狐村は空狐様がお造りになった村ですから」
「ほう……クウがか。あの小狐がえらく逞しくなっておったのじゃな。
しかし、クウが空狐になっておったというのも意外な話じゃ。儂と最後に別れた頃は、まだ妖怪となって間もなかったはずじゃからのう!」
「空狐様は、両親を探すためといい仙術の修行をした後に異世界へと渡ったのです。
ですが、遂には探すことができず、帰ってきた頃には三千年あまりが経っていたようなのです」
「そうか! 界渡りによる時間軸のズレが影響しておるのか!」
界渡り? それって……。
「それって俺と同じく異世界転移をしたってことなのか!?」
「要領は似ているが、界渡りは自身の時間軸に予想不可能なズレを生じさせてしまうのじゃ。
例えば、お主が今のまま界渡りを行い異世界へ行ったとして、その過程で今の時間軸と向こうの時間軸の狭間を通ることになる。そうすると、時間のズレが直接的にお主の体に影響を与え、長くいればいるほど何かしらの支障をきたしてしまうのじゃ。
空狐は、おそらくそのせいで昔の姿から戻れなくなってしまったのじゃろう。もしくは、時間の狭間に入った時点から体の時間が進まなくなってしまったとも考えられるな」
おお……あのゼラが博士号持ちのようにペラペラと説明するなんて……!
「…………よくは判らないけど、空狐なら俺が元いた世界に戻ることも可能なのか?」
「転移の仙術は既に完成されておる。いや、未完の完成とも呼ぶべきものじゃ。
じゃから、仙術を使える空狐も儂も、やろうと思えば不可能ではないじゃろうな」
「マジかよ……」
「マジじゃ……マジマジマジョリーじゃ!」
ゼラは人差し指を立てて全力のボケをかましてきた。
何かを誤魔化すようなそのボケに俺はツッコミを入れることができず、ただただ呆れた。
空狐だけじゃなくてゼラもできるのか……。
「あまり期待しない方がいいですよ」
俺の考えを読み切ったように口元に卵を付けたハクが諭してくる。
「口、付いてるぞ……」
「へ?」
指摘されてやっとのこと気づいたようだ。慌てて口を拭うと、顔を羞恥に染めた。
「別に、今はそんなふうに思っていないさ。まだこっちで何もできていないのに帰れねーよ」
ゼラは、おそらく俺を帰したくないだろう。霊力の供給元を解放する理由はない。
少なくとも完全に妖力が戻るまではこのままだ。
だけど、俺とゼラの契約はどうなっているんだろうか。魂の伴った契約は、簡単に解除することができるのか。
やはり、今は成り行きを見守るしかないのだろう。
「では、朝食も済んだことですし、皆さんを狐村へ案内致します」
シノンの皿は空になっていた。俺たちが話している間にも食べてしまったんだろう。
早いな……俺なんかまだ口もつけてないのに。
◇◇◇
俺たちは、屋敷からも見えるフツカ山の先を目指した。街とは反対方向にあり辺境の更に奥地のような感じだ。
里では魔物が出ると言われてあまり近寄らないところで、本当に未開の山らしい。そんなところなら確かに妖怪にとっては住みやすいのかもしれない。
空狐は、相変わらず俺にべったりである。こんなに幼く可愛い狐に好かれては、こちらも嫌には思えなくて肩車をしてあげている。
「クウめ……」
「ゼラは俺より小さいし、仕方ないだろ」
「ふ、フン!」
ゼラはへそを曲げていた。
しかし似ていない親子だよな。妖怪だから似る似ないがあるのか判らないけれど、無口な空狐に対してゼラは我儘だ。
いや、我儘といえばこの子もだ。シノンとリコに内緒で俺の所に来ていたっぽいし、何を考えているのか判らない。
そう考えると、似ていないくもないのかもしれない。この子にまで下僕扱いされてしまったら流石に立ち直れないけどな。
山道はかなりきついものがあったが、他の妖怪連中はその兆しすら見せない。山道に慣れているといっても、この違いは男して情けない。
ジメジメした空気が肌に水滴を作り、湿度の高さが窺える。傾斜が偶に急になっていて、歩きにくい。
溜息交じりに歩いていると、変な感覚に襲われた。
熱中症に似て視界がぼやけた。陽炎よりもはるかに視界に淀みができて歩き続けることはできなかった。
「く……なんだこれは……」
まるで沼に足を取られたように体が沈み込んでいく気がする。
嘘をついた時の痛みとは違う。何か変な虫にでも刺されたか……? やべ……こっちってちゃんとした医者はいるのか?
いや、山の中だ。あまり期待できないだろう。
格好悪いな……俺。女たちの前で勝手に倒れて、情けない姿を晒すのか……。
◇◇◇
瞬きすると、眼下に広がっていたのは全てが白い世界だった。
気付いた時には眩暈は消え、ゼラたちの姿もない。
「ここは――あいつ等が言っていた狐村なのか?」
「違う」
上の方から声が聞こえた。俺に肩車されていた空狐が初めて言葉を発していた。
「……なあ、ゼラとかどこに行ったんだ?」
そう訊ねると、空狐は首を振って「判らない」と言いたいみたいだった。その代わり、真剣な面持ちで暗示する。
「来る……」
その瞬間、まるで冷凍庫にでも入れられたかのように凍えるほどの悪寒が全身を包み込んだ。
「――痛いじゃないか」
右から女の子の声が聞こえて咄嗟に振り返った。
しかし、そこには誰もいなく白く殺風景な景色が続いているだけ。
「誰だ!」
「――痛いじゃないか。痛いじゃないか。痛いじゃないか。痛いじゃないか。痛いじゃないか」
声があちこちから聞こえ始める。どれも同じ声だけれど、どれも別方向から聞こえてきた。
恐怖を煽るようにどんどん近づいてきている気がする。
俺は、何かしなければと妖気を感じとるように集中していた。すると、相手の妖気は突然背後に現れた。
その気配を嫌悪した俺は、すぐさま走り出して振り返りながら距離をとった。
「あらあら……? 人間のくせに感知能力を持っているみたいじゃん!」
今度は、その姿を視認することができた。
ゼラとほぼ同じくらいの歳に見える少女があざとい笑みをしてそこに立っていた。
翡翠色の長髪は、この銀世界の中では一際目立っている。
すすに塗れたような漆黒の衣服は、魔女のようだ。
「だ、誰なんだお前……」
「ん? あれ……お兄さんの上の女の子――その子、妖怪じゃない? あれあれ? なんで人間と妖怪が一緒にいるのかな?」
人をおちょくるようにこの広い世界を自由に舞いながら訊ねてきた。
空狐は、小首を傾げて質問の意図を理解できないようにして言い放つ。
「パパと一緒にいるのは普通」
「ぱぁぱぁ? 冗談を言っちゃダメだよおませさん! 妖怪と人間に親子関係は成り立たないんだから!」
「そんなこと今はどうでもいいんだよ! 俺は、そんなことが訊きたいわけじゃない。
お前、一体どこの誰なんだ? ここは一体どこなんだよ?」
「うえ~……なんでボクが人間のお兄さんとなんて話さなくちゃいけないのォ?」
少女は、嫌そうに肩を落としている。
俺をイラつかせるのはかなり上手いと見えるが、それ以上に厄介なのはこの場の主がこの子じゃないか、と俺自身思い始めていることだ。




