1話 幾年も待ち続けた妖姫(3)
な……魔法って唱えればいいんじゃないのか!? そこら辺はもっとゲーム的にできてくれよ! 転移者に優しくない世界だな!
「くそっ! 逃げるぞ!」
「え、ダメだったの!?」
戸惑う彼女の手を引き、俺は狼の合間を縫ってまた森の中を走った。
さっきと同様に俺たちが走ると同時に狼たちは背後を追いかけてきた。
くそっ! これじゃあ拉致があかないじゃないか!
他の奴は何やってんだ! 月紫は来てくれたのに、お前等もなんか行動しろよ!
……いや、それは俺の信用のなさが原因か……。
「遅いよカヒト! もっと速く走って! 追いつかれる!」
月紫は狼と同等かそれ以上の速さがあった。俺に合わせて遅らせてくれているのは明確で、後ろを見る余裕がある。
さっきのステータスも見たけど、こいつ本当はもっと速いんじゃないか?
「俺のことは気にするな! さっさと逃げろ!」
そう言ったすぐに月紫は足を止めた。
「おい、何やってんだ! あいつ等がすぐに……」
俺も足を止めて振り返る。
しかし、狼は俺たちを追うのを止めて足を止めていた。
「っ……はぁ……はぁ……はぁ…………なんだ? 気が変わってくれたのか?」
「判らないけど……もしかしたらここから先は入っちゃいけない所だとか?」
「そんな工事中です。みたいな看板に犬っころが律儀に従う訳――」
すると、狼たちは逃げるようにして来た道を戻って行った。
「行っちゃった……」
「なんでだ……?」
そう疑問に思ったあとすぐ悪寒が過る。
俺たちをものの数分で食い殺せるであろう化物が急いで踵を返すほどの場所。そう考えると、俺たちは本当に足を踏み入れてはいけない所に入ってしまったのかもしれない。
背中を撫でるような風が吹き、後ろを振り返る。
すると――一寸先は闇だった。
「っっ……なん……」
「へ?」
月紫が振り返ると同時に俺たちは名状しがたい力によって闇に飲み込まれてしまった。
◇◇◇
押し出されるようにして俺と月紫はその場を転がった。
さっきまでの晴天とは打って変わって薄暗い場所だった。遠くを見ようとするにつれて闇が深くなっている。
「なんだこの場所……」
嫌な予感が鳥肌となって肌に伝わる。
どこからか湧き上がる冷たい風。それは、凍えてしまうほどの冷たさだ。
「カヒト……大丈夫?」
「お……おう……。お前こそ……」
すぐに目を逸らした。
転がった拍子にスカートが捲れたらしい。艶めかしい脹脛の間から苺の絵柄が見えた。
こいつ……まだそんなパンツ履いてんのかよ……。いやてか、何を真面目に突っこんでんだよ俺……。
月紫は判っていないようで俺が目を逸らしたのを不思議に小首を傾げる。
視線を逸らした先で俺はふと先にある何かに気を取られた。
ここがどこだか知る由もないが、少なくとも森の中らしい。遠くに一つの樹とその周りを囲むような湖畔とヒガンバナが見えた。
暗闇の中でそれを見つけられたのは、水辺が淡い光を放っていた為だ。
それでなんとなく俺は、神秘的な場所だ、と思った。
「おい、あっちに行ってみよう」
戻ろうにもどこから転がってきたかも判らないし、少しでも視界があるほうがいい。
月紫は頷いて了承してくれ、二人で湖畔近くまで歩いて行く。
「皆、無事かな?」
「……時間は稼いだし、城の中に立てこもれば危ないことはないと思うぞ。城の中に化物がいなければ、だけど」
「ま~たそうやって怖がらせようとして! そんなんだから皆の信用を失っちゃうんじゃないの?」
こいつもこれで気付いてたのか……。バカだからあまり気にしてないのかと思ってたよ。
「心配するなよ。どうやら城の中に武器があったみたいだし、もし中に何かいても男連中がどうにかするさ」
いっつ……。
急に頭痛がして頭を抱えた。
頭痛は直ぐに消えてくれたが、変な痛みだったのでまた不安が募る。
「そうだよね! 皆強いもん!」
バーカ嘘だよ、と言うのは無粋か。
実際、さっきは煌軌以外は誰も出てこなかったしな。そんな時が来てみないと本当のところはわからねーよ。
「そこに誰かおるのか?」
「あ? 何か言ったかお前?」
「へ? カヒトじゃないの!?」
どこからか聞こえてきた声に対し、俺は月紫がまた何か言ったのかと思った。
だが――それは違ったようだ。
「ほう……人間、か。
――いや、待ち侘びた人間か」
声の主を探そうとすると、それはもうすぐ目の前にいた。
湖畔の中央に寂しく佇む樹。凄然として木の実どころか葉さえ生えていなく、とても萎びれている。その幹に囚われるように彼女はいた。
髪の長さと手足の細さ、か細い声などでなんとなく女性であることを悟る。
生気を吸われているように窶れ、腕や脚も自由がききそうにない。薄暗くて髪の色さえはっきりしないが、まだ小学生くらい幼い。
「きゃあ!」
月紫は、その異様な光景を見て尻もちをついた。俺もあまりに悲惨な光景に絶句していた。
「ただの人間ではないようじゃの……。
渡り人……いや、お主等でいう所ならば行方不明者、かの? 所謂、異世界人ということか」
馴染みのない古臭い話し方で笑っているようだ。更には何やらこちらの事情に詳しいような言葉の数々。それだけで彼女がただの少女でないことは容易に見当がついた。
「お前、誰だ……」
不自然で怪しくて、それで落ち着いている相手に俺は胡乱な目を向けた。
しかし、どこか懐かしい匂いに自分をも疑ってしまう。
初めて見る光景で初めて感じる感覚なはずなのに、どうしてだ……どうしてこんなにも胸が騒いでいる……!!?
「……生意気な小僧じゃ。矮小な分際でこの儂に名乗らせようとは……」
「別に……名乗って欲しいとは思っていないさ!
なんだか俺たちの事情に詳しそうだしな。何か知っているなら教えて欲しい!」
「ちょ、カヒト……!」
月紫は、彼女と話すことに反対らしい。袖を引っ張り、小声で俺に呼び掛けてくる。
大丈夫だ。こいつには何もできはしない。
「フン、どの世界にもただで褒美をもらえる所はないと知るがいいのだ間抜け」
「なら、何が望みだ?」
「カヒト!!」
月紫は俺に怒鳴ってきたが、息を呑んで待った俺の耳に彼女の回答は聞こえてきた。
「お主の魂……!」
どうせ、そんなことだろうと思ってたよ。
こんなのに了承しては、悪魔に魂を売るのと同義だ。むしろこいつ自体が悪魔の可能性だってある。みすみす信じてやることはないな……。
「話は終わりだ、俺たちは帰る。行くぞ、月紫!」
「う、うん!」
立ち上がってきた月紫の手を取り、俺は来た道を戻るように歩き始める。月紫は喜んで従ってくれた。
「どうやって?」
しかし、彼女のその言葉には足を止めるしかなかった。
そうだ……この場所からどうやって帰ればいい。京都に戻れなくても、せめて他の奴等のいるさっきの城にくらいには戻れないと話にならない。
仕切り直し、か……。
「お前、帰り道を知っているのか!」
「当然じゃ」
罠に掛かった、とでも言いたげの不敵な笑みが暗がりでも判った。
俺は、悔し気に言い放つ。
「教えろ……!」
今は仕方ない。話を合わせよう。
だが、例え嘘でも魂をやるとは言えない。嫌な予感しかしないからな。
「ならば、先程も申したとおり……お主の魂、そっくりそのまま儂によこせ」
「……それだけはできない!」
「早く決断することじゃ。時間はさほど残ってはおらぬからの」
「何の話だ!」
「ここで儂が囚われているのは見当がつくじゃろう? であれば、この儂を見張る者がいて当然とは思わぬか?」
嘘か……? いや、これを嘘と断定するのは危険だ……。
「……そいつが来たらどうなる?」
「お主は、儂を助け出そうとした協力者として――排除されることになるじゃろう。
しかし、儂の力なくしてお主はここから出ることはできん。絶対にな」
ふざけるな……!
誰が魂を売るか! こんな所で異世界ライフを捨ててたまるか――
「なら、あたしの魂をあげるからカヒトを皆の場所に帰してあげて!」
いつの間にか月紫は俺の手から離れていた。
脚が震えているのは隠しきれておらず、恐怖しながらも強い眼差しを放っていた。
何してんだよお前!!
――勝手なことするなよ! これじゃあ、俺が惨めじゃないか……!
「却下する」
しかし、月紫の覚悟は容易に打ち砕かれた。
あ……い、いや、良かった……。
「ど、どうして? 魂が欲しいんじゃないの!?
あたしが魂をあげるんだから、それでいいでしょ!?」
「己の魂など、儂は欲していないのでの。女は好かん」
そうか……こいつ、初めから俺が狙いだったんだ。男である俺の魂が……。
魂に男女の区別が必要かどうか酷く疑問ではあるけど、今回ばかりはその拘りのおかげで助かった。
だけど、これで月紫の考えを理解した。こいつは、自分を犠牲にしてまで他人を助けようとする。こんなヤバい時でさえも。俺の嫌いな偽善者だ。
「きゃあっ!!」
俺が思惟している最中、隣から月紫の悲鳴が再び聞こえた。
何かと振り返るも、そこに月紫の姿はなかった。
「時間切れ、か……」
落ち込むような少女の視線の先を見る。
そこには、黒く淀んだ影のような姿をしている何かがいた。
暗くて姿が見えにくいとかではない。本当に黒い影のような、掴みどころのない姿をしている。
「邪魅じゃ。毒を吐き、その毒に侵された者は数分といわずしてあの世逝きじゃ!」
邪魅は、月紫を人質のように腕で首を絞めていた。
いつの間に……!?
月紫は、申し訳なさそうにしていた。
「うっ…………カヒト……!」
なんで……まだ何もできていないのに、次々と敵がやってくるんだ! もっとビギナーズラックとかなんかで敵との遭遇率失くしとけよ! 魔法の使い方さえわかってないんだぞ!
なにからなにまで異世界人に厳しいクソ世界だな!!
「貴様……何者だァ……。何故ここにいるゥ……」
邪魅のしわがれた声があった。