7話 怪誕に溺れる狼少年(3)
地上へ出ると、もう日が沈み始めていた。
儂の背後にあったのは旧騎兵隊基地のなれの果て。地下はあやつらがいた為に壊さなかったが、上にあったおんぼろの小屋は倒壊寸前まで干上がっている。
儂が暴れたからもう誰も中には残っていまい。
しかし……あやつもかなり自信を付けたようじゃ。危うく口に乗せられ連れて行くところじゃったわ。
ここから先は危険。いくらお主が妖術を使えるようになったとはいえ、相手は絡新婦。
どんな手を使ってくるか判らんし、お主を連れて行くことはできぬのじゃ……。
ここは、旧騎兵隊基地。今はもう使われていない物置に近しい場所じゃ。
王国の外壁よりも外にあり城から南西に位置する。しかし、こう遠くても高く聳え立つヴァルファロスト城は見えた。
あそこに彼奴がいるのが判る。こちらを挑発しているかのように妖力を垂れ流しておるな……。
これまでにあの我儘王子から奪い取った生気が溜まりに溜まっておったのか。
儂の周囲を囲むようにして突風が巻き起こった。
こうなる時はいつもこうじゃ。妖力に作用された自然現象が自動的に引き起こされてしまう。
儂の変化は通常三パターンある。
一つは、常時見せている可愛らしい幼子の姿。妖力を消費する必要がなく、また小回りが利く。
二つ目は、妖力が上昇した時になる麗しい大人の姿。妖力に抑えが効かなくなるが、その分力は絶大で誰も止めることはできん。
そして最後に三つ目。これは儂もあまりなりたくない姿じゃ。
体も大きくなるし、妖力がほとんど持っていかれてしまう。しかし、これが儂にとって妖力抜きにして最強の姿。
白面金毛九尾の狐の名にふさわしい、白く輝く毛並みに覆われた九尾の大狐じゃ!
一度跳躍すると一気に国へと入り、風の様に一瞬にして城の門が視界に入った。
途中、民衆や騎兵隊らしき人影が儂の体の下で阿呆の顔を晒していたが、何もすることができんようじゃった。しかし、向かっている方向を察した途端におののいていた。
城の前で再び足を着き、てっぺんを目指して跳躍する。
城の頂上が妖力のせいで陽炎のように揺らめいて見え、発生源を悟った。
通り過ぎる窓で儂の影を視界に捉えた王の従者たちはどよめいて尻を突いていた。
何が起こっているのか未だ気付いていない者達がほとんどの為に儂が来る理由についてはチンプンカンプンなのじゃろう。
儂の予想通り、城の頂上付近の部屋が一番妖気が臭かった。発生源であるのは間違いなく、立派で鋭いまでの鉤爪によって邪魔な壁を切り裂き粉砕する。
「な、なんだ!!?」
中にいた我儘王子は、儂の姿を見て唖然していた。儂が壁を粉砕した衝撃で倒れたままじりじりと離れていこうとしている。
「ななな、なんなんだこの化物は!!?」
「……これはこれは歓迎しないお客だねえ」
絡新婦の方は苦笑いときた。儂の前で油断を見せないように、と頑張る様が鑑みえる。
周囲を観察した。どうやらここは人間の王が崇め奉られる祭壇のようじゃ。
儂が入ってきた風圧で吹き飛んだ仰々しい椅子が無残にも壊れて端に寄せられていた。
他にも中央通路を彩るように赤い敷物が敷かれている。
どれもこれも高貴さを表すように綺麗じゃが、儂のせいでそれも埃に塗れているようじゃ。
「何用だろうか。ここは狐が入るような場所ではないのだが?」
ほう……絡新婦の奴、儂と対等に話せるとでも思っているのか。傲慢な女じゃ。
「無論、己らを八つ裂きにしにきた」
「は、話せるのか!?」
五月蠅い我儘坊主が話の腰を折るように驚愕した声をあげていた。
絡新婦は、口を慎むように後ろの坊主に首を振る。どうやら一応の儂との話し方は知っているらしい。
しかし解せんのは、儂の前だというのに強きな態度をとっていることじゃ。
「此方のどの怒りに触れたかは、あいにく存じあげない。申し訳ないけれど、この場は立ち退き願う。
わっちらにはこれからやる事がたんまりある。その為、此方のお遊びに付き合っている暇はない」
「どこまで儂をイラつかせるつもりじゃ……。
決めた――八つ裂きでは足りぬ! 許しを請うてもやめてやらんぞ!!」
嘲笑われ、憤慨した儂は体内の妖力を解き放つようにして威嚇した。
坊主の方は震えあがって身動きが取れぬようだったが、絡新婦の方はそうでもなかった。
「落ちたな九尾も」
不敵な笑みには余裕が感じられた。
儂の妖気でたじろぎもしないじゃと……? まさかこやつ…………そこまで妖力を溜め込んでおったというのか!?
「お前が消えてから何年経ったと思っている! お前がいない間に世は変わったのだ!
見せてやろう……わっちの力を……!!」
すると――儂の体に巻き付く糸があった。脚と腕、胴を巻き取られ、身動きがとりにくくなる。
発生源は絡新婦ではなく、それより後ろの壁際だった。陰に隠れていた絡新婦の眷属である蜘蛛が八体ほど見えた。
妖力で膨れ上がったのか通常の蜘蛛より明らかに大きく、それに伴い糸も頑丈で太い。
儂の妖気をもってしても切れぬじゃと!!?
「お前は勘違いをしている。お前が台頭していた時代は幾年も前のこと。
こちらの世界では何度も輪廻を繰り返しているのだ! 時間とは、我々にとっては他愛無いものかもしれないが、度が過ぎるとこうも大差がついてしまう!!」
「くっ……蜘蛛ふぜいが図に乗りおって……っ!!」
「リーテベルクよ。わっちは狐の相手をするゆえ、離れていろ。
そうだな……騎兵隊が捕まえた邪魔者共でも処刑して時間を潰すがよいだろう」
儂は、絡新婦が気を抜いた合間に蜘蛛糸をビリビリと噛みちぎった。
「ククク……儂の下僕に手を出すつもりなのなら、残念じゃったな。儂がここに来るまでにそちらはとうに潰しておいたわ!」
「ちっ……古参がまだやる気なのか……!」
「それを言うなら己もじゃろうが……。
さて悪いが、儂の所有物に手を出した罪をまだ精算していなかったな。どんな潰され方が好みか言うてみろ?
じゃが――儂は虫は嫌いでな、喰うのだけは勘弁じゃ。グルメゆえに!」
「わっちがお前を封印してやるッ!!」
手の振るいを合図に、端の蜘蛛達が一斉に蜘蛛糸を放ってきた。
「二度も食らうわけなかろう!」
突風を巻き起こしながら天井へと回避し、狙いを定めづらくした。更に空中を駆けながら思考を巡らせる。
坊主は怯えながら部屋の端で縮こまっていた。儂の姿が恐ろしく、また戦闘の邪魔をしないようにしているのだろう。
じゃが――あの妖力はやりづらいのう。今の儂に勝るあの妖力なら、物理攻撃しか見込みはないかのう……。
動き回っていなければ彼奴の眷属に捉えられてしまう。一度捕まれば、逃げだすのに時間がいる。その間、儂は無防備じゃ……。
まずは彼奴の眷属を倒すのが合理的じゃな。
儂は、捉えどころのないスピードを駆使し、一体ずつ尾を使い蜘蛛を叩き潰していった。
六体倒したところで絡新婦は自身の下へと眷属を集め出す。
「フン、残念だったな九尾! ここは既にわっちの領域!
お前の逃げ場など、初めから無いわ!!」
「何を偉そうに! 儂を恐れてちぢこまっている己の戯言など届かぬ!!」
絡新婦の言うことはあながち嘘ではなかった。
再び距離を取りながら眷属を排除しようとしていたが、動き出そうとするとまた体が動かなくなっていた。
「眷属は囮。お前はわっちが気を逸らそうとした策にまんまとはまった訳だ」
足下を見ると、蜘蛛の網が張り巡らされていた。粘着性の高い蜘蛛の糸によって足をうごかせなくなってしまっていた。
「《粘罠円網》」
「い、いつの間に……!」
「その糸は、お前を捕らえるだけではない。妖力を吸い取り、わっちへと運んでくれるすぐれものだ。
蜘蛛の巣に入ってしまったお前は、飛んで火にいる夏の虫。妖力を全て奪い取ってやろう!!」
「く……くぅ……」
どんどん妖気が弱まり、絡新婦に妖気が吸い取られていくのを感じた。
しまった……これでは現在時点の弱点である妖力の枯渇が急激に悪化してしまう……!!
そう思った刹那、儂の体は無垢な少女へと戻ってしまった。
「んあ!!?」
残り少ない妖力がほとんど持っていかれてしまい、化け狐の姿を保てなくなってしまった。おかげで衣類を変化させることもできず、獣耳も九本の尾も隠せず、マッパでへたれ込む。
できたのは、なんとか局部を隠すことだけじゃった。
「哀れな姿だな九尾。わっちを襲おうとしなければ、こんな惨めな姿で辱めを受けなくて済んだというのに」
絡新婦は生き生きとした様子で儂の下へ歩み寄ってきた。
儂の威嚇も意味を成さぬまま腕を掴まれ、引っ張られる。
「お可愛いこと。これが一時代を築いた三大妖怪のなれの果て、か。
幼女の姿でわっちに敗北した姿を他の妖怪が知ったらどうなるか……面白そうだな!」
「んっ……!」
抵抗虚しく、絡新婦は儂の体を好き放題に弄り始めた。
「や、やめるのじゃ愚か者!! ッ……! 変態! 変態妖怪!!」
「黙っていろ。それとも痛くする方が好みか?」
「にゃふぅ!?」
厭らしい手が肌や耳を撫でてくる。
慣れたような手つきは、ゆっくりと儂に嫌悪感と羞恥心を植え付けてくる。
狂った目と、つり上がった口角は儂を弄んでいるのを楽しんでいるのを表していた。
「ここがいいのだろう? 体的に好きそうだ……」
「ふ、ふざけ……っ!」
もがいて暴れようとすると、眷属の蜘蛛が手足を縛って抵抗できなくされた。
羞恥心で涙が目から零れ、口からは勝手に涎が溢れた。
こんな屈辱……人間に封印されて以来じゃ……! くぅ……誰か……!
「やめ――」
やめろ、と叫ぼうとした瞬間、儂の声を遮って怒号が飛んだ。
「――そいつから手を放せッッッ!!!」
涙で視界が霞んでいたが、スローモーションのように絡新婦が蹴り飛ばされていたのは判った。
懐かしい光景じゃ。かつて、一度だけ儂を窮地から救った男が一人だけいた――。
彼奴もあの者と同じく、顔を強張らせて馳せ参じたものだ。




