3話 王国に潜む妖しい影(1)
目を覚ますと、にんまりとしたゼラの笑顔が眼前にあった。俺に馬乗りになっている。
たった一日を共に過しただけだが、こいつのこういう所はもう慣れたようだ。これといって動揺はない。
「何してんだ?」
まずはこいつが目の前にいることは俺が異世界に来た事が幻ではないということで、喜ぶべきか。
それとも、これから先でまたこの狐の面倒を見ないといけないことにため息をついた方がいいか。
どちらにせよ、また退屈しない一日が始まるのは逃れようがない。
「お主の寝顔を眺めておったのじゃ。相当疲れておったようじゃの。もう昼だというのに小気味よいほどに熟睡しおって」
昼か……。
俺はのんきに半日を棒に振ったのか。
だけど、あまり焦りはないな。目の前にゼラがいるから、なんとかなると思っているんだろう。
ゼラは、昨日と同じ白のワンピース姿だった。性格とは違って清潔感があるのが歪んだ鎧に思えてならない。
「もう裸じゃないんだな」
俺は、朝の挨拶がわりに冗談を放った。
しかし、俺が求める反応をゼラはしてくれない。
「なんじゃ? そんなに良かったのか、わしの温もりは」
「そうだな。もう少し胸があった方が……。
いや、昨日お前が言ったように大人の姿ならばなお良しだ。付け加えて耳と尻尾を出してくれれば言うことは無い」
「やはり、お主も大きい方が好みか」
「女のおっぱいには夢と希望がつまっている、とどこぞの変態が言っていた。
それに同意するわけではないけれど、確かに大きい方に興味がある」
「変態じゃな……」
「しかしだ。お前の育ち盛りのおっぱ……いや、胸も俺は捨てがたいと思っている」
「澄んだ目からは考えられない外道の科白じゃな。儂はもっとお主に危機感を持つべきやもしれん」
少しはそう思ってくれたのなら、変態になった甲斐がある。
せめて、共に寝る時くらい裸でいるのはやめてほしい。剥きがいがないからな。
「さてさてさて、お主に眠気覚ましに言伝があった」
昼にもなっているんだ。リネルたちから何か言ってきてもおかしくないだろう。
今しがた、少し申しわけなく思った。
「起きたら自分たちの部屋へ来いとのことじやゃ。それまで、彼奴らはこれからの行動を決めておくらしい。
無言のキャラを通していた儂に言っておいて欲しいと小僧と爺が数刻前に訪れたのじゃ」
「そうだったのか」
俺が重い腰をベットから起こそうとするのを遮るようにゼラは俺を椅子のようにして座った。
「それよりお主、儂には欲しいものがあるのじゃ」
「……なん、だよ……」
また面倒なことでも頼むんじゃないだろうな?
「古来より狐は人間の作る油揚げなるものを好物としている。
それは紛れもない事実であり、かく言う儂も他に目が眩むことのないほどに好んでいるのじゃ」
「へえ……そうですか。
それで、その油揚げが食べたいと?」
「その通りじゃ!」
別人のようにゼラは目を輝かせ、まじまじと上目遣いをしてきた。
ほのかにヨダレを垂らし、ジュるりと想像に対して言っている。
「けど、金なんて無いぞ」
「そこでじゃ!」
興奮して重心を俺側に乗せてくる。
目が油揚げになった情けない顔が近い。
「お主から彼奴らに願い、金をせびって油揚げを買うてくれ! 千年ぶりにあの味を味わいたいのじゃ!」
ふむ、これは使えるかもしない。
「どうしよかな……。護衛の身で肩身が狭いし」
こいつのいじらしい心を弄ぶことに決めた。
「そんなもん、昨日の出来事を盾にすれば良いではないか!
彼奴らは金持ちじゃ。昨日の豪勢な夜食がそれを物語っておるわ! 油揚げの一つや百個程度、どうということはなかろう!」
強欲だな。一つと百個はえらい違いだぞ。
しかし、これでこいつがどれだけ油揚げに心酔しているかがわかったな。
「けどなぁ……申し訳ないし……」
「お主、まさか儂に何か強請ろうというのか!?」
可愛げに焦っている。
これはひと押しくらいでいけそうだ。
「むう……仕方がないのぅ……。一つだけならば、叶えてやらんでもないぞ」
「ふーん? でもなあ……頼み方もなっていないしな」
「な、なん!?」
「せめて、可愛くお願いしてくれないとなぁあ」
そりゃあ屈辱だろう。身体を震わせ羞恥に悶えているようだ。
しかし、俺は押すべきところは押す男だ。昨日の借り、俺は忘れていないからなあ。
自分でも悪い顔をしているのがわかった。俺は、優越感に浸っているのだ。
「お、お願い! お兄ちゃん!」
上目遣い。しかも涙目で懇願してきた。
そこには尊い妹の姿があり、不甲斐なくもドキドキしてしまう。
ノリノリだな……。頼んでもないのに兄呼ばわりか。
しかしーー
「格好がなっていない!」
そう。俺は、更にを求める男だ!
「なな、なんじゃと!? こ、ここまでさせておいて強欲な……!」
「それがものを頼む者の態度か?」
「くっ……これだから人間は欲が深い……」
「あ・ぶ・ら・あげ」
「わ、儂は、白面金毛九尾狐じゃぞ!?」
「あぶらあげ」
「このような下賎の所業を……」
「美味しい美味しいあぶらあげ」
「この儂が……!」
「ほっぺた落ちるあぶらあげ!」
「わかったわ!」
俺もかなりうるさくし過ぎた。自分でもムカつくほどの挑発にゼラの業腹は限界を迎える。
拳を握りしめて立ち上がり叫んだかと思えば、粛然と近づいてくる。
「お、おい……何をするつもり、だ?」
やり過ぎたことを悔いるにはもう遅いと思った。
本来なら、こいつは怒らせてはいけない存在だろう。しかし、俺はおちょくるのを途中でやめられる性格をしていない。
因果報応。半分命を諦め、目を瞑った。
「む!」
石くらい固いものが俺の唇にぶつかってきた。
瞼を開くと、ゼラの無理をするようなキス顔があった。
「いつつ……」
ゼラも痛かったらしい。口を押えて涙目になっている。
「……何してんだ、お前?」
あまりにも突飛なことで、キスをされたことよりもゼラの方を心配する。
「……これでよいじゃろ! 儂のふぁーすときすをやったのじゃ。光栄に思うがよい!」
顔を羞恥に染めた。腕を組んではそっぽを向いてそれを誤魔化そうとしている。
ファースト、キス……。
「お前、初めてだったのか!?」
「言わせるな……」
「千年以上生きてんだろ!?」
衝撃の事実に驚きを隠せない。
「まさかお前……俺を童貞と揶揄しておきながら、自分も……」
「う、うっさいわ愚か者! 儂は狐じゃ! 人間のようにそう易々と差し出すわけがなかろう!」
「そう言う割には出逢って二日目の俺に初めてか?」
「…………儂の初めてをやったのじゃ! これで約束通り油揚げを買うてこい!」
「いや、全然あれはキスじゃなかった。無効だ」
俺はすんとした無表情で否定した。
「にゃ、にゃんだと!?」
絶句している。
勇気を振り絞ってやったようで、当然の如く油揚げを貰えると思っていたのだろう。
それをくみ取る余裕が俺にある訳はなく、自分の考えを淡々と述べる。
「キスとはもっとムードのある場所で、できれば可愛い子、もしくは美しい女性としたいと俺は日頃から思っていた。
しかし、この俺だ。そんな贅沢なことは言えないし、むしろ人生の中でそんな大イベントがおきるとは思えない。
だから、お前のように土地狂った考えのもとで行動に移してくれたことには感謝しているし、正直嬉しいとかより驚きの方が強かった。というか痛かった。
つまりだ。色々言わせて貰ったが、これがファーストキスというのは俺もお前も不幸だと思う訳だ。なんたってなんたってなんたって、人生で初の出来事で男としても女としても大事なことだからな。
という訳で、もう一度だ」
「は? ひゃ!」
ゼラのくびれた腰を持った。そのまま抱き抱え優しく唇を合わせる。
最初は抵抗を示さなかったゼラも長くなるにつれて俺の胸を小さな拳で叩くようになる。
暴れ出してしまい、解放せざるを得なかった。
「っ――はぁ……はぁ……窒息死させるつもりかお主は! この変態幼女趣味ィ!」
「うるさい! 俺のファーストキスを奪っておきながら、ただ痛いだけでしかないへなちょこであってたまるか!
ファーストキスは、痛かったです。って誰に言わせるんだボケが!」
「にゃ、じゃからといって! 舌までこねくり回す奴があるか!」
「はーん? そんなこと言ってお前、自分だって反応していたくせに全部俺のせいにするって訳か? 責任人に押し付けちゃいけないんだよぉ」
「まさかお主がここまでの外道とは夢にも思わんかったわ!」
「そうだ! 俺は変態だ! 野獣呼ばわり同然の男だ!」
「開き直るなロリコン!」
「ロリコンで結構! 幼女趣味で結構!
お前が始めたことだろーが!」
テンションがおかしくなっているのは言うまでもなく、俺もゼラも引けないところまできてしまっていたのだ。
負けねえ……! ずっと誘惑してきやがってこの発情狐が!
今までの鬱憤、ここで晴らしてやるっ!
「お主が全然油揚げを買うてくれる素振りを見せぬからじゃろうが!」
「そんな理由でキスする奴がいるかァ!?」
「男はキスされるのが嬉しいのじゃろうが!」
「ああ確かにな! お前のおかげで、お前キスしたことなりだろ、とか偉そうな莫迦に言われたとしても、濃厚のをしたことがありますけど、と断言もしくは言い返すことができるようになったからな!」
「まさかお主、儂の初めてだけでなく、初めてさえも奪うつもりじゃなかろうな!?」
狼狽え、後退りする様はこの俺を恐れているようである。
そんなつもりはなかったし考えもしなかったことだが、こいつのこのような顔を見れるとは思わず、更に調子が上がる。
「そしたら、お前どうせ童貞なんだろ、とかリア充やクソビッチ共に言われたとしても、ふっ、と鼻で笑うことができるようになるな!」
「し、正体現したな! お主は変態では収まらぬ! 妖怪さえも篭絡しようとしてくる性的犯罪者じゃ!
お主がそのつもりならばこちらとて考える。来るならばこい! 儂のてい――」
ガチャ。
部屋の扉が開く音がして俺の注意は扉へ向いた。
しかし、ゼラは言葉を飲み込むだけで、突進は意を介さないように止まらなかった。
「回転ドリル頭突き!」
助走をつけたゼラの頭からの突進。それは、俺の腹をめり込ませた。
「ごふっ!?」
「ふっふっふ~! 儂の勝ちじゃあ!」
俺を踏みつけては勝ちどきをあげるように高らかに宣言する。
ご満悦はなはだしく、未だ目的の物である油揚げを手にしていないというのに、歓喜し高笑いを決め込んでいた。
「ハーッハハハハハ!」
「あの~……」
気まずそうにおずおずと外から顔を出してきたリネルが呼び掛けてくる。
しかし、俺は意気消沈。ゼラは昨日とは違い俺を踏みつけてご機嫌。
もし俺がリネルの立場だとしたら、そっと扉を閉めるだろう。
「喧嘩、ですか……?」
だが、リネルは心配してくれるようだった。
ゼラは、苦笑いを浮かべていた。それもいたたまれなくなったのか、今さっき罵詈雑言を吐いていた俺を盾にするようにして後ろに隠れた。
もうリネル相手にこのキャラを突き通すのは無理があるのではないだろうか。
俺は密かにそう思ったが、それを言える状態ではなかった。今にも魂が抜けてしまいそうである。
「も、もう少しで行くのじゃ……」
ゼラが俺の腕を持ちあげ、俺の声を真似たのか籠った声で言う。
すると、リネルは苦笑いを浮かべながら扉を閉めた。




