32話 赤い衝動に触れる妖(4)
「待て!」
「【天地開闢】」
時空が歪むような感覚に陥る。視界が扇形に曲がった。
しかし、これは幻の類でない。周囲の地面がせり上がり、そういうふうに見えているのだ。落とし穴に落ちたような感覚だが、直ぐに更なる危機感を持たなくてはいけなくなる。
百~二百メートルはあるせり上がった地面が四方から俺へ向かってきている。まるで地面が俺を食べようとしてるみたいだ。
このままだと地面に押しつぶされる!!
やるしかない……まだ試したことはないけど、ライブレインがやったような妖力を触手のようにして外部に放つ技。
「【黒衣武装・蔦】!!!」
右腕から発せられる黒い妖力を四方八方に放った。腕からタコの触手のように伸びるそれらは、左右から迫りくる地面を抑えるように展開される。
しかし、思った以上に放出される妖力が少ない。左腕から迫るドス黒い気が邪魔をするかのように反応し、思わず力を抑えてしまっている。
クソ! これじゃあ足りない!!
今更邪気に囚われるのを気にしてられっか! 生きるには、妖力だろうが邪気だろうが関係ねえ! どうせ死ぬなら、この毒みたいな力も俺のいいなりにしてやるよ!!
「出てこい……邪気! 俺がお前の主人だ。俺の言う事を聞いて力になれ!!」
左拳から左腕を一気に青黒い邪気に支配される。
力もうが支配しようとしようが、関係無いかのように邪気は俺を飲み込もうとしてきた。
――ダメだ、言う事聞かねえ!!
そこどころか、畏れのあまり妖力が消えちまった!!
「なにしてんの!!」
目の前にリコが飛び出してくる。かと思えば、地面に手を突き巨人と同じように妖力を流し始めた。
巨人と比べると微々たるものだが、地面の動く速度を遅らせている。
「お前、そんなことできたのか!?」
「違う! ただ妖力で対抗しているだけ! 自然的なものの操術なら、妖力で対抗できることがあるの。でも、これは勢いが強すぎるわ。長くはもたない……!!」
「なら、俺も!」
「バカ言ってんじゃないわよ!! 二人がかりでも時間稼ぐので精一杯でしょ、アンタは逃げなさい。さっき言ってたように全力出せば逃げるくらいできるんでしょ……さっさといきなさいよ」
こいつ……さっきの嘘を信じてんのか。
悪いが、もう逃げる余裕が無いのは今ので証明されてしまった。この壁のように聳え立った地面を超えるには、ある程度の妖力が必要だ。だけど、妖力を使おうとすると邪気が出てきて妖力を制御できなくなる。だから、逃げることはできない。
俺は、リコの隣に並んで地面に妖力を流し始めた。邪気が疼くが、一定以上に達さなければ大丈夫だろう。
「アンタ、あたしの言っていること理解できないわけ!? あたしはアンタを助けようと思って、渋々でもこうやって時間稼いでいるのよ!?」
「お前が逃げろ」
「はあ?」
「十秒あればいいか。……悪いけど、正直言うと今はもう俺一人で逃げられないんだ」
「え、でもさっき……」
「見栄を張ったんだよ、お前を助けたくてさ。
クウの為に必要なのが、俺じゃないことはまるわかりだ。俺は、あと数十年しか生きられないだろうし、いつ死ぬかもわからない人間だ。俺より妖怪で、想いの強いお前がクウの近くにいた方がいいだろ。
初めからこうするつもりだったけど、今は邪気のせいで上手く妖力を扱えない。必然的にお前を逃がすしかなくなった。
行けよ。どっちかしか生きられないなら、お前しか逃げられない」
「――嫌!」
リコは意外にも神妙な面持ちでそう言った。てっきり短絡的に行ってくれると思っていたから、意外だった。
リコは人間に対して否定的な考えを持つ妖怪だ。俺のことも初めから毛嫌いしていて、クウやゼラがいなければ蔑み、貶めただろう。
まだクウへのうしろめたさがあるのか……。
「クウのことなら気にするな。お前が悪い訳じゃないし、俺が邪気を発症しちまったのが悪いんだ」
「違うでしょ…………あたしのせいじゃない! あたしがこんな奴を復活させたから! 空狐様がアンタに邪気を抑える術を教えようとしてたのに、あたしが邪魔したから! 全部悪いのはあたしじゃない。あたしのせいにすればいいでしょ! 怒りなさいよ! 罵倒しなさいよ!!」
リコは、自分を貶めるように捲し立てた。
妖力を吐き出す手にも力が入り、下唇を噛み締めて悔しさが滲み出ている。
「ずっとお前に言わないといけないかなって思ってたことがあって。でも、言わない方がいいかなとも思ってたけど、この際言うわ」
「な、なによ……」
「……俺はクウの父親じゃない。だから、お前が俺をクウから離そうとするのは間違ってないぞ」
「は、はあ……!? 今、そんなこと言う!?」
「俺にはあいつ等が望む前世の記憶が無い。だから、クウに対しては本当に見当違いな出逢いだった。あいつは俺を父と思って来たみたいだけど、俺には全くわからないんだ。だから、あいつと一緒にいる時、偶に俺が近くにいていいのかなって思う時があるんだ。まるで、他人の子供を自分の子供にいてるみたいな……な」
「あ……」
リコは、俯いた。俺の話を理解してくれたのか、その表情にはうしろめたさのようなものが映っていた。
「俺は、あいつの欲している家族にはなれない気がするんだ」
「それは、あたしに気を遣って言ってんの!?」
リコは、焦燥に駆られて睨み付けてきた。食って掛かりそうな獣のように狐耳の毛が逆立っている。
「前にも言ったでしょ。アンタが空狐様の支えなのよ、アンタの為に何年も……何百年も時間を費やしたのよ! アンタがそんなんじゃ、空狐様が報われないじゃない!!
あたしにとって、空狐様だけが唯一無二の存在。だけど、空狐様にとってはアンタが唯一無二の存在なの! もう二度と手放したくないって思っているはずよ。アンタの近くにいる為ならなんだってする。そういう御人だってことくらい、いい加減わかりなさいよ!!」
「……ありがとな。お前がクウの近くにいてくれたら、俺かなり安心できるよ」
リコは、クウがそういう存在だから、クウの気持ちを理解できるんだろうな。
俺には、俺にとってクウは……近所の子供のような存在で、本当の父と子のようにはできない。そうしようと思えば思う程、壁を作るような気がして、距離感がわからない。そもそも俺は高校生で、父親になった経験なんて無い。期待されても困るだけだ。
だけど、リコのこの熱心な気持ちには底知れない嬉しさがある。クウは、俺の娘じゃないけれど、クウをこれだけ想ってくれる奴がいるというだけで嬉しいと思えるんだ。
「俺は、クウの父親じゃない。けれど、クウが心配する気持ちは溢れるほどある。俺が心配する程弱くないってのはわかってるけどな。お前が傍にいてやってくれ、これまで通りな」
◇
もやもやする。さっさとこの男を切って捨てればいいのに、空狐様にはダイダラボッチに殺されたと告げればいいだけなのに、あたしの本心はそれを望んでない。
今更なのに、自分が空狐様の父親じゃないとか言って、あたしをここから逃がそうとする理由付けをしてくる。自分の命を諦めて、あたしを生きる道を模索している。
どうしてアンタは、こんな代わりがいるような役回りの妖怪の消滅を頑なに拒もうとするの?
どうしてあたしは、こんなどうでもいい男なんかをずっと助けようとなんてしているの?
自分のこともこいつのこともわからない。
わからない、けど…………なぜかこいつの言おうとしていることは、やろうとしていることは、あたしと同じな気がする。どこか似てる気がする。
気がするだけで確証はない。だからもやもやもしてる。
でも、これだけはわかる。こいつがいないと、きっと今あたしがいるこの世界があっけなく破綻してしまう。
それが嫌というのではなく、あたしも今の状況が温かくて楽しいんだ。
アンタは人間だけど、あたし達妖怪を蔑むことはしない。今迄あってきたあたし達を下卑た目や軽蔑した目を向けてくるあいつ等とは違う。それどころか……。
人間は嫌い。でも、アンタだけは特別視してもいいんじゃないかと思ってしまっている。




