プロローグ 誘う妖霧
暗雲立ち込める赤い月光る夜。
姦しいほどに人々の悲鳴が街中に響く。生きているかのように蠢く炎が燃え広がり、人間は逃げ惑っていた。
親は子を守るようにして走る。できる限り逃げ遅れのないように見回りをしながら逃げる者もいた。
そんな中、俺は逃げる者達とは逆の方向へと足を進めている。白いワンピース姿の金髪少女と共に。
少女は、幼くもふてぶてしい顔をしながら強く異彩を放っていた。
視線の先には、この街で一番高そうな鐘を鳴らす為の塔と同じくらいの大きさをしたデカい骨の怪物。
スケルトン――低級の魔物にしては大きすぎで、見える限りでは胴体しかない。
――これは、魔物ではない。
「がしゃどくろ、じゃな。戦争で死んだ者や野垂れ死にした者、あらゆる死者たちの怨念が集まり巨大な骸骨になったとされておる」
金髪少女から出るのは、やや古風な言い回し。
ちょっと年寄り臭いと言うと殴られるので、下手なことは言わないようにしている。それに、今訊くべきは別のことだ。
「強いのか?」
「儂にかかれば、どうということはないな!」
無い胸を張り、自信ありげに言い放つ。
まるで俺の不安を消し去ろうとしているように。
「おいキミたち! そっちは危ないぞ!
あれが見えないのか!? あれは相当強い魔物だ! 警備隊は手も足も出せずに食われてしまったんだ!」
敵を前にして不敵な笑みを零していると、背後から男性が声を掛けてきた。神父のような格好をしていることから、どこかの教徒であるのが想像できる。
俺たちを心配してくれるようで、避難場所へ誘導しようとしているらしい。
俺は振り返り、彼を安心させるように笑みを浮かべながら答えた。
「あれは魔物じゃありません。妖怪です。
俺たちのことは心配なく。勝手にやらせてもらうだけですので」
神父は、狐につままれたようにきょとんとしていた。
無理もない。俺の言っている意味が彼らにはわからないのだから。
俺は……いや――俺たちは、再びがしゃどくろと向き合った。
「もうよいか?」
「ああ……やるぞ」
手を差し伸べると、少女は俺の手を握った。手の中に収まってしまうほど小さく柔らかい手だ。
すると――力が抜けるような感覚が全身を巡った。
一瞬の眩暈に浸っている間に金髪の少女の体は光に包まれていた。そして、妖艶な大人の女性へと姿を変えていく。
幼い姿とは比較にならないほどの美麗。胸も発達し、恰好も赤黒い装束へと変貌していた。
白い肌に輝き靡く金髪、麗しい顔立ち。切れ長の目にそっと花を添えるような琥珀色の瞳。一つ一つの要素が美しさを突き詰めるような彩りがあった。
「さあ、儂等の道を邪魔する妖怪を退治するとするか!!」
「応!」
意気込む女性に応える間に俺の右腕は黒いものに憑りつかれていた。おどろおどろしい靄のようなもので覆われ、爪が鋭利に尖る。
これは、別にがしゃどくろにやられている訳じゃない。ただ、俺の力という訳でもない。
――俺のこの力は、不思議で妖しい彼女の力に違いないのだ。
どうして今、ただの高校生のこの俺が、こんな化物と戦うはめになっているのか。
――それは、あの日から始まった。
◇◇◇
がやがやと五月蠅い街並み。
旅行日和であることを表すように天気は晴れ渡り、それに比例するようにそこら中の出店の面々も活気づいていた。
ネギ背負って来た俺たち観光客は、その餌食になるべく香しい食べ物の匂いに誘われて足を運んでしまう。
残念なほどに雲一つない快晴の今日は、俺たち県立秋霖高等学校二年生の修学旅行の日だ。
修学旅行先は、王道の一つである京都。
伝統と歴史あるこの場所は、古風ながらも普段は感じることのできない歴史を肌で実感できるような気にさせてくれる。来て最初の頃は、俺も少し楽しみだった。
けど――やはり台風か何かで旅行自体流れてくれた方が良かった、と残念と考えるに至る。
修学旅行と言えば、友達同士で何気ない話に花を咲かせながら楽しむものである。
しかしながらこの俺は、その友人が一人もいない。
――…………一人もだ。
身長は高校生の平均と差異がなく、狐目で愛想はちょっとあれだけど顔も悪くないはずだ。
それでも俺には恋人どころか友人だっていない。
ボッチの屈辱に耐えながら旅行をすることがこれほど苦しいものだとは、俺自身も予想できていなかった。
近くでは、紺色の制服を着用したうちの生徒達がグループを作って足を進めている。
女子は、グレーを基調としたチェック柄のスカートをいつも以上に短めにしている気がする。何を意識しているだ、と少しムカつく光景だ。
清水寺までの長い坂道を独りで歩くのは虚無でしかない、とネットか何かで調べておけばよかったと後悔している。
女子学生には気色悪く見られるだろう苦笑いを、思わずしてしまうほどに長く険しい道である。
物憂げに同じ学生に合わせて足を進めていると、後ろから背中を叩かれた。
「いっつ!」
こんな精神状態の時に追い打ちをかけてきやがるクソ野郎はどこのどいつだ、と後ろを振り返った。そこには見慣れた少女がいた。
「よっ!」
舞島月紫。出逢いはいつだったか、物心がついたころにはとっくに近くにいた腐れ縁の幼馴染だ。
日光によって茶髪が綺麗に映えるショートの髪に快活な印象を持った顔のパーツをしている。
これが割とスポーツ男子には人気で、結構可愛い……らしい。
俺にはこいつのどこが可愛いのか、理解しかねるけれども。
「なんの用だよ……」
ばつの悪い今はあまり話しかけられたくない相手だ。
どうせおりこうさんになった月紫のことだ。俺を僻みに来たんだろうが。
「ま~た一人でいるの? 修学旅行中は一人でいちゃいけないんだよ?」
ほうらね。
余計なお世話だってどうせ分かっているくせに、いつもいつも無駄に世話を焼いてきやがる。俺は、こいつのこういう所が好きになれないんだ。
そんな気持ちに煽られたらしい。俺の口は平然と純粋な少女に嘯く。
「別に……。
てか、知らないのか? 今年から学生個人の自主性と創造性を遵守する為に個人行動を良しとしているんだ」
「へ? そうなの!?」
月紫は、驚嘆して口をへの字にした。
俺が独りでいる理由。それは、この無駄に回る口のせいだ。
何かと話しかけられると、必要のない嘘までついてしまう時がある。それが祟って、最後にはこうして一人になってしまったという訳だ。
最近はまだ嘘をつくのも抑えられるようになってきたけれど、小中なんて散々だった。止められなかった……。
「何言っているのかしら。そんな規定を作った覚えはないのだけど?」
げ……!
クラス副委員長であり、今回は修学旅行実行委員でもある畠中珠理だ。
生真面目で規律やルールといったものに厳格な月紫の親友。
制服だけに限らず、髪もきっちりとしたポニーテールで第一印象から生真面目な奴だ。
畠中は、眼鏡を光らせながら月紫の後ろからぬっと会話に割って入ってきた。
思わず笑みが引きつった。
月紫以外にはもう俺が嘘つきと断定されている為、もう嘘という嘘が意味を成さない。月紫はバカだから全部信じてくれるだけだけど……。
「え、そうなの? どっち?」
「降魔赤人……くん、あまり月紫に変なことを吹きこまないで!」
名前を呼ぶことさえ憚られるのか、ぎこちないフルネーム呼び。
そんなに俺のことが嫌いですか。
「ご……」
謝ろうとするが、謝罪の言葉はすっと出てこない。嘘を突き通せ、という邪心がまだ残っていた。
「おーい舞島! 置いてくぞ! そんな陰キャなんか放っておけよ!」
前の方から月紫たちへ向かって呼び掛けがあった。
ペンキで塗りたくられたような赤みの強い茶色の髪に怖いくらいの釣目をした基山勝。
バスケ部で繋がりのあるあいつと月紫は同じ班として行動するらしい。
あまり好きな奴ではないけれど、今回はいいタイミングで声を掛けてくれた。俺は、月紫にうっとうしいように言う。
「ほら、呼ばれたぞ。さっさと行けよ!」
「な、何よ……月紫はあなたのことを心配して!」
「いいよ、シュリ。行こ?」
俺の言葉に憤りを表した畠中が食って掛かろうとしてきたが、月紫が止めてくれた。
月紫は、畠中の背中を押しながら前列の後を追うように足を速くする。
「…………邪魔して悪かったよ」
嫌な捨て台詞を残して。
……だから、そういう所が……嫌いなんだよ。
俺は、月紫の背中が見える視界を遮るように俯いた。ポケットの中で拳を握り、やるせない気持ちが胸を締め付ける。
仕方ないだろ……俺は、こういう病気なんだから。
「へ、なになに……!?」
「こんな日に霧……?」
憂鬱になっている中、周りから吃驚した声が聞こえて周囲を見渡した。
さっきの視界とは様変わりしたような白く濃い霧が立ち込めてきていた。
まるで俺たちを飲み込むようなその不吉な霧は直ぐに視界を奪い、ホワイトアウトのようになってしまう。
霧? しかもこんなに濃い霧なんて……。
霧の主な原因は水蒸気だ。近々ここら辺で雨が降っていたような跡はなかったし、朝から晴れていたはずだから寒い地中が急に暖められたという訳でもない。なのに、どうして……。
だけど、この霧は俺にとっては良かったのかもしれない。この状況を目暗ましにして、清水寺に行くのをやめようかな。
そんな考えを巡らせていた時、ふと俺の腕を誰かが掴んだ気がした。
「シュリ!」
振り向くと、今さっき別れたはずの月紫が焦った様子で俺の腕を掴んでいた。
月紫は俺であることに気付き、気まずい様子で口を苦くしている。
俺も驚きはしたけれど、嘘慣れしている俺はポーカーフェイスが板についていたらしい。さほど驚く様子は見せずに冷静な素振りを見せた。
「畠中と逸れたのか?」
「う、うん……シュリだけじゃなくて、皆とも……」
珍しく月紫のしおらしい姿を見た。
子供の頃から逞しくて、虫も怖がらない変わった奴が未知なるものは怖いようだ。お化けが出るとでも考えているんだろう。
「あまり下手に動くな。坂なんだ、人とぶつかるかもしれないし危ないだろ」
「うん……」
いつものように素直だが、不安な様子は拭えていない。
俺は仕方ない、と溜息をつく。
「はぁ……霧が晴れたら電話してみろよ」
「それが携帯の電源が入らなくて……」
充電切れかよ……。
「……仕方ないな。俺から離れるな、俺が一緒に探してやるから」
「え!」
なんだよ、そんなに驚くことか?
それとも俺と一緒にいるのは久しぶりすぎて嫌とか? いや、嫌われ者と一緒にいるのは嫌という意味か。
「嫌なら――」
「ううん! 嫌じゃないよ!」
俺の考えていることを呼んだように食い気味に首を振った。
「……それじゃあ行くぞ。ちゃんと付いて来いよ」
先導して進もうとすると、月紫の手は俺の手を握ってきた。
不意に抵抗を覚えるが、彼女の怯えるような表情を見て何も言えなくなってしまう。
別に……手を繋ぐことは、ないだろうに……。
少しずつ足を進めるが、思ったほど辛くなかった。
さっきまでは先の見えない長い坂に辛さ以外の何も感じなかったはずが、霧で前が見えないせいか坂も坂と感じなくなっていた。
まるで坂ではなく普通の道を歩いているような、そんな気さえした……。