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【本編完結済み】頑張り屋で甘え下手な後輩が、もっと頑張り屋な甘え上手になるまで  作者: 木ノ上ヒロマサ
第1章

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第53話『頑張り屋さんの手厚いお世話』

「美味い」


 食卓に並んだカレーを一口、作ってくれた雛への感謝を抱きながら噛み締めれば、見た目と香りに違わぬ美味しさが優人の口の中いっぱいに広がった。

 はにかんだ笑顔で「ありがとうございます」と答える雛を見つつ、続けざまにもう一口。丁寧に作っただけあってやはり雛のカレーは絶品だ。


 以前に優人が同じ中辛のルーで作った時よりもほんのり甘く感じるのは、野菜がしっかり煮込まれているからだろう。

 丁寧に火を通したことで野菜本来の甘さがルー全体に溶け込み、味わいが一段とマイルドになっている。それに炊き上がったばかりでほかほかの白米も組み合わされば自然と箸――ではなくスプーンが進むというものだ。


 優人がぱくぱくと小気味よいペースで食べ進めていると、その様子を眺めた雛はくすりと面映ゆそうに口元を綻ばせた。


「いい食べっぷりですねえ」

「今日はマラソンがあっただけに腹も減ったからな。美味いし、三杯はイケるぞ」

「どうぞたくさん食べてください、と言いたいところですけど、全部食べ尽くされちゃうと困りますね。余った分のカレーとご飯を冷凍しておけば、今の先輩でも楽に食事の用意ができるかなと思ってたくさん作ったので」

「なるほど。気遣い感謝するよ」


 雛からは出来るかぎり食事の用意をすると約束さているが、手際の良い雛といえども朝昼晩の三食を毎日はさすがに厳しいだろうし、優人だってそこまで甘えるつもりはない。そのために作り置きしやすいカレーをチョイスしてくれたらしく、その絶妙な心遣いがありがたかった。


 何より利き手の怪我で箸が上手く使えない今の優人にとって、スプーンで食べることのできる料理というのも地味に嬉しい点だ。


(……そっか、そういうことも考えてくれたのか)


 大して苦もなく食べ進められている自分に、優人は今さながらに気付く。

 雛からカレーを提案された時は特別気にも留めなかったが、作り置き以外にも食べやすさも重視してくれたに違いない。

 その証拠に、カレーの他に副菜として用意されていたサラダもやや厚めに切ったトマトやきゅうりで構成されており、フォークで刺しやすい一品となっている。


『こっそり優しいの、ズルいです』


 いつか雛に言われた言葉をそのまま返したい気分だったけれど、その言葉はカレーと一緒に胸の内に呑み込んだ。

 あの時の優人と同じ、気付かれたら気付かれたで気恥ずかしく感じてしまうと思うから。


「ありがとな、空森」


 代わりに、何に対してかをわざとぼかしたお礼を雛に送る。

 出し抜けに口にしたお礼にきょとんと首を傾げる雛だったが、やがて穏やかな笑顔で「どういたしまして」と言葉を紡いだ。


 今日からの一週間と少し、しばらくはこの心地良い雰囲気を味わえるのだと思うと、自然と優人の表情は緩んでいく。

 年下に甲斐甲斐しく世話をしてもらうなんてちょっと情けないとは思うけれど、そんな安っぽい自尊心は、すぐに泡となって消えていった。








 ――などと余裕を持って構えられていたのが、約数十分前の出来事である。


 あの春の陽だまりのような雰囲気はいったいどこへ。遠い昔のように感じる中、優人は左手を自分の()の胸に押し当てる。

 手の平から伝わってくるのは、ドッドッドッと狂ったように暴れる心臓の鼓動。マラソン大会終盤でもここまでひどくなかったのではと思ってしまうほどの動悸だ。


 少しでも落ち着きを取り戻そうと深く息を吐いて生温(なまぬる)い空気を取り組み、改めて目の前にいるもう一人の自分に目を向けた。

 バスルームの鏡に映る姿はほぼ素っ裸で、身に着けたものといえば局部を隠すため腰に巻いた一枚のタオルのみ。

 一応怪我をした右手にも防水処理でビニール袋を被せているのだが、そんなものは当然衣服としてカウントなどできない。


(何でこんなことに……)


 心臓の鼓動が伝播し、椅子に座る優人の足が貧乏揺すりを始める中、今は閉じられた背後のバスルームの出入り口――その磨りガラスの向こう側で動く影があった。


「先輩、入ってもいいですか……?」

「あ、ああ、いいぞ」


 微かに上擦った声に、それ以上に上擦った声で優人は答えた。

 すると少しの間を置いてバスルームの引き戸は開かれ、彼女の姿が優人の目に晒される。


「お、お待たせしました」


 現れたのは、一見すると大きめの白いTシャツ一枚を着ただけの雛だった。

 振り返って早々直視に耐えかねた優人はたまらず前を向いて顔を伏せ、背中で感じる雛の気配から意識を逸らしながら口を開く。


「お前、それちゃんと、下にも着てるんだろうな……!?」

「あ、当たり前じゃないですかっ。ちゃんと水着を着てますよっ」


 ほら! とか言ってTシャツの裾を(まく)って見せつけているような気がするが、振り返って確認などできるものか。

 もちろん雛に限ってそんな倫理観がバグったような真似をしてくるわけもないと理解しているが、頭でそうだと分かっていても、今の彼女の姿はあらぬ妄想が浮かんでしまうぐらいに扇情的だ。


 何とか気を取り直して顔を上げ、改めて鏡越しに雛を確認する。

 優人が変なことを口走ったせいか、身体の前で腕を組んでもじもじと身体を揺らす雛。


 確かにTシャツの下には水着を着用しているようで、白い布地の先にうっすらと透ける紺色が見て取れた。その紺の一色が胸やお腹回りなどをしっかり覆っていることから考えるに、水着の形はワンピースタイプであり、となると雛が着ているのは学校指定のスクール水着とみて間違いないだろう。


(って何を冷静に分析してんだ俺は)


 ひとまず安心する一方で、鏡越しとはいえまじまじと観察している自分にノリツッコミを入れる。

 その間に雛はある程度緊張を鎮められたのか、大きく深呼吸して居住まいを正し、バスルームの中へと一歩、足を踏み入れた。


「で、では、まずは頭からいきますね……」

「……お願いします」


 この状況は、つまりそういうことだ。

 利き手が不便な上に濡らすわけにもいかない優人に代わり、雛が直々に優人の頭と背中を流してくれるというわけである。

 お世話をすると豪語してくれた雛だが、まさかここまで手厚くしてくれるとは。


 バスルームにいるだけが原因ではない身体の熱さを抱えながら、シャワーを手にとってお湯の温度を確かめる雛を、優人は固唾を呑んで見守る。


 泡を食ってばかりもいられない。

 まだ、始まったばかりなのだから。

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