第24話『優人のバイト先、その二』
「お待たせしました。お気を付けてお持ち帰り下さい」
昼下がり、優人のバイト先である洋菓子店『カトレア』の店内。そのカウンターで接客に勤しんでいた優人は店のロゴが印刷されたビニール袋を胸の高さまで持ち上げると、ショーケースの前で待っていた老婦人の前へと歩み寄った。
ビニール袋の中身は数種類のケーキが収められたテイクアウト用の紙箱だ。お孫さんとそのご家族が遊びに来るからと先ほど注文されたもので、だから優人はできるだけ丁寧にそれを手渡す。「色々と相談に乗って頂いてごめんなさいね」と頭を下げて退店していく老婦人に、優人も同じように会釈と笑顔、そして「ありがとうございました」を送り、出入口のドアが完全に閉まったところで一息ついた。
どれを買っていけばいいかとお悩みで色々と話を聞いていたので、少し対応が長引いてしまった。もちろんそれは大事な仕事の一環であるし、他に待たせている客もいなかったので別に構わないのだが、話し込む内にできるかぎり期待に応えられるものをおススメしようと気が張っていったらしい。
ちょうどよくカウンター内から見渡せる範囲のイートインスペースには客がいなかったので、優人は大きく首を回して身体をリラックスさせた。それから表情筋をほぐすように顔を揉んで、もう一息ついた。
バイトを始めたばかりの頃は接客一つを終えるたびに表情筋がずいぶん凝ったように感じていたのに、今はそれほどでもない。自分でも言うのもなんだが、接客スマイルというものがだいぶ板についてきたと思う。
過去を振り返れば人付き合いを苦手とする優人ではあったが、将来雛と一緒に喫茶店を開きたいという夢がある以上、接客は避けては通れぬ道。自分にとっては最も高いハードルなんじゃないかと戦々恐々していたけれど、思い切ってやってみれば必要以上に身構えることはなかった。
大切なことの根底は菓子作りと一緒で、丁寧にすること。もちろん他にも色々と気を付けないといけないことはあるけれど、一番大切なのはきっとそれだ。
(っし、もうひと頑張り)
ちらっと壁掛け時計を見ればもう少しで休憩の時間だ。気を引き締め直す言葉を舌の上で転がしたちょうどその時、出入口のドアベルが新たな来客を告げた。
「いらっしゃ――」
現れた人物の顔を見た途端、優人の言葉は止まり、そして口元はほんのりと苦笑混じりに上を向く。
まったく、お客様によって態度が変わるなど褒められたことではないと分かっているのに、どうしても笑顔の質が変わってしまう。
まだまだ経験不足だなとひっそり自分に呆れ、優人は緩む頬に少し力を入れ直した。
「いらっしゃいませ。お持ち帰りでしょうか?」
「店内で。あと二人来るんですけど大丈夫ですか?」
「はい。お好きなテーブル席をご利用下さい」
カウンターの前へと近寄ってきた雛の微笑みながらの問いに、優人もまた笑みを浮かべながら言葉を返した。
優人は一応仕事中なので、だからお互い敬語を使っているのが何だか少し可笑しい。そのことに新鮮さを覚えていると、さらに二人の女性客が店内へと入ってくる。
雛の連れであろうその二人に優人は面識が無い。雛は今日、大学の方に顔を出すと言っていたから、二人は恐らく大学での友人で、用事を終えた帰りにこうして店に寄ったのだろう。
雛が自分との関係をどこまで話しているのかは分からないが、そもそも今は仕事中。あくまで一店員として振る舞うことを自らに徹底し、三人それぞれの注文を受け付けていく。
全員がケーキとドリンクのセットを注文。雛の友人の片方がさらにケーキ二個を追加注文したのに「よく食べるな」と内心驚きつつ、優人は指定されたケーキをショーケースから取り出してトレイに置き、慣れた手付きでドリンクのグラスも並べていく。それから会計を済ませて商品を受け渡していくと、最後に商品を受け取った雛が、テーブルへ向かおうとした直後に振り返って優人を見た。
『がんばって』
声には出さず、口の動きだけで伝えてきた応援。特に疲れるような作業をしていたわけでもなかったのに、自分の中で体力だか気力だかがぐいーんと回復したような気がした。なんというか、こう、こっそりしてもらえる行為というのものには独特な魅力があると思う。
「天見くーん、レジ替わるから休憩入ってええでー……ってどないしたん?」
「いえ、なんでも」
厨房の方から交代としてやって来た達人に緩んだ顔を見られそうになり、優人は慌てて表情を取り繕った。
「そうだ、カウンター周りの備品チェックってまだでしたよね? 休憩入る前に俺やっときますよ」
「助かるわ。ほなよろしゅう――お、天見くんの彼女さん来てるやん。今日は友達も一緒でなおさら華やかやし、うん、目の保養目の保養」
「せめてそういうセリフは俺に聞こえないところで言ってもらえます……?」
雛たちはカウンターから一番近いテーブル席に腰を落ち着けていた。そちらを見ながらうんうんとしたり顔で頷いている達人の言葉に、優人はカウンター内の下段の棚に用意している備品の残数を数えるために体勢を低くしながら、少しだけ眉を顰めて呟いた。
雛がここに来るのは初めてではない。すでに『カトレア』の従業員の大半からは優人の恋人として顔が知られており、丁寧な物腰や人当たりの良さから『良いお客様』としても好評だ。
雛の容姿が目を引くのはむしろ優人の方こそ理解しているので、達人に対して見るなとまでは言えないが、行為を口に出されては軽い小言の一つぐらいは口を突いて出る。
「でも黙ってこっそり見てる方が気持ち悪くあらへん? まあお客様を不快にさせたら華さんにも怒られるし、ほどほどにしとくから堪忍な」
「はいはい」
実際、目の保養発言が冗談なのは分かっているつもりだ。雛が来店している時には度々口にされる軽口で、言ってしまえば優人の苦言も含めてお決まりの流れだった。
その時、優人の耳は聞き慣れた声の混じる会話を捉える。
「あれ、いつの間にかいなくなっちゃった。休憩?」
「そうかもしれませんね。今日は朝から仕事に出掛けましたから、時間的にも頃合いでしょうし」
「そっかー、残念。もうちょっと見たかったのに、雛の彼氏」
優人の動きがピタリと止まった。
雛たちの推測とは違ってまだ休憩には入らずこの場にいるのだが、屈んだことでショーケースの陰に隠れ、彼女たちの死角に入ったらしい。
雛の彼氏、とはもちろん優人を指す言葉であり、雛たちの話題に挙げられたことで、いけないとは思いつつも続く彼女たちの会話に聞き耳を立ててしまう。
ちらっと達人のことを見上げると口を開く気配はなく、けれどちょっと口の端を上向かせているので、彼もここは見に徹するようだ。
「それにしても雛の彼氏を見たのは初めてだけど……うん、なるほど、大学のウェイウェイ言ってる男共にはない落ち着きってものを感じた。ああいうのが大人の魅力ってヤツ?」
「ふふ、そういう魅力は私も感じますけど、年は一つ上なだけなんですよ?」
「一つ上であれかぁ。なんかここからさらに渋みが出てきそう」
「雛ちゃんいいなぁ。私もああいう人が彼氏に欲しいー」
「へー、珍しい。あんたが自分からそんなことを言い出すなんて」
「だって羨ましくない? ケーキ屋さんで働いてる男の人なんて、美味しいものいっぱい作ってくれそうだもん!」
「…………あんたはもう、本気で羨ましいと思ってるなら、まずはその色気より食い気なところをどうにかしなさいって。雛を見習いなさい、雛を」
「いやー、さすがに雛ちゃんレベルは厳しいなぁ。でも色々と参考にはなりそうだから、彼氏さんとの馴れ初めとか訊いてみたいかも」
「あ、それは確かに。私もかいつまんだ程度にしか聞いてないのよね。どういうところを好きになったとか、逆にどういうところを好きになってもらえたのかとか」
「え、い、今ですか?」
「今今。ほら、当の本人もいないことだし」
「え、えー……その、好きになったところはたくさんあるんですけど、一番はやっぱり大事にしてくれてるってことが伝わってくるところで――」
…………。
……。
…。
くるっ。達人が身体の向きを反転させて、ぼそっと低い声で呟く。
「なあ天見くん? なんで僕、交代していきなり惚気聞かされなあかんの?」
「まあ、人の彼女を目の保養にした代償ってことで」
「はは、言うやないか。君がまだここにいるってバラしたろか?」
「やめてください」
達人の気が変わらない内に、そして何より、こちらの肌をじわじわと炙ってくるような雛の賞賛に耐え切れなくなるその前に、備品チェックを素早く終わらせた優人はその場からの戦略的撤退を選択したのだった。
前話の第23話の直後を描いた18禁版も更新しております。
また同棲編ですが、あともう一区切りほど物語を書いたら完結にする予定です。
どうぞもう少しだけお付き合い下さいm(_ _)m




