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第20話『ほんのちょっと、先取りする未来』

 天見優人、二十歳。すでに成人年齢を越え、あと一年半もすれば大学も卒業し、れっきとした社会人にならなければならない身の上。

 この先も愛する人を支えていけるよう、今にも増して頼りがいがあって落ち着きのある大人の男になることを密かに志しているわけなのだが。


(……落ち着かねえ)


 ブライダルショップの店内で待合いのソファ席に座る優人は、そんな志など完全に忘れてしまったレベルでそわそわそわそわそわそわとしていた。


「本日はお時間を頂戴しまことにありがとうございます。もう少し準備が整うと思いますので、今しばらくお待ちください」

「は、はい」


 落ち着きのない優人を見て気を遣ってくれたのだと思う。最初に接客をしてくれた人とは違う、おそらく上司に当たるであろう女性店員の声掛けに、優人は少しだけ自分を持ち直して頷いた。

 とはいえ、根本が解決しないことにはこれ以上の改善は望めない。

 高級感のある店内の雰囲気や、やけにふかふかに感じるソファの感触などもその要因に含まれるけれど、やっぱり一番は、


(雛の花嫁姿……)


 なんだ、その字面(じづら)の響きだけで優人のハートをブレイクしてきそうなパワーワードは。

 そしてあろうことか、今からそれを実際に見ることができるというのだから、どうしたって(はや)る気持ちは芽生えてしまう。もちろんAR技術とやらを利用した疑似的なものだとは分かっているが、まさしく降って湧いたような機会なだけに平静は保てなかった。


 一口にウェディングドレスと言っても色々とタイプがあるようで、雛はいったいどんなものを選ぶのだろう。例えばこれか、それともあれか。店内の展示物の間を行ったり来たりする優人の視線は、やがて小さな音を立てて開かれたドアの方へと吸い寄せられた。


「大変お待たせしました。準備ができましたのでこちらへどうぞ!」


 最初に接客してくれたあの店員が姿を現し、そこはかとなくほくほくとした笑顔で優人を平手で促した。シックな店内の雰囲気とはやや不釣り合いなその明るさが逆に優人の緊張を和らげてくれる。

 立ち上がって扉の奥へ向かおうとすると、それよりも先に優人の目前に差し出されたものがあった。


 一枚の眼鏡だ。ただ一般的なそれよりはつる(・・)の部分に厚みがあるし、実際持ってみても少し重さを感じる。


「AR映像の受信機となっています。お相手の試着姿はこちらをかけてご覧ください」

「分かりました」


 つまり、これを介することで雛がウェディングドレスを着ているように見えるということらしい。

 地味に人生初眼鏡なことを頭の片隅で思いつつ、眼鏡をしっかりとかけてから雛が待つ部屋へと足を踏み入れた。


「それでは最初は二人きりでお楽しみください! もちろんご不明な点がありましたらすぐにお伺いしますので、どうぞお声掛けください」


 そんな言葉を最後に背後の扉は閉められた。

 一時的に雛と二人だけになった試着室。だが、肝心の雛の姿が見当たらなかった。


「えっと、雛――」

「こ、こっちです」


 仕切り用のアコーディオンカーテンの向こう側から声が聞こえた。

 いつも聞き慣れた、でもやっぱり少し緊張した声。


「準備できたって言われたから来たけど、大丈夫そうか?」

「はい……一応、最後に精神統一をと」

「なんだそれ」


 堅苦しい言葉選びに小さく吹き出した優人は、カーテンの方へと近付き取っ手に手を添えた。


「開けてもいいか?」


 返答はなかったけれど雛がこくりと頷いたのを肌で感じ取る。

 だから、雛を焦らせないようにゆっくりとカーテンを横に開いて――……開いて、その姿勢のまま、優人は固まった。


 ――正直に言えば、少なからず高を(くく)っていた面はあった。

 いくら雛の花嫁姿と言っても、あくまで疑似的に再現しただけで、今のAR技術がどれほどのものかは分からないけど、やっぱりちぐはぐとした違和感はあるんじゃないかと。

 実際、そういった違和感はあったと思う。けれどそれ以上に、ARを介することでこの場に現れた雛の花嫁姿は、瞬く間に優人の目を釘付けにした。


 純白の衣装が(かたど)るのは肩紐といったものがなく、雛の華奢な肩周りを大きく晒け出したタイプ。ともすれば大胆に思える露出具合で、特に優人の目線の高さから雛を見下ろせば、自然にふっくらとした胸元の方へと目が吸い寄せられそうになる。

 一方でそこより下、細い腰から足はふわふわとレース素材が揺れるチュールスカートで覆われていて、そのスカート丈は端が床に触れるほど長い。ただ実際に歩く時のことも考慮してなのか、つま先からの延長線上だけは足が出るようになっていた。


「……どう、ですか?」


 雛が頬を薔薇色に染め、両手を口の前まで持ち上げた。

 ARに補正された両手にはブーケが握れられていて、雛はそれで恥じらうように口元を隠すと、上目遣いに少しだけ首を傾げる。

 後頭部を垂れるベールが、当然だけれど音も無く揺れた。


 どう、と言われても、まさかここまでなんて――。


「……めちゃくちゃ似合ってる」


 結局絞り出せたのは普遍的な賞賛でしかなかったけど、雛はふふっと目元を(ほころ)ばせた。


「さすがにドレスは初めてだから不安でしたけど、優人さんのその様子なら問題なさそうでよかったです」

「問題ないなんてレベルじゃないって。ほんとに、よく似合ってて……って、これ、雛は今自分がどんな姿してるかって分かるのか?」

「はい、私はあれで」


 すっと指で示された先には縦に伸びる大型のモニターが設置されていた。

 上部にはこちらを捉えるカメラが備えられていて、AR補正された姿をなるほど姿見よろしく映し出してくれるようだ。

 というか、雛に言われるまでまったく目にも入らなかった。それだけ雛の姿に目を奪われていたということか。


「そういえば優人さんの眼鏡姿、初めて見ましたよ。なんだか新鮮でかっこいいです」

「それ今気にすることか」


 雛の花嫁姿に比べればなんて些末なことか。本当に今気にするところじゃなくて笑ってしまったが、そのおかげで圧倒されるばかりだった状態から持ち直せたので、優人は改めて雛のことをまっすぐに見つめる。

 雛もそれに気付き、堂々と胸を張って優人の視線に全身を委ねた。


「綺麗だよ、すごく。雛の花嫁姿を見れるなんてまるで夢みたいだ」

「私も同じ気分です。こうしてウェディングドレスを着れるなんて。着るっていうのとは違いますけど」

「まあな。それにしてもここまで再現できるなんて、最近のARってすごいんだな……」

「そうですよねえ。私の今日の服装がちょうど合わせやすかったっていうのもあるらしいですけど、本当にびっくりです」

「そっか、シルエット的には似てるもんな」


 言われてみれば雛の元々の服装はオフショルダーのワンピースだから、重ねるような形になったぶん補正しやすかったのだろう。

 だとしてもうまく合わせられるもんだ、と試しに眼鏡を外して元の姿と見比べようとすると、「こら」と可愛らしい音色の文句と共に雛の手が優人を止めた。

 間近に迫った恋人の顔はちょっとだけむくれ気味で、同じように尖る唇。


「まるで夢みたい、なんですよね? せっかく頑張って選んだんですから、そう簡単に夢から()めてもらったら困ります」

「失礼しました」

「よろしい。じゃあ優人さん、こっちこっち」


 満足げに頷いた雛に背中を押され、優人は姿見代わりのモニターの前に立たされる。そして雛はすぐ優人の横に立つと、腕を絡めて前を向いた。

 いったい何を、なんてわざわざ訊くほど野暮ではない。言葉にされずとも雛の意図を理解した優人は背筋を伸ばし、胸を張って彼女と同じ方を見た。


 まだいつになるかは分からない。だから今までどうしても少しあやふやだった未来予想図が、確かにそこには映し出されていた。

 雛と、他でもない彼女と、こうなりたい。そんな想いが、より確固たる意志を伴って優人の中で芽吹く。


 ふと隣を見ると、心が繋がったように同じタイミングでこちらを見上げた雛と目が合い、幸福が(にじ)んでふやけたようにその(まなじり)を緩ませた。


「しかしあれだな、雛はドレスなのに俺が普段着だからやっぱりちょっと変な感じ」

「あはは、そうですね。でもまあ今日はあくまでお試しですから、ちゃんとしたのは大事にとっておきましょう。本番(・・)に」

「うん、本番(・・)にな」


 その時はきっと、隣に立つ彼女はもっと綺麗になるだろうから、それに相応しい男にならないと。

 そんな決意に少しだけ身を固くする優人だったが、そっと寄り添る温もりがすぐにそれを溶かしてくれた。

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