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第18話『憧れの純白』

 昼食の片付けを済ませた後、雛を連れて駐車場からショッピングモール内へと足を運ぶ。大した移動距離でもないのに汗ばんでくるほどの真夏日だが、ひとたび入り口をくぐればその先は天国だ。大きな吹き抜けと上階へ繋がるエスカレーターが並ぶエントランスで、優人は冷房の効いた涼やかな空気で肺を満たした。


(人、結構多いな)


 ざっと見渡すだけでも老若男女、多くの人がモール内を行き交っていた。

 ここには初めて来たが、販売店や飲食店以外にも映画館やゲームセンター、催事場も備えたかなり大型の施設らしいので、相応に訪れる人は多いのだろう。夏休みだから余計にというのもあるかもしれない。


 うっかりしてはぐれないようにしないとな、と雛と繋いだ手にわずかに力を込め、しかしすぐに緩めて優人はひっそりと自分に呆れた。

 まったく、自分も雛も小さな子供ではないというのに。もちろんはぐれたら心配にはなるが、お互いスマホなりの連絡手段は持っているのだからそうそう大事にはならないだろうし、そもそも雛は一人でふらふらとどこかへ行くような自由奔放なタイプでもない。


 こんなことを考えていたら、また雛が「子供扱いしてる」と軽く()ねてしまうかもしれない。

 すると、そんな優人の内心とは裏腹に、隣に立つ雛はそっと距離を詰めて優人の方へと身を寄せてきた。


 手を繋ぐだけだった状態から、優人の腕に自分の腕を絡めてすり寄ってくるようなかたち。力加減としては控えめで、それこそ柔らかいものがぎゅっと押し当てられるようなほどではないけれど、一方でちょっとやそっとでは離れないという頑なさも感じられた。

 直前まで浴びていた蒸し暑さとは違う心が落ち着くような温もりの元へと視線を向けると、見上げてくる金糸雀(かなりあ)色の瞳がふふっといたずらっぽく細められた。


「人が多いですから、優人さんとはぐれないようにしないとなと思ったんです」

「子供か」


 もしかして優人の考えは見透かされていたのだろうか。そう思うとなんだか気恥ずかしくて鼻頭をかきながら短く答えると、やっぱり雛はお見通しですと言いたげに楽しそうな笑みで頬を緩ませる。


「別にそういう心配でなくとも、せっかくのデートだから二人でいる時間を少しでも減らしたくないというのは自然じゃありませんか。それに優人さんを一人にしてしまうと、他の女の人から声をかけられてしまうかもしれません」

「ナンパの確率は雛の方が圧倒的に高いと思うけどな……。デートな分、いつも以上に綺麗だし」

「ふふ、ありがとうございます。でもとあることがきっかけで、実は以前より声をかけられることは減ったんですよ?」

「とあること?」

「はい、おかげさまで(・・・・・・)


 あえて強調したような言い方をした直後、雛が左手を優人の目の前へと掲げる。

 その薬指、品のあるシルバーの輝きで存在を主張するのは――雛が高校を卒業したあの日、優人が贈った婚約指輪。

 普段は大事に仕舞っていて、たまのお出かけとか、何か特別な日には着けるようにしているのだと以前に雛が教えてくれた。今日も最初から着けているのは気付いていたけれど、こうして改めて見せつけられると、雛の満面な笑みも相まって大事にしてくれているんだなという実感が溢れてくる。


「やっぱり指輪の有る無しは大きいみたいですね。声をかけられそうな時もそれとなくこれを見せれば、結構あっさりと引き下がってくれますもの」

「なるほど……決意表明というか、結婚を申し込む上での覚悟として贈るものだと思ってたけど、よく考えればそういう効果もあるんだよな……」

「みたいですね。――離れている時も守ってくれて、ありがとうございます」


 ちゅっ。可愛らしくウインクをした雛は、指輪のすぐ近くで軽やかに唇を鳴らした。

 実際に指輪へ口付けをしたわけではない。あくまで寸前のところまで唇を近付け、それから優人に聞こえるようにリップ音を奏でただけ。

 しかしその流れるような一連の動きが放つ破壊力(みりょく)たるや凄まじく、(うめ)きそうになった優人は自身の口元を隠して、可愛らしさの化身である恋人から目を逸らした。


 ……危なかった。もう少しで公衆の面前であることを忘れ、衝動的に雛の唇を奪うところだった。

 というか、自分たちはいつまでも入口近くで立ち止まっているのか。それこそデートの時間がもったいないと少し冷静になれた頭でそう考え、優人は先を促すべく雛の腕を引いた。もちろん、彼女が絡めた細い腕を振りほどかない程度の力加減で。


「ほら、せっかく初めての場所に来たんだし色々見て回ろうぜ」

「はーい。優人さんはどこが見たいとかありますか?」

「正直特別これってのはないけど……まあ、とりあえず服?」

「そうしましょうか。秋物も出始めてるみたいですから私も気になります」


 館内マップを確認すると、アパレル系が集中しているフロアは上階の方のようだ。

 ちょうど動線の先にあったエスカレーターに乗って上階へ向かう間、恋人の嬉しそうな笑顔と温もりは、常に優人のすぐそばを離れなかった。








 とりあえず服をと提案したのは優人からだったが、実際に見て回るとなると興味の矢印はやはり雛の方が大きいらしい。雛によるプチファッションショーという名の試着が行われたり、雛が優人を半ば着せ替え人形にして楽しんだり、小腹が空いた頃合いでクレープを買って半分こしたりとデートを満喫することしばらく。


「――あ」


 隣から小さな声がこぼれたと同時に、優人の腕が微かに引かれる。何かに気を取られた雛が立ち止まったのだと察してその目線の先を追うと、優人はすぐに雛が目を引かれた理由に納得した。


 二人から少し離れたところにある人の背丈以上に大きなショーケース。

 中に収められたマネキンが身にまとうのは、それはそれは華やかで、品のある――純白のウェディングドレスだった。


「見てくか?」


 優人がそう尋ねると、雛は少し頬を染めながら「はい」と答えたので、なんだか足取りがふわふわしているような雛に連れて行かれる形でショーケースへと近付いた。

 ブライダルショップの店頭に展示されているその一着は、近くで見れば見るほどその作り込みは精緻(せいち)を極めており、全体の裁縫やレースの飾り付けなど、一つ一つの要素に手を尽くしているのが窺えた。


 けれど、隣の恋人が憧れの様子で見つめているのはそういった技術的な事柄より、その一着が持つ意味によるところが大きいだろう。


「雛はさ、ドレスと白無垢(しろむく)だったらドレス派?」

「え? あ、はい……個人的にはこういうお姫様みたいな方が憧れますけど」

「うん、分かった。覚えとく」

「お、覚えとくって……」


 自分たちの()についての考えを言外に含ませた優人の言葉に、雛の頬の赤みが濃さを増した。


「そんな張り切った感じで言われると、こっちの方が照れちゃいますよ……」

「そりゃ張り切るだろ。一生に一度の大事なもんなんだし」

「…………」

「雛?」


 何か変なことでも言っただろうか。

 放心したような無言の反応に首を傾げていると、やがて雛は少し長く、ほんのりと熱を帯びた吐息を漏らしながら笑みを浮かべ、優人のわき腹を指先でくすぐり始めた。


「な、なんだよ。くすぐったいぞ」

「なんとでも。ふふっ、そうですよね、一生に一度、ですよね?」

「? だからそう言って――おいやめろ、本当にくすぐったいって」


 なんだか今日一番に上機嫌になった雛からくすぐりを継続され、優人は何が何やらだ。

 するとそんな二人に、店の中から近寄ってくる女性がいた。


「失礼します! もしかしてご興味がおありですか?」


 一つ結びにまとめた髪にぱりっとしたパンツスーツ。見たところこの店舗の従業員らしい女性は優人たちの前に進み出ると、営業スマイルとは違う溌剌(はつらつ)な笑顔を形作った。こういった高級感のある店舗の従業員としては少し意外なものに感じるが、逆に親しみやすさがあった。


「ええ、まあ。すいません、お店の前で邪魔でしたね」

「いえいえ、そんなことは! よろしければ店内にもまだ種類がありますので、どうぞご覧になってください。よろしければ今なら無料でお試しなどもできますよ?」

「え、お試し?」


 女性の言葉を聞き返したのは優人だったが、強い反応を示したのはむしろ雛の方だ。それは繋いだ手から伝わる身体の揺れで分かり、時間にも余裕があるから提案に乗るのも悪くはない、のだが。


「お試しって……ウェディングドレスの試着ってことですか? 逆にできるんですか、そんなの」


 気になる上着を見つけたからちょっと羽織ってみよう、程度の手間では済まないはずだ。実際に着るだけでも専門の人に色々と手伝ってもらわないといけないだろうから、事前予約などで用意があるならともかく、こんなふらりと立ち寄っただけの自分たちに易々と提供できるサービスとは思えない。


「お客様、実は今ちょっと便利なものがあるんですよ」

『?』


 よくぞ訊いてくれましたとでも言いたげににんまりと笑う女性を前に、優人と雛は顔を見合わせた。

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