第16話『ドライブデート』
雛とのドライブデート――。
とは言っても胸を張って宣言するにはささやかなものであり、普段より少し行動範囲を広げた程度に抑えようとは思っていた。
なにせ練習したとはいえども、優人は未だ初心者マークが外れない時分。たとえ見知った道でも周囲の車の動きに合わせるだけで結構気を遣うし、高速道路なんてもってのほか。ましてや今日は同乗者の命を預かるわけでもあるのだから、万が一にでも事故など起こすわけにはいかない。
そもそも運転ばかりに気を取られて本来の目的であるデートを楽しめないようでは本末転倒なので、そういう意味でも今日のデートは遠出が目的ではなく、ゆるりと散策といったイメージだ。――まあ、雛に内緒で目星をつけている場所がないと言えば嘘にはなるが。
当日、午前の内に優人がレンタカーを借りて自宅まで雛を迎えに行き、そこからデートはスタートした。身構えていたよりは空いている道で車を走らせること約十分、赤信号に差し掛かったところで優人は助手席の雛に視線を移した。
「……もしかして、なんか体調悪い?」
「い、いえ、そんなことはっ」
優人が心配そうにそう尋ねると、なんだかさっきから妙に落ち着かなさそうな様子の雛は、慌ててぱたぱたと両手を横に振った。
訊いておいてなんだが確かに体調不良というわけではないのだろう。受け答え自体はしっかりしているし、顔色だって健康そのもの。むしろデートだからと薄化粧を施してくれたのもあり、優人の目には雛の白い肌が普段の二、三割増しで映えている。
「なんというか、その、ドライブにちょっとびっくりしているというか」
「けどドライブ自体は昨日の内に伝えただろ……?」
「それは、そうですけど……」
サプライズでドライブに誘うというのも考えの一つとして浮かんではいたが、女性のコーディネートは当日の交通手段によっても変わるという話を小耳に挟んだこともあったので、雛には事前に明かしてある。だから服装だってばっちりきまっていた。
夏らしく爽やかな白色が基調のオフショルダーのワンピース姿。群青色の髪はすっきりとポニーテールにまとめ、前髪には桜の花をモチーフにしたヘアピンが。プレゼントしてからもう数年は経っているのに、今もこうやって大事に使ってくれていることがとても嬉しい。
履き物にしても洒落たミュールサンダルとなっており、例えば長時間歩き回るとなれば億劫かもしれないが、車移動がメインならその心配もないだろう。
このように雛のコーディネートは完璧も完璧。なのに落ち着かない様子だから、妙にそのちぐはぐ感が浮き彫りになっているわけだ。
まあ体調が悪いというわけでもないのなら、気にしすぎるのもかえって余計な心配になるだろうか。
適度なところで折り合いをつけるべきかと考えた優人が話を切り上げようとすると、雛の方から「実は……」と声が続いた。
「優人さんが大人になったんだなあって改めて実感して、それにちょっと驚いてるって感じなんですよね」
「それって、こうやって運転してるからってことか?」
車の運転ができる――つまり免許の取得というのは、成人であることの一つステータスだとは思う。まさに今、そのステータスを目に見える形で行使しているわけだから、雛にそういった印象を与えやすいのだろうか。
「きっかけはそうですね。ほら、私たちって高校時代に知り合ってからずっと一緒なわけですから、大きな変化ってものは割と感じにくいと思うんですよ」
青信号に変わったので車を発進させつつ、雛の言葉に優人は「なるほど」と相槌を打った。
確かに雛と知り合って以来、優人と彼女はとても近い範囲内で暮らしている。最初の方の時点でお隣さんだったし、今となっては結婚の約束までして一つ屋根の下で暮らすほどの深い仲だ。
お互いの予定などで離れることはあってもせいぜいが二、三日。この先だってよっぽどのことがないかぎり離れて暮らすことはないだろし、そもそもその気もない。
故に二人の間に生じる変化というのは細かいものの積み重ねであり、大きな変化として感じられることはあまりない。それこそ成人という節目を経て子供から大人になるというのは、本来であれば大きな変化だとは思うけれど、正直実感があるかと言われたら微妙なところだ。
そんなあまりピンと来てなかった事柄を、強く意識させられた。雛の言いたいことをまとめるとこんなところだろう。
「あ、別に優人さんが今まで子供っぽかったという話ではないですからね? ……というか、そもそも昔から落ち着きがありましたけど」
「それも言うなら雛もだぞ。あー、でも、雛の場合は一緒にいる内に子供っぽいというか、結構可愛いところあるんだなって思うことが多かったかな」
「むー……好きな人から可愛いと思ってもらえるのは嬉しいですけど、少し複雑……」
助手席のシートに身を沈めて、艶めいた唇をほんのりと尖らせる雛。そういうところがまさに可愛いのだが、それを指摘するのはさすがにタイミングが悪いだろうか。
優人は漏れそうになった本音を笑って口の中で転がすに留め、もう一つの本音を言の葉に乗せる。
「可愛いのはもちろんだけど、大人になって一段と綺麗になったなとも思ってるぞ? 今日の格好もよく似合ってる」
先ほどの雛の言葉を借りれば『そもそも昔から』ではあるけれど、やっぱり磨きがかかったようにも感じられる。化粧の仕方一つをとっても変化はあるらしく、雛の魅力は歳月を重ねるたびにアップデートを繰り返しているのだ。
運転中だから、雛の顔は見れない。ただ華咲くような笑顔を浮かべたのが雰囲気で感じ取れて、その裏付けのように、ふふっと面映ゆそうな笑い声が優人の耳を撫でた。
「ありがとうございます。優人さんもかっこいいことですし、今日は大人らしくて頼りがいのある彼氏さんの姿をこの特等席からしっかり眺めさせてもらいます」
「なんかいきなり責任重大になったな……」
もちろん運転中は気を抜く気などないにしろ、ずっと眺められるのは気恥ずかしいのだが。
優人は軽く肩を竦めると、それならそうとできるだけかっこいい姿を見せてやろうとハンドルを握り直した。
「あ、でも助手席に座る以上は、見てばかりじゃなくてしっかりサポートしないとですね」
こういう真面目なところは、今も昔も本当にに彼女らしい。