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第15話『馴染んだ気持ち』

 どこかの誰かが彼女に内緒でこっそりと秘密特訓めいたものに励んでいる頃、空森雛はといえば、バイトである家庭教師の真っ最中だった。

 閑静な住宅街にある一軒家、その二階の一室。部屋の主であり、雛の今回の生徒でもある高校三年生の少女が固唾を呑んで見守る中、雛はテーブルに置かれたノートパソコンの画面から顔を上げた。

 表示されているのは少女がこの前受けた模試の答案用紙と成績表だ。今はこうしてネット経由で通知されることも多く、一人で見るのは不安だという理由で、家庭教師の時間に雛が一緒に確認してあげることになった。


 それでも「やっぱり怖い」ということで雛が先に確認してしまったが……彼女の本来の学力から考えれば、この結果は予想通りと言えば予想通りだ。

 雛は思い切ってパソコンの画面を少女の方に向け、同時ににっこりと温かな笑みを送る。それが意味する事実に目を細めるばかりりだった少女は、やがてつぶらな瞳を大きく見開いた。


「おめでとうございます。文句なしのA判定ですよ」

「あ、ありがとうございます、雛先生……!」

咲音(さきね)さんが頑張った結果なんですから、私がお礼を言われることではありませんよ」

「あ、そ、それはそうかもですけど……で、でも雛先生が、上手に教えてくれたからこその結果だと思うし……」


 少しあたふたとした様子で雛を見る咲音の肩を、雛は優しく叩く。すると咲音は照れくさそうなはにかみを浮かべ、パソコン画面に今一度視線を落とした。

 自分の出した成果が喜ばしいのだろう。嬉しさと誇らしさが合わさったその横顔を見ていると、雛も自分のことのように嬉しさが溢れてくる。


 咲音の家庭教師を始めたのは夏休みが始まったのとほぼ同時期だった。受験生である彼女にとって、高校三年生の夏はいわば大一番に向けての大事な準備期間であり、そのサポートを雛が請け負った形だ。


 咲音はいわゆる、本番で力が発揮できないタイプだった。基礎的な学力やその他応用力は元々ひとかどのものが備わっていて、普段の勉強ではそうそう遅れをとることはなかったのに、受験が本格的になるにつれて調子を崩していたらしい。

 だから多対一で受ける塾の夏期講習よりは、マンツーマンで悩みなども聞いてもらえそうな方がいいかもしれないということで、咲音の親御(おやご)さんは家庭教師を申し込んだとのことだ。


 そういった事情で白羽の矢が立ったわけだから、雛の方こそ初日は結構緊張したものだ。けれどそれも今は笑い話。結構いじわるな引っかけ問題もあったみたいなのにしっかりと解いてみせた咲音の成長ぶりは、十分に太鼓判を押せるほどだと断言していいだろう。


「この調子を維持できれば本番も大丈夫そうですね」

「う、うん。模試は良かったし、なんというか、本番で自分を集中をさせるための……心構え? みたいなものも分かった気がします。雛先生のおかげ」

「咲音さんは地力はありましたからね。それがちゃんと発揮できるようになっただけのことですよ」

「雛先生が勉強以外にも色々とお話聞いてくれたから……。だから、本当にありがとうございました」


 咲音はそう言って、深深と頭を下げる。そんなに(かしこ)まられると逆にこちらが慌ててしまいそうになるが、同時にとても嬉しくもあった。

 人に勉強を教えることは比較的慣れていたから。そういった理由で割となんとなく始めたのが家庭教師だったけれど、こうやって教え子が成長する姿を間近で見て、それを感謝されると充足感に満たされる。思わず、将来は教師なんてのもいいかもしれないと考えてしまうぐらいには。


(もしそうなったら、優人さんはなんて言うでしょうね)


 頭の中で恋人の姿を思い描くと、彼はすぐに真っ直ぐな瞳で雛を見た。


『俺は雛を応援するって決めてるからな。雛が本気でやりたいと思うことならそれを尊重するよ』


 想像上だけどほぼ確実にこう言うだろうという優人の返事を聞き、雛はちょっと――むくれた。


(まったくもう、私は私で好きでやってることなのに)


 将来、優人と二人で喫茶店を開きたい。それは雛自身が自然と抱くようになった夢で、誰に押しつけられたわけでもない。もちろん優人への愛情や恩義、支えたいという気持ちが関係ないというわけではないが、それに縛られて、自分の選択肢を狭めているつもりもない。


(むしろ、『ダメだ、俺の夢についてこい』なんて言ってくれても……いや、優人さんの性格的にありえませんね)


 ちょっとぐらい強引になっても構わないぐらいだけど、それもこれも雛の幸福をどこまでも願ってくれる優しさの裏返しで、そんな人だから――どうしようもないぐらい好きになった。


「……雛先生、ひょっとして彼氏さんのこと考えてる?」

「うぇ」


 気が抜けていたところにどストライクを放り込まれ、素っ頓狂な声が出てしまった。


「あ、やっぱり……」

「なんで分かったんですか?」

「顔。なんだかすごく緩んでたというか、幸せそうな感じだったから。雛先生って彼氏さんのこと話す時、だいたい似たような感じになりますよ」

「う……」


 咲音にはすでに優人のことをある程度は話している。テスト本番で失敗したという経験は、理由こそ違えど雛にもあって、その時のことを話したら自然と語ることになった形だ。

 あとはやっぱり女同士、恋バナは話題に上がりやすく、また盛り上がりやすい。咲音にはまだ付き合っている相手がいないみたいなので、雛が話し手に回ることは多かった。


「話を聞いてるだけでも分かってましたけど、雛先生と彼氏さんって本当にラブラブなんだなあ……素敵。あ、お母さんから貰ってたバスボム、あれってやっぱり彼氏さんと一緒に?」

「まあ、一応、はい」

「わぁー、ラブラブだ……!」


 なんだこれ、顔が熱くなってくる。

 からかわれているわけではないけれど、恋人のことを考えていたことを年下に見抜かれるというのは、言葉にする以上の気恥ずかしさがあった。

 いけないいけない。お金を貰っている以上この時間は仕事なのだから、気を引き締めるところはしっかり引き締めないと。


 しかし雛のそんな真面目な考えとは裏腹に、咲音は何やら興奮が冷めやらぬ様子で雛に詰め寄った。


「雛先生雛先生、ず、ずばり長続きのコツは?」

「コ、コツと言われても、何か特別なことをしているつもりは……」

「そうなんですか? でもあの、男の人の場合ですけど、美人は三日で飽きるとか。そういうのとかってないんですか?」

「……特には」


 今までも振り返っても心当たりはない。それはたぶん、優人も同じ。

 マンネリなんてものを危惧してこっそり用意したあの秘密兵器(・・・・)も、結局必要になりそうな気配はちっともなかった。


「へ、へえー、もう熟年夫婦ですね……!」

「一応まだ夫婦では……」


 あと精神的な意味だとは分かっていても、熟年と言われるのはさすがに嫌かもしれない。

 でもまあ、確かに熟年というのは頷ける部分もある。

 慣れたと言い換えてもいい。想いが鈍ったとか新鮮味がなくなったとかそういうわけではなく、心身に馴染んだというような。

 決して当たり前のものだと軽んじるわけではないけれど、すぐそばにあるのが当たり前になった好きな人からの愛情。

 そう考えると、もうあまり驚くようなことは少なくなったかもしれない。


(うーん……もしかしてこういう慣れみたいなものがマンネリとかに繋がるのかも……?)


 と、性懲りもなく優人とのことを考え込みそうになった雛だが、じっとこちらの表情を窺う咲音に気付いて咳払いを一つ。家庭教師の体裁を取り戻しつつ、「あまりからかわないこと」と柔らかい口調で咲音に苦言を呈するのだった。








 そんな出来事があってから、しばらくのこと。

 実は数日前に優人からデートの誘いがあった。行き先はお任せとなり、なんだかしっかりデートというのは久しぶりかもなんて思いながらうきうきして当日を迎えたのだが――。


「それじゃあ出発するぞ」

「は、はい」


 優人が借りてきたらしいレンタカーの助手席で雛は上擦った返事をする。

 でもこれは、だって、しょうがない。

 まさかのドライブデートに、驚きを隠せないのだから。

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