第14話『特訓』
「で、無事に免許は取れたってわけか」
「まあな」
夏休みのある日、その昼下がり。高校からの友人である千堂一騎の言葉に優人は少しばかり胸を張って答えた。
優人は今、一騎と共に一台の軽自動車に乗っていた。ただし優人が座るのは助手席で、運転を務めるのは自分よりも一年ほど早く免許を取得していた一騎だ。車自体も一騎の親の持ち物で、たびたび使わせてもらっているらしい。
つまり野郎二人でドライブである。そう聞くとただでさえ蒸し暑い夏が余計にむさ苦しくなってくるが、半分ほど開いた窓から流れ込んでくる空気は思いのほか涼しかった。
二人が乗る車は、左右に商業施設や飲食店が立ち並ぶ見通しのいい大通りをゆったりと進む。
「それにしてもお前、教習所に通い始めたのいつからだっけ? 卒業まで割と早かったんじゃねえか?」
赤信号に差し掛かって車を一時停止させると、一騎は片手で指折り数えた。
教習所は必要な授業や講習を受け、試験に合格すれば卒業――つまり免許センターでの運転免許試験に臨むことができるようになる。
そして、その授業や講習をいつ受けるのかはある程度自由に選べるようになっている。実際は授業の時間割とか、講習の予約数の上限とか色々と細かい制約はあるのだが、詰め込めばそれだけ短期間で卒業できるし、例えば土日だけなど曜日を制限するとなればその逆というわけだ。
「そうだな。最初の予定だと免許取れるのはもうちょっと後になるつもりだったけど、後半は割と詰め込んだかな」
「引っ越しもあったのにご苦労だな。何か理由でもあったのか?」
「……その原因の一端はお前らなんだよなぁ」
「は? なんだそれ。……お前ら?」
意味が分からないといった風に一騎が胡乱げな視線を送ってきた。
さすがに言葉が足りていないことは自覚しているので、優人は車のドアを支えに頬杖をつきながら一騎を見返す。
「お前、免許取ってから結構エリスとドライブデートしてるみたいじゃないか」
「あれ、それお前に話したっけ……――あー、彼女同士で繋がってるわけか」
「そういうこと」
ご覧の通り男同士の近況報告なんて淡泊なものだが、雛と一騎の彼女――姫之川エリスは色々と密なやり取りを交わしているらしい。
それは単純な世間話でもあれば、どこどこにデートに行ってここが良かったなどなど。エリスから送られてきた写真データを見て「わあ……」と目を輝かせていた雛の姿は記憶に新しく、優人にもその写真は見せてくれた。
青信号に変わって再び車が進み出したその時、一騎がくっくっくっと口の中で笑いを噛み殺す。
「つまりあれか、空森ちゃんからおねだりでもされたのか。優人さん、私も素敵なドライブデートがしてみたいですー。男の甲斐性見せてくださいーって」
「裏声やめろ気色悪い。あと別にそんなことは言われてねえよ」
優人はげんなりとした顔を作りながら、ひらひらと片手を振った。
そう、何も雛からそういった要望が出されたわけではない。そもそも免許を取ろうとしたのも、まとまった時間を確保しやすい大学生の今の内にと思ったからであって、雛とのデートで選択肢を広げられるという意図がまったく無かったとは言わないが、それを強く意識するようになったのは割と最近のことだ。
「言われたわけじゃないけど、まあ、一騎たちの話を聞いてると、雛をドライブに誘ってみるのも良いかもなと思ったんだよ」
「だから頑張って早く取ったわけか。良い彼氏じゃねぇか」
「茶化すなよ。雛を見てると色々としてあげたいなって思うんだよ。この前だって、」
「この前だって?」
「……いや、なんでもない」
「なんだよ、気になるな」
「なんでもないって。それより前、工事のせいでこの先の車線減ってるみたいだぞ」
「舐めんな免許取り立て。気付いてるよ」
軽い調子で返しつつ、スムーズに減速を始めて車線を変更する一騎。その様子を一瞥し、優人は頬杖をついていた手で口元を隠した。
うっかり口を滑らせて余計なことを言いそうになった。いくら親友といえども、これ以上先は口が裂けても言えない。
優人が思い返すのは引っ越し初日の出来事、雛の荷物の整理を手伝った時に目撃した――あのベビードール。衝撃的だった雛の秘密兵器は、未だに目を閉じれば鮮明に思い描けるほど目蓋の裏に焼き付いていた。
今回優人が免許を取ることを早めた気持ちと、まあ方向性にこそ違いはあるが、根本的な想いは同じだ。
つまり、相手のために何かしたい。そんな想いが嬉しくて、だから優人もお返しがしたかった。かといって、雛のように何か特別な衣装を用意するというのはしっくり感じなかったので、ドライブに誘ってみるという手段を講じようと考えたわけだ。まだ免許取り立ての初心者ドライバーだから、最初は近場を軽く回る程度にはなるだろうけれど。
「おーし優人、もうちょい進んだら運転交代な。お手並み拝見だ」
「了解。せいぜい安全運転でいかせてもらうよ」
今日はちょっとした予行練習だ。実際に雛を誘うその日のために、優人はこっそりと特訓に励むのであった。